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第六話 普通の恋人ごっこ

「さて、どうしようか?」   九条がオレの両手を取って、首を傾げながらオレを見上げる。 「……あ?」 「久世さんと相馬さんも撒いたし、君とデートしたいんだけど?」 「デートだあ?」   コイツはマジでなにを考えてんだ。 「さっさと戻ってやれよ……」 「貴重な自由時間なんだ。せっかくなら、今までやったことがないことに挑戦したいな」 「……話聞いてるか?」   九条はオレの言っていることを完全に無視すると、自分の服に視線を落とす。 「でもこの格好だと目立つね……」 「……」 「とりあえず服を買いに行こうか」 「……」   オレは頭を乱暴に掻きながら「ハァ……」と大きなため息をつく。 コイツのスケジュール表は、朝から晩まで予定で埋まっていた。仕事、会議、視察、会食……。空き時間なんてほとんどなかった。   ——自由なんて、最初からなかったんだろうな。   生まれながらにして九条グループの跡取りとして分刻みのスケジュールをこなしながら、身内に命を狙われ続けた。 オレには理解できない世界で、コイツは独りで生きてきたんだな。 そう思ったら、少し同情した。 「……」 「ん?」 「……ついて来い」   九条に声をかけると、この近くに借りている組織のセーフハウスに向かった。   「……ここは?」 「……ウチで借りてる部屋だ」 「へえ」   セーフハウスといっても、急に必要になったとき用の変装道具や予備の武器が置いてあるだけの倉庫みたいなもんだがな。 「指紋残すなよ」 「触らないよ」   即答する九条に疑いの眼差しを向けるが、オレはクローゼットに向かった。 クローゼットを開けると、中から女物のニットワンピースとタイツを取り出して九条に投げた。 「……」   オレの投げた服を広げると、九条は「……ねぇ」と口を開く。 「あ?」 「……もしかして、僕のことを女だと思ってる?」 「思ってるわけねえだろ」   どんなに顔が綺麗でも、どっからどう見てもお前は男だよ。 じゃあなんで、という目で見てくる九条に「女に化けたほうが欺きやすいだろ」と答える。 「ああ、なるほど」 「サイズは大丈夫だろ」   雨宮より背は高いが、ヤツよりも体の線が細い。雨宮用の服なら問題なく入るだろ。 ニットを脱いで、中に着ていたシャツのボタンを外していく。 静まり返った部屋に、シャツの布が擦れる音が響く。 すべてのボタンを外し終わり、肩からゆっくりとシャツが滑り落ちていくのを見て息を呑んだ。 なんで服を脱いでるだけなのにこんな色気があるんだよ。 オレの視線に気づいた九条が、伏せていた顔を上げた。 「……ん?」 「な、んでもねえ」   ヤツから勢いよく視線をそらして、クローゼットの一番下の衣装ケースの引き出しを開けるためにしゃがむ。 たしか、このケースに靴が入ってたはずだ。 「……フフッ」   後ろで九条が笑ったのが分かった。 九条の足音がオレの後ろで止まると、しゃがみながらオレの腰に腕を回してきた。 背中から九条のつけているムスクの香りが広がってきて、初めて会った日のことを思い出す。 「この前の続きする?」 「っ!」   耳元で吐息混じりに言われて、思わず耳を押さえながら後ろを振り返る。 「っざけんな」 「結構本気なのになぁ」   そう言うと、九条は回していた腕を離すとニットワンピースを着る。 タイツを履いたあと「どうかな?」と微笑む九条に「……七十点」とだけ返す。 「高得点だ」 「仕上げだ」   軽く化粧をしてからロングのカツラを被せて、仕上げにコンビニで買った色つきのリップクリームを塗るために九条の顎を持って、軽く上を向かせる。 形のいい唇に、ゆっくりとリップクリームを塗っていく。 「……フフッ」 「動くんじゃねぇよ」 「ごめんね。ちょっと近くてドキドキしちゃった」   そう言って恥ずかしそうに笑う九条。 恥ずかしがるポイントが人とズレてんな。 可愛いところもあるじゃねえか。   そんなことを思いながら、少しはみ出た下唇のリップクリームを指の腹で乱暴に拭った。 これで百点に近くなった。 「手慣れてるね。君も女装するの?」 「するわけねぇだろ」 「君がしたらインパクトがすごそうだよね」 「分かってんなら聞くな」   オレは「そんじゃあ行くか」と言って立ち上がる。 「どこに行くの?」 「お前はどこに行きたいんだよ?」   質問を質問で返したオレに文句も言わずに「そうだな……」と口元に指を当てて、考える素振りを見せる九条。 「……普通の恋人同士って、なにをするんだい?」 「は?」 「人と付き合ったことがないから、デートといってもなにをするのかが分からないんだ」   こいつマジか——。   あんなに意気揚々と誘っておきながら、一ミリも知らないってどこぞのお坊ちゃんかよ。 いや、お坊ちゃんだな。 九条は携帯を取り出して操作をする。 「……とりあえず、水族館にでも行けばいいのかな?」 「水族館?」 「一番上に出てきた記事に書いてある」   そう言って見せてきた画面には、初デートのおすすめスポットランキング、というテンションが高めの記事が映っている。 「……そう、だな」 「じゃあ水族館に行こうか」   オレの背中を強い力で押しながら玄関に向かう九条に、多少の強引さを感じながらも抵抗はしない。 「……」 「靴はコレでいいんだよね?」 「ああ……」   用意していたロングブーツを履いて外に出る。 九条の姿は、多少背の高さは気になるが、誰が見ても美人な女だった。 雨宮と同じ服を着ているとは思えない。 「女装してデートって、なんだか悪いことをしているみたいだね」 「……」   殺し屋とそのターゲットがお互い変装して水族館に向かってるって事実は、ヤベェことだろ。   そう思ったが、嬉しそうに微笑んでいる九条の顔を見たら、正直どうでもよくなった。 「バカなこと言ってねぇで、とっとと行くぞ」 「うん」   九条は自然にオレの腕に自分の腕を絡めると、走っているタクシーを止める。 タクシーに乗り込むと、運転手に近場の水族館の名前を告げた。 「楽しみだね」 「……ああ」   本当に、なんでこんなに楽しそうな顔をしてんだよ。 お前、あと十日でオレに殺されるんだぞ。 この任務を受けた人間として、責任を持って遂行させる気はある。 だけど。 コイツの笑顔を見るたびに、心がモヤつくのはなんなんだ。 オレが自問自答をしていると、あっという間に水族館の前に着いた。 「すごい大きな建物だね」 「……お前ン家とあんま変わんねえだろ」 「そんなことないよ」   列に並んでチケットを購入すると、マップを受け取って中に入る。 「わあ、すごいよ」   薄暗い館内で最初に目に飛び込んできたのは、水槽と光が融合された広いスペースだった。 「水族館って、こんな感じなんだね」 「ここはわりと特殊だろ」   普通の水族館は、多分こんなに洒落てない。 「君はよく来るの?」 「……二回目だな」 「なんだ。それじゃあ僕と変わらないね」   裏稼業の人間と一緒で喜ぶなって。 初めて見たおもちゃに興奮する子どもみたいな表情を浮かべながら、水槽をひとつずつ丁寧に覗き込んでいる九条の横顔に、やっぱり心がモヤついた。 エレベーターで二階に上がると、サメや熱帯魚が入った水槽が現れる。 「サメだ」 「サメだな」 「あっちのトンネルみたいな水槽にもサメがいるみたいだよ」   マップを見たあとに、通路の先を指さした九条に「サメが好きなのか?」と聞く。 「別に」 「……そうかよ」   即答する九条に、オレはあきれた顔をする。 「好きって感情が、よく分からないし」 「……」   そう言いながら海中トンネルの方に歩いていく九条は「ああ、でも……」と言って振り返った。 「君には、少しだけ興味があるよ」 「っ!」   トンネルの天窓から差してくる自然光のせいで逆光になっていて、九条の表情まではよく分からなかったが、その声はいつもよりも少しだけ、感情がのっていたように感じた。

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