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第19話 過去と向き合う
翌々日の昼休み。
レンはひと気のない校舎裏で、小型海獣人と向き合っていた。
アクアから流れる血を見て、この世界はゲームではないのだと改めて思い知ったレンは、ダンジョンから帰還してすぐに決意を固めていた。
自分が――レン・ホワイトファングが今までしてきたことに、向き合わなければならない。
びくびくとこちらを見上げてくる生徒に、レンは一歩近づく。
「ひ、ひぃ――」
「悪かった」
目をぎゅっとつむって身を縮こませた生徒が、レンの言葉に目を困惑しながら顔を上げた。
目の前には、銀髪。
つむじが見える。
頭を下げているレンに、小型海獣人は、いったい何が起こっているのか、一瞬理解できなかったようだった。
「……え?」
レンは頭を下げたまま、もう一度はっきりと言った。
「噛んで、悪かった。……もう二度としねえ」
目の前の生徒は、レンが優太としての記憶を取り戻す以前に、気に入ってたまに噛んでいた生徒だった。
大きくて丸い目を潤ませながら、イワシの海獣人は戸惑ったように何度も瞬きをする。
「許してもらえるとは思ってねえ。だけど、謝らせてくれ」
「れ、レンさん……」
「痛い」「やめて」と言われても、肩や首に歯を突き立てて愉 しんでいた。
回復魔法をかければ傷は治る。
でも、心の傷はそんなに簡単には治らない。
レンは、ぐっと拳を握りしめた。
記憶が戻った時点で、すぐにこうするべきだった。
「……顔、上げてください」
「……」
レンはゆっくりと顔を上げた。
小柄なその生徒を見下ろすと、その生徒もレンを見上げる。目が合うと、その大きな目が揺れた。そしてふと目を伏せる。
「……た、確かに、すごい痛かったし、怖かったです」
イワシ獣人は、ぽつりとつぶやいた。
そして、再び顔を上げる。
「でも……」
イワシ獣人は細い手でぎゅっと自分の胸元をつかむ。
「……正直、僕たちみたいな小魚って、こういうこと自体、珍しいことじゃないんです。中型以上の人たちにいじめられたり、おもちゃにされたりするので」
そう言って唇を噛むイワシ獣人に、レンはぐっと喉がつまるような気持ちになる。
自嘲するように諦め顔をする目の前の生徒と、過去の記憶の中の自分が重なる。
レンはうつむいた。
「……レンさんに噛まれるのは、痛かったけど……。でも、僕を含めてレンさんに噛まれた子たちって、その後誰からもいじめられなくなるんです」
イワシ獣人はぎゅっと胸元を強く握り、複雑そうな表情をしている。
「レンさん、僕たちがいじめられそうになってると、『俺の獲物に手出すな』って蹴散らしてくれてたでしょう?」
たしかに、そんなことをしていた気もする。
だけど、それは決して彼らのことを思っていた訳ではない。
ただ、文字通り自分の獲物に手を出されることに腹が立っていただけだ。
「別に、善意じゃないのはわかってます。噛まれるのは痛いし、すごく怖い。……でも、それでも僕たちみたいなのは助かってた面もあるんです」
「……」
「……だからって、噛まれたい訳じゃないし、今すぐ許せるかって言ったら……わかりません」
レンはぐっと奥歯を噛んだ。
「……本当に、悪かった」
「……でも、謝ってくれて、ありがとうございました」
「……」
レンが何も言えないでいると、イワシ獣人は小さくため息を吐いて、踵を返そうとする。
「シオン」
口に出してから、レンは気づいた。
初めて、彼の名前を呼んだかもしれない。
踵を返しかけた生徒が足を止める。
大きな目が見開かれた。
「……僕の名前、知ってたんですね」
驚いたようにレンを見つめる。
そして、ふっと一瞬だけかすかに口角を上げた。
「……失礼します」
レンは、シオンが去っていくまで頭を下げ続けた。
レンはその後も、噛んでいた被害者たちに謝罪の行脚 をした。
許してくれる者、怯えてすぐに逃げる者、涙を流す者など様々だったが、レンは全てを受け入れるつもりだった。
最後の一人への謝罪を終えた頃には、日は少し傾き始めていた。
中庭の芝生に腰を下ろし、ぼんやり空を見上げる。
ふと、影が差した。
「レン」
オルキウスだった。
「……オル」
「終わったのか?」
「……知ってんのか?」
オルキウスはくっくっと低く笑いながらレンの隣に腰掛けた。
「知ってるも何も、学園中その話で持ちきりだぞ。『暴れ鮫が急にしおらしく謝り始めた』ってな」
「……」
レンは体育座りをして、うつむいた。
子供のようなその姿にオルキウスは目元を緩ませて、肩に手を置く。
「ちゃんと向き合ったんだな」
「……当たり前のことだし」
レンは口の中でもごもごと言う。
途端にオルキウスにぐしゃぐしゃと頭をかき混ぜられて、小さく悲鳴を上げる。
「わっ! なっ……やめろよっ」
「お前は見てて本当に飽きないな」
レンははっと顔を上げて乱れた銀髪の隙間からオルキウスを見た。
その顔は優しくて、なぜか胸の奥が静かに波打つ。
「泳ぐか」
そう言うオルキウスに、レンはとっさに返事ができなかった。
ただ、こくりと頷く。
夕焼けに染まる金の瞳が、満足そうに細められた。
その後、レンはオルキウスと二人でひと気のない入り江に向かった。
先に海に入ったオルキウスが、レンを振り返る。
夕焼けに照らされる、水に濡れたオルキウス。
水が滴り、息をするたびに逞しい胸がわずかに上下している。
いつもならオルキウスと泳げることを無邪気に喜んでいた。
でも、今はうまくオルキウスの方を見ることができない。
目が合うと、なぜか不自然に逸らしてしまう。
不意に、オルキウスが海獣化しようとしているのが見えた。
「も、もうシャチになんのか?」
「……? ああ」
言ってから、あれ、と首を傾げた。
なぜ、シャチの姿になることを一瞬でも惜しいと感じたんだろう。
「……ならない方が良いか?」
「い、いや! そんなことねえよ! シャチ……シャチが見てえ!」
「……ふっ。そうだな」
オルキウスが小さく笑う。
その笑みに、また胸が苦しくなる。
オルキウスが視界の端で海獣化していく。だけど、レンの意識はすでにそこになかった。
(なんだ、これ……)
うつむく。
赤い海面はゆらゆらと動いている。
寄せては返す夕方の波のように、レンの心も落ち着きなく揺れていた。
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