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第33話 災厄との対峙
レンを先頭に、海の軍勢はゆっくりと進軍を始めた。
巨大なホホジロザメとなったレンの後ろには、何百、何千という大型海獣と騎士たちが続く。海を切る水音だけが響いていた。
やがて、レンはゆっくりと速度を落とした。
海獣化を解いてすばやく戦闘形態になり、辺りを見回す。
――何か、変だ。
後方の軍勢も、レンに合わせて次々と停止していく。
「……レン?」
オルキウスが声をかける。レンは答えず、前方を見据えた。
ゲームでは、この辺りでリヴァイアサンが姿を現すはずだった。
だけど、何もいない。
じっと辺りを見回しても、海底には黒い岩盤が広がっているだけだ。
静かすぎる。魚一匹いない。海流すら止まっていた。
魔力の気配はある。もう姿が見えていないとおかしい。
レンは目を細めた。
(……どこだ)
その時だった。
ごぅ……と、海全体が低く唸った。
ざわり、と海流が乱れる。
「……何だ?」
兵士の一人が呟く。
海底から、どくん、と心臓が脈打つような振動が伝わってきた。
――どくん。どくん。どくん。
そのたびに海水が震え、砂が舞い上がる。
レンは息を飲んだ。
(来る……!)
視線の先。
海底の岩盤が盛り上がる。
いや、違う。
岩盤そのものが動いている。
海底だと思っていたもの。
――それは、一匹の生き物の胴体だった。
「う、動いてる……」
誰かの震えた声が漏れ聞こえる。
次の瞬間。
――ぎょろり。
闇の中で、禍々しい赤黒い瞳が一対、開いた。
(は……?)
ゆっくりと頭をもたげ、怪物が目の前にそびえる。
海中から陽の光が消え、影がかかった。
瞳だけで、城ほどもある。
その視線がゆっくりと軍勢をなぞり、じっと見下ろす。
ぞくり、と全身の血が凍りついた。
体をくねらせるたび、海そのものが揺れる。
その巨体は、頭が現れてなお終わらない。
胴が続く。さらに続く。どこまでが体なのかわからない。
「……嘘だろ」
誰かが掠れた声で呟いた。
(こんなの……ありえねぇ。こんな……)
視界を覆い尽くす胴体。その胴体がゆっくりと波打ち、鱗がきらきらと光を反射する。鱗一枚がレンよりも大きい。
(――こんな、山みてえのが、生き物だと……!?)
ゲームの画面じゃ、こんなのは分からなかった。
押しつぶされるような、力のプレッシャー。
ぎょろりとその目が動き、レンを捉える。
その瞬間。
――ぞわり。
背筋が凍った。
目の前にいるのは、生き物ではない。
〝災害〟だ。
鎌首をもたげて、リヴァイアサンはレンを見る。
――死。
ぞわりと黒い影のようなものが背中にまとわりつき、足がすくむ。
黒い影のようなものは恐怖だと遅れて気がついた。
(ああ……そうか……)
虫ケラのように倒してきたモンスターたちが、レンをどんな目で見ていたのか。
今、わかった。
……わかってしまった。
リヴァイアサンが大きく口を開ける。びっしりと黒い口の中に並んだ牙たち。まるで全てを飲み込む深淵そのものだ。
そして、口の中でばち、ばち、と音を立てて赤黒い光の球体が形成され始めた。
レンの赤い瞳に、どんどん膨らむどす黒いエネルギーの塊が映る。
「――レン!」
自分を呼ぶ声がした。
次の瞬間、赤黒い巨大な光が迫っていた。
――あ。
全身へものすごい衝撃が走る。
目の前が真っ白になって、体がちぎれそうな圧がかかる。
――ドオオォン!
気がついたら、レンは岩山へ体を叩きつけられていた。
「……がはっ!」
凄まじい痛みに、意識が遠のきかける。
まるで全身がバラバラに砕け散ったようだ。
やがて、海中を舞っていた砂煙が晴れる。
そこには、血まみれでぐったりと岩山にめり込んだレンの姿があった。
がくりと項垂れる姿に、起き上がる気配はない。
しんと海が静まり返った。
やがて、ぽつりと誰かがつぶやく。
「特記戦力が……一撃で……」
とたんに王国軍にどよめきが広がる。
そんな中、レンのもとへ飛び込んでくる者たちがいた。
「レン! レン! 大丈夫!?」
「今回復するから……っ!」
フィンとルカだった。
ぼう、とやわらかな光がレンを包み込んで、少し息がしやすくなる。
「出血がひどい……!」
ルカが涙声を上げる。
「アルシオンの防御壁がなかったら……」
信じられないようにフィンが呟き、レンを岩山から引き上げる。
(ああ……アルシオンの、防御壁があったのか……)
そんなことを思い出した。
……でも、このありさまか。
(何が……俺が倒す、だ……)
一撃でやられてしまった。
立ち上がるのすら、自力では困難だ。
遠くでその様子を見ていたアルシオンは、巨大な防御壁を展開して軍の護りを固めながら、ぐっと顔を歪めた。
――レンが、一撃でやられた。
想定外だった。
いや、レンは強い。それは変わらない。
アルシオンは生き物なのか山なのかわからない、目の前の怪物を見つめる。
――レンは弱くない。……こいつが、規格外なんだ。
そして、ふと気がついた。
あの時、リヴァイアサンの赤黒く光る魔力の球体が、とてつもない速さでレンに放たれ、そしてレンは倒されてしまった。
……しかし、その軌道が直前でわずかに逸れたような気がする。
アルシオンは最前線に立つオルキウスを見つめた。
(……まさか、な)
あの攻撃を見切ってあまつさえ弾けるなど、ありえない。
レンは、朦朧とした意識の中で、こちらに向かってくる姿をぼんやりと見つめた。
「……レン」
低く、穏やかな声が聞こえる。
そっと抱き上げられた。
「ひとまず、ここから離れるぞ」
ふわりとどこかへ運ばれる。
そうしている間に、リヴァイアサンが再び動き始める。
海水が渦巻き、激流が起こる。
魔力の激しいぶつかり合いが始まった。
あちこちで光が弾け、凄まじい轟音が轟く。
「ぐああっ」
「ぎゃあ!」
しかし、リヴァイアサンはやはり圧倒的で、味方たちは悲鳴を上げながら次々に倒れていく。
(行か、ないと……)
回復魔法を受けてもレンの傷は深く、血が止まらない。
岩から突き出ていた突起が鎧を突き破り、脇腹が貫かれていたようだ。
(はは、マジかよ……。最強防具だぞ……)
胸の奥が変にざわつく。
どくん。
どくん。
血が流れていく。
初めての敗北。
――初めての、死の危機。
(こんなの……無理だ……勝てねえ……)
薄れゆく意識の中。
頭の隅で、何かが囁いた。赤い目がまぶたの裏に閃く。
――神殿へ向かえ。
レンは、震える口を開いた。
「神殿に……連れて行って……くれ……」
オルキウスがはっと息を飲む。そして、静かに頷いた。
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