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第20話

ep.20 15 渇望の獣、理性を喰らう  タクトはジュリアンに約束していた。 「リアム様の運命の番を『竜人殺し』で刺してくれたら、私はジュリアン様の番になります」と。  それなのに、ジュリアンはタクトにたくさんの快楽を与えてくれはしたけれど、自身は襟ひとつ乱さず、決して一緒に快楽へと堕ちてはくれなかった。  タクトはジュリアンにしがみついて、何度も「どうして、僕を番にして下さらないのですか!」と問い詰めたくなった。でも、答えを聞く勇気がどうしても足りなかった。  何より、ジュリアンがタクトを愉悦の海に突き落とし、たゆたうようにあやすから、どうしても問い詰められなかった。  ――ジュリアンはあの日、タクトが彼の小姓になった時、嘘をついた。  世にも美しい指先でタクトの首筋に触れ、甘く残酷に「君は私の運命の番だ」と告げた。  でも、タクトはジュリアンの運命の番なんかではない。そんなこと、本能で理解できる。  ではどうして、ジュリアンはタクトに「運命の番だ」と言ったのか。  どんなに考えても理由は分からず、問い詰めたところで、あの方が本当の理由を教えて下さらないのは分かっていた。  タクトに分かるのは、「嘘」だけ。  だからタクトはもう、吹っ切ることにした。  ジュリアンの嘘も何もかも飲み込んで、これまでの経験から、「自分はジュリアン様に特別に可愛がられている愛玩物なのだ」と、いっそ潔く認めてしまうことにしたのだ。  ところが、同僚に『愛玩物』の文化について聞いて絶望した。 リアムが運命の番を見つけた人間の国、ヴィルトリアでは、若く美しい少年や従者が主君の寵愛を受け、夜の相手も務める文化は非常に一般的らしい。  彼らは「小姓」というよりは「美嬖」や「男寵」などと呼ばれ、貴族たちの間で深く愛されているそうだ。  ――でも、このフェルサン公爵家は違った。 竜人は一度マーキングしてしまえば、凄まじい独占欲と執着欲のすべてを『番』のみに注ぐ生き物だ。そんな都合のいい愛玩の文化など、一切存在しなかった。  そこでタクトは、ジュリアンの「ただのペット」として生きる道を断たれた。 「よし!」  タクトは力強く立ち上がった。 タクトは、ジュリアンが番にしてくれなかったこととは別に、朝起きて相当凹んでいたことがある。   昨夜「もう前から何もでない」と自らジュリアンにお尻を差し出したことだ。 物理的に差し出した訳ではないけれど、番にしてもらえなかったのなら、あれは醜態を晒しただけに過ぎない。  でも、もう、いい。  あれは副作用のせいにしてしまえばいい。  ジュリアンの性格からして、絶対に昨夜のことを掘り下げることなどないだろう。   『合わせる顔がない』と思う必要なんかない。平気だ。これまでの人生、色々あって、色々忘れた。     昨夜のことも忘れて――――忘れたくない……そう思うなら忘れないでいい。答えはいつもシンプルだ。  小姓でもペットでも炉端の石でも、ジュリアンのそばにいられるなら何でもいいと思ったけれど、タクトには小姓として生きる道しか残されていないというなら、その道を極めよう。努力しよう。  悲観しようとしまいと、タクトはそう長く生きられない。  三年以上も呪われていれば、嫌でも気付かされる。心が寂しがったり悲しんだりするたびに、それと連動して呪いが進んでいくことくらい。  ……僕が死んだら、ジュリアン様は悲しんで下さるだろうか。  きっと悲しんで下さるだろう。  ……墓に花を供えて下さるだろうか。  いまわの際に願えば、供えて下さるだろう。 ジュリアンは真面目で誠実な方だから。  タクトはなり損ないとして生まれてきた。でも、死んでジュリアン様がタクトの死を悼み、花を供えて下さるなら。  タクトの人生はきらきらとしたまばゆいものになる。  ◇  朝の瑞々しい風が新緑の香りを運んで吹き込むたび、窓辺に掛けられた天女の羽衣のような薄絹がふわりと揺れ、遮るもののない真っ直ぐな光の粒が、きらきらとした金の砂のように室内に降り注いでいた。  重厚な紫檀の文机に両肘を突き、この世のものとは思えない美しい手で顔の下半分を覆い隠すジュリアンは、光あふれる室内にいても、風と稲妻が刻んだ美しい彫像のように映えている。 ただ、その背には月光も風も凍りつきそうな冷たい闇を背負っていた。  タクトに快楽を注ぎ込む間、襟ひとつ乱さなかったのは、そうしなければ己の獣めいた本能がたちまち理性を食い破ると分かっていたからですらなく――いや、今はまだ番でもないタクトに、自身の欲望をぶつけられるほど浅ましくはなれない。けれど、タクトに胡桃を与えたのは間違いだった。  そもそも「黒竜の鱗」とは、相反する二つの力を反発させることなく、完璧に融和、安定させる極めて稀少な聖遺物だ。本来なら衝突して爆発を招くような、危険な術式や霊薬を調合するための『絶対的な安定剤(触媒)』として、天下の至宝と称されるものだった。  ジュリアンはこの特性を応用し、タクトの体内で起きている絶望的なせめぎ合いを強引に抑え込んでいた。  タクトの肉体が持つ『生気』と、その身を蝕む体内の『死気(呪い)』。 本来なら絶対に交わらずに肉体を破滅させるはずの二つのエネルギーを、鱗の力で無理やり融和させ、肉体が呪いを異物として拒絶して急死するのを防いでいた。  決して混ざり合わない水と油を、鱗の力で強引に乳化させて安定させるかのように。  けれど、その鱗にはジュリアンのあまりにも濃密で淫靡な情欲が、不純物として混じり合っていた。 いや――ジュリアンが潜在意識の裡で、混ぜ込んでしまったのだろう。  ジュリアンの本能と感情は、いつも『タクトを番にしたい』と激しく訴えていた。けれどその訴えを、『傷付いた過去を持つタクトに、獣のような本能を押しつけるのは良くない』という理性で無理やり抑えつけていた、はずだった。 抑圧された潜在意識は、しっかりと己の情欲を鱗に染み込んでいたようだ。  ジュリアンの濃密な情欲がそのままタクトの体内へと流れ込み、融け合った。そればかりか、鱗の効果によって肉体レベルで強制的に同期までさせていた。  つまりタクトは、ジュリアンの底なしの欲望をその肉体で強制的に体現させられ――――「ジュリアン様に激しく乱されたい!」という切実な要求へと裏返され、その身を狂わされていたのだ。  もっとも隠微で恥ずべき情欲のすべてが、目の前で生々しくタクトの肉体となって具現化していく。 己の性癖を、己の理想のままに、愛しい男の肉体で完璧に再現される――そのあまりにも甘美な現実に、ジュリアン自身が誰よりも激しく興奮し、獣のように情欲を昂ぶらせていた。  理性を気取りながら、その実、タクトの艶姿に誰よりも狂わされていたのは自分自身だったのだ。  ――けれど、タクトはジュリアンのもっとも望む「核心の欲望」だけは、頑なに体現してくれなかった。  ジュリアンが望んでいたのは、ただひとつ。  白い美貌を桃の花のように染め、あの可憐な唇で「ジュリアン様の番になりたい」と紡いでくれることだけだった。  けれどタクトは、名前を呼んでくれても強靭な意志で、他は何も言ってくれなかった。  もし、ぽろりとその言葉が溢れていたなら、自分はどうしていただろう。  どうしてタクトは、あの夜、その言葉をぽろりと溢してくれなかったのだろう。  タクトは洞窟の黒竜がリアムだと信じ、その生涯を彼のために捧げると決めている。  だから強靭な意志で、私の核心の欲望を拒んだ。  ――あるいは。生き延びるために私の庇護下に入るのは許容できても、心底、番にだけはなりたくないと思っていたのか。  ジュリアンは椅子に重く沈み込みながら、天を仰いだ。  生まれて初めて知る「渇望」という名の飢えに、心臓が焼かれるように悲鳴をあげている。  胡桃はもう二度と与えられない。  他にタクトの呪いを解く方法を、何としてでも探し出す。  そうしなければ、番にすることはおろか、求婚さえできないのだから。

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