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第23話

 ep.23 18 透明な小姓と、捕食者の領分  ジュリアン付きの小姓になった時。一般の小姓がくすんだネイビーやグレーの粗末な麻布を身に纏う中、タクトに与えられたのは、それらとは一線を画す「深みのある上品な紺碧(ディープブルー)」や「気品ある墨色(チャコール)」の小姓服だった。  ジュリアンの瞳と同じ灰青色や、黒竜のイメージを宿したかのような静かな色彩。  一目で最高級の絹とわかる妖しい艶を放つ生地は、動きやすさを重視した立ち襟の、すっきりとした細身の長着(ローブ)に仕立てられている。  胸元を斜めに合わせて留めるその意匠を、太めのしっかりとした腰帯がキュッと引き締めている。  これによって際立つタクトの細い腰のラインが、いつもジュリアンの視線を釘付けにしていたことを、タクトは知っていた。  それも、今となっては見向きもしてくれない。  だからタクトも反抗して、ジュリアンに見向きもしないようにしている。  ジュリアンの邪魔にならない限界の境界線を見極めて、そこにじっと佇み、寂しさに耐えていた。 「そこの」  声をかけられ振り返れば、ヴァロワ秘書官がいた。  フェルサン公爵家の最高権力を握るヴァロワ秘書官は、タクトにとってどう接すればいいのか分からないほど萎縮してしまう人物だった。  まさに雲の上の上司と言っていい。  一寸の乱れもない白銀(プラチナブロンド)に銀縁の眼鏡を光らせ、常に拒絶するような美を漂わせている。  タクトがヴァロワ秘書官の視線に射抜かれたとき、紛れもない高位竜人の放つ圧力は、恐怖というよりは、あまりの格の違いに「言葉もなく納得させられてしまう、諦めに似た感覚」を覚えさせるほどの凄みがあった。  そのヴァロア秘書官に呼び止められただけで、タクトは背筋が凍りつくような緊張に襲われた。  しかし、眼鏡の奥に覗く瞳は冷酷なまでに静かで、彼はいつもよりも少しだけ声を潜めて言ったのだ。 「……タクト」  まさか雲の上の存在である秘書官が、自分の名前を把握しているとは思わず、タクトは小さく肩を揺らして驚いた。 「ジュリアン様は現在、寝る間も惜しんで激務をこなしている。お前は仕事を覚えるのに必死なようだが……そうだな、お前が淹れたお茶を運んでやってはもらえないだろうか。あのお方は喜ばれ、きっと安らぐに違いない」  そんなことを言われても、今のジュリアンがタクトの運んだお茶など、喜ぶどころか見向きもしない可能性のほうが高い。  今のタクトは「透明人間」だ。ジュリアンから見れば「茶が宙を泳いでやってきた」とそう思うのではないだろうか。  両親もそうだった。  タクトをいない者として扱った。存在を否定される痛みに、いくら慣れようとしても、決して慣れることはできない。 それが、番にして欲しいとまで願ったジュリアンならなおさら、胸が潰れるほど辛い。  胸がじくじくと痛みだし、タクトの(まなじり)に、じわりと熱い涙が滲む。 「っ……」  その瞬間、ヴァロワ秘書官の耳の後ろや首元に、美しく冷たくきらめく「白銀の鱗」がふっと浮かび上がった。    美に狂った神が細心の注意を払って彫り上げた立像のような身体が、焦燥感を含んで後ずさる。 「待て、泣くな」  ジュリアンが、黙ってはいない。  いつの間にか、白皙(はくせき)の美貌が闇をみなぎらせてそこに立っていた。  今、彼を見る者がいれば誰もが戦慄し、恐怖を逃れるために疾風怒濤、ガラスを突き破り窓から逃げ出しただろう。  ヴァロワは全身に緊張をみなぎらせ、その場になんとか留まった。  でも、もうひとりは――きょとんとジュリアンを見上げていた。 「何が、あった?」  地を這うような低い声とともに、有無を言わせず腰を引き寄せられ、タクトは弾かれるようにその身体にしがみついた。  ジュリアンはタクトを庇う腕に力を込めながら、ヴァロワを切り裂くような鋭い竜気を渦巻かせ、その気配だけで威圧した。  ヴァロアの形のいい眉根が寄せられ、唇から苦渋の声が漏れる。  よく分からないけれど、ヴァロワにとってよくない展開なのがタクトには分かった。 「お茶を用意するように頼まれただけです!」  ジュリアンの腕の中で必死に訴えるタクトの言葉に、ヴァロワが冷や汗も隠さず、必死の形相で声を張り上げた。 「違う! 私のための茶ではない! 『ジュリアン様のためのお茶』を淹れるよう、私は頼んだだけだ!」 「そうなのか?」  神授の美貌に見下され、そっと(まなじり)に溜まった涙を指先で拭われた。タクトは戸惑った。  ――これではまるで、好きな子をいじめる奴は許さない、そう言っているかのようだ。  嫌われている、避けられている、とばかり思っていた。それなのにこんな風に大切にされては、感情の振り幅が大きすぎてどうすればいいか分からなくなる。  ジュリアンの鍛えられた胸にぎゅうっとしがみつけば、拒絶されず、むしろ固く引き寄せられた。  ふたりの身体はぴたりと密着し、見上げれば、目が合った。灰青の瞳が一瞬、揺れて、艶めかしく細められる。タクトの喉がこくりと鳴った。口付け、される……?まさか。  空気はひりつき、視界の隅でヴァロアが壁際まで下がり、胸に手を当て(こうべ)を下げた。  回廊は異様なほど静まり返り、息を呑む音すら溶けて消えていく。風が木々を揺らめかさせる音ひとつしない。  世界は二人を置き去りにして、孤絶していた。  いつもは美しすぎて冷ややかに映えるその美貌が、今はどこか熱を孕んでタクトを見下ろしている。  タクトの滑らかな頬が、すぅっと音もなく朱に染まっていった。 「タクト」 「は、はいっ。……ヴァロワ秘書官に、ジュリアン様のお茶を用意するようにと、頼まれました……っ」 「……そうか」  先ほどまでの熱が嘘のように、ジュリアンの美貌は冷え冷えとして、タクトの腰に回されていた手も興味を失ったように離れていった。  一瞬、何も考えられなくなった。  今までのジュリアンなら、愛し気にタクトの髪を撫でるなり、頬に触れるなりして、それから名残(なごり)惜しげに手を離してくれていたはずだ。  ――やはり、嫌われた。  鉛を飲み込んだように胸が重く締め付けられ、浅くなりそうな呼吸を必死で整えた。  これまでのジュリアンならタクトの微かな揺らぎも見逃さない。  もうタクトに興味をなくした今ならそれもどうか分からないけれど、小姓としての矜持にかけて、この惨めな動揺だけは見抜かれたくなかった。  タクトはゆっくりと呼吸を繰り返し、ただの作り物のように平静を装った。  タクトはジュリアンの玩具(おもちゃ)だ。  昔、気に入っていたものを壊されそうになり、咄嗟に取り返した――けれど、やはり興味を失ったことを再確認した。そんなところだろうか。  タクトは過去、そんな玩具(おもちゃ)たちを数多く見てきた。  まさか自分がその立場に成り下がるとは思ってもみなかったけれど――こんなにも辛いものだとは。  ジュリアンに触れた部分だけがまだ熱い。それがひどく切なかった。  どこか居心地悪げに視線を逸らしたジュリアンは、先ほどまでの激昂が嘘のように玲瓏と声を響かせた。 「――茶を頼む。……その……執務室へ来るといい。ちょうどタクトの呪いを解くものが手に入ったところだ。ヴァロワ、あとで褒美を届ける――下がれ」  ◇  促されて誰もいない執務室へと入れば、後ろの扉が閉まり、逃げ場のない二人きりの密室へと世界が替わる。  タクトは平静を装いながら大理石の給仕台(コンソール)に向かい、流れるような動作でお茶を淹れ始めた。  なり損ないのタクトには、どれほど手を伸ばしても、竜人という絶対的な存在とは越えられない一線がある。  でも、ジュリアンに喜んでほしい一心で磨き続けたお茶を淹れる技術くらいは、人間や獣人には到底達することのできない領域まで極めていていた。  丁寧に淹れた琥珀色の茶が机に並ぶと、ジュリアンは執務机の奥から取り出したほんのり青白く光る小瓶から美しい雫をその水面へ、数滴落とした。 「呪いを解く薬だ。本来は酷く苦いものだが、タクトが飲みやすいよう、珍しい薬草のシロップに仕込ませてある。お茶に混ぜれば味も悪くないはずだ。……さあ、温かいうちに飲みなさい」  差し出されたカップを受け取ろうとして、タクトは至近距離で再び濃い灰青の瞳と視線がぶつかった。  ――やはり(くら)くなっている。  あの夜も思っていた。澄んだ灰青色が、明らかに濃くなっている。  いいようのない、ざわざわとした不快感にタクトの眉根が寄った。 「ジュリアン様、瞳の色、濃くなっていますよね?」  ジュリアンはこの世の法則とは無縁、そんな幻のように美しく微笑んだ。 「タクトが私を熱心に見つめるから、そう見えるだけなのでは?」

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