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第3話
翌日午後四時にムーンリバーへ行くと小田桐夫婦が、窓側のレイアウトを変えていた。
そういえば、昨日そんな連絡をもらっていたのをすっかり忘れていた。
「亮、おはよう。窓側に花を置こうと思ってるんだよ」
「すみません。昨日、連絡もらってたのに……すっかり忘れていました」
小田桐が持っている雑巾を受け取り、出窓カウンターを拭き掃除する。
そこに飾っていた小さな絵や、ガラスの置物は、別の場所に移動したらしい。
出窓カウンターは、入り口のすぐ近くにあって、通りからよく見える。
「見栄えがいいものを置くと良いと思ってさ」
「この前の旅行先で行った蕎麦屋のレイアウトがすごく良かったものだから、真似したくなったみたいよ」
梓が、揶揄うように言うと、小田桐は真似じゃねぇよ。と口を尖らせ、これを見てくれとチラシを差し出した。
――フラワーアレンジメントをお届け! ご希望のフローリストが、アナタの希望通りフラワーアレンジメントを作って、お届けします!
五人のフローリストが、それぞれ自作したアレンジメントを持っている写真が掲載されている。
「最近、駅前にできた花屋さんだよ。こういうサービスあるんだなと思ってよ。ほれ、この子なかなかの美人だろ? この子に決めようと思ってさ、どうだ?」
この子に決めるって、キャバクラじゃないんだからさ。
チラシを眺めてにやけている小田桐を梓は、引いた目でみている。
小田桐は、浮気者ではないが、キャバクラや若い子は大好きだ。というよりお喋りが好きなのだ。コンビニの主人同様、お話をして盛り上がるのが楽しい。
いつまでも若い気持ちでいる小田桐を梓は、呆れたように見ている。
「すぐそこの花屋でいいじゃない? 深澤さんとこで……商店街の付き合いもあるのに、他の花屋に頼むなんて、亮ちゃんだって迷惑するわよ!」
「ちげーよ、この店は、ふかちゃんとこの娘さんがやってる店だよ! ふかちゃんにこのチラシもらったんだから」
小田桐夫婦が言い合っている、深澤さんや、ふかちゃんというのは、昨日のデカい男が出てきたフラワーショップフカザワのことだ。
駅前の花屋は、フラワーショップリリーといって、今年オープンしたばかり。
おまけに、小田桐がチラシを見て決めたという子が、深澤の娘、百合だ。
「とにかく、もう決めたからな! じゃ、ふかちゃんところに行ってくるわ」
小田桐は、梓の「ちょっと、亮ちゃんの意見もきかないで……」という言葉を聞こえないふりして出て行ってしまった。
梓は、ごめんねと言いながら、カウンターに腰を下ろす。
「僕は大丈夫ですよ。ところで、深澤さんところにデカい男性が働いますか?」
昨日のあの男は店員だろうか。なんとなく気になっていたことを口にする。
「茅洋くんのことかな、無口でもっさりした子よね。2か月前くらいから雇ってるみたいよ。夜遅くまで店番してくれるからラクだって話してたわ。アレンジメントの勉強熱心で、中々センスあるって褒めてたわよ」
やっぱり、店員だったのか。それにしても、もっと身なりを整えたほうがいいのではないか?
小田桐が置いて行ったチラシに写っているフローリストたちは、みな小綺麗にしている。
スニーカーだけは綺麗だったけどな……。
花の香を思い出す。
あの香のおかげかどうかわからないが昨日はわりとよく眠れた。
「亮ちゃん、最近どう? ちゃんと眠れてる? 親御さんと連絡とってる?」
「元気ですよ。 梓さんが良かったと言っていた温泉旅館を予約して、早速、先月出掛けたみたいですよ」
俺の両親は、定年退職した後、悠々自適に暮らしている。
なんの趣味もなかった父は、自由になった途端、陶芸やら蕎麦打ちやら、色んなことをしてるらしく、母は呆れていた。でも、二人とも旅行が趣味のようなもので、いろんなところに出掛けている。
電車では一時間もかからない距離に実家はあるが、ほとんど帰っていない。
独身男三十歳。誰か良い人はいないのか、なんて小言も言われなくなった。
たまに電話をして、メールに送られてくる旅行先で撮ったであろう大量の写真を見て、元気そうだなと安心している。
「そう、元気でなによりね。亮ちゃんもしっかり休むのよ」
梓は、お通し用の料理を冷蔵庫にしまって、店を後にした。
ムーンリバーには小さなキッチンがあり、ちょっとした食事は、亮でも準備できるが、時々梓が料理を持ってきてくれる。
これが、とても美味しくて人気があるのだ。
梓が心配してくれているのは、俺が神経過敏になって倒れてしまう時があるからだ。
昔、寝不足がたたって店に行けなくなったことがあって、目は覚めているのに、身体が思うように動かなくて、病院に運ばれた。
一日で退院できたけど。結局、それは過労のようなもので、病院のベッドに点滴で眠らされて回復した。
本人は寝ているつもりでも、脳が完全に休んでない状態が続いているようだと先生に言われた。
小さい頃から、そうであったからか、睡眠時間はとても短い。睡眠薬に頼ったり、気持ちをリラックスさせる方法を身に付けたり、ここ最近では倒れることはなくなったが……。
見たくなくても、見えてしまうような第六感は、自分でコントロールできない。
おそらくそれが原因で、脳が疲れているのだろうと自分で思っている。
それに、もういい加減、慣れた。
どうすれば眠れるのか、リラックスできるのかは、自分なりの対処法で、ここまでやっていきている。
小田桐夫婦には、心配かけたくない。
ムーンリバー、オープン時間まであと三十分というところで、小田桐が戻ってきた。
深澤と共に、駅前のフラワーショップリリーへ行き、早速注文をしてきたらしい。
一人で行かないところが、小田桐のちゃっかりしたところだ。
今日は、小田桐も店に入るといい、ウエイター用の黒スーツに身を包み準備していた。
六十歳を過ぎたと言っても、ロマンスグレーの髪の毛に背筋が伸びた出で立ちは、スマートで、こんな歳の取り方をしたいなと常々思う。
オープンの五時を過ぎたころに、店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ……」と振り返りながら言うと、青色と黄色い花のアレンジメントを持った茅洋がいた。
「フラワーショップリリー……です」
小さな声で言うとペコリと頭を下げた。
「やっぱり、百合ちゃんは来られなかったか。忙しそうだもんな……」小田桐が言う。
「いますよ。います! ちょっと、野村くん、どいて!」 大きな声にびくりと体を震わせて、デカい身体が壁にひっつく。その空いたところから、茅洋が持っていたものよりも大きなアレンジメントを持った百合が現れた。
「野村くん、こっちよ。この花を持って行ってほしかったのよ!」
長い髪をポニーテールでまとめ、おでこ全開になっている顔立ちは、気の強そうな美人だ。意志の強そうなしっかりとした眉毛が、キリっと上がっている。
少し苛立った声音に、野村茅洋は、おどおどしながら、スミマセン、スミマセンと謝っている。
百合が持ってきた花は、赤や紫の華やかな夜の街にピッタリ合うアレンジメントだった。
亮は、花かごを受け取り、さきほど空けた窓側に置いた。美しいアレンジメントは、百合が作ったものだ。
「マスターごめんね。 でも、急な注文だったから……あれ? 野村くん、その花なに? 作ったの?」
百合は、茅洋が持っていたアレンジメントを見る。
「はい。さっき作りました。ムーンリバーさんの…………イメージで…………あなたに……合う……と思って」
茅洋は、おずおずと、そのアレンジメントを亮に手渡した。
呆気にとられる一同。
しばしの沈黙の後、声を上げたのは百合だった。
「アレンジメントの注文は、1つだったのに……どうしましょう……料金は……」
「俺、俺が払います。個人的に注文したということで……綺麗な花だし、ここに飾ります」
亮は、カウンターにその花かごを置いて、財布からお金を出して、チラシに書いてあった料金を茅洋に渡した。
百合は店からの電話で呼び出されたので、納品書のサイン受領を茅洋に任せて、何度もすみませんと頭を下げて、店に戻って行った。
納品書にサインをしながら、茅洋の様子をちらりと見る。
相変わらず、頭はボサボサで、前髪で目が見えない。背が高いけど、猫背で姿勢が悪い。
そして、この前とおなじ色褪せたネルシャツに裾が破れているジーンズ、綺麗なのはスニーカーだけ。
「えっと、野村さん? 花、イメージしてくれてありがとう。この青い花はなんて言うの?」
サインした納品書を渡して質問をしてみた。
思いがけない言葉をもらったかのように、少し驚いたようで、目をしばたたかせながら、ゆっくりと答える。
「デルフィニウムです。黄色いのはバラです。この丸いかわいいのが、ピンポンマムで……」
茅洋が作ったというアレンジメントは、その青色のデルフィニウムが鮮やかに咲き誇っている中に、黄色のバラが数本見えている。それが、夜の水面に浮かぶ月を思えて、亮はとても気に入った。
花の説明をしている茅洋の言葉は、ハキハキとしていて、さっきの小さい声とはまるで違う。途中から、その内容はあまり耳に入ってこず、ただ、花の良い匂いがするこの男の顔が見たいな。と思っていた。
花の説明をしている茅洋に近づく。背伸びをして、目を覆っている髪の毛に触れた。
説明が止み、硬直したまま、こちらを見下ろしている。
二重のはっきりとた目は、じっと亮を捉えていた。
その目に、背筋がぞくりとした。怖いとかじゃなくて、なんだろう。目が離せない。
「あの……そろそろ失礼します」
茅洋の言葉に、触れていた髪の毛から手を放した。ふわりと前髪が目を覆う。
「えっと、野村さん、その前髪切ったほうがいいと思うよ。あんた、フローリストだろ? なら、もう少し身なりを綺麗にすべきだよ。顔は見えるほうがいいし、恰好も……そのスニーカーと同じくらい新しいもののほうがいい……余計なお世話かもしれないけど……」
おどおどした茅洋を見て、親心というのか、世話焼きというべきか……そんなことを言ってしまった。
茅洋は、「はい。ありがとうございます」と小さく言ってお辞儀をすると、亮が触れた髪の毛を自分で触りながら店を出て行った。
「亮、珍しいな。茅洋くんのこと気になるか? 俺も詳しいことは知らないんだけど、結構苦労した青年らしいな。母子家庭で、小さい頃に母親が死んで、施設とか親戚筋とかに引き取られてたらしいからな。あまり自分のこと喋らないけど花のことは好きみたいだな。会いたい人がいるとかで、フラワーアレンジメントの資格? をとるために勉強がんばってるらしいぞ」
小田桐の言葉に、なるほどなと思う。
さっき見た目は、ガラス玉のように空っぽで……どこか不安げな、寂しい目に見えたからだ。
気になる?……確かに、コンビニで見かけた時も気にしてしまった。
あの、おどおどした感じが、嫌いだ。嫌いで、気になる。
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