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第6話

ep.6 4 神格の剥離  奥のテーブルにふたつ、世にも美しい人影がわだかまっていた。  凄まじい美貌を持つそのふたりは、全く同じ(かお)をしていた。双子なのだろう。違いは瞳の色だけ。ひとりは真っ青な瞳、もうひとりは灰青色の瞳だった。  窓から風が吹き込めば、滴るような黒髪が砂霧(さぎり)のようにサラサラと舞った。胸を焼き焦がす美貌。彼らは神なのかもしれない。それも逆らう者には容赦ない死を与える(まがつ)神。  だからだろう。ふたりの周囲のテーブルには、ひとりの客もいなかった。  精神(こころ)が凍てつくような美しさに魂を奪われるものの、気圧されて近寄れずにいる。  店内は異様なざわめきに包まれ、人々は怯えながらも、一様にその美貌の主達から目を離せずにいた。  自分達に向けられるおびただしい視線など、最初から無関係だとでも言うように、ひとりの美しい人影が結界を張った。  途端にふたりの姿が見聞きできなくなったことに気づいた。人々は自分の信仰している慈悲深い神を思い出し、心から安堵した。ようやく高雅なふたりの人影を忘れることができる。  青い瞳の美貌の持ち主――リアムの表情は冷たく冴え渡り、いかなる感情の色も読み取れない。彼はテーブルの上に転がっている殻付きの胡桃(くるみ)を見つめ、軽いため息を吐いた。 「黒い鱗を胡桃に()するとは、ご苦労なことだ。自分の鱗をナイフや爪で丹念に削り出し、木の実の中身をくり抜いて、そこへ詰め、また元通りに閉じたのか」 「ああ」 「それで、この私にこの胡桃を、あのなり損ないの少年に渡しに行けと?」 「ああ」  ジュリアンの瞳はリアムを映し出していたが、かつて澄んでいたはずの青は灰色に濁りきり、タクトを求めるがゆえの飢えと、種の本能たる欲情がかすかに渦巻いている。 「逆鱗に近い鱗をむしり過ぎだ」  長身痩躯を包む外套からのぞく美貌は闇よりさらに濃い闇色を纏い、周囲のありとあらゆるものを霞ませていた。  張り詰めた沈黙が流れる。  リアムでさえ、手元の胡桃を前に沈黙せざるを得ない。  新種の竜人が見れば震え上がるであろう桁違いの竜気が胡桃には込められてあった。  世にも美しい双子の兄の脳裏に、一体どれほどの妄執が詰まっているというのか。 「………いいだろう」 「感謝する」  ジュリアンが、すうと立ち上がった。出て行くつもりだ。 「待て、ジュリアン、分かっているとは思うが、なり損ないとは繁殖などできはしなーー」  リアムの言葉が詰まった。  ジュリアンの凄愴(せいそう)とした竜気に骨ごと縛りつけられ、押しつぶされて、声が出ない。 「当主の座はリアムに譲る」 「………ジュリアン」 「リアムに頼みたい」  二人は見つめ合った。同じ貌をしていた。双子だからだ。唯一違うのは瞳の色。真っ青な瞳と、灰青色の瞳。――ほんの最近までは、同じ青い瞳だったというのに。  リアムは、ジュリアンの先祖返りともいうべき神聖な青を失った瞳を見つめ、痛ましさに耐えるように自らの青い瞳を伏せた。  ジュリアンとリアムは新種でありながら、古代黄金種に勝るとも劣らない「先祖返り」と恐れられていた。  それは、始祖竜と同じ掛け値なしの真っ青な瞳と、恐ろしいほどの美貌、そして他者を圧倒する壮絶な強さを持つがゆえだった。  けれど、自らの鱗を剥ぎ、あの胡桃を造り出すたびに、ジュリアンの真っ青な瞳は少しずつ灰色へと変色していった。  かつての鮮烈な青を失い、霧深い冬空のような鈍色(にびいろ)に澱んでいくことさえ、今のジュリアンには大した問題ではないのだろう。  あの「なり損ない」の少年の痛みを和らげられるのなら、自分の中の光など、すべて消え失せても構わないとさえ思っているのだ。  かつては自分と同じ神聖な存在だった片割れが、狂気によって自らを毀損(きそん)していく。その姿を突きつけられたリアムは、美しい青い瞳で、ジュリアンの鈍色に輝く瞳を激しく睨みつけた。 「……理解できない」  リアムの冷ややかな呟きに、ジュリアンは静かに応じた。  あの子を(つがい)にしたいと願うまで、私にも分からなかった。リアム、お前もやがて身をもって理解する時がくる 「今は理解できない。どうしてこの私が、その少年に胡桃を手渡さなければならないのかも」 「タクトの苦痛を取り除くために鱗を剥ぎ、竜気を注いで与えれば与えるほど『(つがい)になりたい』という種の本能が理性を食い破りそうになる。愛しているからこそ、胡桃を与えるのに、胡桃を与えるたび、欲情で頭がおかしくなりそうになる」 「自身の身体の一部を譲渡するその行為はマーキングに近い。本能を刺激されて当然だ」  このままジュリアン自身の手で、タクトが胡桃を食するのを目の当たりに続ければ、本能は黙っていないだろう。そうリアムは直感した。いずれジュリアンの本能は、なり損ないの同意も得ずに、その胡桃をただの強引なマーキングの道具にしてしまうのではないか。 「もういっそ、その少年をジュリアンの(つがい)候補として、屋敷に迎え入れれば良いのではないか?」 「……まだ、気持ちを通じ合わせたわけではない」 「――っ!」  兄の想定外の頑なさに、リアムは一瞬言葉を失った。これほどの執念を燃やしながら、まだ想いすら伝えていないというのか。 「何を悩む必要がある?こんな『胡桃』を作り出せるくらいなら、気持ちでも何でもさっさと伝えて、(つがい)にすればいい」 「あれはなり損ないだ。子供の時に捨てられ、人間たちに嫌々支配され続けてきた。私が無理やり(つがい)にするのではなく、あの子が望んで私の(つがい)になると決めなければ、私はこれまでの彼の支配者と変わらない存在に成り下がる。私は彼を支配したいのではない。必要とされ、愛されたい」  ジュリアンのあまりに深く、あまりに脆い本心を聞かされ,リアムは深く息を呑んだ。このままでは兄の理性が先に焼き切れてしまう。そう判断した彼は、苦渋の選択を口にした。 「交換条件がある。その少年を私の小姓としてシャヴァンヴィルに迎え入れる……! ジュリアン!落ち着け! 竜気を抑えろ!ここがどこだと思っている!『なり損ない』を客として直々に迎え入れれば、屋敷に不要な混乱が起きる。だからこそ取る措置だ」  リアムは荒ぶる兄の気配を制するように言葉を畳みかける。 「ジュリアン、悪いことは言わない。今すぐそのなり損ないを(つがい)にしようと思わないなら、理性が完全に焼き切れてしまう前に,その少年から今は離れろ。胡桃は定期的に私へ届けてくれればいい。……いいな?」  身じろぎもせず、無表情のままのジュリアンの灰青色の瞳だけが熱く濡れていた。 「分かった」  暗然とつぶやくジュリアンの声を聞いたが最後、店のドアは開いた気配もないのに、ジュリアンの姿は消えた。  静まり返った空間で、リアムは苦々しく呟いた。 「(つがい)にして逆鱗を与えたとしても少年は竜人になれない。竜の体質へと変化させられるだけだ。決してジュリアンと『対等な竜人』にはなれない。なり損ないはなり損ないのまま、永遠に我々の仲間にはなれない」  そんなこと、わざわざ口にしなくても、ジュリアンも知っているだろうけれど。  リアムの胸に切なさが残された。

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