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第14話

翌日、詰所にいた真弓は家人の一人に呼ばれ、寝殿に赴いた。 「将軍さまは、お前をそばに置きたいとのことだ。無礼のないようにせよ」  家人と共に御簾の向こうの寝殿に足を踏み入れるなり、真弓は棘のような視線たちにさらされた。  屏風の前に座した冬明からではない。  彼の脇に控えている執権の貞登、他にも色とりどりの直垂に身を包んだ家人や侍たちが揃って真弓を睥睨(へいげい)しているのだ。  弓という偽名を使ってはいるが、あの日に冬明の隣にいた男だと貞登にばれていやしないだろうか。  気もそぞろだったが、その貞登に促されて冬明の前に座らされる。 「弓といいましたね。あなたは確か、口が利けないのでしたか」  うっかり声を出さないように気を張り、真弓は首肯する。 「あなたはこれから将軍さまの妻になります。御台となるかは子をなすかなさぬかによって変わりますが、将軍さまの家族となることに変わりはありません。いいですね」  さらに首を縦に振る。 「将軍さまからお言葉はありますか」  貞登が冬明にふり、彼は少し考えるそぶりを見せてから口火を切った。 「俺が将軍の冬明という。誠心誠意尽くすように。以上」  高圧的で居丈高な口ぶりは、いつもの冬明と変わらない。思わず口元が緩んだが、すぐさま周囲の冷たい視線を浴びて引き締めた。  家人である彼らは、自分の娘ではない都の貴族である娘──といっても男だが──である真弓がぽっと出てきたことを不満に思っているのだろう。  ──もしかすると、『源氏物語』のような意地悪をされるかもしれない。  頭の隅で覚悟し、形ばかりの冬明との顔合わせは終わった。  妻となったからには、夜は伽がある。  日中は冬明に侍り、夜は彼と同衾するのだ。また、この時だけが会話を他人に聞かれない唯一の機会であった。  だが、同じ掛物の中にいると当然欲が湧いてしまう。隣で横になる冬明の手に自分の手を絡めたが、優しくたしなめられた。 「ここは塗籠ではないから、声が外に漏れてしまう。声を我慢できるか?」  残念ながら、首を横に振るしかない。 「屋敷に戻ったら、たくさん抱いてやる。それより、戻る算段を考えよう。ほら、頭から掛物を被れ」  二人で掛物を引き被り、中で顔を合わせた。 「俺は昼間、考えたんだ。一番いいのはこの政権を潰してしまうことではないか、と思っている」 「潰せるのですか、こんな大きい場所を」  小声で訊くと、冬明はいたずらっぽく口の端を持ち上げた。 「だが、俺たちが直接手を下すのではないんだ。俺は自分の手を汚したくないものでね。まずは、執権の下にいる家人たちの間で分裂を起こさせるんだ。家人ったって、執権から平等に扱われているわけではないからな」  言われてみれば、初めてこの場所で会った若い家人は宴に入れてもらえていなかった。 「分裂を起こすためには、将軍である俺が一人の家人を優遇すればいい。えこひいきするわけだ」 「なるほど、それで周りの家人たちの不満が高まっていくわけですね」 「その通りだ。さすれば、特別扱いされた家人がつけあがるだろう。ゆくゆくは、執権の座を奪おうと目論みさえするかもしれない。だが、まだどうえこひいきするかは考えていない。真弓、いい案はあるか」  突然自分に振られて困ったが、真弓は持ちうる知識を掘り返して思案した。  実際のこの時期の幕府というものは、実在の執権が家人たちを粛清し続け、内部から瓦解していったはずだ。 「一人の家人に、特別な役職を与えるのはいかがでしょう。名目上だけの職掌ではなく、しっかりした実権のある役職です。例えば、政所の長官などはどうですか」  政所(まんどころ)というのは、まつりごと──つまり政治を行う場所のことだ。 「政所の長官か。今、そこの長官は執権の嫡男が就いている。若いから不安だと言って、年齢を重ねた家人に交代してもらうか。誰がいいか」 「今日、私たちを案内してきた中年の家人あたりがいいと思います。ただ、名前がわからないのですが……」  将軍にぶつくさと文句を垂れていた家人が浮かび、提案してみる。 「何色の直垂を着ていた」 「縹色の直垂です。そこそこ年をとられている印象でした」 「それは大江弥益(おおえのいやます)だな。執権に異を唱えることも多い、この政権の古参だ。わかった。明日、奴に政所長官の役目を譲り渡そう」  話はとりあえずまとまった。  少しふさがった道が開けたようで、心が軽くなる。  掛物から身を出し、冬明が燈台の灯りを吹き消した。 「真弓、もう夜も遅いから寝た方がいい」  今夜は抱いてはもらえない。しかし、それでは物足りない。  真弓は声をひそめて冬明に耳打ちした。 「もうちょっと、くっついてもいいですか」  言うや否や、彼は破顔した。 「なんだ、そんなことか。好きなだけくっつけ」  再び掛物を胸までかけられ、真弓は冬明の肩に頭をくっつけた。  ──血の通った、生きている人間だ。  初めて出会った時の、冷たい冬明とは違う。もはや何度も水を浴び、傀儡になった彼ではない。 「大好きです」  口をついて出ていた。 「俺もだ」  寝殿には、二人の息づかいだけが響いていた。  翌日、日中の政務の場に集う家人の中から弥益を呼び出した。  彼は将軍直々に何事か、と言わんばかりに緊張している様子だったが、冬明の命令を聞くなり瞠目した。 「まことでございますか」  屏風の前で脇息にもたれた冬明の隣で、真弓は弥益のしわの多い顔を見つめていた。 「ああ。今日からお前を政所長官にしたいと思う。お前は初代の将軍から長くこの政権に仕えていると聞いている上での判断だ。任されてくれるか」  高圧的な空気を常にまとっている冬明に頼まれて、断れる者などこの世にいないのではないかと真弓は思う。  弥益も彼の前で頷き、深々と頭を下げた。 「もちろんで、ございます」 「よかった。今の長官は若すぎていけない。いくら執権の嫡男だといっても、長官になるにはまだ経験が足りないと思っていた」 「ええ、もっとも──」  冬明の意見に調子づいたのか弥益が同意していると、ぎしり、と簀子を踏む音がした。  いつのまにやら、簀子に能面のような面持ちの貞登が佇んでいた。 「将軍さま、正気ですか」  彼は寝殿に大股で踏み入り、弥益と冬明の間に乗り込んだ。 「正気だが。俺になにか意見でもあるのか」 「おおありでございますとも。職を解くほど、私の嫡男に問題がございますか。私は、執権の息子として経験を積むために、と訴えて長官の職を与えてもらったのですよ」 「訴えて、もらった。職を与えたのは前の将軍だろう?」 「おっしゃる通りです。前の将軍さまは私の意見を聞いてくださり、おもんぱかってくださったのですから」  口角泡を飛ばしながら貞登はまくし立てる。弥益が冬明の意見に同意していたのは忘れているようだった。  しばらく貞登は気色ばんで喚いていたが、言うことが尽きたのか口を閉じた。  初めて寺で話した時は冷静で腹の底が読めぬ男だと思っていたが、自分の権力を取られかけると気を乱すらしい。  それだけ執権の座に固執している者なのだ、と真弓は傍観した。 「言いたいことはそれだけか」  冷たい一言が寝殿に落ちた。 「前の将軍がどんな政治をしていたかは知らんが、今は俺の時代だ。すべての決定権は俺にある」  貞登だけでなく、弥益までもが口を半開きにして固まっている。  冬明は、執権に対してお前は要らないと宣言したのだ。  真弓は貞登が激高しないか心配だったが、そこまで彼は愚かではなかった。 「まったく、どうかしていらっしゃる!」  将軍の前で吐き捨て、貞登は寝殿を出て行った。  その場に残された弥益は血の気をなくしていたが、冬明に「おい」と言われて跳ねるように背筋を伸ばした。 「いいか、貞登。頼んだぞ」  念を押された彼の額に、小さい汗の粒が光っていた。 「……はい」 「もう行っていい」  ようやく解放されたとばかりに腰を上げ、弥益は足取りもおぼつかず立ち去っていく。  ちら、と冬明に目配せされ、真弓はぎこちない笑みを返した。  数日経って、真弓は晴樹たちに呼び出された。  厨の裏に回ると、陰に隠れて晴樹と時文が並んで立っている。  二人は離れて行動している真弓を心配しているようだった。 「どうですか、調子は。なにか困っていることはありませんか」  晴樹の問いに、冬明と立てた計画をかいつまんで話す。  時文が飲みこむのに時間がかかったが、少しして晴樹が納得の表情をした。 「どうりで、御所内の派閥が割れているわけです」 「派閥、ですか」  真弓が訊くと、晴樹は人差し指を立てた。 「はい。冬明さんが政所長官を大江殿に渡したのですよね。つまり、かなりの権力を大江殿は得たことになるわけです。他の家人たちは強い者に群がって庇護を得たいと考えるわけで、執権の貞登殿に従う者と、大江殿に従う者で二つに分かれているんです」 「割れたらなにが起こるんだ」  時文が口をはさんだので、真弓が続きをとる。 「私たちが狙っているのは、つけあがった家人と執権の間で揉め事を起こし、乱を起こさせることです。火種はすでに着き、燃えだしているところでしょう」 「噂好きの女房衆の扇動は任せてください。貞登殿と大江殿が争ってお互いの悪口を言っている様子を噂にして、広めてしまいましょう。時文も下っ端の侍や下人に噂を広めてください」  胸を張った晴樹に背中を押され、時文も「ああ」とうけたまわり、さらに提案した。 「乱が起きるなら、都から武官を連れてきた方がいいんじゃないか。冬明や真弓に危険が及ぶかもしれない」 「戦いをほとんどしない都の武官にどれほどの力があるかわかりませんが……時文さん、都に戻って東国に不穏な気配ありと主上にお伝え出来ますか」  その武官のはしくれである時文は晴樹の言い方に顔をしかめたが、拒みはしなかった。 「わかった。俺はいったん都に帰って、このことを主上に上奏することにしよう」 「では、報告はこれくらいにしておきましょう。准……真弓をここに引き留めていると、きっと冬明さんが心配するでしょうから」  晴樹の含み笑いに、思わず「そんなこと」と否定してしまう。 「そんなことないわけ、ないでしょう。あの日の夜、ずいぶん長く詰所に戻られなかったじゃないですか。戻ってきた真弓の着衣が乱れていましたから、なにがあったのかは察せるものですよ」  自分の助手にそこまで見抜かれていたとは、と情けなくなる。 「いいじゃないですか。肯定しましょうよ」  純粋な晴樹の目が眩しい。 「自分の尊敬する人の幸せというものは、嬉しいものですね」  ──尊敬する人物。私は、意外と良い感情を人から受けていたのか。  今までお前は良い感情と悪い感情のどちらを人から向けられて来たかと問われれば、迷わず後者だと答えるだろう。  だが、案外そうではなかったのかもしれない。  目頭が熱くなり、うっかり涙がこぼれそうになる。慌てて空を見上げてしまい、日光が目に染みた。 「さあ、戻ってください」  背を押されるようにして寝殿へ戻る。  その途中、激しい口論が聞こえて足を止めた。  簀子のど真ん中で、弥益と貞登が言い争っていた。 「お前は最近、自分こそが執権だとでも思っているのか」  貞登が地を這うような声で問いただしたかと思えば、弥益が両手を前に広げて振った。 「めっそうもない。私はただの政所長官ですよ」 「あんな愚鈍な将軍に任された職などに権力はない。すぐに訴えて私の嫡男に職を戻してもらう」 「将軍さまは私を直々に選んでくださったのですから、そう簡単に覆るはずがありません」  ──二人が決裂して、どちらかがどちらかを粛清するのも間近であろう。  真弓は二人に気づかれないよう、気を配りながら寝殿の御簾をくぐった。

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