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第十話 紗生は、ギアになってもトオルを見つける

「あの、秋山主任。ごめんなさい、シール破いちゃって……これ、どうしたらいいでしょうか?」 「秋山主任! 見てくださいこれ、貼るのちょっとズレちゃったんですけど、やっぱりアウトですかね!?」 トオルは慌てる二人を落ち着かせるように優しく微笑んで、「大丈夫ですよ」と声をかける。 「破れちゃった方は、そこの廃棄箱に入れてもらえれば大丈夫です。新しいのは予備のシートから出せるので気にせず貼り直してくださいね。ズレの方は……うん、これはそのままでOKです!」 ボジョレーの時期に合わせて増員された短期パートさんたちから、毎年同じような質問を受けるため、トオルは要点をまとめたプリントを配って回ることにしていた。 プリントには、不良品のサンプル写真を集めた『基準シート』の共有ファイルがある場所も記載されている。 「ラベルの位置も、箱のキズも、液量や濁りのチェックも……人によって『これくらい大丈夫』の感覚って全然違うんですよね。だからこそ、どこまでがOKでどこからがNGか、写真つきでひと目でわかる明確なガイドラインを作って、みんなで共有したいんです。 鈴木さんも、坂口さんもどんどん書き込んでいって下さい。まずは、さっきのOKだったシール位置の事例を使って、追記のやり方を説明しますね」 その日の気分や、相手によって判断基準が変われば、現場に不公平感が生まれ、作業する人たちを不安にさせてしまう。感覚に頼るのではなく明確な『ものさし』を共有し、全員が安心して作業できる環境を作る。それがトオルのポリシーであり果たすべき役割だった。 昼休み中も、トオルはいつもより混雑している休憩室で、席を譲ったり、電子レンジ待ちの列を案内したりしていた。 (紗生(さき)くんの姿が見当たらないよー) トオルは辺りをきょろきょろと見回す。 (荷下しが押してるのかな……?一緒に食べたかったなぁ) 諦めたトオルが、自販機の横で買ったパンを食べようとしたその時、またしても「秋山さん、ちょっと来てください!」と声がかかる。 結局、落ち着いて食べる暇すらもないまま、トオルの慌ただしい昼休みはあっという間に過ぎ去ってしまうのだった。 ◇ 「秋山主任、この商品が指示書にあるロケーション(住所)の棚に見当たらないんですけど……」 パート女性に困り顔で話しかけられ、トオルは持っていたハンディ端末に目を落とした。 それは今日、特に発注が集中している商品だった。 本来ならピッキング作業が始まる前に、フォークリフトへ指示を出し、ラックの高段(保管エリア)から低段(取り出しエリア)へと移動させておかなければならない「事前補充」の商品だ。 連日の多忙と空腹、さらにはあの「どこでもドア」を巡る心労や、そして何より紗生の言動に翻弄される感情――それらが重なり、トオルの神経は消耗していた。トオルの完全なミス、システム入力漏れだった。 「ごめんね、 すぐに下ろしてもらうから!」 トオルは務めて明るく言い、急いで端末を操作しようとした。 しかし、トオルは手の届きようのない巨大な保管ラックの上段に取り残されたワインの箱を見上げ、自分を責める思考の波に飲まれて手が止まってしまう。 (こんな忙しい時に……、僕はなんて間抜けなんだろう………) その時だった。 背後から、フォークリフトのモーター音がすっと近づいてきた。 「トオル先輩、どうしたんですか?」 振り返ると、忙しいはずの紗生が、フォークリフトの座席から覗き込むようにこちらを見ていた。 「紗生くん……! あ、あの、この上の在庫を下ろしたくて……ロケーション送るね」 トオルが慌てて指示を送ると、紗生はすぐさま「了解」と短く頷いた。 一切の躊躇なくレバーが倒され、フォークの爪が高々と持ち上がる。吸い付くような正確さで高段のパレットの差込口をとらえると、音ひとつ立てず、あっという間に引き下ろしてみせた。 トオルがポケットからカッターを取り出して荷崩れ防止のストレッチフィルムにすっと刃を入れる。 「ありがとうございます!助かりました!」 開梱された箱からさっそく商品を手に取り、パートさんが安堵して作業に戻っていくのを見届け、トオルも胸を撫で下ろした。 「……ありがとう、紗生くん。助けに来てくれて」 紗生はリフトをバックさせながら、トオルの方をちらりと振り返った。 トオルと目が合ったほんの束の間、紗生の口元がふっと柔らかくなった。そして、周囲の視線を遮る一瞬の隙を突いて――トオルだけに見える角度で、イタズラっぽく静かに唇を動かした。 『あ・と・で』 トオルにはそれがスローモーションのように見える。 そのまま何事もなかったかのように旋回すると、紗生は元の忙しい作業へと戻っていった。 遠ざかる背中を見送りながら、トオルは肩の力が抜け、ふっと体が軽くなるのを感じた。 仕事では自分という存在を消し、大きな流れの「歯車」になってひたすら走り続けている。けれど、どんなに忙しい現場の渦中にいても、大勢の人波の中に紛れていても…。 (紗生くんは……ちゃんと僕のこと、見ててくれてるんだ)

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