8 / 23
第8話
ムーンリバーの外で、梓の塩まき被害にあった茅洋は、亮と帰ることになった。
小田桐と梓は、亮を労うように「もう帰ってゆっくりやすみなさい」と早上がりを促してくれた。
茅洋は、一旦ムーンリバーの外に出たが、亮のことが気になって店の外で待っていたらしい。
そこへ息巻いた梓からの塩攻撃にあってしまったというわけだ。
「災難だったな」
だいぶ塩をかけたんだな。と思うくらい、パラパラと小さなつぶが落ちていく。
汗でベタベタになったシャツを脱いで、タンクトップになった茅洋の胸板や腕は、逞しい。ヒョロヒョロのもやしっこだと思っていたのに、意外だった。
「花岡さんは、大丈夫ですか? あの人……しつこい」
「俺は大丈夫だよ……助けてくれて、ありがとうな」
なぜか、鼓動が早くなる。茅洋を家まで送り届けたら帰るつもりだった。
「花岡さん……家にきてください」
さっき奈々子を睨みつけていた男とは違う生き物のようだ。縋るような目に断ることなんてできない。
途中のコンビニで着替えや歯ブラシを買う。
茅洋の部屋へ来たのは、あの寝落ちしてしまった日以来だ。
「すみません、先にシャワー浴びていいですか?」と自分の家なのに律儀に聞いてくるので、「いいよ」とだけ言って脱衣所へ押し込んだ。
シャワー音が聞こえる中、妙な想像をしてしまう。
するのだろうか……セックスを……だから家に呼んだのか……。
してもいいと思っている。ああ、でも、アイツには、そんなつもりないだろう。
座ったり立ち上がったり、勝手に冷蔵庫からビールを出して飲んだりしながら、気持ちを落ち着かせようとするが、無理だった。
テレビをつけて、紛らわそうにもそれが出来ない。
どうしよーと座ったところが、ソファだったことに気付く。
……? 前はなかったけど、買ったのか?
二人がけの小さなソファの背もたれに頭を乗せる。かすかに茅洋の匂いがした。――いい匂いだ。
「花岡さん?」
急に声を掛けられて、あわてて頭をあげた。
Tシャツ、短パンに髪の毛を拭きながらやってきた茅洋は、眠いですか? と聞いてきた。
「いや、そうじゃなくて、これ、なんだ、ソファ買ったのか?」
床へ座って「どうですか?」と聞いてくる。
「いいよ。座り心地もいいし、快適だ」
「良かった」ふふふと笑って、亮を優しい目で見る。
その視線に耐えられなくなって、「俺もシャワー浴びるわ」と言うと、「泊まってくれるんですか?」と目を丸くして聞かれた。
え? そのつもりなんじゃねぇの?
しばらく意味がわからず、驚き顔の茅洋をじっと見つめてしまった。そのうち頬を赤くして、「泊まってくれるの嬉しいです」なんて言うから、わからなくなる。
とにかく買った着替えと歯ブラシを持って脱衣所に向かった。
一応、念入りに身体は洗ったが、単なる俺の早とちりだろう。
そうだよな、アイツの想い人は、俺じゃない。
雑誌の切り抜きだけでじゃない。花の専門誌に載ったイ・シワンのページが机に置いてあった。
バーで庇ってくれたことや、さっきの優しい目を思い出すと、期待してしまう。
――俺のことが好きなんだと期待している。
シャワーから出ると、ローテーブルにつまみが用意されていた。
茅洋は変わらず、床に座っている。
「なんでソファに座らねぇの?」
「花岡さんが、心地良いならそれで良かったと思って」
寝落ちした日、何もない部屋だという会話をした中で、ソファはあったらラクだと言った俺の言葉を覚えていたらしく、それを買うために仕事量を増やして、ようやく買えたからそれを見せたかったと恥ずかしそうに話してくれた。
フラワーショップリリーではアルバイト店員という扱いだからか、ムーンリバーの花のメンテが終わるとすぐに店に戻ってしまっていたのは、配達の仕事があったらしい。
今までは、掃除片付けだけだったが、最近は配達も増えてきたと言っていた。
ソファを買うために、そしてそれを今日俺に見せたくて誘った。
好かれているのは確かなようだが、恋愛というものではないのだろう。
――子供が親の喜ぶ顔を見たくて、何かを一生懸命がんばった。
という類の愛情表現なのではないだろうかと思う。
大型犬になつかれたのだと思おう。犬どころか動物なんて飼ったことないけれど、ソファに座った飼い主を床に座ってにこにことしているコイツを見ていると、そう思わざるを得ない。
「なあ、カレーある? 俺、お腹空いたんだけど」
そう言うと、嬉しそうな顔をして、キッチンに立ち冷凍してあったご飯とカレーをレンジでチンして皿に盛りつけてくれた。
二人分用意されたカレーライス。
俺も床に座って食べた。ごく普通のポークカレーで少し辛くて美味しかった。
小さなローテーブルに頭を寄せ合って食べる。「熱い」「旨い」と言って顔を見合わせる。
ほんの数週間前に知り合ったばかりなのに、ずっと昔からこういう風にしていたような気がしてくる。
あたたかくて、優しい空間は、とても心地が良い。
「花岡さんて、優しいですね……」
破顔した顔は、幼さが滲み出ているが、顔のパーツひとつひとつが整っていて男前だ。食べる動きに合わせて上下する喉仏は大人の色気を感じる。
ソファを買ったり、カレーを用意したり、優しいのはお前だろ……。
何か、心に引っかかって、うまく言葉に出来ない。それが何なのかわかっているようで、わからない。認めたくないのかもしれない。
食事を終えて、ローテーブルに置かれたノートパソコンで配信されている映画を見ていた。
なんとなく沈黙が耐えきれなくて、俺から言い出した。
最新のものでも、古くてもなんでもいいと言って、トップに出てきたアクション映画を選択した。
ソファには座らず、茅洋と同じく床に座り、ソファを背もたれにして画面を見る。
画面に映し出された、テレビカメラと報道陣が主人公にインタビューしているシーンで、ぼそりと小さく声を掛けられた。
「花岡さん、マスコミ嫌いですか?」
突然、なにを言い出すのかと思って、画面を見ている茅洋の顔を見る。
「お、俺が、有名になったら……シワンさんみたいに……なったら……嫌ですか?」
凄いことを言っていると思って、声に出して笑ってしまった。
笑い声に反応して、俺を見た顔は、恥ずかしさを隠すような微笑みを作っていた。
また、その顔も面白くて、笑ってしまう。
「すごいじゃん、すごい自信じゃん。」
俺のマスコミ嫌いは、そういうことじゃない。
それを説明するのに、言葉を選びながら答える。
「俺、勘が鋭いんだよ。だから占いやっているんだけど、そういう噂が回って、さっきみたいな記者が前にも来たことがあって……それが面倒だっただけだよ」
茅洋が夢をかなえて、有名になったら、嬉しい。
その時は、なにか美味しいものでも奢ってくれよ。と笑って言った。
茅洋の生い立ちを聞いて、アイツが眠れない理由を知ったけど、俺のことは正直に話すことができなかった。
――あげちん――なんて、自分で言うのもばかばかしい。
付き合うと良いことあるかもよ。なんて自分から言っておいて、うまく説明できない。
こんな自分が気持ち悪い。
願いが叶えば、別れがくる。
同じ商店街で働いているから、永遠の別れではないだろうけど、そのうち遠くへ行ってしまうかもしれない。
だって……茅洋は、フローリストとして成功するから。有名になるかはまだ見えないけど。
映画は、車が次々とぶつかり、大きな炎を上げて、人々が逃げまどっているシーンになっていた。
隣を見ると、花の本を読んでいる奴がいた。
たいして面白くない映画だし、そりゃ、そうなるよな。なんだか頭痛もする。
画面のスイッチを消し、ソファの上に寝そべった。
「眠い? ベッドが……いいと思う……俺がソファでいいから」
「お前の家だろ。俺がここでいいよ」
イラついて、きつい口調になってしまった。ああ、頭が痛い。なにを当たっているのだろう。
ごめん。と小さく呟いて、隣の部屋から持ってきたタオルケットを俺にかけて電気を消す。
おやすみなさい。とまた小さく呟いて、隣の部屋へ行ってしまった。
夜中一時だ。アイツはまだ眠れる時間じゃないだろう。それなのに、寝室においやってしまった。
数冊持って行った本と、ドアの隙間から見える明かりで、アイツが起きているとわかる。
ごめん。俺ってイヤな奴。
頭痛がひどくなっている。嫌な夢をみた。その後、何かにつつみこまれるような感覚になって、良い匂いがして、安心して眠りに落ちていった。
朝、目が覚めた。隣を見ると横向きになって眠っている茅洋がいた。
温かくて、良い匂いがする。
俺、ソファにいたはずなのに……。
亮は、向かい合うように横向きになって、寄り添い、また目を閉じた。
二度寝から目覚めた時は、昼前だった。同じように茅洋も起き上った。
「また、ベッドに運んでくれたんだな」
そっけなく言う。
「うなされてた……から……寝心地が良くないのかと思って……」
ボケっとした顔の茅洋の頬をつまみ、ありがとう。と言ってベッドから出た。
良く寝たからか、頭痛もなくなっていた。昨日、妙にイライラしてしまったことも頭痛のせいにしよう。
着替えて、顔を洗って、家を出ようとしたら、茅洋から合鍵を渡された。
「あの、また来てください」
もじもじとしている手から鍵を受け取った。
――とちおとめ! と文字が入ったイチゴ型のキーホルダーが付いている。
そういえば、栃木に住んでたって言ってたっけ。
俺も小さい頃に住んでいたことがあった、すぐに引っ越したけど。そんなことも話してなかったな。
アイツのことも俺のことももっとお互い話していければいいな。
外に出て、どこまでも高い空を見上げ、照りつける太陽に目を細めた。
ともだちにシェアしよう!

