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24 玄人志向の感覚共有

 ぼや~っとした視界。反射的に、何度か瞬きをする。 「……ん?」  だんだんと焦点が合ってきて、頭の中にあった霧が晴れていく。  一瞬、頭の芯にしびれるような刺激が走ったが、それと同時に目の前にあった体がビクッと震えた。 「なっ……」  驚愕に見開かれたオルフェウスの目。ずるりと体の中から彼の昂ぶりが引き抜かれる。  ……ということは。 「おおぉ! やっと正気に戻れた」  久しぶり! 何日ぶりかの世界!  おなかを見ると、淫紋がきれいさっぱりなくなっている。目的の1週間を過ぎたということだ。  やっっっっと解放された! 思わずガッツポーズ。 「アイク、君、どうやって……」  ふふん。イリュージョンを披露した手品師の気持ちで鼻を膨らませる。 「俺にもちょっとした『ツテ』がありましてねえ」 「女神か」  あ、イリュージョン失敗です。  まあ、そうだよな。俺がオルフェウスの正体を知ったぐらいなのだから、向こうはもっと前に気づいていたのかも。 「聞いて驚かないでくださいよ。なんと今、俺とオルフェウスさまには感覚共有の魔法が掛かっています!」 「感覚……キョーユー……」  説明しよう。  感覚共有とは、文字通り人や物との感覚を二者で共有してしまうシチュエーションのことである。  双子での共有とか大人のおもちゃとの共有とかで見られる実にファンタジーな設定だ! 「つまりですね、俺に気持ちいいことをすると強制的にオルフェウスさま自身にも跳ね返っちゃう……オルフェウスさま?」 「こんなくだらない方法で……」  オルフェウスさまは、過去一深いため息をついた。  くだらないとは何だ! 前世のAVではそこそこ支持層がいたんだぞ。先人の知恵をなめるな! 「はあ……分かったよ。それで?」 「ん?」 「何か言いたくて出てきたんじゃないの? 聞くだけ聞くよ。ここからは出さないけど」  オルフェウスは、俺の唇を軽く食む。  甘い感覚が、じわっと広がる。 「……言ったよね。もうどこにも行かせないって」  ……オルフェウスは怒っているのかと思っていたけれど、違った。  間近に迫ったエメラルドの目には、怯えの色が迸っている。  まるで、エマーテが餌に毒でも入ってるんじゃないかと疑っているみたいに。 「……アンタのやり方、魔王と同じじゃないですか」  さすが血縁。相手を信じられなくて、強硬な手段に走るところが本当にそっくりだ。 「人を信じるのが怖い?」  目蓋がピクリと動いた。当たりか。 「まあ……確かに、世の中には不義理な人もいますけど。うちの父と母を見てほしいですよ。還暦になっても、美醜が入れ替わっても、相変わらずチュッチュラブラブしてますから」  何なら年々濃度が高まっている。見ているだけでおなかいっぱいになるぐらい。  オルフェウスは俺の言葉を聞いて、ゆっくり首を横に振った。 「そういうことじゃない。私が怖いのは君だよ」 「俺?」 「……言っても分かんないよ、多分」  不機嫌そうに眉をしかめながらも、彼は俺の顔を拭ってくれる。 「喋ってみないと分からないじゃないですか」 「じゃ聞くけど、君は何のために生きてるの?」 「……えっ、突然悩める青少年みたいなことを……」  自分探しに出掛ける大学生か?  だが、本気らしい。本気でこの青くさい問いを投げかけてきている。  ……仕方ない、今だけは斜に構えたがるおじさんの心を封印だ。 「生きる意味……ですか……よく聞くのは、『生きてみて日々の中で分かるよ〜』ってやつですけど、俺は正直ちょっとピンとこなくて」  だって、前世そんなものがあったかと言われれば、ね。  結局、今日をよく生きたって明日事故に遭うかもしれないし、病気でコロリといってしまうかもしれない。  そう言う意味では、意味なんてないかもしれない。 「自己満足……じゃないですか? 生まれちゃったからには、自分の思うことを思う存分やって生きたらいいんですよ」  それがたまに世の中の流れとうまく合致するとピカソみたいな名匠が生まれるってわけ。  どうだ! 完璧だろ。  見上げると、オルフェウスの眉間のしわが深まった。なぜ!? 「だから話しても無駄だと言ったんだ」  何だよ、難しい質問を寄越しやがって。禅問答マンに改名するぞ! 「君さ、この世に生きたい理由があまりにも薄いんだよ。だからこっちは檻を用意するしかなくなる」 「いや、だからって別にこの世からドロップアウトしたい訳じゃ……」 「するよ」  強い口調で遮られる。 「する。君みたいな人間が一番こちらに来やすい。『死にたい』って言ってるやつは『生きたい』って言ってるのと同じで案外しぶといんだ。ふらっと境を越えちゃうのは、君みたいなやつなの。はぁ……なんで人間に人間のことを説明しなきゃなんないかな」 「オルフェウスさ……」 「他の奴なら全然構わない。どうぞ好きにくだばってくれればいいさ。放っておいても他の魂が生まれてきてその穴を埋めるしね。でも、アイクはそうじゃないんだ。分からない? 私には特別なんだよ。君だけは替えが利かない。なのに、なんで、当の本人がこんな……」 「……」  間に落ちる静寂。  オルフェウスは背中を丸めて項垂れる。普段の傲慢さはすっかり身を潜めていた。 「……ほらね、言ってもどうにもならない」  自嘲するように放たれた言葉。  ……そのとき、ラグナがオルフェウスの姿で全てを告白した光景が脳内に蘇った。  俺のために自分を投げ打ったと笑う親友の姿に、俺はもどかしさを覚えた。ラグナにはラグナの人生を大切にしてほしかったから。  でも同時に、それは俺のエゴだとも分かっていた。  お前、それでいいのか? お前にとって、兵士としての人生はそんな簡単に捨てられるものだったのかって。  まるで、二人の間に培ってきた友情は俺一人の錯覚だったと言われているようでさ。  だから、アイツが自分から「元に戻してもらう」って言ったとき、実は少し安堵してしまったんだ。  それと同じことを、俺は今オルフェウスにしているんじゃないか?  彼の差し出してくるもどかしさは、どうしようもなくエゴで、それで、紛れもなく愛だ。  うわ、うわ、どうしよう。 「……なんでそこで赤面するの?」  どうしよう。 「……アンタ、かなり俺のこと、す、好き……?」  オルフェウスは、怪訝そうに片眉を上げた。 「最初からそう言ってるつもりなんだけど」 「初耳なんですけどね!? 一体いつから……」 「さあ? 私にも分からない。気づいたら世界が狂ってたから」  熱烈な言葉に面食らう。隠す気はないらしい。 「よく知らないですけど、こ……こういうのって、こう……好きとか愛してるとか、そーいうやりとりから始まるもんなんじゃ、ないんですか?」 「それを言って君が留まってくれるなら、いくらでも言うよ?」 「……」  そうだった。オルフェウスを人間の常識に当てはめちゃダメなんだった。  そっか、アンタ、俺のこと好きなんだ。  そっかあ……。  ごくりと唾を飲む。  ああ、なんだ。俺って意外と単純。  こんなので覚悟が決まってしまった。 「オルフェウスさま」 「……何?」 「好きです」  ……オルフェウスって、驚くと随分幼い表情になるんだな。 「ですので、なるべくアンタと一緒に生きられるよう、死なないよう頑張りますよ、俺は」 「……どうやって君のその言葉を信じろと? 自分の行動を振り返ったことある?」  ……ですよね。 「言葉で言っても説得力がありませんよね。分かってます。なので態度で示しました」 「は?」  女神のドン引き顔が脳内に蘇った。  あーあ。これ、本人に言うの結構勇気がいるな。  すう、はあ。深呼吸を一つ。 「先ほど申し上げました感覚共有なんですけど……共有されているのは快感だけじゃありません。痛みや苦しみもです」  オルフェウスはきょとんとしていたが、すぐにピンと来たらしい。 「君が傷付いたら、私までけがするじゃない」 「はい」 「病気になったら、私も病に倒れるんだよ」 「体には気を遣ってるほうですけど、頑張ります」 「……どっちかが死んだらどうなるの?」  生命機能が停止するほどの痛みや苦しみを耐えられる感覚が人間にあるか? 答えはノーだ。  どちらかの命が尽きれば、自動的に道連れとなる。 「……俺、自分の命にはそこまで自信は持てないですけど、オルフェウスさまを生かすためならちゃんと生きられると思うんです」  なので、悪いんですけど、最期は俺と死んでください。  震えそうな声でそう伝えると、オルフェウスはうつむいて固まってしまった。  表情はうかがえず、ただ時間が過ぎていく。  きっと時間にして数秒のことだが、俺には5分にも10分にも感じられた。 「ふふ……」  聞こえたのは彼の笑い声。 「はははっ。ああ、いいとも! これで私も君も、お互い逃げられないね」  やっと顔を上げたオルフェウスは、晴れやかな顔をしていた。  通り雨をやり過ごした後の空のように、こざっぱりとした光が差し込んでいる。 「何だ。私も人のことは言えないけど、君も大概じゃないか」 「……女神さまにもそんなことを言われましたよ」  女神には「こうすればオルフェウスの手綱を握れて世界を守れるのでは!?」と意気揚々プレゼンしたのだが、どうやら彼女は俺の奥底にあった本心を見抜いたらしかった。  彼女曰く「無欲な人間の執着コワ……」と。あれは珍獣を見る目つきだった。 「君さ、裏庭でえさをあげていたエマーテのことを覚えてる?」  突然の方向転換に戸惑いつつも答える。 「ああ、あの子ですか? 二代目になってましたねえ」 「……え?」 「え? 裏庭でオルフェウスさまも会った子でしょ?」  オルフェウスさまの足音に逃げだした姿をよく覚えている。  あの子を直接見たのはあの日が最後だが。 「いやね、実は懲りずにしばらく餌を置き続けてたんですよ。そしたら、何日か……結構後になってかな? 今度は若いエマーテが餌をもらいにくるようになって! 多分、色合いから見てあのエマーテの子どもだと思うんですよねえ」  ちなみに、そのエマーテはいま下士官殿のおうちで暮らしている。  たまたま幾度目かの餌やりの際に出くわしたのだが、あまりの可愛さに一目惚れしたらしい。  厳ついと思っていた上司が赤ちゃん言葉でエマーテにメロメロになっている姿は地味に心に来た。俺も世間から見たらこうなのか……。 「会いたかったら直接聞いてみたらいいですよ。どうかしました?」 「いや……可能性を感じていた。生き物の繁殖力の強さに」 「……そこは生命力、とか言ったほうがいいんじゃないですかねえ」  真剣な顔で黙りこくって何かと思えば。  オルフェウスの言葉選びのアクが強い……大丈夫? 人間社会で生きていけてる? おじさん、この国の外交が心配。  重鎮たちの苦労が遠回りに察せられたところで、オルフェウスは俺にもたれかかってきた。完全に体を預けきった姿勢。肌が密着し、互いの体温が伝わる。  背中に回した手でポンポンと軽くたたくと、彼は顔だけ起こしてこちらを見つめた。  相変わらずきれいな顔。けど、それ自体よりも、ほんのり熱を帯びて少し細まったエメラルドの目が好きだ。  どちらからともなく、自然と絡まる舌。 「ふっ……ぅ、っん、んん……」  ぴちゃぴちゃと唾液の立てる音に耳まで犯される。  上あごの裏をくすぐられ、解放したばかりの欲求が高まってくる……あ、まずい。 「……、……君さあ……」  いつもより赤らんだ顔に睨まれる。  体を離した途端、ぴんと勃ち上がる2本の棒。  ……感覚共有がなされている今、俺の状態はオルフェウスにコピペされるわけで。 「よぉく分かったよ。淫紋のせいじゃないってことがね」 「ヒッ」  大事な部分をがしっと握られる。怖い。 「君のここ、もう少し我慢を覚えなきゃね」  えっ、何……ついに俺、くっころみたいに辱められちゃう感じ? それとも貞操帯を着けられる!? ま、ま、まさか、尿道ブジー……いや、それは流石に上級者向けというか! 「やめて。想像で元気にならないで。こっちにも伝わるんだから」  オルフェウスは少し疲れたようすで手を離した。  パチンと手を鳴らすと、一瞬で体が服に覆われる。  俺がここに来るときに着ていた服だ! 「おお、久しぶりに人間に戻った感じ」 「まずは美醜反転の魔法を解きに行こうか」 「……いいんです?」  オルフェウスは、一瞬言葉を詰まらせた。 「……あんな熱烈なプロポーズをされちゃったらね」 「プロポーズ!?」  そんなつもりは……いや、そうなのか? ある意味、「病める時も健やかなる時も」なのか? 「それに100歳まで元気に生きるんでしょう? それなら仕方ないじゃない。結局、私はアイクを愛してるんだから、君が幸せな方がいいに決まってる」 「な、……」  さらりと言われた言葉。  耳で拾って、意味を理解して、じわっと浸透してくるまでに5秒くらい。  頬が赤くなるのが自分でもわかった。俺の反応を見て、オルフェウスが片方だけ口角を上げた。 「ふぅん? アイクってこういうのに弱いんだ」 「いや別に」 「君は愛してるって言ってくれないの?」 「は? はァ!?」  ついにオルフェウスは声をあげて笑い出した。  くそ、日本人の奥ゆかしい魂をからかいやがって……。 「早く魔法を解きに行きますよ!」 「はいはい。ただ、一つ問題がある」 「何ですか? 勿体ぶって」 「魔法を解くには魔女に頼まなければならないんだけど、素直にやると思えない」 「ああ……」  俺がお願いしたときは、ラグナと世界を天秤に掛けさせられたっけ。  それでラグナの方を取ったから、俺がもう一度お願いしても聞き入れてくれないだろう。 「まあ私が命令すれば一応聞くは聞くと思うんだけど、代わりに何を要求されるか……」  すごい。オルフェウスの顔に俺でもわかるくらい「面倒くさい」と書いてある。  こんなに表情豊かだったのか、この男。 「変なことを言われたら俺も一緒に考えますから」 「『互いに責任を取る』って?」  いつぞやの口約束。1週間の約束が結果的に一生ものになってしまったが、その言葉に不自然な重さはなく、むしろ鎖から解き放たれたような感覚さえある。  俺はニッと笑って返したのだった。

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