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第44話 シャチの恋2
それから間も無くのことだった。
暴れ鮫ことレン・ホワイトファングの様子がおかしいと、にわかに学園中に噂が駆け巡った。
「暴れ鮫、なんかずっと双眼鏡で内海見てるんだけど」
「次の獲物探し?」
「しかも急に暴れなくなったよね」
「今まで毎日何かしらトラブル起こしてたのにね。授業もサボんないし」
「嵐の前触れ?」
「昨日、ずっとトイレの鏡の前にいたんだって」
「怖……」
妙な噂に、興味を引かれた。
それまで何度か遠くで観察していただけだったが、少しの好奇心に動かされ、オルキウスは暴れ鮫への接触を試みることにした。
「――こんにちは、レン」
翌日の放課後、校門で待ち伏せをしていたオルキウスは、下校途中のレンに爽やかに笑って声をかけた。
「あ?」
ぎろりと赤い目に鋭く睨まれる。
いつも通りの凶悪な暴れ鮫だ。
レンは二年前にオルキウスに一度会っていることなどすっかり忘れているらしい。
なぜか少しおもしろくない気分がした。
「ちょっと良いかな」
そう言うと、赤い目がますます剣呑に細められる。
「あんだよ」
こちらを睨む赤い目をのぞいて、感情を読む。
強い警戒。そして――わずかに恐怖を抱いていた。
オルキウスは胸の内で疑念を抱く。
――なぜ、恐怖している?
まるでカツアゲをされそうな小型海獣人のような恐怖の色だ。
小さな違和感を抱えたまま、オルキウスは微笑んで見せた。
「悪いようにはしないさ。……ちょっと移動しようか」
ひと目があるとやりにくい。
オルキウスが移動を提案すると、意外にも暴れ鮫は大人しく従った。そのことにも調子を狂わされる。
そして、極め付けは。
「オルキウス・ノワールヴルだ。……いきなりだけど、友達にならないか?」
そう言ってオルキウスが手を差し出すと、なぜか目の前の男は震え始めた。
赤い目を見開いて、オルキウスをじっと見つめている。大きな衝撃を受けて動揺しているようだった。
唐突なことは分かっている。失敗するだろうと思っていた。別にそれはそれで構わなかった。
オルキウスは困ったように笑って見せた。
「突然でごめんね。嫌ならことわっ────」
「いいぜ!!」
(……いいぜ?)
その瞬間、オルキウスは思考が停止した。
人生で初めてのことだった。
赤い目にはすっかり剣呑な鋭さはない。
きらきらと少年のように目を輝かせ、頬を赤らめてオルキウスを見つめてくるレン。まるで憧れの人に出会った子供のような顔だ。
(なんだ、この男は……)
オルキウスは言葉を失った。
差し出した手を、そろそろとレンに握り返される。
(う……)
しかもその手が汗でびっしょりと濡れていて、ちょっと引きながら、オルキウスはさらに混乱した。
――いつからか、海獣化をすることが好きではなくなっていた。
期待。羨望。野心。畏怖。嫉妬。反発。
海獣化すると、そんな感情ばかりが見えてくる。
海獣化しなければ触れられることもなくなる。
オルキウスは海獣化を人前でしなくなった。
しかし、レンと出会って、オルキウスは大きく変わることになった。
「か、海獣化、してくれねえか……!?」
レンと〝友達〟になったその日。オルキウスはレンに懇願されて、断ろうかと思った。
しかし。
きらきらと輝くレンの赤い目にあったのは――純粋な好意だけだった。
オルキウスは、気がつけば頷いていた。
そして、その日から、オルキウスはたびたびレンの前で海獣化をすることになってしまった。
(なぜ、こんなことになった)
動揺しながらも、不思議に嫌ではない。
オルキウスはそれからレンを間近で〝友達〟として観察し続けることにした。
元老院は報告を急かしてくるが、まだ判断材料が足りない。保留にし続けた。
ノワールヴルの仕事には、たとえ元老院や王族であろうと口出しはできない。
オルキウスの一存でレンの処刑の件を保留にし続けた。
そんなオルキウスにイヴァは不思議そうにしていたが、「珍しいこともあるもんだね」とさほど気にしていないようだった。
本当は、レンが噂通りの危険人物だったなら、元老院へそう報告して役目を終えるつもりだった。
処刑されようと、自分には関係のないことだと思っていた。
それが、気がつけば一ヶ月ものあいだ、レンと〝友達〟として過ごしていた。
想定外だ。
大きな体を丸めて、地面いっぱいにシャチの絵を無邪気に描く姿。
オルキウスを見つけると、嬉しそうに「オル」と笑う姿。
周囲の目を気にして、オルキウスに迷惑がかからないようにと、しょんぼりと肩を落として離れて歩く姿。
そして、手を引けば、顔を真っ赤にしてうろたえる姿。
全て。
もっと見たい。そう思ってしまう。
自分の変化に戸惑った。けれど、レンの前では仮面を被らずにいられて、初めて日々が心地良く感じられた。
ピクニックに誘われた日。初めはバカバカしいと思った。
「可愛いだろ!? 傑作だ!」
アホみたいに飾りつけられた、シャチに形どられたおにぎり。他にも、タコさんウインナーやらハート型のハムやら、可愛らしい飾りつけがされている。
オルキウスの好みに合わせて、肉類も多い。
絆創膏だらけのごつい指。
眠そうに目を擦る姿。
「うまい」とオルキウスが言うと、途端に赤い目を輝かせて笑う。
いつのまにか、レンとのピクニックが何よりの楽しみになっていた。
公爵家の仕事よりも。海洋評議会よりも。
レンとピクニックをしているあの瞬間が、何よりも安らぐ時間だった。
だから、自然とレンに贈り物を選ぶようになっていた。
誰かを喜ばせるために贈り物を選ぶ。
そんな時間が楽しいと思う日が来るとは、以前のオルキウスなら想像もしなかっただろう。
観察から始まった関係。
それでも、今ではもうレンをただの観察対象とは思えなかった。
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