17 / 25

17 選択肢は定まっている(SIDE:ラグナ)

「ッ、アイク!?」  ヴィケーノ村の人間に立ち向かうアイクから、静かな怒りが感じられる。  頭から血を垂れ流しているのに、まばたき一つしない。    彼が、あんな風に怒ることは滅多にない。  どれだけ自分が理不尽を被っても、いつもへらりと笑って済ませてしまうのがアイクという男だ。  それが今、石を投げてきた男に言い返している……王子のために。  アイクの体は傾き、スローモーションで崩れていく。 「アイク!!」  俺が手を伸ばすより先に、王子がアイクの体を受け止めた。  石を投げた男はすぐに取り押さえられた。 「アイク、アイク! しっかりしろ」  王子がアイクの頬をぱちぱちとたたいていたので、ぎょっとした。  慌てて止めようとするが、手を振り払われる。 「触るなっ」 「王子、駄目です! 首を動かしては」 「……」  ひきつけや嘔吐はない。致命的になるほどではないと見るが、念のため医師に診せたほうがいいだろう。  そのように伝えたが、王子は動かない。 「王子、村人たちはどこに移動させましょうか」  兵士の問いにも答えず、ひたすらアイクの開かない目蓋を見つめている。 「王子……?」 「アイク、アイク」  王子が何度も呼びかける姿は、まるで幼子のようだった。  アイクが額から流している血がただ袖に染み込んでいく。  やがて、やってきた担架がアイクを運んでいっても、その行き先をじっと見つめていた。  どうしたらよいのか分からない、といった顔だ。  俺は、初めてこの人から「人らしさ」を感じたように思う。  ちっぽけで、何にもできない、一人の人間らしさを。  俺の中で、嫌な予感が膨らんでいく。  王子が無理やりアイクを横に縛り付けているのなら、あいつは決して心を許さないだろう。  隙を見て逃げ出すだろうし、俺はそんなアイクを手伝う算段を付けていた。  ——でも、もしアイクに逃げる気がないのだとしたら?  二人きりの医務室は夕日に照らされ、ベッドをオレンジ色に染める。  アイクの上に、俺の影が重なっている。  彼は、顔を強張らせて俺を見上げてきた。  何が怖いというのだろう。俺か、それとも俺の中にいるこの獰猛な感情か。  だとしたら正解だ。俺は今、アイクに何をするか、自分でもよく分からない。 「……俺、だてにお前のこと見てないんだ。分かるんだよ。第二王子のことが好きだからって理由で受け入れたんじゃねーだろ」  そらされた顔。  その首筋に浮かぶ内出血の痕に、俺が気づかないとでも思っているのだろうか。  なあ「うん」って言ってくれよ。「好きじゃない、脅されてるんだ」って。そしたら、信じるよ。 「俺、お前が顔変えてって望むならメイキングだってできるよ。王子じゃなくて、俺なら……」 「ゃめ、ろっ!」  震える手が必死に押し返してくる。  ……なんで、王子は許されて、俺はダメなんだろう。  どこかで間違えた? それとも最初から?  ドブ川みたいな感情が押し寄せて、うまく言葉にできない。  これ以上アイクの前にいられなくなって、俺は医務室を後にした。  ……休暇の申請を出した。  働き始めて初めての申請だ。2日まとめて申請しても文句は言われなかった。  行き先は決まっていた。町はずれにある魔女の家だ。  城下町で拾った噂の一つだ。面白そうなら願いをかなえてくれるという。  町行く人は、俺を見てヒッと驚いて逃げていく。  よほど酷い顔をしているのだろうか。  そうかもな。造形も造形なら、それを縁取る感情も感情だ。俺は今きっと見苦しさというもののど真ん中にいる。  昨日から、自分の前にある道が、全部ふさがれてしまったような気分だ。  看板に従っていくと、魔女の森にはすぐに着いた。  目の前には、森の中とは思えない2階建ての立派な家が煙突からモクモクと煙を吐いている。 「……すんなり着いたな」  噂じゃ、森の中を延々とさまようと聞いたが……こんなでっかい家を見落とすことなんてあるのだろうか。 「それは私がお前を招いてやったからだよ」  弾かれたように振り返ると、やたら肉付きの良い醜悪な見た目の女性が立っていた。  まるで気配がなかった。只者じゃない。 「お前が、魔女か?」 「そうだよ坊や。何やら困りごとのようじゃないか」 「……お前、人の見た目を変えられるというのは、本当か?」  魔女は、エマーテのように目をしならせた。 「立ち話も何だ。入りな」  案内された室内は、意外にも普通の間取りであった。  ……部屋の一角には、何やら怪しいかまどと謎の瓶が並んだ机があるが。  魔女は、湯気を立てたカップを二つ持ってきて、テーブルに置いた。 「体に悪いもんは入っちゃいないよ」 「……」 「疑り深い坊やだね。いいかい、魔女は嘘が付けないんだ。マァ信じるかどうかは坊や次第だがねえ」  そう言って、魔女は自分のカップをズズーッとすする。  恐る恐るカップに鼻に近づけると、香ばしい花のような香りがした。  ちらっと舐めてみるが舌先には何も感じない。そのまま一口飲むと、じんわりと体が温まった気がした。 「で、なんだって魔法使いが魔女に頼みごとを?」 「……は? 何のことだ。俺は兵士だ」 「おや? てっきり同業者だと思ったんだがね」  魔女は、モノクルを傾けて興味深そうにこちらを見てくる。 「なるほど、野良か。そりゃあ勿体ない。お前さん、かなり魔法の素質があるよ」 「……そーかい」 「ああ。だから気になったのさ。魔法使いがなぜ、今にも死にそうな顔でやってきたのかとね」 「……それは、」  慌てて口を両手でふさぐ。  俺は今、何をしゃべろうとした。  魔女はくすくすと笑っている。 「ほら、吐きゃ楽になる。自白剤入りのお茶はうまかっただろ」 「お前! 嘘はつかないって」 「『嘘』は言ってない。1時間もすりゃ元通り、体にはなーんも影響ないさね」  謀られた……!  手で押さえても無駄だった。息を止めているみたいにどんどん苦しくなって、数十秒後には今日までの出来事を洗いざらい告白する羽目になった。 「はー青い青い。お前さん、本当に人間だったんだねえ」  一通り聞いた後、魔女は俺の前に飴をひと粒置いた。「今度こそ、何も入ってないよ」と、笑いながら。屈辱で肩が震える。 「事情は分かった。じゃあ本題だ。なぜお前は顔を変えたい?」 「……アイクの好みの顔になりたい」  一つずつアイクの好みに近づけるのだ。  見た目を、性格を、しゃべり方を……そうやってアイクが好きじゃない部分を好みのパーツに替えていけば、いずれはアイクの理想の存在になれるだろう。  魔女は興味深そうに笑った。 「なるほど、イカれた発想は嫌いじゃないよ。だが、全てが置き換わってしまったら、それはお前さんだと言えるのかい」 「言える」 「……ほう、なぜ?」 「それを願ってるのが『俺』だから」  王子に比べれば、俺が持ってるものなんて何もないに等しかった。  それなら、できるのは俺自身を捧げることだけだ。  俺がそうなりたいと考えて実行している限り、俺の存在はアイクへの想いの証左になるじゃないか。  証明したかった。  王子よりも、俺の方がアイクのことを愛していると。 「……ふふ。お姫さまにゃ、そこまでの価値があると」 「……俺が勝手にしてるだけだし」 「青いねえ。いいだろう」  魔女は、机の上にある透明な管を1本引き抜くと、聞き取れない呪文を唱えた。  管の中の液体は紫色に怪しく光り、コポコポと泡を浮かべ始める。 「これは、『お前の想い人が好きな見た目』に変わる薬だ。返品は受け付けないが、それでも飲むかい?」  魔女が目の前に提げた管を受け取った手が、かすかに震えていた。 * * * 「……それで、次に目を覚ましたらこの姿だ」  軒先に座り込んだアイクはときどき頭を振るわせながらも、黙って聞いていた。  夜風が俺たちの間を遮る。 「魔女は『相手が好きな姿になる』としか言ってなかったもんな。ちゃんと聞かなかった俺が悪いんだけど、王子の姿になったときは流石に……ちょっとへこんだわ」  嘘。ちょっとどころではない。  事実に気づいた俺は、すぐさま魔女を問い詰めた。  俺が首に突き付けた剣をものともせず、「だから言っただろう」と笑うだけだった。享楽主義者め……。 「ま、これで証明されたってわけ。お前が王子を好きだっつう……」  突然、頬に衝撃が走った。 「……っ!?」 「え、いったァ……!!」  アイクも拳を抱えうなっている。  じんじんと痛む頬を押さえて呆然とする。 「人を殴るってこんな痛いのか……漫画の主人公たちの拳ってどうなってんだ」 「あ、アイク?」  アイクは眦を決して見上げてきた。  それはあの日、村人たちに怒鳴ったのと同じ顔で。 「馬鹿なことしやがって!」  アイクは言葉を悩んでいるようだった。が、観念したように口を開く。 「……ああくそ、そりゃローバさんも俺のこと残酷だって言うよ。俺だって馬鹿だ。ごめん」 「謝るなよ」  謝らせるのは違うな、と思った。俺が勝手にやったことなんだから。  アイクが怒ったのも、アイクの勝手だ。  そして、この頬の痛みがアイクの答え。頬よりも胸の痛みのほうが鋭くて苦笑いが漏れる。 「……お前の『好き』は俺の『好き』と違うんだろ?」  やや間があって、アイクはゆっくり頷いた。  魔女の家から漏れた明かりが、アイクの左頬を照らす。  今にも決壊しそうな涙の粒が、目じりでキラキラと光っていた。 「俺はオルフェウスさまが好きだ……と思う」 「……」 「正直に言うと、これが恋情から来ているのか俺にもよく分からん。その……今まで恋とかしてこなかったから。でも、あの人のことを受け入れたいと思い始めてるんだ」  ……アイク、今自分がどんな顔をしているか自覚がないんだろうな。  ひどいやつだ。そんな顔をされたら、結局折れるしかない。  「惚れたほうが負けね」と、昔付き合っていた女性に言われたのを思い出した。まったくもってその通り。 「元に戻してくれって魔女に頼むよ」 「ラグナ……」 「どうせこのままじゃ城に戻れないし。王子の替え玉しか仕事できなくなるじゃん」  おどけて言うと、アイクはほんの少しだけ笑った。  ……本当は、諦められるかどうか全然分からないけどな。  この熱がどのくらい続くのかは、神のみぞ知る。数年後に誰かと結ばれているのかもしれないし、ジジイになるまで独り身かもしれない。 「何やらいい話風になっているところ悪いがね」 「うわっ」  座り込んだ俺とアイクの間に、スカイブルーの毛束がもさっと割り込んでくる。  いつの間にか家から出てきた魔女が、冷ややかな目で俺たちを見下ろしていた。 「その薬は返品不可といったはずだよ」 「……そこを何とか」 「やだね」  魔女が玄関の扉を完全に閉め切ると、辺りはまた闇に包まれる。  真っ暗な世界で、彼女のシルエットがくるりと身を翻したのが分かった。 「お前たち、魔法は万能だと思っているだろう。そういう人間がどれだけ身を滅ぼし、魔法学の発展を遅らせてきたか。私の美学に反する。私は魔法と苦痛を同時に飲み込める人間にしか魔法を施さないことにしているんだ」 「じゃあ、このままラグナにオルフェウスさまの顔で生きていけって言うんですか?」  言い募るアイクに、黒の影が忍び寄る。  俺は剣の柄に手を掛けた。何をするつもりだ。 「そうさな。じゃあ……今度はお姫さまに選択肢をやろう。坊やを助けるなら、その人間どもを狂わせているボタンへの処置はなしだ。ボタンに反作用魔法を掛けろというなら、坊やはそのまま王子とやらの顔で生きてもらう。どちらか一つ、お姫さまが選ぶといい」 「な……っ、何を考えているんだ、魔女!」  俺と世界を天秤にかけさせるなんて! くすくすと忍び笑いのような音が聞こえる。 「寛大な提案に感謝しておくれよ。さあ、どうする?」 「アイク、聞かなくていい! ……さっきお前に話してる途中で、俺も気づいた。明らかに今の世界はおかしくなってる」 「ほう……自力で美醜反転の魔法から抜け出したのかい? やはり坊やにゃ素質があるね。どうだい、ここでちょっと下働きでも」 「うるさい!」 「……してください」  アイクの影が冷静な声を放つ。 「ラグナを元に戻してください」  その声は決して大きくないのに、やけに耳に突き刺さった。 「アイク……!」 「思い切りがいいじゃないか。いいのかい? お前さんがウチに来た目的はこのボタンだろうに」 「はい。でも、ラグナを戻すほうが先です」 「何言ってんだよ、お前……違うだろ?」  アイクの肩をつかんで揺らすが、何も言わない。  魔女が了承したとばかりに家に戻っていこうとするので、慌てて声を掛けようとした。 「待て、魔女!」 「ラグナ」 「何だよ! アホ! 早く魔女を止めないと……っ」  それ以上、言葉が紡げなくなった。  アイクが俺を抱きしめてきたから。 「ラグナ。いいんだ」  全身に伝わるぬくもり。  俺より少しだけ背の低い彼のつむじが、目前に迫る。鼻腔をくすぐる汗のにおい。全身に鳥肌が立つ。 「でも……」  再び開いた扉から差し込む光が、俺たちを照らす。  アイクの顔が徐々に見えてくる。顎、輪郭、鼻……そうだ、こいつこんな顔だった。  美しくも何ともない。むしろ世間が厳しく当たってくるタイプ。だけど。 「ここくらいカッコつけさせてくれよ……ラグナの『好き』とは違っても、俺だってラグナが好きなんだぜ?」  浮かび上がった笑顔が、俺には何よりも綺麗に見えてしまって、それで予感した。  ……多分、もう諦められない。  あの日、俺がお前との人生を想像できてしまった瞬間から、もう未来は決定してしまっていたのだと。  ……アイクがそれを知るのは、ずっと歳を取ってからだろう。

ともだちにシェアしよう!