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22 一石を投じる(SIDE:オルフェウス)
結果として、それはうまく行った。
5人の兵士を見せしめとして活用することで、ただ殺してしまうよりも強く城の者たちに印象づけられたことだろう。
第13分隊のアイクには手を出すな、と。
「なあ、だから。俺、お前の力になるから! 一緒に逃げよう」
「いや、ちょ」
……一部、例外を除いては。
ラグナ君が、アイクの両手を握って鼻息荒く迫っている。
対するアイクは少しだけ腰が引けていた。あれは多分、淫紋が反応してるな。可哀想に。
アイクを後ろに引っ張ると、その手は簡単に外れた。
腕の中に収まったアイクが驚いたように私の名を呼ぶ。
「うぉわっ!?」
つむじにキスをしようとしたら、尾を掴まれたエマーテのように暴れ出したので諦めた。
残念、見せつけようと思ったのに。
機嫌を取るようにアイクの首筋に頭をすり寄せても、彼はくすぐったそうにするだけで振り払いはしない。
ラグナ君の表情が歪むのを見て、思わず笑みが浮かぶ。
そうそう。この温度は私のものだよ。
「これ以上、私のパートナーに触れてくれるな」
真っ直ぐに向けられた敵意を踏みつけ、私はアイクを連れて部屋に戻った。
アイクとキスをするのは好きだ。
すがりついてくる彼の温度を感じられるし、花の香りが一層増すから。
「ん……っ、……んっ!」
彼はちょっと抵抗しただけで、すぐ快楽の信徒になった。
……本人は否定しているけれど、アイクはかなり誘惑に弱い。
本来、淫紋は抵抗してくる精神を抑えつけるためにいろいろ悪さをしてくる精神干渉系の魔法だ。それなのに、アイクが順応しているせいでただの発情促進剤になっている。
まあ、言わないけど。おかげで私も楽しいし。
緩く立ち上がった箇所を膝で刺激すると、アイクの体がびくりと振動する。
潤んだ目で睨んでくるが、説得力がない。
どうにか一人で欲を鎮めたアイクは、おずおずと質問を投げてきた。
「昨日、何があったんです? というか、何をなさったんです? 配偶者って……」
「……アイツに聞いたんだ? ふーん」
わざわざラグナ君の口から訓示のことを言わせたんだ? やるじゃない。
私は昨日の顛末を、アイクに聞かせてもいい範囲で説明した。
すごく嫌な顔をしてくる。ふふ。
ついでに流れで、先日考えていたスローライフの計画も未来の予定として話しておく。
もちろん、アイクを一度で説得できるとは思っていない。生まれ育った故郷を離れさせるのだ。
彼の要望も聞いたうえで言いくるめ方を考えていこう。そう思って話題に上げたのだが。
「……はぁ〜、そうですか。いつ頃でしょう?」
ため息には、受け入れの姿勢が滲んでいた。
……順応しすぎじゃない? 私の言葉の意味が分かっているのだろうか。
辺境まで飛ばされることになれば、そう簡単には戻ってこれないというのに。
念を押して確認しても、アイクの態度は変わらなかった。
「自分じゃどーにもならんもんですよ、人生って」
あるがままに受け入れる姿勢。大切にしている人間関係にも、故郷にも、何の執着も見られない。
ことなかれ主義……というのもちょっと違う。
……何だ? この強烈な違和感は。
たとえ明日首を絞められても「仕方なかったな」と言い残しそうな雰囲気がある。
しぼんだ瞳には、何か巨大な空虚が巣食っている。
いつかそれに彼自身が飲み込まれてしまいそうな、そんな。
ぞわりと鳥肌が立った。
「あ、ちょ、せっかく鎮めたのにっ!」
「鎮めちゃダメだよ。7日間は毎日やらないとなんだから」
アイクの大事なところをつかむと、彼はじたばたと抵抗した。
飛び出そうになる悪態を必死に堪えて、私をにらんでいる。こっちの方がよほどいい。
淫紋を理由に、アイクを再び快楽の淵へと追い込んだ。
彼が何かに執着してくれないだろうか。
このしがみついてくる手が、もっと強い熱を帯びたらどれだけ。
飛び散った白濁を舐め取りながら、そんなことばかり考えていた。
* * *
……最近おかしい。
思考の行き着く先に、いつもアイクがいる。
こうしたらアイクは喜ぶかな、とか、今何してるんだろう、とか。
これ以上軸がぶれる前に始末したほうがいいのかと思って会いに行っても彼を喘がせるだけで終わっちゃうし、行為を体が求めてるのかと思って他の人間に手を伸ばそうと考えたけど、悍ましさで声を掛ける前に断念した。
まるで、父のよう。
恐ろしい。何が恐ろしいって、女神を失った父の心境を今なら理解できそうなことだ。
「この世界がなくなったら、悲しむかな……」
いくら執着のないアイクでも、流石に丸ごと世界を滅ぼしちゃったら怒るかも。
……消滅させた後、アイクの身近な人間の魂だけ別世界に移して……いや、ダメだな。「目標は元気に長生きすることです」って目を輝かせていた。
目指すは100歳でも自分で歩けることらしい。
まずそこまで生きられるのかって話だけど、アイクが言うには齢3桁のご老人を何人も見てきたとか。眉唾だ。
うだうだ考えながら執務室で作業をしていると、兵士が飛び込んできた。
「失礼します! 報告です。城門前にて、数分前より乱闘あり。城下のヴィケーノ村の住人と見られ、王子を出せと騒いでおります」
……おちおち考えごともできやしないな。
ため息をついて前に目を向けると、13連隊の下士官が息を切らしながら敬礼している。アイクの所属隊じゃないか。
「損壊は」
「軽微です。向こうは武器を持っていません。が、人数が多くこちらも防戦だけでは……今は12・13連隊で防衛に当たっておりますが……王子っ」
「向こうの希望なのだろう? 出てやろう」
頭が痛い。直接行ってさっさと終わらせよう。
立ち上がった私を先導するように下士官は走り出した。
門に近づく前から、大勢の騒がしい声が響いている。
「話を、どうか話を! お取次ぎを」
いち早く私の姿に気づいた村人が、祈るように膝を折った。
城前の防衛ラインはきっちり守られているが、相手が民間人だからか攻撃しあぐねているらしい。
その中に見慣れた背中を見つける。
アイクもこちらに召集されていたのか。
彼に何かを訴えていた女は、私に気づくとこちらに手を伸ばしてきた。
兵士に取り押さえられ、地べたに這いつくばりながらも、首だけ上げて叫ぶ。
「お願いします! 何でもします。どうか私たちを雇ってください」
雨に混じって、解体される前の家畜のにおいがしてくる。
なるほど、状況が読めた。
これは命乞いだ。
鼻で笑いたい気分になった。まさか私がお前たちを迎え入れるとでも?
なんとまあ、面の皮が厚い。幼少期に差し向けられたスパイの数は、この村からが断トツなのだ。
公衆の面前なら断りにくいと踏んだのだろう。あの村の長が好みそうな手口である。
この場で切り捨ててもいいけど……。
ちらりとアイクを見る。心配そうにこちらを見ていた。
ひとまず冷静に話をつけようと試みるが、無駄だった。
当然だ。向こうとこっちの目的が対立しているのだから、どう言い繕ったってこうなる。
村人は私の言葉に蜂起し、一斉に騒ぎ出した。
やはり鎮圧するしかないか。
兵士に命じて彼らを黙らせようとしたそのときだ。
私の前に飛び出してきたアイクから、ゴツンと鈍い音が響いたのは。
「……」
足元に転がる、こぶし大の石。
表面に血が付いている。
血。アイクの血が。
「オルフェウス様は、『今のお前ら』に働き口はないっつー話をしてんだ」
「それは……貴方が恵まれているからそう言えるのです。美しい兵士様」
「いいや違うね。そうじゃなかったときも、オルフェウス様は俺を雇ってくれていたよ」
彼は、こちらを向いて笑った。
……その瞬間、私はまるで時が止まったかのように感じた。
アイクの視線が、夜明けの日差しのように、ただ私をまっすぐに貫く。
言葉などなくても、私のことを露ほども疑っていないのがわかった。
なんで。
どうして、私をそんなに信頼できるんだ。
……ああ、私は今どうしようもなく許されている。
とてつもなく美しく、温かく、ありがたささえ感じてしまうような、だけど言葉にすると陳腐になる何か。
目頭がじわりと熱くなる。これは何だ……。
けれど、そんな奇跡の時間は長く続かない。
アイクの視線が小刻みに揺れたかと思うと、眼球がぐるんと回る。
膝がかくっと折れ、糸が切れた人形のように全身のバランスを崩した。
「アイク!!」
必死に腕を伸ばす。
ずっしりとした重みが全身にのしかかってきた。
抱きかかえたまま顔をこちらに向ける。温かかった眼差しは目蓋で完全に閉ざされ、血の気のひいた青い顔に鮮明な赤がぬるりと這う。
雨なのか冷や汗なのか、アイクの背中は異常に冷たい。
このまま温度が失われてしまったら。
「アイク、アイク! しっかりしろ」
頬をたたく手を誰かに横から止められた。
邪魔をするな!
「触るなっ」
地面がぐらぐらする。
気持ち悪い。
アイクの血が止まらない。
周りの音が一気に雑音と化す。
水の中にいるみたいに、くぐもった声がいくつか聞こえる。
……大丈夫です、大きな怪我じゃない。
……でも、念のため王宮医師に診せましょう。
……アイクの体を離してください、王子。運ばないと。王子、どうか……
彼を、アイクを失いたくない。
その一心で、まとまらない思考の中でも周りの状況に合わせて体を動かす。
何がどうなっている。
アイクは無事なのか。
分からない。こんなにも前が見えないのは初めてだ。
自分が自分じゃいられなくなる。
アイクは医務室に運ばれたと聞いた。
すぐにでも顔を見に行きたかったけれど、あちこちに雑務が残っていた。
ようやく動けるようになった頃にはとっくに日が落ち、城全体が寝静まっていた。
やけにうるさい心臓の音を引き連れて、医務室へ向かう。
暗がりの廊下では雨が降った後のじっとりとした嫌な匂いが立ち込めていた。
湿った木の根が腐っていく匂い。微生物の、生き物を分解していく匂い……死の匂い。
そっと医務室の扉を開ける。
アイクは私に気づいておらず、天井を見つめて唸っている。
……ああ、生きている。
冷静に考えれば、命に関わるような傷じゃないことは理解できていた。
だけど、こうして動いている姿を見て、情けないくらい安堵している。
何も声を発することができずに見つめていると、やがてアイクが私の存在に気づいて素っ頓狂な声を上げた。
「どうされたんですか? あ、ていうか怪我はしませんでしたか」
「ないよ。君のおかげでね」
「ああ、なら良かったです」
「良かった」だって? 人の気も知らないで。
ベッド横の椅子に腰掛けると、明かりに照らされたアイクの顔がよく見えた。
「……また何か怒ってます?」
「……なんであのとき前に出たの」
「なんでって、そりゃ。石を投げるのが見えましたので」
兵士としては満点の動き。
でも、その回答を認めるわけにはいかなかった。だって、その延長上にあるのは戦場で私を庇って倒れる姿だろう?
流れる血だって、こんなものじゃ済まない。
「……こんなつもりじゃなかったのに」
今頃は、狂っていく世界を横目に女神のかけら集めでもしていたはずだ。
「君を巻き込むべきじゃなかった」
……もしアイクが死んだとする。
今朝までの私はその魂を捕まえてしまえば解決する話だと思っていた。
けど、そうじゃないかもしれない。
アイクの持っている身体も記憶も、朽ちたらそれっきりなんじゃないか?
確かに人の魂は、死んだら生まれ変わってまた別の箱庭に落ちてくる。
だが、それは私にあの日差しのような眼差しを向けたアイクではないのではないか?
……あの装置を自力で止めることは不可能だ。
反作用の式は、人間の体では扱えない。遠からず世界は崩壊していくだろう。
私は、あのボタンをアイクに押させたことを初めて後悔した。
ベッドに伏せた私に戸惑っている気配が伝わってくる。
彼には伝わらないことは百も承知だ。それでも弱音を吐きたかった。
「んなもん、気づいたら体が動いてたんだから仕方ないでしょう……」
そうだね。君はそういう人間だ。
まっすぐで人に何かを捧げることを厭わない。
それがどれだけ尊いことなのか、アイクは気づいているんだろうか。
私の周りにいる誰一人として持ち得なかったものだ。
気づくと、私はアイクにぐずぐずと言い訳を並べていた。
らしくもない。何の得もないだろうに。
喋っているうちに、嘘と本当の境が分からなくなってくる。
私は王家の宿命を負ったただの人間で、本当によき統治を目指しているような気さえ。
そうだったらいいのに。
アイクは、少し笑って私の頭に手を乗せた。
ふわりと花の香りが漂う。
薄暗い中に彼の笑顔が浮かんでいた。
「言ったじゃないですか、互いに責任を取るって」
……ああ、またその目をする。
人間にとって最も崇高な感情の一つが、蜜のようにとろりと溶かし込まれた瞳。これに私は狂わされている。
アイクはハッと我に返って手を引っ込めようとする。
もっと見たい。アイクをベッドに押し付けて唇を重ねた。
「んむっ、ん……!」
少し開いていた口からたやすく舌を侵入させる。
代わりに、目蓋は音がしそうなほど強く閉じられてしまった。
喉の奥をくすぐってやると、まつ毛がふるふると震える。
次第に頬に赤みがさして、目尻に小さな涙の粒が浮かび上がった。
引き入れた舌にほんの少しだけ歯を立てる。
アイクの体がびくりと震えた。
「んん、……っはぁ……」
悩ましげな吐息が漏れ、私の唇に吹きかけられる。
ゆっくりと開かれてくる目蓋の下から、恍惚と期待に染まった瞳が現れた。
隠そうとしているけれど、下もしっかり兆している。
「……ん、ふふ、もう反応してる」
「淫紋のせい! 淫紋のせいですからっ!!」
こそばゆい感覚に笑いが漏れる。
そういうことにしておいてほしいなら仕方ない。
だけど、そんな甘い雰囲気は長く続かなかった。アイクが失言をこぼしたからだ。
「ラグナ君に迫られたんでしょう」
「え! 何で……」
……お馬鹿さんだなあ。
せっかく手加減してあげようと思ったのに。
いや、ちょうどいいか。
アイクは警戒心の足りないところがある。
自分が誰のものか、一度しっかり確かめてもらおう。
アイクの体を組み敷いて馬乗りになる。
「き、今日はしないって……」
「しないよ。キスだけ」
笑顔を作ってあげると、アイクの唇が引きつった。
何だ、よく分かってるじゃない。
まだまだ夜は長いからね——腹をくくれ。
背けようとした顎をこちらに向け、唇をこじ開けた。
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