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第七話 水槽の外へ

海中トンネルの手すりに手をかけて、見上げる。 サメやエイ、小さい魚達が大きな水槽の中を自由に泳ぎ回っていた。 「……自由に見えるけど、君達は本当に幸せなのかい?」   小さな声でつぶやいて水槽に向かって手を伸ばす九条の姿がまるで、"九条"という大きな水槽の中から助けを求めているようで、気づけばその手を後ろからつかんでいた。 「……」 「……どうしたの?」 「……」   オレの方を振り返って微笑む顔は、いつも通り、飄々としていた。 「……お前は」 「ん?」   ——お前は、本当に死にたいのか?   一瞬、そんな言葉が頭をよぎった。 「……なんでもねえ」   絞り出すようにそう言うと、オレは手を繋いだままトンネルの先に進んだ。 イルカショーの会場に併設されているカフェの前を通ると「ねえ、喉乾いちゃった」と、カフェの看板を指さした。 「あのドリンクかわいいな」 「あれは飲んだあと舌が青くなるやつだ」 「なにそれ面白いね」   水槽をモチーフにしているのか、ブルーキュラソーを使ったノンアルコールのブルーハワイソーダに、魚モチーフのゼリーかなにかが入っている見た目が爽やかなドリンクだ。 「飲みたいな」 「……座ってろ」   九条をベンチに座らせて、レジに並ぶ。 なにやってんだ、オレは。   殺しのターゲットを女装させて水族館に連れて来て、飲み物を買うためにレジに並んでいる。 オレも変装してるとはいえ、こんな姿を鴉のメンバーに見られでもしたら、なんの言い訳もできねえ。 「いらっしゃいませ、ご注文をどうぞ!」 「これを」 「ラグーンブルーソーダですね! かしこまりました!」   大きな声で商品名を言うな、恥ずかしい。 スタッフはすぐにレジに戻ってくると「お待たせいたしました! ラグーンブルーソーダです!」と満面の笑みでドリンクを渡してきた。 「どうも」   ドリンクを持って九条のもとへと戻る。 一人でベンチに座っているはずの九条の周りに、見知らぬ男が三人いた。 二人はヤツの両隣に座り、一人は前に立つことで、九条を取り囲んでいた。 当の本人は、興味なさそうな愛想笑いを浮かべてどこか遠くを見ていた。 「ねえ、だから一緒に遊ぼうよ」 「一人だとつまらないでしょ?」 「……」 「無視してないでなんとか言ったら?」   四人に近づくと、そんな会話が聞こえてくる。 「……なんとか」 「え?」 「だから"なんとか"。なんとか言ったんだから、もういいでしょ?」 「てめえ……」   前に立っていた男が九条の腕をつかむのが見えて、オレは急いで駆け寄った。 そして、後ろから右手で男の腕をつかむと、驚いた様子で男がオレの方を振り返る。 「な、なんだよてめえ!」 「俺達が先に声かけたんだよ!」   つかんでいる腕に軽く力を入れると、男は「イ、イテテッ……!」と情けない声を出す。 「……コイツはオレのなんだよ」   ドスの効いた声を出すと、男達はビビりながら走って逃げて行った。 「大丈夫か?」 「ありがとう。でも、僕も男だから大丈夫だよ?」 「見た目は女だろ」 「君のタイプ?」 「言ってろ」   隣に座ると、買ってきたドリンクを手渡した。 「ほらよ」 「わあ、可愛い。君がこのドリンクを注文したところを一緒に見ておけばよかったな」 「趣味の悪いこと言ってんな」   九条は微笑んだあと、ドリンクに口をつける。 「爽やかで美味しいよ。飲んでみる?」 「……いらねえ」 「間接キスになることを気にしてるの?」 「ちげえよ!」   なんで今更そんなことを気にすると思ってんだよ。 「じゃあ、舌が青くなることを気にしてる?」 「オレのことはいいから、お前が飲め」 「だって、恋人はこういうのをシェアするんでしょ?」   どこからの情報だ。ネットの情報を鵜呑みにすんな。 「ねえ、青くなってる?」   そう言って舌先を見せてくる九条に、理性が揺らいで思わず自分の舌を絡めながら口をふさいだ。 「んっ……」   九条からもれた吐息に我に返って唇を離す。 「……」   なにをやってんだ。 「バカップルみたいだよ?」 「言うな!」   可笑しそうに笑う九条の視線から逃れるように、オレは頭を抱えながら顔を伏せた。 「君は、情熱的なんだね」 「追い打ちかけてくんなよ……」 「いいじゃないか。今の僕は、見た目が女性だし。それに、周りは言うほど他人のことを気にしてないよ」 「……はいはい」   コイツと一緒にいると、振り回されてばかりだ。 オレとコイツは、暗殺者とターゲット。 それ以上でも、それ以下でもない。 「……楽しい時間はあっという間だね」 「あ?」   九条は時計を確認すると「そろそろ戻らないと、さすがに久世さん達の胃に穴が空いちゃうかもしれない」と申し訳なさそうな顔をした。 「……まだ時間はあんだろ」 「え?」 「……今日じゃなくても……」   オレの言っている意味が理解できないのか、九条は「ん?」と繰り返す。 「だから……就任パーティーまでの残り十日。お前のやりたいことに付き合ってやる」 「いいの?」 「……オレに狙われてる間は、お前は自由だろ」 「……うん。じゃあ、次の行き先も考えないとだね。君と一緒に過ごせるのが嬉しいよ」   綺麗な笑顔を見せる九条に、オレは眉をひそめた。   どうして、その気持ちを"生きたい"っていう方向に変換できないんだよ。 殺されるために一緒にいるんじゃなくて、生きるために一緒にいると望んでくれれば、オレだって——。 「帰ろう」   九条はオレの手を握ると、出口に向かって歩き出した。 「本当に電車で帰るのか?」 「電車に乗ったことがないんだ」 「……マジかよ」   そんな人間いるのか?   そう思って九条のことを見ていると、券売機の前で「これはなにかな?」と疑問を投げかけてくる。 「切符を買って、改札の切符を入れるところに入れれば通れるんだよ」 「そうなの?」   オレの説明を聞いても分かっていないような表情を見せる九条。 「……コレ使え」 「これは?」 「交通系ICカードだよ。金は入ってるから、コレを改札の上の青いところに」   オレが説明をしていると、後ろから声をかけられた。 「……ちょっと、なにしてんの?」 「あ?」   振り返ると、そこにいたのは焦った表情を浮かべた雨宮だった。 「お前……」 「……アンタ……」 「……」   雨宮は、オレの隣にいる九条に視線を向けるとすべてを察したような顔をした。 「どういうこと?」 「……」 「ねえ、アンタなに考えてんのよ……。どう見てもこの子……綺麗子ちゃんじゃない」 「……」   オレがなにも答えられないでいると、九条が「あの、もしかして彼と同じ組織の方ですか?」と雨宮に聞く。 「っ!」 「おい、余計なことを言うな」 「余計なことじゃないよ」   九条が「ここだと邪魔になるので、少し移動しましょうか」と言うと、オレ達は券売機の前から駅の裏に移動した。 「それで? どういうことなの?」 「初めまして、九条凪です」 「ご丁寧にどうも、って知ってるわよ!」 「それもそうですね」   雨宮は「アンタ達……変装してまで密会するくらいの親密な仲になってたのね」とため息をついた。 「就任パーティーまでの残りの期間、彼が僕に付き合ってくれると約束してくれたんです」 「……パードゥン?」   聞こえなかったのか、聞こえたが理解できなかったのか、雨宮が目を点にして九条に聞き返す。 「死ぬ前にやりたいことへ付き合ってもらってるだけです。就任パーティーの日には、ちゃんと殺してもらいますから」 「……」   九条の言葉を聞いた雨宮は、理解ができないという表情をしながらオレのことを見る。 大丈夫だ。オレも理解はできていない。 「だから、彼が組織を裏切ったりはしませんよ。僕のわがままに付き合ってもらっているだけで、最後はしっかり任務を遂行するので安心してください」 「……アタシ、こんなに狂ってる人間を初めて見たわ……」 「同感だ」   満足をしたのか「それが僕の伝えたかったことです。なので、彼はお咎めなしでお願いしますね」と念を押すように雨宮に伝えると「それじゃあ、僕は帰ります」と言って、あっけにとられている雨宮をスルーしてタクシーを呼び止めて帰っていった。 結局、電車じゃなくてタクシー使ってんじゃねえかよ。 「……朔」 「……アイツの言ったことがすべてだ」 「……本当なんでしょうね?」 「ああ」   オレの返事を聞いて、雨宮はため息混じりに「……信じるわ」とつぶやいた。 「……」 「……」   少しの沈黙が流れたあと、雨宮が「あ!」といきなり大きな声を出す。 「そういえば、アンタ! アタシのお気に入りのワンピースを変装に使ったわね!」 「それは知らねえ」 「アタシよりも着こなしてたじゃない! ムカつくー!」   その場でジタバタと悔しそうにする雨宮に、若干引いた目で見る。 「てゆーかあの部屋使ったってことは、ちゃんと掃除したんでしょうね?」 「あ?」 「たしか、今日柊があそこ使うって言ってたわよ。綺麗子ちゃんの痕跡が少しでも残ってたら、アイツも勘づくわ」 「ちゃんと片付けたよ」 「そう? それならいいんだけど」   オレの答えに安心した雨宮は、笑いながらオレの方に腕を回す。 「それじゃあ、今から飲みに行きましょうか」 「なんでだよ」 「朔と綺麗子ちゃんの話、しっかり聞かせてもらうわよ」 「なにもねえよ」   オレは雨宮の腕から抜け出すと、アジトに戻るために改札を通った。

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