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第12話

貞登の言った通り、帝は冬明を東国に送ることを認めた。 「冬明を親王に戻す。東国の執権とやらの言いなりになるのも悔しいのだが、どうかわかってくれまいか」  真弓が冬明を伴って御所にあがった際、帝は苦虫を噛み潰した表情で告げた。  意外にも冬明は帝に文句をこぼすことはなく、「そうかよ」とだけしか言わなかった。すでにどうあがいても、苦言を呈しても、仕方ないと悟っていたのだろう。  真弓も同感で、帝や冬明にも軽々しく話しかけることができないまま、その日の仕事を終えた。  日は徒然に過ぎ、東国から冬明を迎える一行が訪れる前日がいよいよ迫っていた。  観桜の宴以来、まともに真弓は冬明と喋っていない。それどころか、彼が真弓に話しかけてくれなくなった。  食事すら同じ寝殿で取らなくなり、同じ空間にいるのは御所へ向かう牛車の中だけになっていた。 「冬明」  最後の出勤の日の朝、真弓は牛車の中で背を向ける冬明に声をかけたが、あえなく無視された。  ──「わかっている」と言われてはいるが、貞登に反抗しなかったことを怒っているのだろうか。  だとしたら、自分が彼に見限られるのは当然だ。  牛車の軋む音だけが耳につき、物悲しく切なさがこみ上げる。 御所に到着しても冬明は黙ったまま清涼殿に向かっていき、真弓を一顧することはなかった。 真弓は仕事中さんざんに悩んだ。 ──どうしたらいいものか。気まずいまま別れるのは嫌だ。 しかし、今の冬明は取り付く島もない。いくら話しかけたところで適当にあしらわれるだけだ。 考えた末に真弓が足を運んだのは、晴樹の屋敷だった。 晴樹は驚いた様子だったが快く迎え、真弓の話を一通り黙って聞いてくれた。 「冬明さんが次期将軍として東国へ行かれるということですね。これは困ったことになったな……」  屋敷の一室で顔を突き合わせる。晴樹は話しを飲みこんでから、腕組みをしてうなった。 「散逸箇所でなにが起こるかわからないとはいえ、将軍が出てきた上、死ぬとは思っていませんでした」 「……おおむね同意です」  仕事中、冬明とは業務で最低限の会話しかしていない。耳の奥に染みついた、彼の芯の通った低い声を忘れてしまいそうで怖かった。 「で、准教授はどうしたいんですか。都にこのままいるつもりなんですか」 「それは」  口の端が変に持ち上がる。見ないようにしていた問題の核心を突かれた。 「離れても、冬明と私が生きていればいいと思ったんです。その事実さえあれば、私は生きていける……と」  と、と続けようとする詞が出てきた時点で、なんとなく答えは存在していた。現実的でないと思って、口にすることができなかっただけなのだ。 「私は、冬明と東国に行きたいです。彼と離れたくない。もう、あの人を一人にしたくない」  東国で一人になった冬明を想像するだけで、胸が締め付けられる。  せっかく孤独の寺から抜け出せて平穏な日々を手に入れたというのに、逆戻りさせていいはずがない。 「答え、出ているじゃないですか」  晴樹はあっけらかんと膝を打つが、真弓は首を横に振った。 「言うのは簡単ですよ。執権は私を東国に連れて行ってはくれません。あの人は、冬明を孤立させて傀儡として扱うのですから。将軍なんて基本的にそんなものです」 「たいていの将軍は傀儡です。でも、だからこそ一人にはできないんでしょう。俺も協力すると言ったら、准教授は東国に行きますか」 「晴樹くんが」  顔を上げると、目の前の姫君は得たりとばかりに頷いた。 「屋敷に閉じこもってばかりですから、暇なんです。それに、准教授の悲しい顔を見ているのも嫌ですから」 「そう、ですね」  真弓は額を抑えて、今度は首を縦に振った。 「ならば」  少々の間、思案してから面を上げる。 「晴樹くん、女房装束を貸してはいただけませんか。東国までは執権の一行の後ろをついていきます。それから、幕府の御所では女房として潜入したいと思うんです」  案としてはこれくらいしか思いつかない。下人として幕府の御所に入るとしても、将軍となった冬明には簡単に近づけないだろう。  それを踏まえれば、女房となった方が怪しまれず、将軍にも近づける。 「はたして隠し通せるでしょうか」  晴樹は苦渋を浮かべたが、真弓は「ええ」と首肯した。 「そこで晴樹くんに力を貸してほしいんです。晴樹くんも東国に来て、女房になってください。もし私が女なのか疑われた時は、晴樹くんがそれとなくごまかしてくれると嬉しいんです」 「俺がそんな器用なことはできるかわかりませんが……准教授の頼みですし、できる限りのことはしますよ」  晴樹が快活に白磁の歯を見せたので、真弓は安堵の息を吐いた。 「明日の朝、唐櫃に女房装束を入れて持っていきます。迷わず東国に着けるよう、執権一行を見失わないようにしましょう」  年下の晴樹が頼もしい。 「お願いします」と頭を下げ、真弓は晴樹の屋敷を後にした。  屋敷に戻り、車宿から寝殿に渡る。庭はすっかり春めいているのに、なぜか吹き込んでくる風は冷たかった。  御簾をくぐって、ふと足を止める。  御帳の前に、丸くした背をこちらに向ける冬明の姿があった。彼の見えない手元からは白い布らしいものが広がっている。  烏帽子の先端を揺らしながら、冬明は背を小刻みに前後していた。 「冬明? なにをしているのですか」  つかつかと歩み寄り、真弓は彼の背に手を置いた。置いた瞬間、冬明は跳ねるように振り返り、見開いた双眸でこちらを射抜いた。  彼の持っていた白いものは、真弓が御帳で寝る時に浸かっている掛物だった。  掛物には薄い灰色の染みができている。冬明の両目には涙の膜が張っていた。 「私の掛物でなにを……」  言いつつも、わかっていた。  冬明は、真弓の掛物を顔に押し当てて泣いていたのだ。  見ればわかることをあえて訊いたのは悪手だった。彼は肩に置かれた真弓の手を、身体を振るってほどき、立ち上がった。 「触るな!」  厳しい拒絶の口言葉がざっくりと胸に刺さる。  胸から血が流れるような痛みを抱えながらも、真弓は冬明に話しかけた。 「聞いてください冬明。私は、あなたと共に東国に行きます。執権たちの後ろをこっそりと着いていきますから、一人ではありませんよ」 「だからなんだって言うんだ」  ぐ、と咽が詰まった。 「東国に行けと言ったのは真弓だろ。お前が突き放したんだ。俺をどうしたいんだよ、口を吸ったと思えば俺を東国へやろうとする。なんだ、しょせん真弓も摂家の奴だもんな、俺を政治の道具だとしか思ってないんだろ」  そんなつもりで言ったのではなかったのに。 「違います、私は冬明をもう一人にしたくないのです。孤独にしたくない」 「俺は、この屋敷で、真弓の家で、幸せになりたかった」  一言一句を区切る言い方で、冬明が怒りを押し殺しているのがわかる。  彼にかける適切な言葉がわからず、国語を研究する者のくせに黙するしかない自分が情けなかった。 「間違ってもついてくるんじゃない」  俯いて言い残し、冬明は寝殿を速足で出て行った。  彼に踏まれた掛物が床にもみくちゃになっている。引っ張ったのか、しわがたくさんついていた。  ──どう言い含められようと、屋敷に留まるつもりはない。自分で決めたのだ。  真弓は冬明の東対屋に続く簀子を見つめ、奥歯を噛みしめた。  翌日の早朝、真弓は晴樹の屋敷の門前に向かった。ちなみに、冬明はすでに出立しており、見送りも拒否されていた。 「俺がまさか東国に行くなんてなあ。ま、楽しそうだから構わないが」  真弓の隣で、足先を器用に動かして石を蹴っているのは時文である。  文官と女である真弓と晴樹の二人だけでは旅路が心もとなかったので、事情を話して武官で太刀の使いにも慣れている時文に同伴を頼んだのだ。 「それに、お前に姫君の知り合いがいるなんて思わなかったよ……と言いたいところだが、真弓の眼中には冬明しかいなさそうだな」  私服の時文は蘇芳の直垂に侍烏帽子をかぶり、腰に太刀をはいている。 動きやすいように、彼のいくばくかの荷物は真弓と晴樹で負担するはこびになっている。 「なぜそう思われるのですか」 「だって、祭の時に冬明を心配する口ぶりが並ではなかったからな。俺もよく酒を飲むが、お前からそんな心配されたことはなかった。その時からおや、と思っていたよ。この二人はただならぬ仲なのではないかってね」  急激に恥ずかしくなり、首から耳が熱くなった。見透かされていたのか。 「お待たせしました、お二方とも」  軽やかな足音とともに旅装束の晴樹が現れた。隣にはいつも共にいる女房を連れ、他にも二人の侍を引き連れていた。 彼らは粗末な水干姿なので、御所で働いているのではなく、晴樹の屋敷が警護のために雇っている者なのだろう。 「こんな大勢で」  予定していなかった人数だったので真弓は驚いたが、晴樹は構わず笑った。 「大勢で行った方が安全ですよ。それに──」  晴樹は小声で真弓に耳打ちした。 「俺だけ屋敷を抜け出してくるわけにもいきませんでしたから」 「なるほど」  真弓は苦笑いで返し、一行は先に出立している執権たちの後を追うことにした。  執権の一行は都を出て山城を進み、琵琶湖の逢坂の関を越えていく。真弓らも続き、彼らの背中を見失わないよう必死で山道を歩いた。  宿泊は寺を借り、道が間違っていないかは寺の住持に確認をとった。  この時代の説話につきものの山賊や盗賊がいつ飛び出てくるか真弓は気が気ではなかったが、執権が近くにいるためか遭遇することはなく、七日かかって東国──場所は相模に到着した。  御所は海と山に挟まれ、敵の襲撃を防ぐためか切通がたくさんある。そのうちの一つを通り、一同は御所内に紛れ込むことにした。  執権たちは四つ足門をくぐり、広々とした大仰な建物へと入っていく。侍たちが担ぐ籠に執権や冬明が乗っているのだろう。 「潮の香がしますね」  御所の中、女房たちが詰めているらしい小屋の近くで、晴樹が空を仰いだ。 「潮、ですか。姫さまは海をごらんになったことがあるのですか」  女房に指摘され、晴樹が慌てて口をつぐんだ。  都人の大半は海を見たことがないのだ。  真弓は狩衣の蜻蛉頭に手をかけた。これから自分は、姿を変えて女房になるのだ。 「じゃあ、真弓殿を女房姿に変身させますか」  晴樹が意気込む。  小屋の影に入り込み、侍に見張りをさせながら着替えを始める。  女房が背負ってきた唐櫃を開くと、色鮮やかな萌黄色の袿に山吹色の小袖が畳んであった。 「姫さまが東国の御所で働いてみたいなどと言い出した時は本当、卒倒するかと思いましたよ。普段わがままをおっしゃらないから、仕方なしに連れて参りましたが……長期にわたっての滞在はいたしませんからね。せいぜいひと月ですよ」  彼女はぶつぶつと文句を言いながら小袖を広げ、襦袢姿になった真弓に着せていく。  文句を垂れつつも構わず真弓の着付けを行っているので、ある程度は晴樹が話を通しているのだろう。  小袖をまとって長袴を穿き、肩に袿を羽織る。頭の烏帽子は取り外し、髻をほどいた。  この時代の男性の髪は現代の男性のそれと比べて格段に長いが、この時代の女性の髪には足りない。  恰好に比べて不自然にならないよう、かもじを付けて腰まで髪が流れるようにする。他人の髪を付けるなど少々変な気がするが、これも変装のためだ。  最後に顔に化粧をほどこす。鉛白のおしろいを塗り、紅を唇に指す。 「いかがでしょうか。鏡をご覧になってくださいませ」  女房が持ってきた鏡に映った真弓は、公達からうら若い女房になっていた。  初めて会った時の冬明に比べると見劣りはするものの、どこかの屋敷に仕えている女房としておかしくはない容姿だ。 「ありがとうございます。大変助かりました」  女房の手を取って何度も礼を述べると、彼女は感謝され慣れていないのか「いえ」と言いながら首を横に振った。 「とりあえず、時文と侍の方々は下っ端の下人として働いていただくことにしましょう。下人はたくさんいます。一人や二人増えたところで気づかれることはないと思います。問題は私です」  女房の数がどこまで把握されているかわからないが、不審がられて身元を探られては困る。 「そこで、姫さまの実家の縁故で働くことにしたいのです。身元は最初から明らかな方がいいでしょう。姫さま、お願いできますか」  姫さまと呼ばれた晴樹が、扇を口にあてて頷いた。 「承知しました。東国の武士は都人にあこがれている節がありますからね。都の姫である私が行けば、喜んで受け入れるはずです」  現代の知識でもってすれば、どう身を振ればいいのかわかる。 「家人らしい方に話しかけて、上の人に通していただきましょう」  真弓を先頭に、一同は取り付きやすそうな家人を探し、一人の若い家人に声をかけた。  彼はいかにも坂東武者といったような粗末な直垂を着ており、侍烏帽子からは髪がぼさぼさと飛び出ている。  身なりからして御所の家人ではあるものの、立場が上の者ではないのだろう。 「今、都からお迎えした将軍さまをもてなしている最中なんです。私はここでの身分が低いので参加させていただけないのですが……取り合ってみます」  若い家人は外に面した簀子を通りがかった中年の家人に耳打ちをし、指さしで真弓たちを紹介しているようだった。  縹色の直垂を着た中年の家人は難しい顔をしていたが、ややあって真弓たちを手招きした。 「都人と言うが、どこの家の者なのか教えてもらえるか」  証拠を出せと言われても、特に証書があるわけでもない。 最も姫君として豪華な服装をしている晴樹が、代表して答えた。 「私は藤原朝臣北家中納言の娘です。こちらは摂家傍流の庶子で、弓といいます。喉に難があって声を出すことができず、それを理由に家から追い出されまして、ここに至りました」  晴樹も真弓も、女房まで都人として豪奢な出で立ちである。 同情に訴えかける姿勢はもちろん、見た目が身分の高さを物語ったのか、家人は「ふむ」とうなってから首肯した。 「わかった。では、少し宴の様子を見せてやろう。これから将軍さまに仕えることになるのだから、お顔を覚えていただかねば困るからな」  真弓たちは簀子にあがり、にぎやかな屋敷の一角へ案内された。 まだ警戒されているらしく、家人は鋭い眼光を浴びせてくるが、前の将軍のこともあり仕方のないことなのだろう。 「静かにのぞいていけ。あの奥に座っておられるのが将軍さまだ。今は今夜の相手を選んでいる最中のようだな。うまくいけばお前たちも手をつけてくれるかもしれんが」  なにが面白いのか、家人は乾いた笑みをこぼした。  ──今夜の相手。  すなわち伽をする相手のことだ。家人たちが将軍の妻に、と差し出したらしい娘たちが、上座の横に三人並んでいた。  屏風を背にした上座の冬明は、立烏帽子に白い直垂を着せられている。脇息にもたれ、娘たちをつまらなさそうに一瞥すると、ふいと横をむいてあくびをした。 「よりどりみどりなのに、なぜあくびができるんだか」  家人が小声でつぶやくのが聞こえた。 「……冬明」  その態度が真弓には嬉しかった。  他の女性なんて見てほしくない。冬明には、自分がいればいい。  じっと凝視していると、しびれをきらした執権がため息をついて口を開いた。 「将軍さまがお選びにならないというなら、私が選びましょう。畠山(はたけやま)の娘にする」  途端に、娘たちのうち一人の顔がほころんだ。  しょせん、将軍は傀儡。実権は執権にある。 「畠山の娘か。まあ納得だな。奴は数ある家人の中でも地位は高いほうだ」  家人が鼻で笑う。  冬明の意思とは関係なく、勝手に相手が決まってしまった。 「夜は忙しくなるだろう。お前たち女房は水や酒やら肴やら、将軍さまと娘に差し入れてやってくれ」  家人の声が遠のいていく。 我知らず真弓はその場にへたり込んでいた。 「准教授、大丈夫ですか」  晴樹が耳元でささやくが、ささやきは変にうねった音の連なりにしかならない。  なにも答えられないまま、真弓は顔を伏せることしかできなかった。  ──大丈夫だ、奇癖の冬明が女の人を抱くはずがない。  今こそ彼を信じる時だと己に言い聞かせる。  しかし、どうしても疑りが脳裏に幅を利かせ、居座って離れなかった。

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