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第一話 二週間の猶予
九条の家から逃げ帰るようにアジトに戻ってきたオレは、普段なら足音を立てずに歩く薄暗い廊下を大きな音を立てながら少し小走りで歩く。
向かった先は、廊下の一番奥にある親父の部屋だ。
大きな音を立てて扉を開くと、親父がいつものように部屋の端に設置しているゴルフマットの上で素振りをしていた。
「おう、朔。帰ったか」
「ちょっと朔ー。ノックもしないで親父さんの部屋に入るなんて、いい度胸してるじゃない」
「親父……」
部屋の中には親父の他に雨宮がいた。
ソファーに座りながらティーカップで紅茶らしき飲み物を飲んでいる雨宮に、先ほどの九条とのやり取りを思い出して無意識に舌打ちをする。
「あら、なあに? 人の顔見て舌打ちなんて、失礼しちゃう」
「……舌打ちされたくねえんなら、その趣味の悪い喋り方と格好をやめろ」
そう言うと、雨宮は立ち上がってスカートを翻しながらわけのわからないポーズを取る。
「いいじゃない! 美しさに男も女も関係ないわ。アタシは、アタシの好きな格好をしているだけ!」
「キメェ……」
「もう!」
本格的な言い争いになる前に、親父が「玲、水をくれ」と雨宮に声をかける。
「はあい!」
オレに対する態度から百八十度変わって猫なで声を出す雨宮に吐きそうになりながら、オレは親父に声をかける。
「親父、少しいいか?」
「おう」
親父はタオルで汗を拭いたあと、ソファーの奥にある革のイスに座った。
デスクを挟んで向き合うように立つと「……仕留め損ねた」と小さな声でつぶやいた。
「……」
「はあ? それってアンタ失敗した……」
水を運んできた雨宮が続きを言う前に、親父が右手を軽く上げた。
「っ……」
背もたれから体を起こすと、革のイスから鈍い音が鳴る。
デスクに両肘を乗せて、オレのことを観察するようにジッと見つめてくる親父の鋭い視線から、目を逸らさずに正面から対峙する。
任務を失敗したんだ。
責任は取る。
背中を嫌な汗が流れていくのを感じたが、昨日の九条のことを思い出すと、親父の視線はまだやさしい。
「……フッ」
「……あ?」
しばらくにらみ合っていると、親父が大きな声で笑い出した。
「アッハッハッハ! なにビビってんだぁ? 朔?」
「……は?」
「任務失敗の責任でも取らされるとでも思ったのか?」
「……」
図星だ。
黙っていると、親父はイスから立ち上がってオレの方に歩いてくる。
「お前が失敗するなんてめずらしいな」
「……悪い」
「どうした? なんか理由があるのか?」
「……」
理由はない。
ただ、オレの甘さが招いた結果だ。
「……ない」
「……」
「次は、殺る」
「……」
オレの言葉に嘘や偽りがないかを確認しているのか、親父の視線が痛い。
「……」
「……分かった」
親父は小さくうなずくと「まあ……あちらさんも別に急いでるわけじゃねえそうだ」とデスクに戻って引き出しを開ける。
中から取り出したのは、今回のターゲット、九条凪についての資料だった。
「二週間後、九条グループの新会長就任パーティーがある。それまでに、新会長になる九条凪を始末すれば問題ない」
「依頼人は、コイツの叔父か?」
「察しがいいな」
親父は口角を上げると資料の二枚目をめくった。
「九条グループには息子の凪が一人。コイツの叔父は、自分の家系こそが創業者の血を濃く受け継ぐ正統な後継者だと信じてるみたいだな。コイツがいなくなれば、親族会議で"次の候補"として自分の息子を推すことができる……。身内同士でなにやってんだかな」
最後につぶやいた親父のセリフは、聞かなかったことにする。
それを言ったら金のためなら人の命を奪う《何でも屋・鴉》として動いているオレ達の存在こそなんなんだ。
自分の欲のために身内を殺すアイツの叔父と、自分達が生きるために身内以外を切り捨てるオレ達は、正反対のようでどこか似ている気がする。
「就任パーティーまでには……頼んだぞ」
「……分かっている」
返事を返してオレは部屋を出た。
何でも屋・鴉——。
捜査一課の刑事だった親父、神代鴉が立ち上げた小さな会社だ。
その名の通り、話し相手から人助け、護衛、情報収集、ハッキング、護送……そして、時には法では裁けない犯罪者の殺しまで請け負う、表と裏の顔を持っている。
ここで働いているメンバーは、みんななんらかの形で親父に命を救われた。
血のつながりがなかったとしても、オレ達は家族よりも家族らしい。
オレは親父の期待に応えたい。だからこそ、オレは必ずこの依頼を遂行する。
「ちょっとお……聞いてんの?」
雨宮に後ろから肩に手を置かれたオレは「触るな」と手を振り払う。
「任務を失敗したアンタのことをなぐさめてあげようと思ったのに!」
「頼んでねえし、失敗したわけじゃない」
「アンタ……失敗したって言ったじゃない」
「仕留め損ねただけだ」
「世間ではそれを"失敗"って言うのよ!」
無視して歩き始めると、雨宮が「待ちなさいよ!」と言ってあとを追ってくる。
「……おい」
「なあに?」
「それはこっちのセリフだ」
なぜかいつまでもついてくる雨宮に舌打ちをする。
「だから、意気消沈してる朔をなぐさめようと」
「いらねえよ」
もう一度歩き出そうとしたとき、左側の扉が開いた。
「なに? 任務失敗したの?」
「……」
「なにも答えないってことは図星ね」
「アンタも容赦ないわね……」
「玲さんよりマシでしょ?」
部屋から出てきたのは、オレの腐れ縁で一緒に引き取られた柊だった。
「朔が失敗なんて、めっずらしー」
人の失敗を聞いて嬉しそうな顔をするな。
本当に、常識のないヤツばかりだ。
親父に育ててもらって、なんでこうも性格が歪むのか理解できない。
「ターゲット誰だっけ?」
「九条のところの御曹司よ」
「なんでお前が答えるんだ」
「アンタが答えないと思ったからよ」
「……」
そりゃあ言いたくないだろう。
「へー……写真は?」
「見せる必要があるか?」
「じゃあいらーん」
柊は携帯を取り出すと、画面を操作している。
「ああ……コレか……」
画面をオレの方に向ける。
そこには、九条凪がどこかのパーティーに参加したときのニュースの記事が写真付きで載っていた。
「ふーん……綺麗な顔してんね」
「あら? アタシとどっちが綺麗?」
「そりゃあもちろん玲さんだよ!」
「嬉しいこと言ってくれるじゃない!」
二人で勝手に盛り上がっている。
どうでもいいが、そういうことをやるならオレのいないところで勝手にやってくれ。
そんなことを思っていると、柊は「……なんか、ドストライクじゃない?」とつぶやいた。
「え?」
「朔の……」
柊は、オレのこと下から覗き込むように見つめながら「……好みのタイプに」と試すような口調で言う。
「……ふざけるな」
柊の額を軽く叩くと「あいてっ」と額を押さえる。
「ふざけてないって! からかっただけだよ!」
「余計タチが悪い」
なにが好みのタイプだ。
お前とはそんな話をしたことなんて、一度もないだろう。
「アンタ達って、そんな話するくらい仲良かったのね?」
「良くねえよ」
「幼なじみみたいなもんなんだから仲良いでしょ!」
「どっちなのよ……」
真逆のことを言うオレ達に、雨宮が大きなため息をつく。
「前に飲んでたときに言ってたじゃん! 『オレのタイプはショートヘアの儚げな美人』だって!」
いつの話だ。
「それって、この前のお父様の誕生日会のとき?」
「そうそう!」
「めずらしくみーんなが酔っ払ってたときね」
「酔ってたらノーカンだろ」
オレはため息をつくと「もういいだろう」とその場をあとにしようと歩き出す。
「朔!」
「……」
まだなにか文句があるのか?
そんな風に思いながら振り返ると、柊が冷たい笑顔を浮かべていた。
「……ふざけてるなら、いつでも代わるからね?」
「……舐めるなよ」
オレは、親父のために動くだけだ。
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