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第6話

 茅洋と映画を見る約束をした。  休日、何をしているのかと聞いても、特になにも……という答えしか返ってこなかったので、誘ってみたのだ。  どこか行きたいところはあるのか聞いても、どこでもいいと言うし、何か食べたいものがあるか聞いても、何でもいいと言う。  しょうがないので、全て亮が決めることになった。  これで、「いやだ」なんて言われたら、あの高い鼻に鉄拳をくらわせてやる。  午後二時、待ち合わせ場所はムーンリバーにした。店は休みだ。  この場所だけは、唯一、茅洋が決めてくれた。  駅は人が多いし、よくわからないと言っていたからだ。  住んでいるのはこの辺らしいけど、駅前のフラワーショップリリーと、フカザワ、コンビニくらいしか行かないらしい。  しかし、本当によくわからない奴だ。  自分のことを喋らないからというのもあるけど、気持ちが見えてこない。  花、フラワーショップリリー、フカザワ、イ・シワンに対しては、感情のゆらぎが大きくなるから、興味があるのはそれくらいなんだろう。  しかし……遅い……時間にルーズなやつは嫌いだ。  時間は、三十分を過ぎていた。  イライラしながら、スマホに電話する。出てくれない。  何かトラブルに巻き込まれたのだろうか……事故とか……。  ――ああ、頭が痛い。  昨日はあまり眠れなかった。  今日のことで緊張していたとか、楽しみだったからではない……そう思いたい。  店の明かりがついているので、客が入ってきてしまった。 「あ、すみません、今日休みです……」  この商店街で床屋をやっている主人が顔を出した。「え? 休み? 一杯もだめ?」そう言って、足を踏み入れる。  常連とはそんなものだ。  諦めのため息をついて、カウンター内に入った。  床屋の主人は、ビールを飲みながら、新しく出来たキャバクラに行くのだと嬉しそうに話す。 「そういえば、そのキャバクラにふかちゃんとこの茅洋くんが配達に行ったみたいでな。なんだか最近カッコよくなったから女の子たちが騒いでたよ。ま、その髪の毛を切ったのは、この俺なんだって自慢したんだけどな」  そこで切ってたのかよ。ま、近くだろうとは思ってたけど、この辺は美容サロンが沢山あるけれど、老舗の床屋を選ぶあたり、アイツらしいや。  笑っている亮の顔に、何かを察したように目を細めた主人は、「良かったよ」と呟いた。  何がだろうと、聞こうとしたところで、思いがけないことを言われた。 「茅洋くんに花岡くんみたいな良い友達が出来て良かったと思ってな。マスターに聞いたけど、結構世話やいてるみたいじゃない? 茅洋くんは、お母さんを病気で亡くしてから、不眠症ぎみなんだってさ。夜眠れないんだったかな。だから昼間寝て、夜働いてるんだと言ってたな」 「……っ!」  アイツ、そんなこと一言もいわなかったぞ。だからリリーも店終わりの掃除とか深澤さんとこも夜の店番にしてもらってるのか。  つうことは、今日もまだ寝てるのか……。時計は四時になろうとしていた。  スマホを見る。電話してみようかと思ったが、やめた。  寝てるなら、眠れているなら、それがいいと思ってしまったからだ。  休みのところありがとな。と適度に顔を赤くした床屋の主人は帰って行く。  夜、眠れない、か……俺も眠りは浅い方だけど、昼夜逆転の生活をするほどのものじゃない。  待ち合わせ二時は早かったか、俺にムリに合わせる必要なんてないのに。  何か飲みたくなって、グラスにウイスキーを注ぐ、カウンター外に出て飲んでいると、店の扉が開いた。  扉の方は見なかった、そこに茅洋がいるとわかった。来る予感があった。 「スミマセン、ごめんなさい……あの、スミマセン……おれ」  ボサボサの頭で、早着替えをしたのだろうか、ボタンを掛け違えているシャツの裾がだらしなく半分でていた。  おまけに走ってきたのだろう、顔は真っ赤だ。  そんな姿を見て、思わず、笑い声をあげてしまった。  どんだけ焦ってんだよ。俺との約束で……。  二時間近くの遅れでも、こんな茅洋の姿が見られたことに、怒りなんてものは出てこなかった。  茅洋は、ドアの傍で突っ立ったまま亮のことをぼけっとみている。 「おい、大丈夫か? 水飲む?」  茅洋は、かぶりをふり、「スミマセン」と頭をさげた。 「いいよ。この場所を待ち合わせにしてくれたから、いつまでも待てたよ……なあ……あの、おい……茅洋……こっちにこい」  ドアの前で、突っ立ったまま俯く茅洋を呼び寄せる。  言われるまま、のろのろと歩き、亮の前で立ち止まる。  カウンターチェアーを回転させ、真向いに立った茅洋を見上げた。  泣きそうな顔をしていた。 「泣いているのか?」 「泣いてない、泣いてない。でも、泣きそうです」 「なんで?」 「花岡さん……の……笑顔……が……きれい……だから」  そんなことを言われると思わなかった。  人に優しくされると泣きたくなることはある。だから、俺が怒らなかったからとか優しいとかそんな理由かと思っていた。  なんだよ、きれい……って……。  茅洋は、じっと亮を見ている。綺麗な瞳だ。目を逸らすことができない。  鼻が高くて、大きな目に大きな口、頬骨が少し張っていて色気がある。男として、割とハンサムな顔だ。  割と? いや、かなりイケてる気がする。  亮は、茅洋の腕を掴み引き寄せた。少し前のめりになった茅洋の後頭部を片方の手で引き寄せ、顔を寄せる。  あと数センチで唇が触れるという時……グルグルゴルゴルギュオーと、とんでもない音が茅洋の腹から聞こえる。  鼻先が触れ合ったところで、お互いの動きがピタリと止まった。  そんな腹の音を無視すれば良かったのに、近い距離で見つめたお互いの目は、それは出来ないと判断する。  ゆっくり離れ、失笑した。 「メシ食いに行くか、ラーメンでいいか?」  お腹をさすりながら、「はい」と言う茅洋の顔をよく見られなかった。  俺は、今キスをしようとした。それがすごく恥ずかしくて、飲んでいたグラスを急いで洗い、足早に店の外に出た。  本来なら、映画を見て、おしゃれ居酒屋みたいなところでメシ食って、時間があればどこかのバーに行ってと考えていた。  ラーメン屋は、駅前にあるチェーン店だ。安くて、ボリュームもあるし俺は好きだ。ただ、色気はない。  でも、美味しくて、あっという間に大盛を平らげる。  この後、映画を見るという気にもなれないし、どこかで飲みなおすという気にもならなかった。  ただ、茅洋の話しを聞いてみたかった。 「お前の家、行っていいか?」  店から出て、断られるのを覚悟で聞いてみる。  顔を赤く染めながら、「はい」とだけ言って、歩き出す後ろをついて行った。    初めて会った時のように、くたびれた格好のような部屋を想像していたら、全く違った。  アパートは、2DKで古いけれど、部屋は綺麗だった。というより、物が少ない。  テーブル、机、隣の部屋にはベッドがあり、テレビはない。  机の上には、ノートパソコンが置いてあって、花に関係する本が重なっていた。  1階のベランダには、鉢植えの花や、緑が置いてあって、それらはとても元気に育っている。 「随分、シンプルだな、メシは……自炊しているのか?」  キッチンには、二口コンロと炊飯器、レンジ、調味料が置かれている。  冷蔵庫はファミリー向けのデカいやつだ。  亮は、炊飯器がある家はちゃんと自炊しているという勝手な思い込みがあるが、ここは、冷蔵庫がもうそれを物語っている。 「料理は、簡単なものくらいなら……一週間カレーというときもある……」  冷蔵庫から缶ビールをふたつ持ってきてくれた。 「飲むのか? 意外だったよ。どんなにカレーが好きでも一週間は嫌だな」  ビールを受け取り、笑いながら言う。茅洋も笑っていた。 「冷凍庫がカレーだらけになってる……飽きたら、ビールだけ飲んで寝る」 「そっか、じゃあ、俺が一緒に食べたら、少し減るかな」  そう言うと、驚いたような顔をして「いいの?」と聞いてきた。  子供みたいな反応に、思わず声にだして笑い「でも、毎日は嫌だよ」と言った。  ふふっと口元を緩ませてビールを飲む茅洋は、俺の横に座っている。俺たちは、本来ならそこにテレビがあるであろう何もない壁と向かいあっている。 「テレビないの? 情報源は……パソコンか……」 「テレビは……見ない。深澤さんのところで、少し見るけど……あまり必要に感じないし……」  確かに、俺の家にもテレビはあるけど、付けてもほとんど見ていない。情報源はスマホだし、見たい映画は配信で見られる。  茅洋も同じような感じらしい。  テレビがないし、どこか浮世離れしたように見えたけど、ネットフリックスでやっているような映画を知っていたし、深夜帯にやっているバラエティー番組に出ている芸能人の名前を知っていた。  話してみると、普通の、俺と同じ歳の男だ。  少し、おどおどして、話し方もゆっくりしているけど、それは茅洋の育った環境が起因しているのだろう。  親が離婚して、母子家庭で育ち、小学三年生ころ母親が病死した。  母親は親から勘当されていた。いわゆる茅洋の祖父母というやつだ。頼ることは出来ず、他の親戚の家に預けられたが、子供を育てることができないと施設で育ったこともあった。中学生になり、母方の遠い親戚の家が面倒をみてくれることになって、ほんの数か月前までお世話になっていた。 「いい人がいて良かったな」  気になっていた茅洋の生い立ちを聞いてみたはいいが、だいぶ重い話しになってしまったから、おちつく家族がいたことに安堵した。 「はい。すごくお世話になって、感謝してます」 「で、たしか栃木に住んでたんだよな。あっちで就職しようと思わなかったのか?」 「働いてました。植木屋さんで。でも…………辞めなきゃならなくなって……」  ああ、やばい。また重くなっちまった。  茅洋を受け入れた家族は、中学の時点で、もう七十歳を過ぎていて、今年老衰で亡くなった。  学校も出してくれて、植木屋も紹介してくれて、その系列で花屋にも勤めていたらしい。  夜眠れなくて、昼間寝て、夜生活するということも理解してくれた人たちだった。  しかし、その家族が亡くなり、勤めていた植木屋や花屋からは、昼間の勤務を進められた。今までは、その茅洋の親代わりだった人から頼まれたからしょうがなく夜だけの勤めを認めていたが、夜はほとんど必要なく日中必要なのだと言われた。  東京に出れば、夜だけでも大丈夫なところがあるかもしれないと、色々探して、深澤のところを見つけたらしい。  夜だけの勤務といえば、水商売か、警備とかの仕事が多くなるだろう。  フラワーショップフカザワだって、夜の街にあるけれど、昔は深夜にはやっていなかった。  おそらく、深澤の温情で、夜中まで店を開けているのではないだろうか。  茅洋は、不思議な魅力がある。構ってあげたくなるような、手を伸ばしたくなるような、それが今の彼を支えているのかもしれない。 「いつも何時に寝てるんだ。で、何時に起きるの? あ、ビールもうひとつちょうだい」  立ち上がろうとしたら、茅洋が先に冷蔵庫へ向かう。ビールふたつと、近くにあったポテトチップスを持ってきた。  筒状の入れ物に入っているコンソメ味のチップスを「これ、好きだ」と亮が、つまむ。 「俺も。母も好きでよく買ってくれてた…………夜は、眠れない。窓の外が明るくなってきたころに眠たくなる……でも、それでも眠れない時もあって、昼近くになって眠れることのほうが多い……」  窓の方に視線を向けて、遠くを見るように茅洋は話す。 「母さんが死んだ時、俺は母さんの隣で寝ていて、苦しそうな声で目が覚めた。苦しそうにしていて、でも何もしてあげれなくて……怖くて母さんにしがみついてることしかできなかった……一晩中そうしていて、明るくなってきた頃に、自分が……眠っていたことに気付いた」  小学三年生なんだから、なにもできなくてもしょうがないよ。  俺がそう思うくらいなのだから、きっと何度もそういう慰めは聞いただろう。  でも、彼を苦しめているのは、何もできずにいて、結局眠ってしまった自分なのだ。  冷静になれば、病院に電話するとか、近所の人に助けを求めることができたかもしれない。  起きた時の彼の絶望と後悔は、どれほどのものだったのだろう。  夜が怖い。眠れない、眠ってはいけない。そんな風に思いながら毎日夜を迎えていたのだろうか。 「話してくれて、ありがとう。俺も割と眠れない方なんだけど……」  亮は、眠れない時の対処法を話した。  とことん色んなことを考えて、脳を疲れさせるというものだ。  特に、頭痛がするほどの嫌なことを思い出す。そして、もう何も考えたくないと、気を失うように眠る。  おススメしないけど……笑おうとしたら、茅洋から抱きしめられた。 「無理して笑うのはダメ。大丈夫です」と背中をさすられる。  逆じゃないか? お前の話しを聞いて「大丈夫」と背中をさするのは、俺じゃないか?  なんでこうなってるんだ……。 「助けられない命があるということも知りました。僕は大丈夫です」   茅洋の匂いと温もりが心地よい。嫌なことを考えなくても眠れる方法は、他にもあるのかもしれない。  目が覚めた時、窓から日が差していて、ベッドの中だった。  俺の隣には、茅洋が眠っている。  ゴソゴソと布団の中で自分を確認する。洋服は昨日のままだった。  あのまま寝落ちとか、ダサすぎるだろ、俺……。  茅洋の髪をそっと撫でて「大丈夫だよ」と呟くと「うん」と言って身体を寄せてくる。  起きてるのかと思ったが、寝息は深く、胸が上下していた。  クーラーをつけたままの部屋は、少し寒いくらいで茅洋の体温がちょうど良い、もう少し、くっついていたい。  次に目が覚めた時は、昼過ぎていて、寝起きのボケっとしている茅洋に「またな」と言い捨てて慌てて自分の家に戻ったのだった。

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