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第12話

 初めてセックスをしてから、茅洋は少しづつ変わってきていた。  仕事量が増えていることもあるが、社交的になって、笑顔が増えている。  俺は、それを喜ばしく思っている。だけど一番の喜ばしい変化は、夜眠れているようになったことだ。  俺とした後、茅洋は俺を抱きしめながら眠る。  目を覚ましてしまうこともあるみたいだけど、暗い時間帯から眠れるようになっていた。  そして、俺も茅洋といる時は、よく眠れるし、頭痛もしない。  した後に、茅洋が天井を見ながらぼそぼそと呟くのは、どうやら韓国語みたいだということもわかった。  何言ってるのかわからないけど、アイツの頭には常にイ・シワンがいる。  そしてセックスはしてもキスをしない。そんなことに虚しさが募る。  それでも離れがたい。  ――俺は、茅洋が好きなんだ。    今日のムーンリバーは、占いの予約が二組入っている。小田桐夫婦は、旅行に出ているのでいない。  忙しくなりそうだと仕込みを早い時間から始めていると、「フラワーショップリリーです」という声が聞こえた。配達に来たのは、茅洋ではなく百合だった。 「あれ? 茅洋は?」カウンター越しに話し掛ける。 「今日、急にシワンさんのスケジュールが空いて、手の空いてる人だけでも講習を受けてもらうことになったのよ。で、茅洋くんも行ってもらったの。明日は、他の人も受けてもらうから店は休むことにしたわよ。ごめんなさいね」  いつの間にか、野村くんから茅洋くんに呼び方が変わっていたが、それくらいなじむようになったということなのだろう。 「そういえば、知ってた? 茅洋くんて韓国語喋ってたわ。すごいわね」  毎日、本を見て音を聞いて、ぼそぼそと呟いて勉強してましたよ。と心の中で答える。 「それにしてもあんな流暢に話せるなんて……あ、じゃ、私はこれで」  とアレンジメントの花を窓側に置いて店から出ていく。  今日は、百合が作ってくれたのであろう。  赤とピンクのバラが大人びて、夜の店にピッタリはまるのに、どこか寂しく見える。  花から茅洋が感じられないからなのかもしれない。  予定通り、占い目当ての客が来た。そして、歓迎されない客、黒田奈々子もやってきた。  占いの予約をもらっていた客は、テーブル席に通して、奈々子はカウンターに座ってもらった。  普通の客として来店してきたようだ。  占い中も特に視線を感じなかった。奈々子はじっとカウンターで酒を飲んでいる。  占い目当ての客の接待が済み、別の客が来店する。  ちょうど夜の九時をすぎていた。二次会の流れでくる客が増える時間帯だ。  奈々子は、その間もずっと一人で飲んでいる。  テーブル席の客が帰り、カウンターには、奈々子とたまにくるカップル客と深澤が座っていた。 「マスターに頼まれたんだよ。温泉旅行いくから、その間、客兼アルバイトでムーンリバー手伝えってさ! 皿洗いも、なんでもやるからな」  深澤が活きこんで言ってくれるのはいいが、酔っ払いにさせるわけにはいかない。適度に相槌を打っておく。  カウンター席に座っている奈々子は、いつまでいるのだろう。  彼女はだいぶ酒が強そうだ。ビールからハイボールに切り替えて、三杯は飲んでいても顔色ひとつ変えていない。ただ、黙っているので、なんとなく居心地が悪くなる。 「何か召し上がります?」メニューを渡して聞いてみる。  お通しで出した、湯葉とほうれん草の煮びたしをつつきながら「湯葉好きなんですよね」と微笑んだ。  子供の頃を思い出すように、楽しかった記憶を呼び起こすように話し出す。 「私、小さい頃、栃木県に住んでいて……給食で湯葉が出たりしたんですよね」  独り言のように俯きながら話している姿に、カウンター席にいたカップルと深澤も耳を傾けた。 「小さな町で生徒の数も少ないから、各学年二クラスしかなくて、皆が友達で、凄い田舎って感じでしょ?」  ふふっと笑い、グラスのハイボールを空にした。おかわりをねだるようにグラスを亮の前に差し出す。  新しいグラスにハイボールを作り、奈々子の前においた。それを待っていたかのように、一口飲む。 「覚えてます? 20年前……集団登校の列にトラックが突っ込んだ事故……だいぶ騒がれたと思うけど、あれって私の学校だったんですよ」 「あ、覚えてるよ、それ。俺その時、仕事で栃木出向してたから」  カウンター席に座っていたカップルの男が言う。 「そう、凄い騒ぎ…………私も、その事故に巻き込まれたんですよ。その登校班にいたんです」  確かに、そういう事故があった。暴走運転、居眠り運転が招いた事故。  配送業者の過重労働とか、時間外労働とか、健康管理を怠ったとか色々世間が騒いでいた。  亮は、こめかみのあたりを揉んでいた。  ズキズキとするからだ。昨日は、ちゃんと眠れたはずなのに。  胸元のポケットに入れていた茅洋の家の合鍵についているキーホルダーが落ちそうになった。 「とちおとめ……」奈々子がそれを見据えて言う。 「ああ、これは友達のです」  胸ポケットから出そうになった茅洋の部屋の鍵がついたキーホルダーをポケットの奥に押し込んだ。 「ご友人は、栃木の人?」  奈々子の目が鋭く光る。それがとても嫌で、とぼけることにした。 「さあ。知りませんね。俺も栃木にいたことあるし。そんな人、大勢いるんじゃないですか?」 「友人は……」という次の質問がきたところで、深澤がいきなり大声を出した。 「やばい、今日はもう店閉めないとやばいよ。マスターに言われてたんだ。さあ、皆申し訳ないけど帰ってくれ!」  何がやばいのかの説明もないまま、深澤の勢いに押し出されるように、奈々子とカップルは店から出て行った。  よくわからないという顔をしていると、申し訳なさそうな顔をする深澤は、小さなため息をついて言った。 「マスターからしつこい客がきたら見張っていて、ヤバそうになったら追い返してくれって言われてたんだ。ごめんな、客なのに追い返すことしちゃって……なんだか、友達って茅洋のことなのかとおもってよ。余計な勘繰りしちまったよ。ごめんな」  あの暴力事件後、やたらと茅洋を心配していた深澤だ。色々と気がせいてしまったのかもしれない。 「いいえ、ありがとうございます。」  追い返してくれたのは嬉しかった。これ以上の話しは、体調を崩す可能性があった。  ああ、茅洋に会いたい。アイツの家に行って一緒に眠りたい。  なかなか頭痛がとれずに店を閉めた。  フラワーショップリリーのスタッフは、都内のホテルにある会議室でイ・シワンからの講習を学び、そのままそこのホテルに泊まるということになっていると深澤から聞いた。  百合と明日から講習を受けるスタッフも前乗りでホテルに向かったそうだ。  家に行っても茅洋がいないのはわかっているのに、アイツの匂いがある場所に行きたかった。  ひどくなる頭痛を抑えながら、茅洋の家に入る。  真っ暗だ。なにもせずにベッドへ横になった。一番茅洋の匂いがする場所を探すようにする。  アイツがそばにいないと眠れないかもしれない……。  でも、眠れるすべは知っている。脳を疲れさせればいい。嫌なことを思い出せばいい。  そうすれば、眠れる。眠れるはずなのに……閉じようとする目から涙があふれて、止まらない。なんで……。  眠れないから? 茅洋がいないから? アイツが他のヤツを好きだから?  頭が痛い……アイツに何も話してないから? あげちんてなんだ? 占い? 運気が良くなるってなんだよ。  見えるって? 超能力少年? 俺が? 違う、違う。  ――俺は違う。  光が覆う。眩しい。あれは、あのフラッシュは、マスコミのカメラだ。    ――あの大事故からの無傷で生還! 彼には何か見えていたのか! 超能力少年に聞く、あの時のことを!  大声で叫びながら、夢から覚めた。  窓の外は暗くて、部屋の中も暗かった。  スマホをみたら夜中の1時だった。そして、着信が一件とメールがあった。茅洋からだ。  イ・シワンと会えたことと、お礼だった。  頭が痛い。寒気がする。きっと風邪だ。誰かがもってきたウイルスをもらっちまったんだ。  ベッドでうずくまり、鼻をすする。  会いたい。触りたい。抱きしめたい。  茅洋……呟いて、枕に顔を押し付けた。  うつらうつらの状態で、何度も目覚めながら、ちゃんと眠れたのは窓から差す光が見えた時だった。  やっぱり寒気がする。タンスの上にある救急箱から体温計を取り出してはかると37.7度あった。  救急箱から風邪薬を出して飲んだ。  俺が飲みすぎて胃が痛くなった時、この救急箱から取り出した。ちょっと指先を切った時も絆創膏を出した。全部、茅洋がやってくれた。  風邪をひいているせいで、感傷的になってしまう。  ちくしょう、なんでこんな思いしなけりゃならないんだ。  別に、ヤツは講習会に出掛けているだけだ。それが終わったら帰ってくる。  今日は店を休もうか。身体がだるい。  次に目が覚めた時は、昼すぎだった。腹も減ったし、熱は少し下がったような気持ちがしたので、とりあえず外にでる。  フラワーショップフカザワに顔を出し、昨日のお礼をした。  少し風邪気味だから店は休むことにしたことも伝える。  小田桐に、店は休むというメールを打って、茅洋にも休みをとっているというメールをだしたが、風邪だからということは伏せておいた。  心配するだろうし、今余計な気を向けさせたくなかった。  心がチクリと痛むのを気のせいだと思うことにする。

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