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悪魔の惜しみ方、英雄の受け止め方
ばさばさ、と鳥の羽音が空に響く。次いで、ミズガルズの悲鳴が反響した。
「なんでこんなことになってんだよ!!」
――だよ!! だよ!! だよ!!
その声の大きさにシェリーはくふ、と笑いを零す。どうしてこうなったのかと説明するならば、遡ること一時間前――
◇◆◇
「今日こそてめぇを殺す、表出ろシェリー」
丁寧に靴を脱いで家に上がってきたミズガルズは、ナイフを突きつけシェリーに言い放った。それを大層愉快そうに見遣ったシェリーは、お茶を啜りながらぽんぽん、と床を叩き隣に座るよう促した。
「おやおや、元気だねェ。しかしきみのお師匠様は敵を殺すときに正面切って殺害宣言をしろと教えたのかな。それにきみ、今空腹だろう? ご飯でも食べて行ったらどうだい」
「だー気が抜けることすんな! 殺しに来たっつってんだろうが!!」
文句を言いつつも誘われたら断れないミズガルズは、すとんと座布団も何もない床に胡坐を掻いた。シェリーはそれに笑いを堪え、キッチンへと立ち上がる。
適当に余っていた食材をぶち込んだ薬膳粥を出せば、ミズガルズは必死に冷ましながらそれを口にする。相変わらずの猫舌である。
「くふ、本当にきみは警戒心がないねェ」
「はふ、ん、あ?」
「いやァ、普通の祓魔師ならば悪魔が出したものなど口にしないんじゃあないかい? 何が入っているのかも分からないのに」
「ん、っく。出されたもんは食うだろ、勿体ねぇし。それに、お前がオレを殺そうと思うなら、オレはとっくに死んでるだろ」
「うゥん、そう言うところだと思うんだけどねェ……」
一生懸命頬張っているミズガルズを微笑ましそうに眺めるシェリーは、多少の困惑を織り交ぜながらくふくふ笑う。
「まァいいか。それを食べ終わったら食後の運動に付き合ってあげるよ」
「てめぇも食うのかよ」
「悪いかい? 拙が作ったものだよ」
「ダメとは言ってねぇよ」
「くふ」
薬膳粥を食べ終わった後、ミズガルズの淹れたぬるいお茶を啜り、ようやく二人は外に出た。んー、と気持ちよさそうに伸びをするシェリーに向かって、ミズガルズはナイフを構える。
「言い残すことはあるか?」
「くふ、随分と調子に乗ったセリフだねェ。偶には叩きつぶしてあげようか」
その言葉を皮切りに、ミズガルズは地面を蹴った。構えたナイフを口に咥えると拳を握りシェリーの顔面目掛けて殴りかかる。それを指一本でいなし、シェリーはミズガルズの鳩尾に膝蹴りをかます。直前に後ろに飛びのいてダメージを軽減させたミズガルズは、ぐるんとバク転し体勢を整えた。
「くふふ! 愉しいねェ」
「相変わらずイカレてんな。まだまだこんなもんじゃねぇぞ」
ナイフを手に持ち直すと、また一直線にシェリーに向かっていく。そんなミズガルズを嘲笑うように迎え撃とうとしたシェリーは、視界がぐるんと回ってから足払いを掛けられたことに気が付いた。ピリッと首筋に痛みが走り、血が滴った。間髪入れず再び襲い来るナイフに、シェリーは小さく笑って地面に手を衝くと、両足でナイフを持つ手を挟んでぐん、と引っ張った。
「っ!!」
そしてそのまま遠心力を使って振り回すと、遠くへぶん投げた。
シェリーは大きな音を立てて地面を転がるミズガルズの元へ一歩で辿り着くと、くふ、と笑いを零した。
「腕を上げたんじゃあないかい、ルージー?」
「がっ、ぐ……」
ミズガルズの腹に足を置き、グッ、と力を籠めれば強く睨み付けられる視線にシェリーは愉悦を隠し切れない表情で口許に手を遣る。
「……どけ」
「くふ! どかしてごらん」
ミズガルズはぐぐぐ……と身体を震わせて上体を起こすと、シェリーの足を強く握り指を食い込ませる。シェリーは痛くも痒くもなさそうな顔で掴まれた足を持ち上げると、片足でバレエのようにくるりと回ると再びミズガルズをぶん投げた。
轟音と共にシェリーの小屋の壁にぶつかったミズガルズは、懲りずに立ち上がろうとして、くらりと立ち眩んだ。すると突然ぐわりと足元に真っ黒な穴が開き、今にもミズガルズを飲み込まんと大きく広がった。
バランスを崩して真っ直ぐその穴に落ちようとするミズガルズは、あ、これヤバいやつ、と本能的に察した。
「っミズガルズ!!」
穴に落ちるその刹那、慌てたようなシェリーの声が聞こえた、気がした。
そして今に至る――――
「んで、ここどこなんだよ。なんとなく分かるけども」
「ウン、魔界だねェ。拙も久々に来たよ」
「なんで突然オレは魔界に来ちまったんだよ」
「なんでだろうねェ」
のほほんとしたシェリーに、ミズガルズは溜息を吐く。一緒に悪態も吐いてしまいたい気持ちを堪え、辺りを見渡す。鬱蒼とした木々と、ぎゃあぎゃあと鳴く鳥のような何か達。ザ・魔界という雰囲気の空間にミズガルズは頭を抱えた。
「なんで祓魔師が魔界に来なきゃいけねぇんだよ……」
「くふふ! アウェーだねェ」
ようやくミズガルズが状況を受け入れたときには、シェリーは暇つぶしに作り出した毒草の花冠が完成しかけていた。
「はぁ……来ちまったもんはしょうがねぇ、んで、どうやって帰んだよ」
「どうやって帰ろうねェ」
「は?」
「まァまァ、折角来たんだし観光でもしていったらどうだい?」
「いや、今すぐにでも帰りたいが?」
「ここは魔界の中でも一番危ないと言われている森でねェ」
「話を聞け? いやつーかなんつーところにいんだよ!!」
まるで話を聞かないシェリーは、ぐいぐいとミズガルズの背を押して歩き始める。あれはどうだのこれはどうだのと丁寧に説明されるそのほとんどが人間には有害なものばかりで、ミズガルズは諦めから再び溜息を吐いた。
「さ、もう森の出口だよ」
「あん? 危ないとか言ってる割に何もなかったな」
「そりゃ当然、拙がいるからねェ。潜んでる魔物や悪魔たちだって、格上にわざわざ挑んでくるほどバカじゃあないさ」
「……そういえばお前、上級悪魔だったな」
「くふ! 魔界にいた頃は魔王様以外で拙に敵うものはいたりいなかったり……」
「どっちだよ」
森を出ればパッと視界が開き、少し向こうに集落のようなものが見えた。ミズガルズは物珍しさからきょろきょろと辺りを見渡した。
「あそこはなんもないよ。ただの下級悪魔たちの集落だねェ……そうだなァ、観光と言ったら何が良いだろうか、魔王城にでも行こうか」
「なんで祓魔師が敵の本丸に行くんだよ」
「まァまァそう言わず」
そう言うとシェリーはミズガルズを担ぎ上げ、ばさりと羽を展開して跳び上がった。ミズガルズの悲鳴にくふくふと笑いながらシェリーは数十分ほど飛び続け、魔王城が見えてきたあたりで降り立った。
「て、てめぇまじで……せめて覚悟する時間寄越せや……」
「くふふ!」
がくがくと震える足で地面に立つミズガルズは、遠くに見える悍ましい雰囲気を放つ魔王城に顔を顰めた。
「城のついでにこの辺りも散策していこうか」
「ここには何があんだよ」
「ここは昔拙が住んでいた家さ。結構広いだろう?」
「お前にしてはだいぶ綺麗にされてる家だな」
中に入りながら自慢げに説明するシェリーに、ミズガルズはふぅんと壁にかかっている不気味な絵画や変な置物などを眺める。しかしシェリーはそれに首を傾げた。
「おや……おかしいな、こんなものはなかったはず……」
不思議そうなシェリーに雲行きが怪しくなって来たぞ、とミズガルズが顔を引き攣らせた直後、奥の部屋から楽し気な笑い声が聞こえた。そこでようやくシェリーは合点がいったようにぽん、と拳を手に叩きつけた。
「どうやらもう他の誰かが住んでいたようだ」
「ってことは不法侵入じゃねぇか!!」
ミズガルズは声を押さえながら叫ぶという器用なことをし、二人はそそくさと家主にバレないように家から出た。
「つーかなんだよ他の奴が住んでたって、鳥の巣かよ」
「おや上手いことを言うねェ」
まったく、と外に出て一息つくミズガルズは、反省した様子のないシェリーにチョップをくらわせた。
「さて、気を取り直して城に行こうか」
「はぁ……つーか、魔王城っつったらそれこそ魔王住んでんじゃねぇのか? 勝手に入っていいのかよ」
「おや、知らないのかい? 魔王様は先代が御逝去されてから不在だよ。だから悪魔たちは徐々に衰退していってるのさ」
「いや初耳だな」
驚きから目を見開いたミズガルズは、トコトコと歩くシェリーの後ろをついていく。そしてシェリーの昔話が始まった。
「魔王様はとある病にかかってから数百年の生に終わりを迎えられてねェ。次代の魔王に拙が推薦されたんだけども、重圧が嫌で人間界に逃げ出したのさ」
「おい待て、とんでもねぇ情報出すな」
シェリーが魔王候補だった? しかもそれを突っぱねて人間界に来た? それほどの実力を持つ悪魔が人間界にいるのもまずいし、そんなのをこれまで相手していたという事実にミズガルズは頭を抱えたくなった。本当にオレはこいつを殺せるのか? という疑問が湧いてきたが、ぶんぶんと頭を振って誤魔化した。
「魔王の死因はなんだったんだよ」
「そうだねェ、一言でいうなら、愛、かな」
「はぁ?」
的を得ない言葉を放つシェリーに、ミズガルズは思いっきり首を傾げる。もう足は魔王城へと踏み入れていた。一番に辿り着いたのは簡素な、しかし女性らしさの残る部屋だった。
「ここはね、魔王様の妃様――きみの御先祖が暮らしていた部屋だよ」
「――は?」
衝撃の言葉にミズガルズの思考は停止する。どこか懐かし気な顔をしているシェリーの横顔を見て、嘘ではないことを確認する。様々な言葉が飛び出しそうな口を噤み、シェリーの次の言葉を待った。
「魔王様はねェ、人間に大層興味があったのさ。それこそ、愛してしまう程にね」
長話になるのだろう、シェリーはその辺の椅子に座りミズガルズにも座るように促した。
「ご自分で番となりたい人間を探して、それを連れてくるように拙にお命じになった。それが君の先祖だったのさ。拙は人間界に降りて、悪魔を従わせる指輪と引き換えに、そしてミッテルドルフ家にこれ以上手を出さないという契約の元、ヨハナ様を連れて行った」
「っ待て、情報量が多い」
「そうだろうねェ。……それから魔王様はヨハナ様を大層可愛がられて、ヨハナ様も魔王様を慕った。でも、人間の寿命は長くない。それでも人間にしては長く生きた方だろうねェ、百年とちょっとでヨハナ様は儚くなられた。まァ、魔王様が何かしら延命の処置を施していたんだろうけれども。それからの魔王様は長くなかった。大層心を痛められて、政務も手に付かない、抜け殻のような日々を送っていた。……だから、死にたいと仰られるのも仕方のないことだったんだろうねェ。拙はその願いを叶えて、魔王様を屠った。それから逃げたってオチさ」
「……なんでそれを今さらオレに話した」
「なんでだろうねェ。拙も魔界に来て、少し懐かしくなったのかもしれない」
どこか遠くを眺めるシェリーの横顔は、少しだけ寂しそうで。ミズガルズはやるせない気持ちになった。
「本当にずっと前から因縁があったんだな」
「そうだねェ。それから悪魔と人間の恋愛は禁忌になった。特にミッテルドルフの家系は悪魔を惑わす力があるとして、根絶やしにする案も出たんだけどねェ。拙が結んだ契約によってそれは叶わなかった。おかげでこうしてルージー、きみと会えた」
「……喜べばいいのか悲しめばいいのか分かんねぇな」
「くふ。昔話に花を咲かせてしまうのも老いの所為かねェ。さ、もうここは出ようか」
「次はどこ行くんだよ」
「せっかく城に来たんだし、玉座の間に行こうか。人間界とのゲートもあることだし」
「やっと帰れるのか……」
ミズガルズは後ろ髪を引かれる気持ちで部屋から出て、シェリーの後をついていった。
そして豪勢な装飾であしらわれた玉座の間の扉を開ける。カーペットはくすみ、天井には蜘蛛の巣が張り、玉座には小さなネズミが這っていた。
「ここもすっかり寂れたねェ……あまり楽しい観光にはならなかったかな、すまないねェ」
「別にそもそも観光しに来たわけじゃねぇし……」
「くふふ、それじゃあ帰ろうか、拙たちの家へ」
「てめぇの家な。一緒に住んだ覚えはねぇよ」
そう言いながらもミズガルズはシェリーの手を取り、ゲートをくぐった。
「っはー……空気が澄んでる……」
「くふふ、魔界は瘴気が濃いからねェ」
ぐーっと伸びをするミズガルズをシェリーは微笑まし気に眺める。魔界と人間界では時の流れが違う為、もう朝日が昇ろうとしていた。
「さ、気を付けてお帰り。あァ、このまま泊まっていっても構わないよ? 拙に犯されたいのならねェ」
「アホ言うな、今すぐ帰るわ」
ミズガルズはぴらぴらと後ろ手を振り、立ち去っていった。シェリーはがらんとした部屋に入り、ベッドに横になる。
「……寂しいねェ」
小さく漏れ出た独り言は誰にも拾われることなく、虚空に消えていった。
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