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第11話

Ep.11 8 ――寒いと、君は私の腕の中で眠るのか。  ジュリアンはタクトの背を抱き寄せ、その華奢(きゃしゃ)な肩に深く顔を埋めた。 「リアムを慕うなら慕えばいい。だがタクト、君は私の(つがい)にする」  かすかに震える美しい声に、タクトは自分が何者かに塗り替えられていくような甘美な絶望を感じ、咄嗟(とっさ)にジュリアンの(たもと)にしがみついた。 「貴方の(つがい)にはなりません!」  タクトの声は激しく震えていた。 ”運命の(つがい)”という名が与える衝撃が、あまりにも凄まじいものだったから――違う。目の前の男が、自分の『運命の(つがい)』なのだということは、理屈ではなく生物としての本能が、瞬時に理解していた。  自分を抱きしめる神授の美貌の持ち主が、今にも消えてしまいそうなほどひどく悲しげな気配を(まと)っていることに、タクトの心は激しく揺さぶられ、訳もなく震えていた。 「僕は一生、リアム様のために生きるんです!」 「……そうか」  ジュリアンの身体が名残り押しそうにタクトの身体からゆっくりと離れていく。  彼は上位種だ。格上の、とんでもなく偉くて誇り高いお方である。何の冗談でタクトのことを『運命の(つがい)』だの、『(つがい)にする』だの、言ったのか、タクトには理解できなかった。  ただ本能が反応した。  タクトは驚くほど鋭い反応で、ジュリアンの背中に両腕を回し、ぎゅっと激しくしがみついた。 「そうです!」  口では頑なに否定しているというのに、タクトの指先はジュリアンの豪華な衣をしっかりと掴んで離さない。タクト自身も、なぜ自分がこれほどまでに初対面の彼を求めてしまうのか、その理屈すら分かっていなかった。  ただ、何故だか無性に悲しかった。  自分を抱きしめる神授の美貌の持ち主が、明日にもシャヴァンヴィルから……タクトの前から消えてしまいそうだったから。  気付けばジュリアンの胸元でぐずぐずと涙が溢れ出し、子供のように泣き始めてしまう。ジュリアンは困り果てたように腕を上げると、タクトの背中を優しくポンポンと叩いて(なだ)め始めた。 「何なんですか!? リアム様を慕えばいいとか……っ、意味が分からないじゃないですか!?」 「…………そう、なんだろうか」   「そうですよ!」 「……どこが分からない?」 「もっと、こう、繋ぎとめ…うううっ……分、分かりません!」  タクトの頭の中は完全に混乱していた。  リアム様のために生きたいと、今も確かに思っている。でも、リアム様は古代種並みの強大な力を持つ完璧な竜人であり、遠くからその背中を見つめるだけで圧倒されてしまう存在だ。なり損ないの自分では畏れ多くて、声すらかけることができない。  タクトがリアムのためにできることと言えば、書庫に花を飾ったり、竹簡の紐を丁寧に結び直したり、あとは限られた範囲の掃除くらいのものだ。フェルサン公爵家のフロアのほんの一部。タクトはリアムの私室の前にある回廊すら、まともに掃除したことすらない。  それなのに、目の前にいるリアムの双子の兄――ジュリアン相手だとどうだろう。  初対面のはずなのに、こうして見苦しくしがみついて泣くことも、理不尽な文句をぶつけることもできる。  何より、その腕の中が――狂おしいほどに安心できた。もう二度と離れたくないと思うほどに。  タクトはハッと閃いた。もしかすればこの人が黒竜様なのではないかと。 でも次の瞬間、黒竜様の瞳は真っ青で、フェルサン公爵家の次期当主だったことを思い出す。  ――黒竜様の瞳は、美しい青。  ――ジュリアン様は灰青の瞳。  特徴も肩書きも一致しないのに、何を馬鹿なことを考えているのか。ますます泣けてきた。 「タクト、私が悪かった。だから……泣き止んでくれないか?…私はどうすれば…」 「泣いてなんかありません! 男が泣くわけないでしょう!」 「……そうか、私はこのまま抱きしめていても……構わないの、だろうか?」 「駄目に決まってるでしょう!初対面ですよ!僕達は!」  タクトが必死とジュリアンにしがみついた。二人の身体はぴたりと密着して隙間ひとつ見当たらない。 「タクト」  強がり、泣き続けるタクトの髪を、ジュリアンは愛おしそうに、髪の根元から毛先まで何度もゆっくりと指で()いてゆく。  甘やかすように背中を美しい掌で撫で、ゆっくりとタクトの首筋に顔を埋めると、柔らかな皮膚を鼻先で愛撫するように優しく擦り付けた。あまつさえ、熱を帯びたこめかみへと、音を立てて何度も何度も愛おしそうに口づけを落とす。  ――やはり黒竜様みたいだ。双子だから……。  圧倒的な安心感が本能レベルで心地よすぎて、タクトはとろとろと微睡(まどろ)みに揺蕩(たゆた)っていた。  身体が宙にふわりと浮くと、もう駄目だった。ジュリアンの身体にくたりと身を預けると、そのまま深い眠りに沈んでいった。  ◇  夢は、漆黒の大きな竜の鱗に守られた温かいクッションのように、どこまでも快適そのものだった。  微睡(まどろ)みから強引に引き剥がされるような感覚でタクトが目を覚ますと、そこはジュリアンの私室のベッドの上だった。朝の静寂の中、自分を囲い込むように抱きしめているジュリアンの腕の温もりに気が付いた瞬間、タクトの脳内に昨日の記憶が鮮明に蘇る。 「昨日は……っ、その、寒かったんです! だから、だからその……っ!」  顔を林檎のように真っ赤にして飛び起きると、タクトは布団を跳ね除け、逃げるようにその場を飛び出した。 「お,お召し物の準備をしてきます!」という、苦し紛れの言い訳だけを部屋に残して。  残されたジュリアンはゆっくりと立ち上がると、ポツリと溢した。  ――寒いとタクトは私の腕の中で眠るのか。  一瞬にして空間を裂いて“異世界渡り”を果たしたジュリアンは、そのまま魔獣が巣食う危険なダンジョンの最深層へと単身潜り込み、世界に数個とない希少な氷属性の宝具を力ずくで奪取すると、何食わぬ顔でシャヴァンヴィルへと持ち帰った。  その日から、灼熱の熱気に満ちていたシャヴァンヴィルは、一年中が嘘のように涼やかで快適な気候へと変貌を遂げることとなる。  筋肉量が多く、暑さに弱かった竜人や獣人たちは、「最近涼しくなって過ごしやすいな」と、知ってか知らずか、快活に笑い合っていた。  ◇  この日まで、タクトはフェルサン公爵家の「一般的な若い使用人が使う標準的な部屋」に住んでいた。  タクト自身は夢にも思っていないことだが、実はその部屋の両隣には、リアムが絶大な信頼を置く“口が堅くて腕の立つ実力者”たちが配されていた。 騎士団の若手幹部や、高度な医療知識を持つ上級執事たちが四六時中隣室に控え、ジュリアンの(つがい)候補であるタクトの身に何かあれば一瞬で突入できるよう、厳重に保護されていたのである。当然、リアムの配慮である。  しかし、ジュリアン付きの小姓となったことで、タクトは新たな部屋へと移り住むことになった。  ジュリアンが用意したその部屋の広さは、リアムが用意してくれた一般使用人室とさほど変わらない、非常にこぢんまりとしたサイズのものだった。  やはりタクトは何も分かっていなかったが――広さこそ普通であるものの、部屋を構成するすべての建材、調度品、防犯機能の質は、レリクアリア元総帥であるジュリアン様の“歪んだ執念”によって限界突破(カンスト)していた。  一見すれば、どこにでもある普通の狭い使用人部屋。だがその内実は――人間よりも強靭なはずのタクトの肌を決して傷つけない最高級の絹布、どんな衝撃も完全に吸収する特注の床材、王族ですら滅多に手に入らない大陸最高峰の魔術障壁。  素材と機能だけが「異常にトップクラス」の、世界で最も贅沢な部屋が、そこに用意されていた。

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