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第十三話 呼びたい名前

九条を抱きかかえたままエレベーターに乗り込むと「……逃げないから下ろして?」とお願いされた。 別に、逃げると思って抱きかかえてるわけじゃないんだけどな。 居心地の悪そうな顔を見せる九条に、オレは黙って従った。 「ありがとう」 「……下でボディガードと二階堂が待ってるぞ」 「なんで悠真さんのこと知ってるの?」 「……」   幼なじみだから仕方ないんだろうけど、ずいぶん親しそうだな。 「さっき少し話した」 「へぇ。やっぱり悠真さんは社交的だね」   二階堂を褒めるようなことを言う九条に舌打ちをしそうになるが、寸前のところで堪えて話を戻す。 「裏口から出るか」 「そうだね」 「静かに話せるところ……」   オレがそう言うと「それなら、ここから近いホテルでいいんじゃない?」と九条が提案する。 「人に……聞かれたくない話だと思うしね」 「……そうだな」   一階に到着したオレ達は、二階堂達に見つからないように裏口から出るとタクシーに乗った。 「かけておいて」   返されたメガネをかけ直すと「ボディガードのふりをしててね? 中田さん?」と九条が微笑んだ。   少し走らせると、都内とは思えない自然に囲まれたスモールラグジュアリーホテル——HOTEL AURELIA TOKYOに到着した。 「いらっしゃいませ、凪様」 「こんにちは」   ホテルの中に入ると、すぐに支配人が出てきて九条にあいさつをした。 顔パスかよ。 支配人は九条の前までやって来て一礼をすると、カードキーを手渡す。 「いつものお部屋をご用意しております。」 「ありがとう」   エレベーターまで案内すると、それ以上は踏み込んでこず「ごゆっくり、お寛ぎくださいませ」と言ってエレベーターのボタンを押した。 「さすがだな」 「ウチのホテルだからね」 「手広くやってんな」 「……うん」   最上階、といっても低層ホテルで三階建くらいの高さだ。 ワンフロアにスイートルームが一室、という贅沢なホテル。 さすが、一流ホテルだな、という三流の感想を思い浮かべたあと、九条のあとを追って部屋の中に入る。 「コートはそこにかけて」   クローゼットの扉を開けながらコートとジャケットを脱いでいく九条に倣って、オレもウールのコートを脱いでいく。 「なにか飲む?」   部屋の中は、さすが一流ホテル。 高そうな家具が置かれていて、九条の部屋でも感じたムスクの香りが広がっていた。 ローテーブルには、ティーセットが置いてあり、九条らしさを感じる。 「大丈夫だ」 「そう?」   返事をすると九条がティーセットを片付ける。 その姿を眺めていると、柊から電話がかかってきた。 「悪い」 「どうぞ」   オレはベッドルームに移動してから電話に出る。 「どうした?」 『あ、朔? 今大丈夫?』 「ああ」   柊は真剣なトーンで『警視庁のデータベースを調べたんだけど、コレといって九条グループが関わってそうな事件はなかったよ』と報告してきた。 「……そうか」   その報告を聞いて安堵のため息をついた。 やはり、九条は真っ白だ。 『でもさぁ、ちょっと気になることもあって』 「なに?」   電話口から、マウスのクリック音が聞こえてくる。 『俺達が最初に始末した鳳堂と九条凪の叔父の間には交流があったっぽい』 「なんだと?」 『本人は直接会ってないみたいだけど、叔父の秘書が定期的に鳳堂と密会してたみたいだよ』 「……」   鳳堂と九条の叔父がつながった、か。 『星崎メディカルに行くって言ってたよね?』 「ああ」 『そこもさー、表向きはiPS細胞の研究企業ってことで名を馳せてるけど、玲さん曰く裏ではなんか海外マフィアとのつながりがあるって噂らしいよ』 「……」   医療会社と海外マフィアのつながりで思いつくのは、やっぱりアレか。 「臓器売買」 『違法臓器移植の斡旋』   同時にそう言うと、柊が苦笑したのが分かった。 『まだ調べてる途中だけど、朔は九条凪から話聞けそう?』 「問題ない」 『イチャイチャするのもいいけど、ちゃんと仕事はしてよね!』 「分かってる」   そう言って電話を切ると、隣の部屋に戻った。 しかし、ソファーに座っていたはずの九条の姿がない。 「あ?」   どこに行った!?   部屋の中を見て回ると、バルコニーに通じる窓が開いていた。 バルコニーに出ると、手すりに両手を置いて外の景色を眺めている九条の後ろ姿があった。 オレの足音に気づいた九条は、ゆっくりと振り返ると「終わった?」と聞く。 「ああ」   オレの返事を聞いた九条は微笑むと、もう一度視線を前に戻した。 夕星が瞬く空を見上げる九条の後ろ姿は、どんな絵画よりも美しく、そして儚げだった。 ここにいるはずなのに、目を離したら消えてしまいそうだ。 気づいたときには体が勝手に動いていた。 九条のもとまで駆け寄ると、その小さな背中に腕を伸ばした。 包み込むように抱きしめると、九条の体が微かに震えているのに気づいた。 寒さなのか、恐怖なのか、なにが原因で震えているのかは分からないが、抱きしめる腕に力を入れた。 「……朔君」 「……あ?」 「……ごめんね」 「なにが?」   オレの問いかけには答えずに、九条はもう一度、小さな声で「君には……ちゃんと謝らないといけないから」とつぶやいた。 答えているようで答えになっていない。 「……チッ」   無意識に出た舌打ちのあと、オレは左手で九条の顎をつかんで強引にこちらを向かせた。 いつもは感情のない瞳が、どこか揺れていた。 なにかを言おうと口を開いた九条の唇を、オレは自分の唇でふさいだ。 なにも言わせない。 今は、なにも聞きたくない。 その一心で、触れるだけのやさしい口づけを繰り返す。 「……ん」 「……凪……」   名前を呼ぶと、九条は驚いたように目を見開いた。 「あ?」   唇を離すと、九条は「……フフッ」と笑う。 「君は……キスしてるときにしか、僕の名前を呼んでくれないね」 「……悪い」 「ううん。人間の本能って感じがして、僕は好きだよ」 「……」   九条はオレの方を向くと「名前、呼んでよ」と少しさみしそうな表情を見せる。 「君が名前を呼んでくれると……僕はただの"凪"になれる」   そんな風に懇願する九条を、オレはもう一度強く抱きしめた。 「……凪」   自分の人生なんてどうでもいいと思っていた男。 死んでいるように生きていた男。 そんな死にたがり野郎が、初めて"生きる"感情を見せた。 オレの背中に腕を回し、縋るように力を入れるだけでなにも言わない凪に、オレは愛おしさを感じた。

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