28 / 44

第28話

Ep.28 22 揺蕩う微熱 上  小鳥のうららかなさえずりが、静かに部屋の静寂を溶かしていく。  窓辺の薄絹の(とばり)を透かして差し込む朝の光は、白銀と黄金を混ぜ合わせたように清らかで、新緑を揺らす風はどこまでも爽やかだった。  世界が新しい一日の始まりを祝福する――そんな、あまりにも残酷で美しい朝だった。 「っ……あ、…………」  その光のなかに横たわるタクトは、爽快な目覚めとは程遠い、絶望的な激痛によって強制的に意識を覚醒させられていた。  悲鳴を上げることすら許されない。  目を開けた瞬間、視界がチカチカと白く明滅する。    全身の毛細血管に冷たいガラスの破片を流し込まれたかのような、あるいは(おぞ)ましい蜘蛛の群れに内側から血肉を喰い荒らされているかのような、凄絶な痛みが容赦なく彼を襲っていた。 (痛い……痛い、痛い……っ)  喉の奥で掠れたうめきを漏らしながら、タクトは寝返りを打つこともできず、ただ臥牀(ベッド)の上で指先を硬直させた。  襟元からは、服の上からでは見えないはずのおぞましい黒紫の呪怨が、逃げ場のない(もや)となって微かに立ち上り、朝の清らかな空気を汚していく。  魔王の呪いは、タクトの心の奥底にあるトラウマと同調し、彼が夜の間に無意識に抱いた寂しさや絶望を燃料にして、さらに深く魂の髄へと根を張っていた。  タクトは知らなかった。  身体の内側で、ジュリアンが与えてくれた『黒竜の鱗』が、タクトの命を維持しようと懸命に呪怨を抑え込んでいることを。  二つの強大な力がタクトの華奢な肉体を限界まで引っ張り合うため、相反する術式が衝突するたび、骨の芯が焼き尽くされるような熱い痛みが火花を散らしていた。 「は、ぁ……っ、うく……」  枕元には何か異変があれば吹くようにと言われて預かった小さな笛がある。  普段は首にかけてあるそれに手を伸ばしかけたタクトは涙で視界を滲ませながら、それを諦めた。 (まだ耐えられる。大丈夫だ)  自分で自分の身体をきつく抱きしめるようにして、小さく、小さく丸くなった。  寝汗で額に張り付いた髪を震わせ、浅い呼吸を繰り返す。  窓の外には、眩しいほどの青空が広がっている。こんなに素晴らしい朝なのに、どうして自分は生きているだけでこれほど苦しまなければならないのか。  その答えのない絶望が頭をよぎるたび、呪怨はさらに歓喜して彼の命を蝕んでいく。  助けを呼ぶことを諦めてしまえば、ただ一人。  世界の美しさから拒絶されたかのような孤独のなかで、タクトはシーツを血がにじむほど強く握りしめ、痛みが引き波のように去っていくのを耐え続けるしかなかった。 「タクト!」  突如、ジュリアンの放つ「白檀と氷麝(ひじゃく)」の香りがタクトを包み込み、額に張り付く汗をひやりとした手が拭った。 「無事だったか……」  その心地よさに、強張っていた身体がふわりと弛緩する。  悲しいことがあると呪いはタクトを蝕むが、ジュリアンに触れられれば、それは内側から解けていく。  ――好きだから、だろう。  こんなふうに身体を強く支えられて、心配されると、どうしたって嬉しくて、悲しい気持ちなんか吹っ飛んでしまうのは。  それでも決して、今までのようにジュリアンにしがみついてはいけないことくらい、タクトは学んでいた。  ジュリアンはそういったことを嫌う。それに、もしまたジュリアンに気まぐれに距離を置かれでもしたら……悲しくて、心が軋んで、耐えられなくなる。 「朝、姿が見えないと聞いて、……心臓が止まるかと。笛を持たせたのは、お前を縛るためではない。私が、一秒でも早く駆けつけるためだ。……なぜ、私に頼らない。なぜ、一人で苦しむ!?」  このくらい平気ですから。  そう言うとジュリアンは怒るような気がした。だから黙っていると抱き上げられ、ほんのりと甘く、ミントのように冷涼な香りのするシロップを与えられた。    喉を焼くような呪いの熱が、スーッと冷めていく。  ほっと息を吐けば、身体が静かに横たえられた。  ジュリアンの体温が離れたことで、寂しくて(まなじり)から涙がポロポロと溢れた。辛くて強がることもできない。 「タクト」  手巾で涙と額の汗を拭われ、頭を優しく撫でされた。 「汗が…可哀想に。じっとしていなさい」  上から一枚の大きな極薄の絹布をふわりと掛けられた。  肌を晒すことなく、素肌に直接触れることなく、手早く清拭され、柔らかい着物へと包み直された。

ともだちにシェアしよう!