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第5話
ep.5 3 黄金の血脈と、青蓮の熱
遠い昔、孤独の中で生きていた黄金竜は人間の娘と出会い、恋に落ちて結ばれた。
彼らの間に生まれたのが、「竜人」という最初の種族だった。
黄金竜は近親婚を防ぐため、遺伝子に「男子しか生まれないこと」と「繁殖期になれば異世界渡り」という二つの枷を刻んだ。
やがて時は流れ、世代を重ねるごとに竜の血は薄まり、かつての強制的な遺伝子の縛りもほぼ消滅していった。
現代の「繁殖期の異世界渡り」はただの「成人の儀式」として日常に溶け込んでいる。
竜人の国、シャヴァンヴィルに領地を構えるフェルサン公爵家には、古代種の血を濃く継ぐ「先祖返り」の双子、兄ジュリアンと弟リアムがいた。
彼らは新種の竜人でありながら、かつての古代種に匹敵する強大な魔力を持ち、異世界渡りも造作なくこなした。
だからジュリアンは、まだ見ぬ強者を求めて異世界を渡り、魔王を屠ったのも、単なる退屈しのぎに過ぎなかった。
しかし――その魔王城の奥で、呪怨に蝕まれた「竜人のなり損ない」の少年・タクトと出会ったことは、ジュリアンの運命を大きく変えることになる。
神寂 の洞窟で、二人の奇妙な生活が始まってから、早いもので二年が経とうとしていた。
――。
◇
その蓮の花は、まるでしらじらと明けていく夜空の欠片を切り取ったかのような、濃密な青色をしていた。
青蓮 がタクトの胸元へ落ちる。花弁から零れ落ちた淡い光が、肌の紫褐色の呪怨を覆い尽くしていく。しかし、期待したほどの劇的な変化はなく、呪いの轍 はただうっすらと色を薄めただけに過ぎない。
黒竜はがくりと項垂れた。
「……駄目だった。また、うまく解呪できなかった」
大陸全土の巨大な貿易商会や情報網を支配する『フェルサン・レリクアリア』の総帥たる権勢も、圧倒的な戦闘力も、すべてはタクトの呪いを解くために使っていた。
けれど、聖域の滴も浄化の香炉も、タクトの呪いを完全に解くことはできなかった。それどころか秘宝の刺激が命をじりじりと削り、試すたびに身体を硬直させて震わせた。
「……もう、行ってください」
タクトの繊細な指先が、黒竜の鼻先を弱々しく押し返した。
「これでも僕は竜人です。多少の呪いなら、そのうち良くなりますから。公爵家の次期当主である黒竜様は、どうぞ武者修行を続けてください」
にこやかに微笑む瞳には、死の恐怖も生への未練もない。
黒竜は小さくため息を吐いた。
『呪いのアイテムを集めることで、充分すぎる武者修行になってる』
「……すみま……ありがとうございます」
洞窟の中は過ごしやすいよう整えられていたが、呪いに蝕まれたタクトに適した環境とは言い難い。
『我が家へ…シャヴァンヴィルへ行こう』
「……呪いが解けたら、いつか」
目を伏せた表情には、黒竜を煩わせていることへの罪悪感が色濃く沈んでいた。
『初心に戻ろう。タクト、今までで最も身体が楽になったものはなんだ?隠さないで話して欲しい』
「……え、それは……その……」
白皙(はくせき)の頬が薄桃色に染まる。恥ずかしがるようなアイテムを渡した記憶などない黒竜は、不思議そうに小首を傾げた。
「……ありません」
『隠し事が見え透いている。正直に話してくれないなら、今後しばらくは私が作った食事を食べてもらうことになるけれど』
黒竜の料理の腕前は壊滅적だった。竜の姿のまま調理するため、何もかもがめちゃくちゃになる。人型になれば済む話だが、その気はなかった。
出会ってから2年、タクトに人型の姿を見せたことは一度もない。自分の竜の姿を美しさと憧れを持って見つめてくれる無垢な信頼が心地よく、だからこそ頑なに竜の姿であり続けているのだ。もっとも、そんな締まりのない本音は一生明かさないけれど。
「黒竜様の手料理ですって!? 僕が食事を摂れなくなって、結局気落ちするのは黒竜様の方でしょう!」
『タクトは、私が気落ちしてもいいと?』
「何ですか、その脅し文句は!? 嫌に決まっているでしょう!?」
『もう2年だ、タクト。いい加減、教えてくれてもいいだろう?』
観念したように、タクトがぽつりと言った。
「……鱗です。貴方の……」
黒竜の全身の鱗が逆立った。
どんな秘宝も効かなかったのに、タクトを救っていたのは――初めて出会った日に与えた黒い鱗だったとは。
自分自身の鱗がタクトを救っていた。その事実が、胸の奥から熱い喜びと誇らしさを込み上げさせる。あの時覚えた多幸感が、再び脳裏を支配していった。
ならば、答えは一つ。
黒竜は自らの首元へ鋭い牙を突き立てた。タクトを救うためなら、鱗などいくらでも剥ぎ取るつもりだった。
「――っ、何をしてるんですか! ダメです!」
鱗を剥ぐ直前、小さな影が猛然と飛びついてきた。タクトが必死の形相で黒竜の顎 を抱え込み、力任せに引き離そうとする。呪いで衰弱しているはずなのに、どこにそんな力が残っていたのか。
驚いて動きを止めた鼻先に、涙の浮かんだ瞳が真っ直ぐにぶつけられた。
「やめてください! 要りませんよ! 僕はそんなもの、食べません……!」
『……そんなもの……』
わかりやすくしょんぼりと項垂れると、タクトは慌ててその大きな背中を撫でさすった。
「だから、どうしてそんなに繊細なんですか! 僕にはもったいないと言っているんです! げ、逆鱗(げきりん)に近い鱗じゃないですか、そこ!」
『……だから、2年も黙っていたのか?』
図星を突かれたタクトは、黒竜の手元からパッと離れてツンと横を向いた。
『呪いを解かなければ、お前が辛いだろう?』
「慣れました。平気です」
『……分かった。この話はおしまいにする。もう横になるといい。顔色が悪い』
「…………クッションになってくださいますか?」
古代種級の竜人である彼をクッション代わりできる生き物は、世界中でタクトだけだろう。けれど不快ではない。
黒竜は大きな身体をその場に心地よく寝そべらせ、懐へと潜り込んでくるのを静かに待った。
収まりのいい場所に身体を埋めながら、タクトがぽつりと言った。
「……ひとつ言っておきますが、誰か他の人にこんなこと頼まれても、易々引き受けてはいけませんよ」
『分かってる』
そもそも天地がひっくり返っても、誰も頼めやしないだろう。天下のジュリアン・ド・ヴレにこんなことを恐れず頼むのは、タクトくらいのものだった。
「つ、番 様を見つけたらすぐに教えてくださいね。番様はこんなこと、絶対に許さないでしょうから」
漆黒の角の付け根に細い指を掛け、ぎゅっと握りしめる。見上げるような巨大な身体に対して、あまりに華奢な指先だった。
『分かった』
愉快そうに目を細め、竜の大きな鼻先でタクトの頬を優しく撫でた。
「それから――」
『タクト、私の鱗を食べさせられたくなかったら、もう寝なさい』
「…………」
『……食べたいのか?』
「た、た、た、食べたいわけないでしょう!」
『おやすみ、タクト』
その日から、タクトの呪いはゆっくりと快方に向かい、容態が落ち着いた頃、絶対的治安を誇る竜人の国、シャヴァンヴィルへと保護されることになる。
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