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第3話 池上翔
③池上翔
「今までロビーにいたんですか」
「は、はい、深野さんから池上部長にこれを渡して欲しいと預かりまして…」
池上 翔(ショウ)はゆっくり広瀬が大切そうに差し出した茶色い封筒に一瞥をくれる。
「そんなことよりも部署に届いた郵送物の振り分けは済ませたのですか。私の手元に届くのはいつですか」
そう問うと、広瀬は黙ってしまった。
「もう結構です。自分で取りに行きます」
「待ってください!」
顔だけ振り向くと、広瀬が震えながら書類を強く差し出してきた。
「郵送物は今すぐ取り掛かります。その間に少しでもいいのでどうかこの書類を読んで下さい。我が社にとっても間違いなく有利な条件です、どうか、お願いします!」
そう言い、腰から90度に頭を下げてきた。
正直、池上にとってこの手の懇願は日常茶飯事で、気に留めるようなことではない。
ただ、コネ入社を恥じようともしないこの男が突然なぜやる気を見せたのか、
それが気になったのだ、
いや、違う、その理由を知り、どうせ浅はかな理由のそれを突きつけ徹底的に叩き潰したいと思ったのだ。
池上 翔はなんの努力もせず甘い汁を吸うような広瀬のような人間を憎んでいた。
「分かりました。では目を通しておきますので15分後に私の部屋に来てください。郵送物は忘れないように」
反応を確認するのも煩わしく池上はそのまま部長室に歩いて行った。
部長室はフロアの奥にあり、室内から他社員の動きは見えるようになっているがオフィス側からは中が見えないように設計されている。
就任直後に池上自身が特注ガラスに変更させたのだ。
肩書き上、部長補佐となっているが実質のところこのオフィスを仕切っているのは誰がどう見ても既に池上だ。
池上はもちろん社員や部下から冷酷だと怖がられているのを知っている。
それで良いと思っているし、それが嫌なら辞めてしまえばいいと思う
何よりこの自分のやり方以上に出来る奴がいるなら現れてみろとすら思っている。
出来もせず戦いもしないのにゴチャゴチャ抜かす人間に興味などない。
なので、この書類を持ってきたという深野のことは実は買っている。
では何故、最初から本人に会い書類を受け取らないのか、提案を共に練らないのか、
それは相手を脅かすことが仕事において最上の術だと考えているからだ。
生温いところで作られたモノに価値などない、そう考えているからだ。
予想通り、深野の提案書はギリギリのラインで作ったという悲鳴が聞こえてくるようだった。
この切羽詰まった感を池上は求め続けている。
最後にもう少し予算を削らせれば落としどころだろう。
あとは…アイツか…
そう思い、書類をデスクに投げたところでノックの音がした。
「広瀬です。入ってよろしいでしょうか」
「ああ、入りたまえ」
緊張した面持ちの広瀬が入ってきた。
「時間が惜しいので結論から言うが、これで許可が出せるはずないだろう。これのどこが我が社に有利なんだ。採算だってまだ10%近くは絞れるだろうし、納期もカットの余地があるはずだ」
そう敢えて冷たく言い放つと広瀬はムキになったように捲し立てた。
「部長は…池上部長は日野モーターさんがどういった経営状態かご存知なんですか。これ以上、絞れば会社自体の存続も危ぶまれるとこまで来てるんです。もしそうなった場合、日野モーターさんほどの技術を持ちつつ同程度で請け負ってくれるとこなんてないんです!」
あるだろうよ、
そう思ったが、そんなことは良い。
これで大体、検討はついたからだ。
つまりこの広瀬というコネ男は我が社の経営自体云々より
傾きかけた日野モーターという工場に感情移入し燃えているのだろう。
冷えている感情がどんどん冷たくなっていく。
「分かりました、そこまで言うなら一度、深野さんにお会いしてみましょう」
「ホントですか!?実はまだロビーにいるんです!すぐにお呼びいたします!」
駆け出すように部屋から飛び出ていった広瀬はそのままの勢いで深野を連れて戻ってきた。
いつも通り精悍な顔つきで、池上と対等に向き合おうと冷静さを保とうとしている深野と、
その深野を息を切らし満面の笑みで見上げている広瀬。
機能的にと整理された池上の部屋には不釣り合いな広瀬の感情の高ぶりを見て、池上は瞬時に広瀬は日野モーターにではなくこの深野卓也という男に心酔しているのだと気付いた。
その瞬間から池上翔は無性に広瀬伸一を平伏せさせたくなった。
「本日はお忙しい中、貴重な時間をありがとうございます。まずは弊社の確認不足により多大なご迷惑をおかけしてしまったこと心よりお詫び申し上げます」
「いえ、それはもう結構です。提案書拝見致しました。なかなかの条件かと思います」
「ありがとうございます!」
驚いたように深野が顔を上げる。それはそうだろう、池上がこんなに早くゴールをチラつかせることなど滅多にないのだ。
「もう少し削ろうかと思いましたが、そこにいる思いやりに満ち溢れたウチの広瀬君に押されましてね。どうやら貴方に随分と入れ込んでいるみたいだ」
面白いくらいに真っ赤になっていく広瀬とは対照的に池上は氷のように冷たさを増す。
「いえ、広瀬様にはこちらこそいつもお世話になりっぱなしでして感謝しております」
生真面目な深野の返答には広瀬の好意に気づいている様子は微塵も感じられない。
池上の口端が密かに上がる。
「そうでしたか。これからもどうぞよろしくしてやって下さい。では提案書の件は明日中に返答致します。私は業務に戻りますので今日はこれでお引取り下さい」
「はい!ありがとうございます!よろしくお願いします、失礼致します!」
「広瀬君は話がありますので残りなさい」
一瞬、深野は戸惑ったようだが一礼して退出していった。
静かになった部屋に耐えられなかったのか広瀬から
「池上部長、無理を聞いて下さって本当にありがとうございます」
と神妙な顔で礼を言ってきた。
「何を寝ぼけたことを。まだ私は許可など出していない。明日までに返答すると言ったまでだ」
「え、そんな…許可したように仰っていたじゃないですか!」
息巻く広瀬をゆっくり眺め池上はしばらく不気味に微笑んだあと口を開いた。
「それは君次第だよ、広瀬くん」
第4話へ。
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