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第45話 シャチの恋3

 こんな穏やかな日々が続けば良い。  柄にもなく、そう思っていた。    ――だが、そううまくはいかなかった。  アクア・マリステラが編入してきて、レンとの穏やかな時間が崩れ始めた。    カフェテリアが騒がしく、何事かとのぞきに行ったあの日。  レンはこともあろうにアクアと〝友達〟になりたいと言っていた。  (なぜ、俺以外にも友達を求める必要がある?)  まさか、あのきらきらとした瞳をアクアにも見せるつもりなのだろうか。  そう思った瞬間、腹の奥に重くて熱いものが落ちる感覚がした。  レンの瞳を見てみると、アクアに対しての好意はさほどない。それなのに、なぜか焦ったようにアクアの関心を引こうとしている。  (何か、俺に明かしていない秘密がある)  そもそも、レンが突然別人のようにおとなしくなったことにも、拭えない違和感があった。  (何を隠しているんだ……?)  もしかしたら、アクアが人魚種だということを知っているのかもしれない。自分が神託の子だということも知っているのかもしれない。  神託は王族とノワールヴル家、それから上級神官しかその内容を知らない。必要だと判断されれば国民たちにも報せをするが、十八年前の神託については伏せられているはずだ。  オルキウスはアルシオンと会話を交わしながら、生徒会室で働くレンを目で追っていた。 「おい、この書類できたぞ。目を通してくれ」  レンが書類を差し出すと、ルカはさっと目を通した。 「わあ。暴れ鮫くん、思ったよりこういうの得意なんだね。誤字脱字もないし、見やすい。補佐じゃなくて役員になってほしいなぁ」  レンは照れくさそうに口をへの字に曲げた。ほんのわずかに頬が赤くなっている。褒められて嬉しいらしい。  ――可愛い。  胸の内に浮かんだ言葉に、オルキウスは思考を止めた。 (今……俺は、可愛いと思ったのか?)  爽やかな笑みを浮かべたまま、内心だけが完全に固まる。  切れ長の赤い目。鋭いギザ歯。頬にある大きな傷。  とても、可愛いとは形容できない男だ。 「……聞いているのか、オルキウス」  不審そうなアルシオンの声で我に返った。 「ああ。なんでもないよ。ごめん」  笑いながらレンから視線を外す。    気の迷いだったに違いない。  ――けれど、それから日を追うごとに、レンを可愛いと思う瞬間は増えていった。  レンは自分が怒鳴った直後、相手が怯えると密かに落ち込む。褒められると口元だけを懸命に引き締める。  凶悪。だが、不器用で素直。  そして、意外に人懐こい。  何より、オルキウスを見るとぱっと嬉しそうに顔を輝かせる姿。    目が離せなかった。    しかし、レンは何かにつけてアクアに話しかけ、二人で行動しようとしていた。  その姿は一見、アクアに好意があるかのように見えるが、感情を読んでみれば焦燥感が先行している。  まるで、アクアに気に入られなければ困る、というようだった。  いつものオルキウスならただ監視するだけだった。  しかし。 「アクア! 昼飯食べようぜ」 「あ、レン。偶然だね。俺も一緒に良いかな」 「お、オル? お、おう」   「……アクア! 次のダンジョンだけどよ」 「レン。そこ、アクアはまだレベル的に足りないから、俺ら二人で行こう」 「オル。お、おう……」   「…………アクア!」 「レン」 「……オル」  アクアと懇意になりたがるレンに、我慢ならなかった。  気がつけば、レンとアクアに割って入るようになっていた。  (どうしたんだ、俺は……)  レンと二人で過ごす時間を、誰にも邪魔されたくなかった。  それに。 「なんでだよおおおおお!!!」  アクアとの距離がうまく縮められないレンはもどかしそうに吠える。  その感情は、確かに焦燥感ともどかしさがある。    ――だがそこには、少しの嬉しさも混じっていた。  オルキウスはそんなレンの心情を感じるたびに、胸の奥が静かに満たされていくのを感じていた。  レンがアクアに海獣化した姿を触らせようとして訳もわからず苛立ったり。シャチの姿で泳いでいたら、ホホジロザメになって追いかけてくる姿に可愛いと思ってしまったり。    そうしてレンに振り回される日々を送っていると、ある日新ダンジョンが発見された。   「アクア・マリステラとレン・ホワイトファングは……特別に同行させろとのことだ」  アルシオンの重々しい言葉に、思わず眉を上げる。    元老院が動き始めた。 『レン・ホワイトファングが脅威として王国に立ちはだかる可能性は現時点で極めて低い』  オルキウスはそう結論づけ、元老院へ報告していた。しかし、一部の過激派はその報告を受け入れなかったことを思い出す。  元老院の一部はレンをひどく恐れている。    ――サメの祖とされる、今ではもう滅んだ始祖種がいる。  その圧倒的な力で、かつては海の頂点に君臨していた古代種。  その存在は、王家と元老院、ノワールヴルにしか閲覧を許されない秘蔵文書に残されているのみだ。    元老院は恐れているのだ。  ――レン・ホワイトファングの異様な強さと海獣時の巨大さ。  それは変異体のホホジロザメなどではなく、始祖種の先祖返りなのではないかと。  そして、追い打ちをかけるように、先日新たに降った第二の神託。  ――『深淵の災厄が目覚める時。光と破壊のどちらかが古の力に目覚める』。  元老院たちは焦っているのだ。  破壊――レンが力に目覚めてしまったら、リヴァイアサンと並び立つ脅威になるのではないかと。  だから、レンの断罪処刑が王族と元老院、ノワールヴルの間で密かに計画されていた。  (だが……そうはさせない)  オルキウスは金の目を細めた。  アルシオンは会長席に深く腰掛けながらため息を吐く。 「王家からの勅命だ。……俺は反対したんだがな。やつの戦力は一個師団以上だと元老院が判断したんだ」    元老院の説明は建前だと、瞬時に悟った。  そんな話はオルキウスの耳に入っていない。  アルシオンは嘘をついていない。  元老院が真意を伏せているのだろう。  おそらく目的は、レンとアクアの力を見極めること。危険な調査に同行させるのも、そのためだ。  役に立てば利用する。  戦えなくなれば、それまで。  ――死んでも構わない。いや、むしろそちらの方が好都合。  元老院は、そう考えているのだろう。 「俺は……レンたちが行くのは反対だな」    オルキウスは反対した。 「えー、なんでよ。絶対暴れ鮫くんいた方が良いじゃん〜。アクアだって、最近頑張ってるじゃん」    フィンが口を尖らせる。アルシオンにじっと不審そうに見つめられれば、折れるしかなかった。  そもそも、勅命だ。  覆せるはずはないと分かっていた。    真実を語るわけにもいかず、オルキウスはため息を吐いた。 「……俺が二人を守るから」 「お、俺がいるんだ! 安心しやがれ! 誰も怪我なんてさせねえ」  呑気にアクアの肩に腕を置きながら胸を張るレンに、オルキウスは黒い笑みを浮かべた。  (一番危険に晒されてるのはお前なんだぞ)    結局、レンたちを連れての新ダンジョン攻略は決まってしまった。  そして、新ダンジョン調査の日。  ――レンが、わざとアクアと二人ではぐれようとした。  危険な行動を取るレンを、オルキウスは静かに叱った。  自分が置かれている状況を分かっていないのは仕方ないにしろ、あまりにも危険な行動に腹が立った。  レンは何かを言いかけ、そして諦めたように肩から力を抜いてしょんぼりとした。  おそらく、レンにはレンの事情があるのだろう。  素直に反省している様子に、オルキウスは一つ息を吐いて、その頭に手を置いた。 「……一人で突っ走るのは、悪いクセだ」  そう言うと、レンからは安堵が伝わってくる。  その姿を見て、とっさに抱き寄せたくなった。しかし、ぐっとこらえて「戻るぞ」と促す。    大人しくアクアの元へ戻ったレンは、アクアの怪我を見てハッと顔をこわばらせた。  アクアに謝罪して、しばらくうつむいて黙った後に、顔を上げる。  その目は、何か今までと違い、真剣なものだった。  責任感。決意。自責。  それら全てがないまぜになっていた。  ――そして、レンはその後、目覚ましい活躍を見せた。  一人で突っ走るのではなく、王海の牙や生徒会役員たちと連携しながら、誰一人欠けることなく新ダンジョンを攻略へ導いていく。 (……変わったな)  オルキウスはふっと笑ってレンを見つめる。  ダンジョンを抜けた後、少し疲れたように、それでも達成感に満ちた笑みを浮かべるレンを見ていると、やはり今すぐ抱きしめたい衝動に駆られた。  守りたい。  独占したい。  笑っていてほしい。    レンのすべてを、自分のそばに置きたい。 「オル!」  オルキウスを見つけた瞬間だけ、レンの笑顔はわずかに無防備になる。    オルキウスも薄く笑い返す。  ――そうか。    これが恋か。  

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