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26_暁の金絲雀は、今日も鳴く(終)

 見慣れた東棟の窓枠が、凪いだ月夜を美しく切り取っている。  一切の灯りを落としたこともあり、窓から入る月明りだけが小さな部屋を照らす光だった。  じっと空を見ていると、月にかかる雲がゆっくりと動いているさまがわかる。俺はそれを見て、待ちわびている人物を思い浮かべた。 「……ユン」  思わずその名前が口を突いて出た。  最近知ったばかりの彼の名前。今まで違う名前で呼んでいたというのに、その響きは驚くほどしっくり来ていた。雲の名前を呼んで、つかみどころのない男を掴もうとする。馬鹿げた話だ。 「早く、来い」  今まではただ『仕事』の時を静かに待っていただけなのに、待ちきれなくなっている。  じくじくと胸が痛み、静かに待つことすら苦痛に感じる。それは、ただ単に彼に焦がれるのとは別の感情だった。 「――娼夫が“来い”なんて、偉くなったな」  ふと、窓の外から声がした。  目を瞬かせると、見上げていた夜空に影が差した。その影は月を隠すように屋根の縁から現れ、窓枠を踏んでから身軽に室内へと着地する。 「……どこから入って来てるんだ」 「見てわかんねーのかよ。屋根から」  ユンは悪びれた様子もなく、そう言って笑った。  元暗殺者ということもあってか、雲という名が体を表しているのか。大規模なマフィアのボスが到底やることではない登場に、驚きよりも呆れが勝つ。それと同時に、他の組員には見せることのない悪童な様子に、ほんの少しだけ優越感もあった。 「で? そんなに俺が欲しかったのか、フェイ」 「……ああ」  そう、ユンに抱かれたかった。願望を見透かされて肯定すれば、ユンは目を丸くする。  不思議そうに見られながらも、俺はユンの服の裾を掴んだ。 「お前にぐちゃぐちゃに抱かれたい。何もかも忘れるくらい、馬鹿になりたいんだ」  そう言って、空いている手を自分の胸に当てる。どくどくと、心臓が音を立てている。  それは生を実感するための肯定的な理由ではなく、未だ忘れられない罪悪感に心がざわつく音。  俺の言葉に何かを察し、ユンはおかしそうに笑った。 「へぇ。あいつのこと、気に病んでんのか」 「…………ああ」  否定しても意味がないと、俺は静かにうなずいた。  ――シァミンは、もうこの世界にいない。  それは、彼が生きている世界とは違う場所の、踏んではいけない虎の尾を踏んだから。深い闇の底を知らないまま、足を踏み入れてしまったから。  そして、そんな彼が死に沈んでいった原因を作ったのは――俺だ。  何も知らない人間を引きずり込んで、突き離さなかったせいで誘い込んで、そして最後には――俺はユンを選んで、シァミンを引き渡した。 「俺が、殺した」  直接手を下したわけじゃない。それでも、一日に何度も手を洗ってしまう。  胸が痛み、吐き気を催して――いついかなる時も、その事実が心にのしかかっている。  忘れてはいけない。わかっているし、忘れる気もない。それでも、逃避したくなる。そんな風に感じたのは初めてだった。そしてそれが叶う方法は、俺にとってたった一つだった。  抱かれて、ぐちゃぐちゃになって、忘れたい。一刻だけでも。 「そうだ、お前が殺した」  ユンは短くそう言った。また、その事実が俺の心にのしかかる。  彼の声は笑っていない。俺が胸に当てていた手を掴んで、引き剥がす。  そうして、俺の胸に刻まれている刺青を月明りの下に晒した。 「俺のために、お前が自らの意思で殺した。いいじゃねぇか」  彼のおかしそうな声音に、俺は理解できずユンの顔を見上げた。声音の通り、彼は笑っている。 「お前はオレの物で、オレのためにやった。一生忘れられないことを、オレのためにやってのけた。気分がいいな」 「ユン……」 「あーでも、あの優男のことも一生忘れられないってのは、なんか腹立つな」  そう言って、ユンは空いていた方の手で俺の身体を抱き寄せた。  抱き寄せた手がするりと俺の腰を這って尻までたどり着き、後孔をカリカリとひっかく。 「っ、ん……」 「どうせ準備、できてんだろ? オレの男娼は優秀だからな」 「でき、てる……はぁ……」  俺は自分の手で、自分の尻たぶを掴む。ユンが弄りやすいように左右に広げれば、彼の指の先端がショーツを巻き込んで少しだけ穴に入り込み、ぞくりと腰が揺れた。 「もう、ほぐしてある……お前が、早く欲しくて」 「ハハッ、最高。お前はよくわかってるよ。なら、この後のセリフも……わかるよな?」  ユンは俺のショーツを留めていた腰ひもをほどいた。するりと衣擦れの音がして、薄っぺらい布が床に落ちる。  俺は窓枠に手を付け、ユンの方に腰を突き出した。 「俺を使って。失神するくらい、ぐちゃぐちゃにして……お前でいっぱいにしてくれ」  待ちわびてひくつく後孔を指で割り開いて見せつければ、ユンの口がわかりやすく歪んだ。  大きな片手が俺の腰を掴み、もう片方の手はその入り口に俺の求めるモノを押し当てる。 「正解」  ぬち、と入り口が押し広げられる。柔壁の皺を伸ばすように、大きなものが俺を満たしていた。  腰から頭にかけて、緩い電撃のようなものが走り抜ける。 「あ、あぁ……ん、ユン……も、っと……」 「言葉にしなくとも、お前のナカが言ってるわ。どんどん奥に誘われる」 「ぅ、あ……おおき、い……」  何度も何度も受け止めてきたものなのに、今日はひときわ大きく感じる。  それだけユンが俺に興奮しているのだと実感できて、腹の奥がきゅうきゅうと喜びを訴え始めた。  腹の圧迫感がどんどんとせり上がってきて、一番奥までたどり着く。 「は、ぁ……ん……」 「すげぇ奥まで入ってる。わかるか?」  足がガクガクと震える中、窓枠についていた片手で腹のあたりに触れてみる。  当然、ユンのモノを直接手で感じることはできない。けれども、腹の奥でそれに圧迫される感覚は確かに存在していた。 「わか、る……お前のが、いっぱいだ……」  生まれてからずっと味わってきた感覚なのに、最近は特にその感覚を顕著に感じる。  亀頭が奥を突く感触、ユンのカタチと熱、身体中を巡る甘い痺れと、多幸感。  自分から必要に迫られたことなんてなかったのに、今はとびきり――ユンが欲しくてたまらない。 「ユン……」 「あーはいはい。オレのことで馬鹿になりたいんだったな」  ずる、と奥まであったものが入り口まで引きずり出される。それだけで腰が抜けそうになるが――。  すぐさま、それは俺のナカを擦って奥まで戻って来た。じん、と頭が衝撃で痺れる。 「あぐっ! ぁ、う……」 「あんますぐトぶなよ。オレがイク前に失神したら許さねぇからな!」 「あっ! あッ、ひっ、あん! ひぐ、うっ、んッ」  腰を強く掴まれ、いつものようにユンは好き勝手に出し入れし始める。  こっちのことをお構いなしに腰を振るくせに、突いている場所は的確で。ぎゅうぎゅうと後ろの孔が痙攣を繰り返す。がくがくと足も手も震えて、必死に窓枠にしがみつく。 「あんっ、ユン、ユンッ! あっ、んぁ、も、っと!」 「ハッ。そんなこと言ってられんのも、今のうちだッ!」 「ひぐっ、あ、あ……ッ! おく、ぅ、んぁ、あッ」  ユンに好き勝手身体を揺さぶられ、気持ちよさに思考が鈍る。  感じていた心の重さも、鈍い痛みも上塗りされて、知らないどこかにとんでいく。何度も何度も、何度もつながりあって、そこから潤滑油と先走りがまじりあって、泡立って、ばたばたと床に零れては水たまりを作っていく。  自分でも、なんて言葉を発しているかもわからなくなりそうだ。でもそんなこと、どうでもいい。  今、世界にあるのは――ユンと俺。  必要とされている充足感と、繋がりを離したくないと思う気持ち。  その想いを、なんて表せばいいのだろう。 「フェイ。まずは一発、味わえよ!」 「あッ、あんっ、ユン! アッ、出して、はぁっ、俺のナカに、ッ!」  ユンがとびきり強く俺の腰を抱え込む。その先端が、普段入り込まない場所をこじ開ける。 「ぁ、あ…――ッ!」  強い衝撃と耳鳴りに襲われて、体中が硬直した。  骨を伝って、身体の奥にユンのものが吐き出される。俺がユンで満たされる。  そう、きっとこれが『幸せ』というのだろう。   * 「はーッ、はーッ……」 「さすがに疲れたわ。ちょっと休憩な」  もう数えるのすら億劫になるほどの、何度目かの絶頂の後。  俺は指一つ動かせず、広いベッドで身体を投げ出していた。  つい先ほどまでユンに担がれていた片足は、がくがくと未だ震えている。 「ははっ、ピロートークなんてできそうにねぇな」 「おまえの、せいだろう……」 「抱きつぶせっつったのはお前だろ。お望みどおりにしてやったまでだ」  ユンは何度も射精したとは思えないほど元気に、ベッドの傍にあるサイドテーブルに置かれていたペットボトルの水を手に取る。それを飲みながら、荒い息を吐き出す俺を見下ろしていた。 「忘れられたか? あの優男のことなんてよ」 「……全部は、無理だ」 「だろうな。お前、変な方向にクソ真面目だしな」 「……こんな後悔、お前の男娼としてふさわしくない」  天義会の龍頭に相応しい男娼であるのなら、このくらいで動揺してたらきりがない。  そう思ってぼやくと、ユンは小さく笑っただけだった。 「こんなド淫乱で、オレの都合のいいように動く癖に?」 「……それは、お前の男娼なら最低限だろう」 「なんでお前が、当人のオレよりハードル高くしてんだよ。これだから学のない奴は」 「学がないからこそ、どうすべきか……いつだって、お前のことを考えているんだ」  嘲られたが、学がないのは事実なので特に怒りはわかない。  無いからこそ、無いなりにユンの男娼としてどうすべきかを毎日密かに考えている。  そう訴えて、その延長でまた考え始めると――頭を冷やせと言わんばかりに、俺の頭の上にペットボトルの底を当てられる。 「フェイ、お前はもっとオレの男娼として自信持っとけ。お前は極上の娼夫だ」 「っ、なんだ、いきなり……」  唐突に持ち上げられ、動揺に思わず言葉が詰まる。 「前にお前が使えない時あったろ。あん時に呼んだ娼婦、ダメで速攻追い返したんだよ」 「……俺が熱を出した時か?」 「そ。身体だけで言えば極上の娼婦だったけどな。……けど、全然足りないわ」 「……?」 「わかんねぇか? お前の方がエロくて、オレを発散させるって話。一番ヌケんだよ、フェイが」 「えっ……」  表情は不愛想で、身体は貧相で、喘ぎ声くらいしか褒められたことがない。  申し訳程度に露出の高い服を着ていても、娼館では「見てくれだけだ」と誹られていた。  だからか――ユンの言葉に、やけに頬が熱くなっていた。 (俺が……一番、興奮するのか?)  その意味がちゃんと理解できず、ただ言葉だけが頭の中を反響する。  求められたい人物に求められる事実。そのことに、最初とは違う意味で鼓動がうるさい。 「……そう思うとお前、全然『廃棄物』じゃねぇな」  『廢(フェイ)』の名の由来――久々に聞いたその言葉は、既に俺の心を痛める物ではなくなっていた。  ユンはベッドサイドに手を伸ばし、そこに置かれていたメモとペンを手に取った。さらさらと何かを書いていく。 「ほらよ」  そうして一枚の紙を向けられる。  俺は、腕に力を込めて上体だけ起こすと、その紙を受け取った。  手渡された紙には『暉』と書いてあった。 「……これは?」 「お前にやる。暉(フェイ)、今日からそれがお前の名前」 「この字は……どういう意味だ?」 「教えねぇよ。学がないせいで変なこと考えてるんだ、なら調べついでに学を身につけろ」  悔しいが、意味は分からない。ただ、美しい字だと思った。  何よりも、ユンにとっての俺が廃棄物ではないということがたまらない気持ちにさせる。  満たされているはずの下半身が、またずくりと疼き始める。 「勃起してんじゃねぇか。お前」  そうユンに指摘され、俺は自分のモノが元気になっていることに気付いた。  ついさっきまで散々抱かれて吐き出して、すっかり萎れていたはずなのに。 「仕方ないだろう。俺はお前の男娼だから……何度だって、欲しくなるんだ」  俺は困ったような笑みがこぼれるのを感じながら、ユンに手を伸ばした。  その首に手を絡めて、顔を近づける。 「散々な抱かれ方して、文字一つで勃起して……お前、やっぱ頭おかしいわ」 「お前にだけは言われたくない」  軽口を叩きながらも、俺たちは口づけを交わす。  恋人がするような可愛らしいものじゃなく、これからの行為を象徴するような、性欲にまみれた、深くて淫靡なキス。きっとこの後にも、すぐ今日何度目かの『仕事』が始まる。  嫌がっても失神しても、きっとユンの気が済むまで喘がされて、啼(な)かされる。  でも、それでもいい。俺は望んでここで啼(な)く。  罪悪感に苛まれても、血に塗れても、人の屍の上に立つことになっても。ここが俺の居場所だから。  自ら選んで、俺は龍の傍で――啼(な)き続ける。

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