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第13話
ep.13 10 竜人殺しの小刀と、不器用な試し行為
タクトが胡桃――すなわち、ジュリアンの鱗――を求める頻度は、目に見えて減っていた。
かつてリアムから『これでは俺の手に負えない』と連絡が来たときは、呪いの再燃を恐れてどれほど戦慄したことか。けれどそれも杞憂だった。ジュリアンが還ってきてからというもの、タクトの顔色は以前より格段に良くなり、白い肌には瑞々しい生気が戻っている。
その劇的な変化に、ジュリアンは心から安堵していた。
◇
「奥の部屋を君に預けよう。鍵はこれだ。中にはチェーンをかけてある」
ジュリアンから手渡されたのは、繊細な装飾の施された美しい鍵だった。
「失くさないように。いつも肌身離さず、首から下げておくといい」
タクトがその鍵を首から下げると、歩くたびに胸元でジュリアンの瞳と同じ、鈍色の基準の灰青 色が揺れた。砂糖菓子と甘いベリーを模した精緻な意匠の宝石はタクトの純粋さを象徴しているようで、首元の漆黒の項圏 と相まって、極めて背徳的な美しさを醸し出している。
「……使う時だけ、お借りします」
「私に鍵など不要だ。宝物庫の前には、人間ではない異形の衛兵を配してある。あれは私以外のあらゆる存在を『排除すべき侵入者』と認識するが、その鍵を持っていれば特別に識別される。……それは、君専用の特権だ」
「~~~~!! 古代種級の黒竜が持つ宝物庫の管理なんて、僕にできるわけないでしょう!? ジュリアン様、一体どれほどの異世界を渡って、どれだけのものを集めてきたんですか!?」
驚くタクトを前に、ジュリアンは整った眉を片方だけわずかに持ち上げた。その表情には、小姓の取り乱しを面白がるような、静かな余裕が滲んでいる。
「まさか、職務放棄しようとでも?」
「そんなはずないでしょう! 何を言ってるんですか、全うしますよ! きちんと職務は果たします! でも、でも……っ!」
タクトは顔を真っ赤にして息巻いた。
「この鍵を失くしても、僕は責任取れませんからね!? 私物化なんて絶対にしませんけれど、命にかけて守りはしますけど! でも、僕には戦闘経験なんてほとんどないんです! そのところ、ちゃんと理解しておいてくださいよ!」
次の瞬間、タクトの頬に、ジュリアンの熱い口づけがそっと落ちる。彼の唇は、驚くほど熱を帯びていた。
ジュリアンはタクトが身じろぎするまで、静かにその頬を唇で温め続けた。
「君は、いい子だ」
神授の美貌を湛えるジュリアンは、真っ赤に紅潮したタクトを静かに見下ろした。
その瞳は、まるで氷の彫像が溶け出すかのように甘く熱を帯びている。彼はふわりと表情を緩めると、親指の腹でタクトの熱い頬を優しく撫でた。
「このシャヴァンヴィルで、私付きの小姓に手を出し、その鍵を欲しがるような命知らずはいない。だから、安心して持っていなさい」
ジュリアンの穏やかな言葉の背後に滲 む、自分以外の「侵入者」に対する絶対的な死の気配。タクトはごくりと喉を鳴らし、渡された鍵を、誰かの命を守るかのように両手で強く握りしめた。
「宝物庫には面白いものがたくさんある。遊んでおいで」
◇
「ジュリアン様! これです! これを使いましょう!」
数日後。タクトに腕を引かれ、宝物庫の奥へ足を運んだジュリアンは、飾られた棚の一角を指差された。そこに鎮座していたのは、見事な鞘 に収まった真白い一振りの小刀だ。
印象的なのは、柄 にある空白の窪みだった。何らかの細工を嵌め込むための仕様だろう。
『竜人殺し』――その異名を持つ小刀に、肉体を傷つける殺傷能力はない。
柄に鱗を嵌め、その状態で自らの番 を刺した瞬間、鱗の主から番への愛情を跡形もなく消し去るという、精神に作用する凶器だ。
誰が刺そうとも、どれほど本人が望まなくとも、嵌められた鱗の持ち主の「愛」を強制的にこの世界から抹消させる。
フェルサン公爵家に代々伝わるこの刀は、番への執着が強すぎる一族にとっての『戒め』として管理されてきた。かつて成人の儀の折、父親から預かったのは、所有する者に「愛に溺れるな」と突きつける無言の警句に他ならない。
ジュリアンは、その刃に宿る悪意に嫌悪した。
もし、この柄に自身の鱗を嵌められ、タクトを刺されたなら。自分の中からタクトへの狂おしい執着が、最初から存在しなかったかのように削ぎ落とされる。
――私から今、このタクトを想う気持ちを奪い去られてしまえば、何を失ったか分からないまま、永遠に失ったものを探し続ける屍に成り果てる。
「リアム様の鱗をこの刀の柄に嵌めて、これでリアム様の『運命の番』を刺しましょう! そうすれば、リアム様はあの人間の男のことを綺麗さっぱり忘れることができます!」
「……それはいけない。リアムが悲しむ」
「悲しみません。……むしろ、救われます」
「どういうことだ?」
タクトは静かに目を伏せた。その瞳には、誰かを救いたいという意志よりも、自らの身の上を淡々と分析するような冷めた色が宿っている。
「僕はなり損ないですから、その、親から当たり前にもらえる愛情を……初めから求めなければ……それほど辛くないこと、身を持って学びました」
その言葉に、ジュリアンの胸は抉 られるように激しく痛んだ。
タクトは、自らの不遇な生い立ち――人間に寝取られ、托卵されて生まれた我が子を、狂気の中で憎み続けた両親から、一度も愛されずに育った過去のこと言っているのだろう。
タクトが愛を否定するのは、愛を信じないからではない。むしろその逆だ。
親の愛情を盲目的に求め、そのたびに冷たく突き放され、心を削り取られてきた過去。あの幼い頃の彼は、どれほど期待し、どれほど失望し、どれほど自分を殺すことで痛みから逃れようとしたのか。
愛を求めることは、自らを刃にかけることと同じだ。
タクトが抱えるその「学習された諦め」を想像し、ジュリアンは息を止める。それは愛を拒絶しているのではない。傷つくことに耐えられなくなった彼が、これ以上壊れないようにと身をよじって編み出した、あまりに不器用な自己防衛だ。
愛を求めて傷つくことの恐ろしさを知るタクトだからこそ、リアムが「運命の番」という理不尽な引力に翻弄され、引き裂かれそうになっている痛みを――まるで自らの古傷が疼くかのように、痛いほど察しているのだ。
彼がこの『竜人殺し』を手に取ったのは、ただの呪術への執着ではない。
リアムを、そしてリアムを愛する相手を、苦しみという鎖から解き放ちたい。かつて誰にも救われなかった自分とは違う、唯一の「救済」を――彼なりに必死に模索しているのだ。
ジュリアンは、己の中にある有り余る体温をすべて注ぎ込むかのように、その愛おしい身体を強く、深く抱きしめた。
これが何の慰めになるかは分からない。そもそも、ジュリアンにはタクトが過去にどれほど傷ついてきたのか、そのすべてを計り知ることはできないのだから。ただ、こうして抱きしめることで、彼に少しでも温もりを伝えたかった。
「……もうっ! ジュリアン様の、不埒 者……っ!」
腕の中で顔を真っ赤にしたタクトが、力一杯、ジュリアンの鍛えられた胸を押し返した。脆く、あまりにもか弱いその抵抗に、強大な竜人であるはずのジュリアンが、なぜか一歩、後退った。
数多の異世界を震撼させ、禁忌の遺物を掌握する軍勢の総帥たる自分が、まさか人生で「不埒者」などという破廉恥 な罵りをぶつけられる日が来ようとは、夢にも思わなかった。
「……不埒者」
ジュリアンはその聞き慣れない響きに、形のいい眉を微かに潜め、内心で少なからぬ衝撃(ショック)を受けながら低くその言葉をなぞった。世界を一つ滅ぼせるその剛腕は、愛おしい少年に拒絶されたという事実だけで、完全に凍りついたように動きを止めている。
だが、そんな主の困惑など知る由もないタクトは、ぷいと顔を背けて強気に声を張った。
「行きますよ、ジュリアン様!」
「……どこへ?」
「ヴィルトリア、リアム様の運命の番、ヴォルフがいる場所です!」
「タクト、落ち着きなさい」
「でも、ジュリアン様…………」
タクトは本来、人一倍プライドが高く、傷つくことを恐れて心に強固な壁を張って生きている。警戒心を強く持ち、他の誰に対しても、一線を引いた「完璧な使用人」として普通に接してきた。
でも、何故なのか目の前にいるジュリアン相手にだけは、その壁がまったく機能していない。赤くなって声を荒らげ、理不尽な我儘 を言い、まるで子供のようにむくれてみせる。
それは、ジュリアンが放つ、すべてを包み込むようなあまりにも深い慈悲に、タクトの心が当てられてしまったせいだ。
生まれてから一度も親の愛を受けられず、信じていた世界から裏切られ続けてきたタクトにとって、ジュリアンは生まれて初めて出会った「何をしても自分を拒絶しない、絶対に怒らない存在」だった。
だからこそタクトは、高いプライドの裏側で、無意識のうちにジュリアンに対して『試し行為』を仕掛けている。
ここまで生意気な口を利いても、まだ自分を置いていかないか。
こんな風に困らせても、まだ自分を特別に扱してくれるのか、と。
タクト自身は「ただの我が儘」のつもりかもしれない。でもジュリアンから見れば、それは自らの脆い防壁を必死に保ちながら、こちらを伺う愛おしい挑発に他ならなかった。
タクトの繊細な白い指先が、ジュリアンの上質な衣の裾を、かすかに、けれど断固としてきゅっと引いた。
捨てられることを恐れる本音を、高慢な態度で覆い隠すように、潤んだ瞳が睫 の隙間から上目遣いでじっとジュリアンを見つめる。
「……僕と、旅行、したくないですか?」
――どれほど生意気な試し行為であろうとも、ジュリアンにとっては愛おしい宝物の強請 りでしかない。
当然、ジュリアンは一瞬で陥落した。
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