25 / 44

第25話

Ep.25 20 聖域という名の監獄 「これからは戦闘職として勤めさせていただきます」  タクトがはっきりとそう口にした時、自分でも気づかなかった心の(おぼろ)が、一気に晴れた気がした。  あの夜、胡桃(くるみ)の副作用でタクトの狂いそうな欲求をジュリアンが晴らした後、以前受けていた寵愛が嘘のように距離を置かれるようになってしまった。  天下のジュリアン・ド・ヴレを、あろうことか性の発散道具にしてしまった報いなのだろうか。  それとも、自分を性的な対象として見ることも見られることも、ジュリアンにとっては嫌悪や苦痛でしかなかったのか。  ――タクトには、何も分からなかった。  ただ、ジュリアンに見向きもされなくなったこと。ジュリアンに接する仕事を一切合切取り上げられたこと。それから周囲の人々から遠巻きに見られるようになったこと。その三つの現実だけが、冷たくそこに在る。  あの夜の翌朝、タクトが目覚めれば、寝台の敷布(シーツ)は清潔なものに替えられていた。ジュリアンの指示だろう。  自分の精液でドロドロに汚れた敷布は、誰かの手によって静かに回収されていた。  ジュリアンとタクトの間にできてしまった溝について、周囲の側近や使用人たちは一貫して口を閉ざしている。  噂話ひとつ、タクトの耳には届いてこない。  それでも、腫れ物に触れるような視線だけは、痛いほど肌に刺さる。  ある意味、タクトはそういった扱いに慣れていた。開き直ることだってできる。いちいち気に病んでいたら、心の方が先に摩耗してしまうからだ。 「君は傷一つない綺麗な身体のままで、私のそばで勤めていればいい」  ジュリアンからのその言葉に、タクトが小さく息を呑み、拳をぎゅっと握りしめたのは、悔しかったからだ。  戦闘職になれば、もうジュリアンのそばには居られなくなる。でも、役に立つわけでもなく、ただ人形のように部屋の片隅に立っていることに、何の意味があるというのか。  それならそばにいられなくても、戦闘職としてあの方の役に立てるよう命を賭けられるなら。  たとえ寂しくても、それこそが自分にとっての『綺麗な生き方』なのだと、そうやって自分で自分を慰めることもできたのに。 「あとで甘いお菓子を届けさせよう」  ジュリアンは、タクトが本当に欲しいものを何もくれない。  だからタクトはもう、何もかも、欲しがるのをやめた。  だから人形のお手本のような笑顔を浮かべ、静かにお礼を言った。 「ありがとうございます、ジュリアン様」 ◇  瀟洒(しょうしゃ)な刺繍の巾着に入った菓子を届けに来てくれたのは、獣人の中でもトップクラスの俊敏性と筋力を持ち、戦場を文字通り「獣の嵐」のように駆け抜ける戦闘の天才、近衛大隊長のガレル・ラサールだった。  ガレルは気さくで面倒見がよく、恋愛対象は「性別関係なく、自分をねじ伏せられる男」なのだとジュリアンから聞いたことがある。  死線を幾度も潜り抜けてきた「実戦の怪物」なのだとも。  タクトのことを『美しく気高い竜の因子を持っている』と言ってくれた豹獣人でもあった。  ガレルなら自分の力を認めてくれるかもしれない――そう期待したからタクトはガレルに戦闘職を希望していることを伝えた。  でもガレルからすれば、タクトの戦闘力が『高いか低いか』は問題ではなかったようだ。 「タクトが戦場に立つ必要など、この世のどこにもないだろう。私たちが全てを屠る。タクトは守られていればいい。その美しい身体に傷がつくことが私たちにとって『敗北』であり『不名誉』となる……いや、不名誉、そんな次元では収まらない、そんなことになれば私たちはジュリアン様の手で八つ裂きにされる。だから頼むから大人しく…待てよ、そうか…それでジュリアン様はあんなことを仰っていたのか」  瀟洒な刺繍の巾着に入った菓子を、拒む隙もなくそっと胸元に押し付けられた。  「いいか、よく聞け。この菓子は『竜の髭』と呼ばれるものだ。名前から獣人も人間も易々と口にできるものではないのは分かるな?この菓子の何がすごいかというと、最高の状態を維持するために時が止められていることだ。一国の大貴族が全財産を叩いても手に入らないフェルサン公爵家の技術がここにぎゅうっと詰め込まれている。運んできたのはこの私、近衛大隊長、ガレル・ラサール。『ジュリアン・ド・ヴレの牙』と呼ばれる者だ。あるいは手前味噌になるから自分の説明は省かせてもらうが、これで分かるな?ジュリアン様はタクトをこれ以上ないほど大切に想って下さっていると」  タクトは緩やかに首を横に振った。そうじゃない、そう思いながらうまく言葉にできなかった。 「……っ、いやジュリアン様がお前と距離を取ってるのは、理せ…限界……本能がだな…うーむ、私の口からは言えん。頼むから分かってくれ。ジュリアン様は仰っていた。『タクトの身体に一筋でも傷がつくなど、私の心が到底許しそうにない』と」 「………………」 「あああああ……!そうむくれるな。お前は自分を『なり損ない』と卑下することあるが、私達獣人から見れば一線を画している。誰もがその美貌と格の違いを圧倒される。ただ他の竜人達とは違い、タクトは絶妙に『手が届きそう』、そんな危うさがある。分かるか?」  戦場に行けば、又、性別問わず欲望に晒されると言いたいのか。  タクトは精緻な刺繍の巾着を胸に抱え、盾にするように、ジリっと後退した。  ガレルの大きな身体が、タクトの逃げ場を塞ぐように影を落とす。  次の瞬間、思考よりも早く、タクトの全身を絡めとるような戦慄が湧き起こった。  大きな身体、麝香の匂い、張り詰めた熱――。それらにいい記憶などない。 「そうか。タクトも竜人なんだ。闘いたい、よな?」 「……っ……!」 (離れてください……!)  喉まで出かかった言葉を、タクトは懸命に飲み込んだ。ガレルが自分を慰めようとしていることなど分かっている。それでも、『ふたりきり、手を伸ばせば捕まる』その距離が、今のタクトには怖くてたまらなかった。  無性にジュリアンが恋しくなった。呼びたくなった。菓子の入った巾着をぐっと抱きしめた。  ――こんな時、いつもならジュリアンがどこからともなく現れてタクトのことを守ってくれたのに。  ガレルが息を飲み、後ろに飛び退いて、両手を上げた。全身のビロードのように美しく整えられた黒い毛がパヤパヤと逆立っている。 「タクトは至宝の宝だ。頼むからジュリアン様のそばに居てくれ。私達のためにも」  タクトもジュリアンのそばに居たくてたまらない。それができないからこうして苦しんでいる。 「………分かりました」  俯き、瞬きすれば雫が頬を伝ってこぼれ落ちた。 ◇  ジュリアンがタクトの救済に注いだ情熱は、まさに(つがい)に対するそれだった。  タクトの呪いを解くために、自身の魔力を分け与えるだけでは飽き足らず、彼は自身の権力と財力、さらには『フェルサン・レリクアリア』の秘匿された叡智(えいち)のすべてを総動員した。  一国を滅ぼせるほどの神話級の聖遺物(せいいぶつ)も、希少な霊薬(れいやく)も――タクトを蝕む呪いの鎖を断ち切れる可能性があるのなら、彼は迷いなく湯水のように投げ打った。  だが、大陸全土から集めた至宝を尽くしても、タクトの容態は好転と悪化という不自然な循環を繰り返していた。  まるで、底の抜けた器に終わりなき水を注ぎ続けるように、彼の献身は虚しく霧散していく。  それは、自分以外の誰にも触れさせず、タクトのすべてを清らかな聖域の中に守り抜くための、静かで逃れようのない作業だった。  彼にとっての愛の形は、タクトにとっては決して逃げ出すことのできない冷酷な(おり)でもあった。  それでもジュリアンは、己の全てを賭して解析を続けた。  その耐えがたい不安と焦燥の果てに、彼はようやく、ある決定的な「違和感」にたどり着く。  ――タクトの容態が急激に崩れる瞬間には、必ず「特定の引き金」が存在している。

ともだちにシェアしよう!