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第11話
目を覚ますと、真弓は板の間に横たわっていた。
身体の水気はなく、狩衣ではなく乾いた襦袢に小袖をかぶせられている。
「起きたか」
聞きなれた声で身を起こし、隣に冬明が座しているのを認める。彼の頭は濡れそぼり、狩衣からも雫がしたたっていた。
「冬明が助けてくれたのですか」
「そうだ。真弓がどんくさいから、俺が助けるしかなかった」
彼は腕組みをしてつんと横を向く。
言葉はぞんざいだが、自分より真弓を優先してくれた優しさが温かかった。
「傷に水がしみたでしょう。私より、自分の傷を治した方がいいのではありませんか」
「俺はいいんだ。ここを動くなよ。あの坊主どもの寺なんだ。ここしか休めそうなところがなかった」
「わざわざ運んできてくださったのですね。重かったでしょうに。川の水だってまだ冷たかったでしょう」
言われて、寝かされていた場所が寺の厨であったことに気づいた。
なんとなくだが、冬明がいたころにくらべてずっと汚れているような気がした。
「……お前を助けるためなら、冷たさなんて耐えられる」
冬明は目元に手をあてていた。ぐす、と鼻をすする音がする。
「冬明、泣いているのですか」
彼が泣いているのを見るのは初めてだった。
「当たり前だろ! 馬鹿なのかお前は」
今しがた泣いていた相手から急に怒られ、真弓は動揺した。
「真弓には御所の朋輩がいる。乳兄弟も、仲が悪いとはいえ父上もいる。……俺には、お前以外誰もいないんだ。そんな相手が死にかけたら、誰だって泣くだろう」
涙ながらにまくし立てられ、真弓は返す言葉がなくなった。
自分は、冬明の唯一だったのか。
「心配をかけてごめんなさい、冬明」
いざり寄って、冬明を抱きしめる。
水を吸った狩衣は重く冷たく、身体の芯まで凍てつかせるようだった。
冬明は握りこぶしを真弓の胸に突き当て、軽く押した。
「まったくだ、もう、お前は……侍どもめ、よくも真弓を……」
「どんくさい私が悪いのです」
言い聞かせても彼は悔し気に口を歪ませ、両目から流れ続ける涙を呑むばかりである。
冬明は、唯一である自分を無くしかけた恐怖に苛まれているのだろう。おこがましい考えかもしれないが、彼が恐怖してくれることが嬉しかった。
なにを言っても今の冬明には無駄なのだと悟り、真弓は彼の両頬に手を当ててなでさすった。
言葉でだめなら行動で──、と唇を冬明の口に押し当てる。とにもかくにも、まずは彼を安心させたかった。
冬明から反応はなく、しばらくあってから飛びのかれた。
「なにするんだお前」
「冬明を、安心させたくて。私はどこにも行きませんから」
しっかりと見据えると、冬明はこぶしで涙をぬぐった。
「……覚えておけよ」
「え? どういうことです」
「野暮なやつめ」
意味がわからず首をひねっているうち、遠くから足音が近づいているのに気づいた。
いつの間にか、厨の外に繋がる戸に一人の侍がたたずんでいる。
侍と言っても、立烏帽子をかぶり、仕立てのよさそうな直垂を身にまとっていることから、明らかに普通の侍とは格が違う者だと察せられた。
「何者だ」
打って変わって厳しい表情になった冬明が問いかける。
男は彼の威圧的な態度に及び腰になることもなく、堂々とした歩みで厨に入ってきた。
不惑を半ば過ぎた年齢だろう、男の眉間にはしわが刻まれ、目の下にはくっきりとした隈があった。苦労が多いらしい。
「源冬明殿でございますか」
「いかにもそうだが」
せせら笑うように冬明が答えると、男は深く頭を下げた。
「私は東国から参りました、将軍さまの執権の高倉貞登 と申します。この度は大切なお話があって参りました」
ゆっくりと表を上げた男──貞登の顔には不気味な笑みが浮かんでいた。
「将軍のことは……残念だったな」
「ええ。おっしゃる通りでございます。親王さまからお声をかけてくれるなんて、ありがたいことです」
親王の語に、冬明がいぶかしげな面持ちになるのが見えた。
「俺はもう親王じゃない。臣下だ。……執権がうろうろしていていいのか。現場はまだうるさいだろう」
「付き従っていた御家人たちが将軍さまを寺の奥へ運びました。穢れが生じたということで宴は散会しています。将軍さまはもともと都の生まれ。東国には戻らず、都に骨をうずめることでしょう」
執権という将軍の側近であるにもかかわらず、ずいぶん他人行儀な口ぶりだな、と真弓は変に思った。あるいは、悲しさを紛らわせているのか。
「で、話はなんだ。俺は今忙しいものでね。手短に頼めるか」
ちらりとこちらを振り返り、冬明が顎をしゃくる。貞登は笑みを崩さず、真弓に視線をくれた。
「そちらの方は」
「俺の家族だ。お前の馬鹿な従者どもが彼を川に落としたんだ。おかげでえらい目にあった」
「それはそれは……親王さま、大変申し訳ありませんでした」
「だから親王じゃないって言っているだろ。それに、謝るなら真弓に謝れ」
「真弓殿と言うのですね。この度は私の従者が申し訳ありませんでした」
呆れたらしい冬明に言われて、真弓は貞登に平身低頭された。
「いえ……」
なんとなく気まずく、真弓は腑抜けた返事しかできない。
「さて、こちらからのお話ですが……。我らの将軍さまを射た者については聞きましたかな」
「いや。聞いていない。そもそも興味のないことだ」
早く話を切り上げたいのだろう、冬明は適当にあしらっている。しかし貞登は意に介した様子もなく続けた。
「我らの将軍を射た下手人というのは、将軍さまの甥君の派閥でございました。自分たちが祭り上げる甥君を次の将軍にしようと、愚かにも手を出したのです。すでに甥君は出家させることが決まっており、派閥は粛清済みです」
「東国は荒れているのだな」
冬明はいかにも興味なさげにあいづちを打っている。この態度がいつ貞登の怒りの琴線に触れるか、真弓は気が気でなかった。
「ええ、もっともです。して将軍さまの亡き今、東国を治めるための次なる将軍が必要とされているわけですが、亡き将軍さまはいわゆる宮将軍でございました」
宮将軍というのは、親王将軍とも言われる。
東国の政権について『冬草草紙』が実際のいわゆる幕府を参考にしたのなら、これから貞登が言わんとしていることのある程度の予想はできる。
鎌倉幕府の源氏将軍が三代続き、内乱によって血が途絶えてしまったために、仕方なく源氏の血を引く親王を都から迎えたのだ。
当時、たいした職掌を持たない親王は大勢いた。そんな暇人であった親王に将軍という職を与え、親王という貴て人を祭り上げたのである。
そうなれば──。
真弓は嫌な予感がした。
「次の宮将軍として、あなたさまを迎えたいのです」
貞登は目尻を引き延ばして言った。
「俺はもう臣籍降下している。宮将軍にはなれない」
「承知しておりますとも。しかし、将軍に適格な者は冬明さましかおりません。あなたは元親王の一世源氏。他の源氏と格が違います。そして一世源氏は今の世では、あなたさましかおられない」
すっと肝が冷えていく。この男は、冬明を東国に連れて行こうとしている。
「親王にお戻りになって、将軍とおなりになってくださいませ」
「無理な話だな。俺はやっと俗世に慣れてきたところなんだ。血の気の多い輩の多い東国に渡るなんて、考えただけでも怖気がする」
両手を交差させ、冬明はわざとらしく腕をさすった。
どう口を挟めばいいものか真弓は悩んだ。散逸箇所に来て、東国が絡んでくるとは思わなかったのだ。
下手なことを言って事態を悪化させてはいけない。
「俺は東国のことはよく知らんが、朝廷から勝手に分離した政権だと聞いている。勝手に作って勝手に潰れればいいんじゃないか」
彼の言うことはもっともだった。幕府と朝廷は相反する存在で、お互いを牽制し合い続けて成立している。
だが、貞登は柔和な物腰をたもったまま苦笑いするだけだった。
「そうお断りになられても、こちらはもう準備ができているのです」
その時、厨に侍たちが列をなして入ってきた。誰も彼も厳しい面持ちで、しかつめらしく太刀の鞘に手を当てている。
一寸あれば抜刀できる姿勢だった。
「……脅す気か。主上に文は出したのか?」
「いえ、これからです。されど、断りはしないでしょう。日の本の武力は東国にありますから」
真弓は貞登の目が微塵も笑っていないことに気が付いた。
貞登は執権──すなわち、将軍を操る傀儡師も同然の者だ。
彼を敵に回したが最後、武力を総動員して都になだれ込むつもりだろう。実際、現実の歴史ではそれが起こっている。
「お前たちは武力武力と言うが、それしか相手をねじ伏せる方法を知らないのか。頭の中身が空っぽであると見える」
なおも冬明は煽る。真弓の尻は落ち着かない。
「新しい将軍さまは剛胆な者のようだな」
侍の一人が貞登に耳打ちするのが聞こえた。
「俺は東国には行かない。都に家族を残したまま、俺だけ行くわけにはいかない」
「家族、でございますか」
貞登が面白げに喉を鳴らした。
「ああ。真弓は俺の、たった一人の家族だ。家族を置いてどこへ行ける」
「真弓殿、あなたの家族はこうおっしゃられていますが。どうですか、あなたは家族である冬明さまを東国へ送ろうとお思いになりますか」
突然話を振られて焦った。
貞登はにこやかに訊いてはいるが、答えとして求めているのは是以外にないことはわかる。否と言えば、自分の首が飛ぶかもしれない。
──己が死ぬときは、この時だったのか。
座っているにも関わらず、視界が揺れている。
舌で歯の裏を舐め、唾を飲み下してから真弓は言い放った。
「……冬明、東国に行ってください」
「真弓」
名を呼んだ冬明の細面に血の気はなく、瞳にあるのは失望だった。
はっきりとした意思を持って言ったのは自分であるのに、言った言葉をなかったことにするがごとく、真弓は即座に自身の口を手で抑えて浅い呼吸を繰り返した。
指の間から空気が細く出し入れされ、唇の薄皮一枚を隔てた熱さが指の腹に触れる。
「ごめんなさい冬明」
──私はまだ死にたくない。
言わば保身であり、冬明を残して死にたくなかった。
たとえ冬明と都と東国で離れたとしても、自分と彼が生きている事実さえあればいい。
「良いご家族をお持ちなことで」
貞登が殊勝に笑っている。頭を掴まれ揺さぶられている心地がした。
「主上には私が文を書きましょう。冬明『親王』さま、準備ができしだいお迎えを使わせますゆえ。ゆめゆめ、逃げようと思われませぬよう」
貞登は念を押し、直垂の袖をひるがえして厨を出て行った。侍たちも後ろに続く。
厨に静けさが降りてから、真弓は冬明に膝を向けた。
「私が、冬明と離れたいと思っているわけではないのです」
これだけは誤解してほしくなかった。
冬明は頭をもたげ、力なくつぶやく。
「わかっている。……わかっている。俺が東国に行かなければ、都を武力で支配されかねない」
さんざんあおってはいたが、冬明は頭の良い男だ。断ったことで引き起こされるであろう事態くらい、想像がつくだろう。
「帰ろう」
立ち上がり、彼は振り返ることなく厨の戸へと歩いていく。緒太にも水が染み込んでいるらしく、歩くたび土間に黒っぽい足跡を作った。
「……はい」
短くいらえ、真弓は冬明の後ろを追った。
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