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01_逆らっちゃいけない人、逆らえない人

 うちの組織には『逆らっちゃいけない人』と『逆らえない人』が存在する。  前者は龍頭――組織のトップである『(ロン)さん』。  ロンさんはとてつもなく強くて、頭もキレて……そして前龍頭から今の地位を奪った、すごい人だ。  その反面、とても自由で、気まぐれで、己の道を阻む者を誰一人として許さない。  今日敵対する組織の頭を自らの手でカチ割ったかと思えば、翌日にはその組織の部下を気に入ったと言って飯を奢ったり、今日仲間に引き入れるよう指示された相手を、明日殺せと命じることもある。  誰かの下で命令されて生きる俺には到底できない、この世の全てを手に入れられそうなほどのすごい人。そんな人の組織に所属し、覇道を征く道を歩けるのなら、クソな親に捨てられて路地裏で惨めに生きていた人生も救われるような気がする。  ――生きていればの話だけれども。 「……で?」  豪奢なボスの来客用の一室で、俺は膝を折り、頭を垂れていた。質のいい絨毯だけが目の前に広がっている。  頭を上げることはできない状態だが、俺の頭の向こうには件のロンさんが椅子に足を組んで座り、こちらを見下ろしていることだろう。  そして目で見ずとも、声音から冷ややかな目線が向けられているのだと感じられる。  その気配だけで、俺はぶわっと冷や汗が噴出した。 「お仲間には『大したことないから大丈夫だ』なんて言ってたらしいな?」 「そ、それは……」 「いつもやってるシノギだから、ちょっとくらい目を離しても大丈夫だって?」  そんなこと、思ってもない……とは、正直いえなかった。  任された下っ端仕事がルーチン化してしまって、油断していたことは否めない。  そのせいで、組織から卸していた薬が横流しされて、中抜きされていることに気付かず。挙げ句、その売人にまで逃げられるなんて思いもしなかった。  それは、それなりの組織に入って仕事に慣れて、気が緩んでいた以外の何事でもない俺の過失だった。 「す、すみません龍頭! 中抜きされた金は、必ず取り返します」 「……」 「それで、その売人はこの手で押さえて――」 「……はぁぁぁ」  大きなため息だけで、歯が震えて身がすくむ。 「オレはな。別にちんけな金なんて、どーでもいいんだよ」  彼は『ちんけ』と呼ぶけれども、路地裏でホームレス同然に生きていた身からすれば、目が眩むほどの金額だ。それを一蹴できてしまうことが、彼の率いる組織の大きさを物語っていた。 「そんなことより、オレの組織がナメられたってことに腹立ってんだ。わかるか?」  トントンと、木製の何かを叩く音がする。  ロンさんが指先で、椅子の肘置きを叩いている音だと、現実逃避にそんなことを考える。 「てっきりこの辺りじゃ、天義会(ティエンイーフイ)の名前がオレに直結することはガキでも知ってると思ったんだけどな。久々にナメた真似されたってわけだ」  ぴりっと空気が冷える。カツンと床を蹴る音、その足音が近づいてくる音がする。 「オイ」  頭を垂れていた俺の首筋に、歯を食いしばるほどの衝撃がぶつかる。額が床にめり込んだ。  ロンさんが俺の首筋を踏みつけていることが分かったけれども、俺はその場をピクリとも動けなかった。  なぜなら、今俺を踏みつけている相手は――『逆らっちゃいけない人』だから。 「うちの組織はデカいからな。オレが片っ端から入ってくる人間を見て回ることなんてできねぇんだわ」 「は……はい」 「だからこそ、お前みたいなナメたガキが入ってイキがると、こうしてうちの組織の名に傷がつく」  ぐり、と固い靴が首後ろの大事な神経を圧迫する。  それでも、痛み以上に恐怖が降り注いでいるせいかドクドクと心臓のうるささの方が勝っていた。 「なぁ、お前もこの組織のことを知った上で入ってきたんだよな? なら、この先に起こることも分かるだろ?」 「ひッ……」  ケジメ、リンチ、拷問――そして、見せしめの死。  対岸の火事のように感じていた『死』が、すぐそこまで迫っていた。頭は回らない。 「さぁ、どうオレの溜飲を下げてくれんだよ?なぁ?」  喉がひきつる。誰だ、大きな組織の道を歩けば何かが成せると考えた勘違い野郎は。  やらかして死んでいった奴を何人も視界の端に捉えていたのに、知らないフリをしていた末路がこれか。  当然、誰も助けてはくれない。ここにいるのは、この組織で最も『逆らっちゃいけない人』なんだから。 「……ロン」  それは不意に。  ひりついた空気の中に、落ち着いた凛とした声が響く。  誰も動けず、恐怖に凪いでいた水面に、一滴の雫が落とされたように思えた。 「……(ユエン)。男娼の分際で、“また”口出しするつもりか?」  首筋を痛めつけていた靴が離れると、額も床から浮き、ロンさんの足先が視界に入る。  その足先が後ろを向いていたため、俺は思わず顔を上げてそちらを見た。  ロンさんが座っていたであろう豪華な椅子の肘置きに、一人の男性が座っている。  胸元と脇がぱっかりと開き、丈の短いチャイナ服を纏った男――ロンさんの男娼である、ユエンさんだった。  群青色の少しはねっけのある短い柔らかな髪と、ラズベリー色の瞳。静かに真横に引き結ばれた唇は、彼が何にも動揺せず冷静であることを教えてくれる。  ――この組織で、一部の組員が『逆らえない人』。  力があるわけでも賢いわけでもない。ただロンさんに抱かれるだけの男娼にもかかわらず、本部末端の組員の一部は彼にそういった印象を持っている。 「口出しはしていない。ただ、今『そういう気分』になったから、呼んだだけだ」 「へぇ、お前の『そういう気分』は、オレが部下にキレてる時によく起きるな。……なぁ?」  ちらりとロンさんの鋭いまなざしがこちらへ向けられる。  空色と肉のようなピンク。異色すぎるオッドアイが、不気味にこちらを貫いた。  黒に赤いメッシュの入った髪を緩く後ろに結び、片目に大きな火傷を負っているボスの顔。それがこちらに向けられていることに、俺は慌てて再び額を床にこすりつけた。  靴音とは対照的な、ひたりと素肌が床を撫でる音がする。 「……ヒリついている時のお前の空気が、俺をそうさせるんだろう」  俺の前に未だ存在する靴の傍に、なまめかしい白い素足が並ぶ。 「オレは、そういう気分じゃねぇんだけど」 「……俺は、そういう気分なんだ」  わずかな衣擦れと共に、ちゅっ、とリップ音がする。  それはだんだん粘り気のある水音に変わり、ユエンさんの吐息と混じってなまめかしい音をあたりに響かせた。素足の踵が少し浮き、彼がロンさんに向かって背を伸ばしているのだと知らせてくる。 「ん……ふ、ぅ……はぁ……」 「……はっ」  この場に不釣り合いで異質な音が響いて、土下座している俺も、その周りにいる他の連中もどうしたらいいかわからず動けない。  ただ、先ほどの緊張とは違う熱が胸奥に宿っていることは確かだった。  ごくりとつばを飲む音も聞こえて、俺以外の人間も同じ印象を受けているのだと感じ取れる。 「……ユエン、キスで煽んの上手くなったな。全然伸びしろなかった癖に」 「お前がさっさと挿れるから、練習する機会がなかっただけだ」 「ハッ! 男娼のくせに、キスの練習? 今日一番面白いわ、その冗談」  ロンさんの声からは、明らかに機嫌が直っていることが伝わってくる。  それでも、指示があるまで顔を上げることができない立場には変わりない。 「おい、そこの這いつくばってるお前。顔上げろ」  考えた矢先にそう言われ、俺は恐る恐る顔を上げた。  ロンさんはユエンさんの肩を抱いて、半ば寄りかかりながら俺を見下ろしていた。 「娼夫のおかげで命拾いしたな。恥ずかしい奴」 「っ……ありがとう、ございます……」  俺は再び、額を床にこすりつけた。  今度はすぐさま「もう土下座すんな面倒くせぇ」と聞こえて、俺は顔を上げて立ち上がる。  部屋にある鏡越しに、後ろにいる見知った仲間が胸をなでおろしているのが分かった。 「金はどうでもいいが、売人は必ず見つけろ。そんで生かして連れてこい。拷問でもなんでもして、関係者全員つるし上げる」 「は、はい!」  ロンさんは、顎をくいと動かして俺に行けと示す。 「ユエン、お前は居残り」  そう言って、肩を抱いていた手でユエンさんの脇から腰にかけての肌を、ゆるりと撫でた。 「っ、ロン……」  わずかに瞳を揺らしたユエンさんが、目を伏せながら俺を一瞥する。  怒りを買う前に行け。そんな風に言われている気がして慌てて駆け出すも、艶めかしい流し目に、さっきと違う意味でドキドキと胸がうるさくなっていた。    *  あちこちを走り回り――すっかり陽が落ちた、夜。 「はぁ……終わった……」  ロンさんの機嫌を損ねないようにと、売人の捜索は上の人間も交えて盛大に行われた。  捕まった売人と、中抜きを指示したであろう犯罪組織の一味は明日、ロンさん直々の手で地獄のような拷問を受けることになるだろう。  そうして関係者全員が芋づる式に捕まって、また天義会(ティエンイーフイ)の名が轟くことになる。 (散々な目にあったな……)  ロンさんに詰められた後、上司にはブチ切れられ、同僚たちからは巻き込むなとリンチにされかけ、そして休む間もないまま、誰もが恐れる本部の夜警を押し付けられた。  上司曰く、やらかした部下がその後にしっかり気を引き締めるように、ロンさんが住まう本部の警護をさせるのは通例なのだという。機嫌を損なえば生きて帰れないのだから、引き締まらざるを得ないのだろう。 (もうこんな目に遭うのは勘弁だ……)  表の人間のように、真面目に職務を全うすることを改めて誓いながら、渡り廊下を歩いていたその時――。 「あっ、ん……は、ぁ……っ」 「!」  水音と共に、明らかな喘ぎ声が微かに聞こえてきた。  甘さを孕んではいるものの、それは女性よりも低い声色。 (昼に聞いた……ユエンさん?) 「ロンっ! イクッ、あっ、あっ、アッ……クッ……!」  情事の最中であることがわかる切羽詰まった声に、昼に感じた熱が胸に再び火を灯す。 (ちょっとだけ。ちょっと見るだけだから……)  淫らな声に引き寄せられるように、俺は歩き出してしまった。  戻れない闇に向かっているとも知らずに――。

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