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第43話 シャチの恋1

 ノワールヴル公爵家の次男として生まれたオルキウスは、昔から天才だと崇められた。  学業、身体能力、魔力、属性。全てにおいて他者より秀でていた。  そして、一族に稀に生まれる金の瞳を持っていた。  金の瞳を持つ者は読心術を持つといわれ、一族では特別視されている。  オルキウスは三歳で海獣化してから、シャチの名門のノワールヴル家の次期当主として据えられてきた。  初めて海獣化した時のことは忘れない。 「おお……オルキウス。お前はなんて立派なシャチなんだろう」  ノワールヴル家の占領する北の内海の浅瀬。  そこに一族が集っていた。ノワールヴル家の当主である父親、母親、兄、分家。勢揃いして、オルキウスの初めての海獣化披露を見守っている。  母親は成獣にも引けを取らない大きさのシャチに変化したオルキウスに恍惚とした表情を浮かべた。  シャチの名門ノワールヴル家に生まれても、必ずシャチへ海獣化するとは限らない。だからこそ母親は、純血のシャチとして現れたオルキウスに恍惚と触れた。 「さあ……みんな、オルキウスに祝福を。純血、闇属性、そして金眼のシャチだ」  オルキウスは母親の目をじっと見つめた。  そこから読み取れるのは――息子の初めての海獣化を喜ぶものではなかった。  純血。  希少な闇属性。  金の瞳。  そして、優れたシャチ。    ただ、それだけを喜ぶものだった。  冷酷な純血主義者。  それがオルキウスを産んだ母親――イヴァ・ノワールヴルという男だった。  イヴァが見ているのは、オルキウスではない。  一族を率いる後継者。  それが自分の価値なのだと、三歳の頃に悟った。   「――父上、あの者は嘘をついています」 「あの家は潰した方が良いでしょう。ノワールヴルに憎しみを抱いています」 「父上、私にお任せください」  七歳の頃から本格的に帝王学を学び、そして公爵家の仕事に携わってきた。  ノワールヴル公爵家は、王国の裏で諜報と粛清を担っている。表の法では裁けない者を、闇の中で処分するのが一族の役目だった。    オルキウスも次期当主として必要であれば、地位に関係なく処罰を下してきた。懇願も怨嗟(えんさ)の声も捻り潰してきた。    父親はオルキウスの酷薄さを喜んだ。 『他人は皆、自分の手足に過ぎない』 『所詮人間など腹で何を考えているかわからん』  父親は口癖のようにそうオルキウスに言い聞かせていた。  オルキウスはそれが正しい在り方なのだと思い、生きてきた。  表では非の打ちどころのない、爽やかで人徳のある優等生の仮面を被る。そして、裏では王国の影として冷酷に仕事をこなす。  誰のことも信じず、誰にも執着などしてこなかった。  これでいい。  そう思っていた。  そして、そんな無味乾燥な日々に一点の波紋が広がったのは、十六歳の時だった。  ユートランティア王立学園の高等部入学式の日。その日は、特に波が穏やかだった。    オルキウスはふと一人になりたくて、屋上へ向かった。 『良いから噛ませろよ』    低く露悪的な声。  先客がいたようだ。  そちらを見ると、二人の男子生徒がいた。一人は銀髪の長身で、鋭く赤い目をしている。もう一人は小柄で優しそうな生徒だった。  ――ホワイトファング侯爵家の暴れ鮫か。  凶暴な問題児。ホホジロザメ獣人のレン・ホワイトファング。  地位も高く、ルックスも良い。なのに、その凶暴さから周囲には敬遠されている。 『ひ、ひいぃっ!!』 『あっ! ……んだよ』  レンに迫られた小柄な生徒は一目散に逃げ出した。逃げ足が早い。  あいつは逃げられて運が良い。レンに無理やり噛みつかれたという生徒の噂は定期的に浮上してくる。  オルキウスは、ふと一人で屋上に残ったレンの姿に目を留めた。 『……』  拗ねたように、じっと床を見つめる姿は、どこか寂しげに映った。  赤い目に浮かんでいたのは、怒りではなかった。 慣れきった諦めと、それでも捨てきれない寂しさだった。 『何見てんだよ』  レンはオルキウスに気がつくと、ぎろりと睨んだ。その目には怒りだけでなく、少しの羞恥と気まずさが混じっている。 『ごめん。見るつもりじゃなかったんだけど』  そう言って表の顔で笑って見せると、レンは薄気味悪そうにオルキウスを見た後、ポケットに手を入れて大股で屋上を後にした。  レンの粗雑な足音が遠くなっていくのを聞きながら、オルキウスの脳裏には寂しげな赤い目が浮かんでいた。   「――処刑……ですか」  レン・ホワイトファングの処刑の話が持ち上がったのは、それから二年後のことだった。 「そう。十八年前の神託の子が判明した。一人はアクア・マリステラ。平民だけど、人魚種の子。それと、もう一人は、レン・ホワイトファング」  イヴァの言葉に、オルキウスは二年前に見た赤い目を思い出す。凶暴さに混じる、幼くて寂しげな感情。 「神託の子というと……」  オルキウスは十八年前の神託を思い出す。 『暗き深淵に眠る災厄が脈動する時。  光と破壊が生まれ落ち、鳴動する』  災厄は伝説の怪物リヴァイアサンのことだ。  そして、光と破壊。これがずっと王族たちとノワールヴル家で調査されてきた。 「光の子がアクア。破壊の子はレン」  イヴァは足を組んで右手に魔力を集中させている。やがてその手から冷気が放たれ、イヴァの椅子の前で這いつくばっていた男を凍らせていく。 「ぐ、ぐぁ……っ! お、覚えてろよ、ノワールヴル……っ!」  ぱき、ぱき、と音を立てて凍りついていく男は全身の半分がすでに白くなっている。  悪質な小型海獣人の斡旋で捕らえた男だ。  男の呪詛を意にも介さず、イヴァはオルキウスに淡々と告げた。 「元老院の過激派がレンを消したがってる。リヴァイアサンが復活した時、並び立つ脅威になり得るからね」 「おい、聞いてる……のか……っ!」 「レン・ホワイトファングはどのように始末するのですか」 「おい! ……た、助けて……っ。助けて……く……」  オルキウスが訊ねた後、ぶつぶつと唱える男の声が途切れた。   「そうだなぁ。適当に国家転覆罪とかなすりつけとけば良いんじゃない?」  ごとり、と凍りついた男の氷像が床に倒れる。  イヴァの右手から魔力が消える。 「まあでも、まだどうするかは確定したわけじゃない。なにせあの力だ。手懐けられたら大きな戦力になる」  イヴァはオルキウスを見た。漆黒の瞳がオルキウスの金の瞳を捉える。 「オルキウス。お前に任せるよ」 「……」  オルキウスは黙った。  ――任せる。  その一言で、イヴァの意図は理解した。  オルキウスの脳裏に、二年前に屋上で見たレンの姿がよぎる。  オルキウスは表情一つ変えなかった。  だが、胸の奥がわずかにざわつく。 「……承知しました」 「うん。よろしくね。あ、報告は元老院にね」  そう言って、当主以上にノワールヴル家の実権を一手に握る男は、にこりと笑った。  その瞬間、床に転がった氷像が粉々に砕け散った。  オルキウスは砕け散った氷像を、じっと見下ろした。  

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