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第13話

 ムーンリバーの扉には定休日札を付けて、駅前のファミリーレストランに向かった。  もう少しで夏休みが終わりだからか、子供たちの集団と、ママ友と談笑している母親集団が店の一角を占領していた。  宿題がまだ終わっていない、旦那が手伝ってくれないという話題と、ゲームで盛り上がっている子供の声がして賑やかだ。  その賑やかな場所から離れたところに四人席が空いていたので、そこに案内してもらった。  頭痛は消えていない。あの喧噪にまぎれていたら、余計ひどくなりそうだった。  どうしよう、頭痛いけど、昼間っからビールでも飲んでしまおうか。  そして、ここはワインも安いし、グラタンとかピザも安いし、小さいサイズだから一人でもつまめるしと悩む。 「相席してもいいですか?」  聞き覚えのある声に一瞬眉根がよる。メニューから顔を上げると、奈々子が立っていた。  昨日もそうだったけど、たんなる取材だと思えない。最初はそう俺に近づいてきたけど、本当は何かもっと別の目的があるのではないか。どうぞ。とそっけなく言うと、ありがとうと礼を言って真向いに座った。 「私ここのソーセージピザが小さいころ大好きで、他にも美味しいメニューがあることは大人になってから知るほど、そのピザしか食べてなかったな……住んでいる町にはなかったけど、すぐ近くの市に一軒だけあった……覚えてる?」  奈々子が言った意味は、もうわかっていた。  俺と奈々子は幼馴染だ。近くに住んでいて、同級生で学校も一緒で、通学班も同じだった。    ――あの事故の被害者だ。    ファミリーレストランの一角で盛り上がっている母親たちと子供の方を向き「懐かしいね」とつぶやく。  注文を聞きに来たので、ワインとパスタを注文する。奈々子もビールとドリアを注文した。  懐かしい? そう懐かしいかもしれない。でもよくわからない。  昨日思い出したのだ。栃木での生活のことは、あまり覚えていない。  父の転勤で、小学生上がる頃に家族で引っ越してから、4年間住んだ。  ファミリーレストランも家族や友達家族とも行っただろう。ただ、あまり記憶にない。 「……あまり覚えていない」  それだけしか言えなかった。奈々子はどういうつもりで俺に会いたがってきたのかよくわからない。  運ばれてきたワインとビールにお互い口を付ける。乾杯なんてしない。 「花岡君にお願いがあってきました。あの事故の被害者として記事を載せたい。私だけじゃなく、他の人の話しも聞きたいの。お願いします」  頭を下げた奈々子の左腕が揺れている。それを右手で押さえながら顔を上げた。 「みっともなくてごめんんさい。思い出すと……左手が震えるの。なんの病気でもないのに、後遺症ってやつみたい」  俺の頭痛と一緒か。事故のニュースや映画をみても頭が痛くなる。 「みっともなくないよ。俺も同じだから気にしないで。ただ……なんで今さら……」  奈々子の揺れる瞳が、真っすぐに定まる。ゆっくりと瞬きをして目を開いたときには、初めてバーで会った時と同じような強い決意がみえた。    20年前——朝の登校時に起きた惨劇! 小学生の列にトラック突っ込む。という新聞が一面を飾った。  正確には、小学生の列の方向に突っ込んできたのは、外れたタイヤだった。  居眠り運転は、スピードを落とさず、曲がり角に激突し、そのはずみで外れたタイヤが転がり俺たちにむかってきたのだ。  通学班は5人いた。同じ学年の奈々子とたまたま同じ忘れ物をして、二人で一度引き返した。  縦笛をランドセルに突っ込み、二人で列に追いつこうと走った。  もうすぐ列に追いつくというところで、ドン! ガシャン! というすさまじい音がして、ドンというまたすごい音がしたと思ったら、自転車に乗っていた高校生のお兄ちゃんが、俺にのしかかって倒れてきた。  すぐ後ろにいた奈々子もそれで転倒した。  俺にのしかかるお兄ちゃんが重くて、思い切り力をだして持ち上げる。目はうつろで、口から吐き出した血が亮の顔にかかった。  愕然として声にもならなかった。  血のせいで、俺が大怪我をしたと思いこんだ奈々子が大泣きしている。  先に歩いていた登校班の列は、亮と奈々子が追い付きそうだからと、止まってくれたのが幸いし大事に至らなかった。  トラックの破片が飛び、それがあたっての怪我と、大きな音で驚いて転倒した怪我で済んだ。  運転手は即死だった。  そしてもう一人、自転車通学中の高校生が病院へ運ばれるも残念ながら死亡した。  スピードを付けたまま転がったタイヤが自転車通学の高校生をもろに直撃したのだ。  その後は、マスコミが学校を取材し、病院や家にまでくる始末。  毎日、テレビではこのニュースで持ち切りだった。  トラックの配送業社の勤怠管理はずさんだったことが明るみにでて、その会社は散々叩かれた。  運転手は何連勤の続く過密スケジュールを強いられていた。当時の人員が少なく、荷物の詰め込み、配送までを一人でこなさなければならず、休みがとれていなかった。  タイムカードの改ざんもあり、どれほど働いていたのかは、計り知れないものだった。  この事件から、配送業社だけでなく、どの企業においても労務管理を厳しく見直すきっかけともなった。  頭痛がする。ズキズキと頭の前側が痛くてしょうがない。  あの高校生のお兄ちゃんのうつろな目と吐血は、鮮明に覚えている。他のことは忘れてしまっても、あれだけは忘れることなんてできなかった。 「私は、ブラック企業の実態を調べています。その事故を起こした配送業社は社名を変えて同じ社長のもと業務を続けています。配送業としては優良なのですが、他に始めた情報処理を中心とした会社は悪質な勤怠管理であるとことがわかりました。働いていた人の証言はもらっているので間違いないんです。そこを叩こうかと記事を書くことをすすめているんですが、過去にあの社長が起こしたことも記事にしようかと……」  奈々子の目は強い決意のようでいて、どこか哀しい瞳の色をしている。 「あなたが、記者で、その記事を書くことは自由だと思う。だけど、俺は何も話したくない」  すっかり冷めたパスタをすする。グラスワインはなくなっていたから、デキャンタで頼むことにした。  奈々子もビールの追加注文をした。  昼過ぎのファミリーレストランで酒を飲む人は珍しくもないが、楽しい会話をしている雰囲気でもないカップルを店員は奇妙な目で見ていた。  店内にいた母親と子供の集団は帰ったようで、静だ。 「ムーンリバーの占い師の裏の顔は超能力者で、付き合った人の運気をあげる力をもっている。という記事を書いても? 花岡くんのことを調べたら、話してくれる人は沢山いたわ。昔付き合って数々の恋人もどき? とか……」  恋人もどきという言葉に小さく笑う。当たっているというべきか。元恋人とかじゃない、本当の恋人でないから、恋人もどき。  なんだか、可笑しくなって、声に出して笑う。自嘲めいた笑いだ。  そんな亮を無表情のまま奈々子は見ている。 「それは、脅しか?」 「……突然引っ越してしまった友人を探すだけだった。なぜ引っ越したのか思い出せなくて、でも調べていくうちに花岡くんの興味深い話しを聞いた。そして思い出した、超能力少年と言われていたことを」  テーブルに届いたビールを半分まで一気に呷る。 「事故から数か月して、花岡くんがおかしなことを言い始めた。先生が言う先のことを当てたり、誰かが遅刻するとか、どこかにある忘れ物を見つけるとか。そのうちに超能力だってみんなが言い始めて、家や学校にもマスコミがきたわよね……事故前まで、そんなことなかったのに。あれが原因なの?」  あの事故が原因? わからない、俺だって、わからない。 「それを聞いてどうする? 俺のことを聞いても、なんの意味もない。アンタが暴きたいブラック企業の実態とは全く関係ないよ」  またパスタをすする。なんだか食欲があるんだか、よくわからない。  でも、なにかつままないと、空きっ腹にアルコールはダメだと茅洋に言われてたっけ。  俺の周りの人は、みんな俺を心配してくれてた。  引っ越しだって、あまりにマスコミがしつこくて、母親が言いだした。  父には仕事があったから、しばらく単身するような形になってしまったし、母子二人知らない土地で暮らさなきゃならなくて、苦労したはずだ。  親にだって、小田桐夫婦にも迷惑はかけたくない。  誰かが死んだ。死んでいるのに、別次元で騒ぐマスコミ。  親や事故に関わった人達は、俺を憐れむように見ていた。 「それに、あの時死んだ高校生のお兄ちゃんの家族まで、また悲しい思い出を呼び起こすことになる……その人達の気持ちを受け入れる覚悟はあるのか?」  無表情だった奈々子の目が揺らいだ。何らかの形で後遺症を持っている同士だ。わからないわけがない。    事故後、マスコミの取材が落ち着いた頃に高校生の家へお焼香しに奈々子の家族と親と一緒に向かった。しかし、断られた。俺たちのような子供にでさえ、恨めしい表情を向け「なんでウチの子だけなんだ」と呟いた父親の顔は、奈々子も見ているはずだ。  顔を俯き「悔しくて」と奈々子が呟く。  あの事故のことなんて思い出したくないし、書きたくもない。絞り出すように言う奈々子の目から涙がおちていた。  あの事故を最高の思い出だと言った上司が許せなかった。それと同時に、書けるものがあると湧き上がった感情がある自分自身も許せなかった。  その悪質な勤怠管理をしていた情報処理の会社を調べていくうちに、あの事故を起こした社長の会社だということを知った。この件はお蔵入りにしようかと思った。証言してくれた人は、もう会社を辞めているし、力になれなくて申し訳ないと謝ればいい。  でも、その事実を知った上司が、うだつの上がらない記者は、自分の過去でも暴いて記事にしたらいい。「良い記事になる」とけしかけた。  そんな言葉に負けた自分が情けない。奈々子は涙をハンカチでぬぐって、まっすぐに亮を見る。  さっきとは違った意志のある綺麗な目をしていた。 「自分だけが被害者のつもりでいたわ……思い出した、また自分の親を悲しませることになるところだった……。ありがとう」  左手の揺れを抑えながら話す奈々子が微笑する。  後遺症があるとわかった時の奈々子の親は、色んな病院へ診てもらうために駆けずり回った。精神的なものだからとカウンセリングも受けた。  こんなんで嫁になんて誰ももらってくれないって言われるわと残りのビールを呷った。 「酒の飲みすぎのことなんじゃないの?」  飲みっぷりに関心しながら言うと、「ひどいわ」と、今までみたことのない笑顔が出てきた。 「ね? 占い師でしょ? 私の将来は? 仕事はどうかしら? 辞めたほうがいい?」  ここは店じゃないんだけど、とぼやいて彼女を見る。 「前にも言ったけど、アンタは諦めが悪い人だし……努力家だから仕事は続けたほうがいい。人の痛みを知っている良いジャーナリストになるよ、……ナナちゃん」 「……!」  はにかみながら笑う顔が懐かしくて、俺も笑った。    ファミレスから出た後、茅洋の家に向かうか悩んだが、足はそちらへ向いていた。フラフラと商店街を歩く。  頭の痛さは少し落ち着いたけれど、身体はだるくて歩くのがしんどかった。  熱が上がったかもしれないな。やたら目がチカチカする。  暑苦しい空気の中で、意識が朦朧としているのだけがわかった。  真夏のアスファルトは照り返しがあって熱い。頬や手にふれている道路が熱いと感じているのに動けなかった。  これって、低温火傷どころじゃないかもなと思ったのが最後で、次に意識が戻ったのは、病院のベッドだった。  真っ暗な病院のベッドで点滴を付けられ、頭には包帯、頬はガーゼが張り付いていて、手や腕も包帯が巻かれていた。  なんで、こんなミイラ人間みたいになっているんだ。 「花岡さん、気付きました?」看護師が部屋の電気をつけてくれた。  目をしばたたかせながら、光になれていく。 「光化学スモッグ発令中に外へ出たら危ないんですよ! 商店街で倒れたから、まだ人がいたけど、それでも外出る人が少なくなるんですから、もう少し発見が遅かったら危なかったですよ! 注意してください!」  先生呼んできますね。と足早に部屋を出て行き、すぐに先生と看護師が戻ってきた。 「花岡さん、気分はどうですか?」  頭痛がひどい時に診てもらうかかりつけ医だ。 「頭は痛くないです。俺……」  ファミレスの外で奈々子と別れて、商店街を歩いている時に意識がもうろうとして倒れた。倒れた時に軽く頭を打ち付けたのと、頬や手に擦過傷とアスファルトの熱さで軽い火傷ができてミイラ男のように包帯だらけになったというわけだ。  先生からのいくつかの質問に答えて、血圧、脈拍と体温を測る。  全部正常値だね。と言われて、検査も問題なかったから明日退院していいよ。と先生と看護師は部屋を出て行った。  ベッドの側にある鞄の中からスマホを取り出す。  日付をみて驚いた。丸一日たっていたからだ。  小田桐からのメールが一件と、茅洋からのメールが数件、着信がとんでもない数で表示されていた。  ベッドから降りて、窓側の椅子に座る。個室だったのが良かった。  茅洋に電話すると、コールが半分鳴ったかくらいで出た。  あまりの早さに笑ってしまってから、声の大きさを抑えて呼びかけた。 「茅洋、ごめんな連絡できなくて……今気が付いたんだ」 『花岡さん、どこ? 大丈夫?』 「ちょっと気分わるくなって病院にいる。明日退院できるから」 『ど、どこの病院ですか? 行きます。お、俺……』 「来ても、入れないよ。面会時間は過ぎてるし、明日退院できるから、お前の家いくよ」 『迎えに行きます。どこの病院?』  病院名を告げて、電話を切った。  明日会える。茅洋に会える。  こんなに浮かれるものなのか。恋人でもないのに、離れていってしまうのに、少し会えるというだけで、胸がいっぱいになる。

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