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19 宇宙飛行士と修行僧
……ク。
……アイク。
起きてください! アイク。
脳内に直接届く、シルキーボイス。
聞きなじみのある美声は、看護師が医者を呼びに行ったときぐらいの必死さがあった。
俺の意識は声のする方へぐんぐん引き寄せられていき、唐突にバチン!と目が開いた。
体が動く!
起き上がると、そこは見慣れたふわふわ空間だった。
このあいだ散乱していた書類は机に戻されてはいるものの、山積みになっていて大惨事の再来を予感させる。
「ここは」
「気づきましたか!」
「あ、やっぱり女神さまだったん、で……?」
振り返ると、怪しい宇宙飛行士がいた。
即座に頭に流れるハリウッド風のBGM。
「失礼な!」
「思考を読まないでくださいよ……えーっと、女神さま……でいいんですよね?」
「何ですか。少し重装備にしたくらいで」
少しじゃない。顔見えてないからな?
何なら半透明のヘルメットからはシュゴーシュゴーと荒い呼吸音が聞こえる。SF映画で見たことあるぞ。
全身が馬鹿に分厚い防護服で覆われており、どう見ても今から月面に着陸する装いである。
「地球は青かったですか?」
「は? ほぼ青ですが、雲や山が見えるのでわりとまだらですよ」
地球人ジョークは、ショボいストレート球となって女神に打ち返された。
「私だって、したくてこんな格好をしているわけじゃありません。あなたにコンタクトするため仕方なく」
「俺は火星人だった……?」
「もっとタチが悪いですよ! あなた、なんで魔王側の人間に捕まっているんですか!?」
「……ん?」
「だから、あなたの傍にずっと魔王の縁者がいるんですよ! おかげでここまで厳重に女神の気配を消さないと近寄れないんですから」
マオウノエンジャ。
魔王の縁者。
え? でも今近くにいるのって……。
「もしかして、オルフェウスさまがそうだって言ってます?」
宇宙飛行士は、半透明のヘルメットから真剣なまなざしを向けてきた。
「そうです。美醜感覚反転を促すとんでもない装置を作ったのもその男……」
「え、え、いやちょっと待ってください。話が見えません。なぜオルフェウスさまがそんなことを?」
「そんなこと私が分かるわけないでしょう! いいですか、私にとってあなたという使者がいるように、魔王側にも使者がいます。彼らは今まで幾度もこの世界を破壊しようとしてきました」
「……でも、オルフェウスさまは国を守る側の人じゃないですか」
「ええ。こんなことは初めてです。まさか内側から崩しにかかってくるなんて」
悔しがっている女神を見ても、まだ実感が湧かない。
だって、あのオルフェウスだぞ?
魔王の使者だというなら、なんで俺を助けたりしたんだ?
女神は、労るように俺の肩をなでた。
「気づかなくても無理はありません。あの魂は恐らく魔王の親類……あちらの手駒の中でもかなり強力で厄介そうです。今回の事件はボタンを押したことがきっかけですが、きっともっと前から準備は進んでいました。美醜反転を解決したところで、その人間がいる限りこの世界は脅かされ続けるでしょう」
「はい……」
「あの男と同じくらい厄介な人間です。あの男に似て、狡猾で……理屈っぽく、腹黒くて……」
「はい……?」
「強引で、優しいけど基本的に上からで、私のためと言いながら結局は全部自分の思い通りに事を動かす!」
「あ、ああ……」
途中から魔王の悪口にすり替わっている。
女神の勢いがすさまじいけど、言ってること自体はわりと身に覚えがある……血は争えないってやつなのか。
「しかも、私が何か言う前に全部先回りしてるんですよ! 私には何もさせてくれないし」
「……」
「何でもかんでも嫉妬して、すぐ監禁するし! 近所の子どもにまで嫉妬するんですよ!? まだこーんなに小っちゃい子なのに」
「……女神さま」
もしかして、まだ魔王のこと好きなのでは?
俺の発言に、宇宙飛行士はピタリと動きを止めた。
半透明のヘルメットは、興奮した女神の吐いた息で曇っている。
と思ったら、ガタガタと震え出した。
「まま、ま、まさか、まさか。そんなはずはないです。ええ」
「……」
「何ですかその目は!」
「……少なくとも、そんなに嫌ってはないんじゃないですか?」
「き、嫌いですもん! キライ、キラーイ!」
「子どもかっ」
ジタバタする防護服を見て、俺の中である予感が生まれる。
もしかしてこの世界、壮大な夫婦喧嘩に巻き込まれているのではなかろうか。
……まあ、日本の神話でもそんな感じで人の運命がホイホイ決まっていた気がするしなあ。
とりあえず女神が落ち着くまで、ソファで待つか。
あ、枝豆がある。こないだも食べてたな。気に入ったのかな……。
机の上に置かれた枝豆から居酒屋の味に思いを馳せていると、女神はポツリと呟いた。
「……嫌いですよ。私の話を聞いてくれないですもん、あの人」
「魔王が?」
「ええ。私のことを……あ、愛しているとは言いますけど。でもね、信じてはいないんです。私には何もできないと思ってる」
「心配しているだけとか」
「限度があります! あの人は……、あの人はただ、私のことを自分の支配下に置きたいだけ」
女神は向かいの席に腰を下ろした。
「あなただって、そうでしょう? まさに今、監禁されちゃってるじゃないですか」
……やっぱり、これ監禁なのか?
俺と話し合う気ゼロだったもんな。
淫紋のせいで全然抵抗できない俺を、散々なぶり倒して気を失わせて、起きたら快楽漬け……の繰り返し。
……思い出したらちょっと腹が立ってきた。
「女神さま。俺の願いってまだ有効ですよね」
「え? ええ。美醜反転装置を片付けますか?」
「違います。方法は問わないんで、俺にオルフェウスさまと話す機会を設けてください。で、上手く行ったら、アンタも魔王と話し合いをしてください」
「えっ!?」
おお、すごい。ヘルメット越しなのに今までで一番嫌そうな顔をしているのが分かる。美人でもこんだけ顔が崩せるんだな。
「い、嫌ですよ、そんな……」
「王様の言うことは~?」
「ぜったーい! ……じゃなくて!」
「いーえ。女神さまは言いました。俺の『お願いごと』券は心から願えば何でも叶うって」
女神を見つめる。
彼女は、ウッと言葉を詰まらせるとバツが悪そうに視線を泳がせた。
それでも辛抱強く視線を送り続けていると、彼女の口からため息が漏れる。
「……どうなっても知りませんよ」
「ありがとうございます」
「……あなた、よく自分を監禁するような人間に立ち向かえますね。怖くないんですか」
「怖い?」
ああ、なるほど。女神は怖いのか。
きっと魔王の方も怖いのだろう。価値観がぶつかり合って、何か大切なものが壊れてしまうのが。
だから今までこんだけ世界がこじれてたんだ。
でも。
「俺は一度死んでしまっているから、そういったものは、あまり」
結局、何もせずとも人は死ぬ。
誰も見舞いに来ない病室で、自分のものではなくなっていく体を感じながら、俺はずっと誰かと話したかったのを覚えている。
あのときは誰でもよかったけれど、今、俺は、オルフェウスと話がしたい。
そう思えることは、実は結構ぜいたくなことなんじゃないかな。
「今世のほうが欲深くなったみたいです、俺」
「……相変わらず発想が修行僧なんですよねえ……まあいいでしょう」
——その願い、叶えましょう。
女神は、宇宙服をポイっと脱ぎ去った。
「こうなっては、もう隠れても意味がありませんからね。けど、どうやって彼の魔法に対抗しましょう……」
「あ、じゃあこういうのは?」
俺は、女神に正気に戻る方法を提案してみる。
女神はドン引きの顔をした。そんなに嫌そうにしなくても……。
彼女が手をかざすと、辺りがまばゆい光に包まれる。
その姿は神々しく、山頂から見た日の出のような、人智では量れない不思議な魅力があった。
女神の言霊に合わせて体の中に温かいものが宿っていき、今までで一番軽く感じる。
今ならなんでもできそうな感じすら。
フワフワと体が浮いて、光の粒になって消えていく。
どうやら元の世界に戻るようだ。
女神の顔は見えなくなり、「頼みましたよ」という声が最後に残った。
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