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第16話
後日談 第五話
帝国での国王夫妻やロバートの公務、リチャードの帝国テレビとの契約交渉など、大半のスケジュールを終え、あとは軍艦引き渡しの調印式と式後のセレモニーを残すのみとなった。
調印式後のセレモニーは、帝国とヘーゼルダイン王国との友好を祝す、華やかで賑々しいものとなった。軍人や貴族が子どもたちも連れて出席するパーティーというのは、なかなかない。初日のレセプションと違って大きなパーティーなので、大勢の貴族が招待されている。
誰もが思い思いに着飾った絢爛たる人混みの中で、カールはすばやくジョナサンを見つけた。兄の運命のつがいであるそのひとは、誰よりもキレイだった。
細身の身体に華美でない盛装をした様子は、すらりと清楚な白いカラーの花のようだった。運命のつがいである兄ではなくて、ただのベータと寄り添っている。頬を薔薇色に染めて、ただのベータを見上げ、腰を抱かれて、嬉しそうに微笑んでいる。
ただのベータに。
四十代半ばだなんて、絶対に嘘だと思った。二十代後半から三十歳くらいにしか見えない。兄を拒絶するために、嘘を吐いているのだと思った。嘘を吐いてまでも兄を拒絶するなんて、あのオメガはなんと愚かなのかと腹が立った。
兄は一番遠い壁際にいて、そのひとをせつなげに見ている。挨拶くらいさせてもらえばいいのに、自分は側に近づく資格が無いのだと、御姿を拝ませていただくだけじゅうぶんだと、寂しそうに笑った。あのひとに迷惑をかけるわけにはいかないからと、忙しい研究の合間を縫ってわざわざ医療機関に足を運び、抑制剤を処方してもらってきて服用している。遮断剤ではなくて抑制剤を服用しているのは、自分のアルファフェロモンでジョナサンに迷惑をかけるわけにはいかないけれど、ハインリヒ自身は運命のつがいのフェロモンを感じ取りたいからなのだろう。こんなせつない兄の心遣いをすらわかってくれないジョナサンは、なんて意地悪なのだろうとカールは思う。
ミッドナイトブルーのタキシードで盛装した兄は、ため息が出るほどかっこいい。こんなにもかっこいい兄が挨拶すらさせてもらえないなんて、そんなのおかしい、まちがっている。
カールは歯軋りをしながら、ジョナサンとただのベータを観察し続ける。
おそらく問題なのは、あのオメガを手放そうとしない、もとダブル・アルファだったというベータだ。命を移譲したなんてすごいことだとは思うけれど、ベータになったのなら、いさぎよく身を引けばいいのに、と、子どもならではの単純さで、カールは思った。
家に遊びに来てくれた時には親しく遊んでくれたロジャーやサミュエルが、今日は側に来てくれないのも不満だった。カールと同世代の、カールが知らない海軍幹部や貴族の令息たちと愉しそうに歓談していて、カールのことを見ないのだ。
ロジャー達にしてみれば、あの時は客として礼を尽くしたのであって、今はパーティー会場に相応しく礼儀正しくしている、子どもではあっても、公的な場に相応しい立ち居振る舞いと歓談をしている、ただそれだけなのだが、学校に行っていなかったカールは紳士淑女教育を受けていないのでわからない。カールが視線を送っても気づかないロジャー達に、理不尽な怒りが湧く。きっとあのベータが、キュヒラー家の人間に近づかないようにと、子ども達に命じたのだと思った。
カールの周りだけぽっかりと穴が開いたようだった。せっかく盛装してきたのに、今夜は顔色が悪く、言い方は悪いが死神のような気配を漂わせている。他の同世代の貴族の令息令嬢もいるのだけれど、貴族学校に行っていなかったカールのことは誰も知らないので、歓談の輪に入れてもらうこともできないのだ。仕方が無いので、ひとりでポツンと佇み、周囲の会話を聞くともなしに聞きながら、ジョナサンを見たり邪魔なベータを見たり、兄の様子を見たりしている。
運命のつがいに出会い、熱烈に求愛したのに、オメガにすげなく拒絶されたアルファとして、ハインリヒ・キュヒラーの名は知れ渡ってしまった。若き天才として名高いアルファを拒絶したオメガとは、いったいどんな人物なのか、人々は興味津々なのだが、曲がりなりにも上流階級なので、露骨に嗅ぎまわって詮索するようなことはしない。
カールはそのハインリヒの弟だ。周囲の人々が自分の兄の噂を酒の肴にしているのが聞こえて、苛々する。兄が笑いものにされるなんて、断じてあっていいことではない。
今宵の祝賀会は、帝国とヘーゼルダイン王国の関係をより親密なものにする親善と友好の場だ。特筆すべきは、未来を担う若者たちの交流をという趣旨のもと、子ども達の出席が許されていることだ。だからとても賑々しいけれど、良家の令息令嬢なので子どもとはいってもとても礼儀正しく品がいい。
そしてメインは、海軍の友好と協力、帝国テレビとアディンセルテレビの提携なので、海軍の将校も大勢いる。真っ白な海軍の正装が美しい。その中に混じって、今は艶やかな濃グレーのタキシードのリチャードがいる。帝国テレビのお偉いさんたちとのやりとりを終えて、旧知の海軍将校たちと談笑している。帝国のエリート軍人たちの中にいても、リチャードがいちばんかっこいい。
盛装したリチャードの姿を堪能しながら、ジョナサンは時々、壁の方に目をやる。
カールは、今はジョナサンを全く見ようとしない。まるでジョナサンなど、見えていないかのようだ。
ジョナサンではなくリチャードを睨みつけて、カールは壁際を伝って少しずつ移動している。
ジョナサンはその様子を時々見ている。
人々がひそひそとハインリヒのうわさを囁くのがいたたまれなくてそういう話題の人達から離れようとしているのかと、最初は思ったが、きつく唇を引き結んでリチャードを睨んでいて、その眸には憎悪の炎が燃えているのが遠目にもわかる。見るたびに少しずつ移動していた。何度か目線で追う度に、だんだんと動いている。
今、ジョナサンのそばにはクライヴとセドリックがぴったりと寄り添っている。ギルバートがバンケットスタッフからドリンクを取ってくれたり食事を取ってくれたりとせっせと世話を焼いてくれている。トイレは大丈夫かとか、リチャードに言いつけられたことを遂行しよう、ジョナサンが快適に過ごせるように、変なアルファが寄って来ないようにしっかりガードしなければと、一生懸命な息子たちの様子が健気で微笑ましい。
リチャードは、ロバートと一緒に旧知の帝国海軍の将校や帝国政府要人と話している。ヘーゼルダイン王国では、ベータになったリチャードを蔑むような輩もいたけれど、帝国の上流階級には、そういう下品なことをする者はいない。
「ジョナサンさん」
声をかけてきたのは、アガサとアリスだ。パーティー・ドレスは初日のレセプションとはまったく違う、シックでシンプルなものだ。帝国の流行のものを買い求めたらしい。同じデザインで色違いにしている。とても洗練されていて似合っていると感想を言うと、嬉しそうに笑う。もう一着、同じデザインで色違いのドレスを、ツェツィーリアへのお土産にしたのだと、輝くような笑顔で語る。
「でも、着てもらえるのは来年かしら?」
「そうだね」
セシルはリチャードの弟と結ばれて、今、妊娠中なのだ。悪阻が酷い上に羊水過少で入院していて、今回の帝国訪問には同行できなかったのだ。だからジョナサンもリチャードも、セシルへのお土産をたくさん買った。アクセサリーや書籍から、帝国のベビー用品など、山のように買った。
「ところで、運命のつがいに会ったって、本当ですの?」
「うん。驚いたよ」
運命のつがいに出会えることは、奇跡と言っていい。砂漠の砂の中から一粒の砂金を拾うような、天文学的な確率なのだ。
「アリスとアガサは、運命のつがいを見たことがある?」
「ありませんよお。聞いたことならありますけど」
「聞いた?」
「だって有名ですもの」
ふたりが知っている運命のつがい、それは、この帝国の現皇帝と、ブリジットの生母である第二妃だ。帝国内外、知らない者など無い、有名な話である。知らなかったのはジョナサンくらいのものだろう。
そのジョナサン自身が、運命のつがいに出遭った。
拒絶したら引き下がったけれど、心の中では諦めきれないのだろう。離れた壁際からせつなげにジョナサンを見ている。近寄っては来ないけれど、視線が鬱陶しい。
ジョナサンは今日も、アルファフェロモン遮断剤を服用してきた。副作用のことを言ったらリチャードは心配そうにしていたけれど、つがいがいないオメガである以上、そしてどんなアルファも受け入れるつもりが無い以上、遮断剤もしくは抑制剤は、人混みでは必須だ。抑制剤は医師の診断や処方箋が無ければ入手できないし、体質に合わない場合は遮断剤よりももっと強い副作用が出たり、アナフィラキシーのようなショック症状があったりする。遮断剤の副作用はそこまで深刻ではないので、街中のドロゲリー(ドラッグストア)で買えるので旅行者でも入手できるのだ。
遮断剤を服用していれば、アルファフェロモンはいっさいわからない。たとえ、運命のつがいのフェロモンであっても。
ヘーゼルダイン王国と違って、帝国ではもしも街中などで突発的にヒートになってしまったオメガのフェロモンによってラットになったアルファがオメガを襲ってしまった場合、アルファが罪に問われる。だからアルファのためのオメガフェロモン遮断剤や自身のフェロモンが出ないようにする抑制剤も種類豊富で、状況や体質に合わせて使いこなすのが品位あるマナーであるとされる。
「なんでもね、裕福ではない家に生まれたオメガが資産家のアルファにわざと自分のオメガフェロモンをぶつけてラットにさせて、自分を襲わせる逆レイプというのがあるのだそうですよ」
「は?」
アガサの情報に、ジョナサンとアリスはびっくりした。
「そんなことをして、なんの意味があるんだ?」
「オメガの保護が行き過ぎた結果だって言われてますね。わざと被害者になって、アルファの財産をせしめるのですって」
ジョナサンはベッドルームに置いてあった帝国法律全書を思い出した。二十年以上の懲役、もしくは資産の半分を没収、譲渡。地位も能力もあるアルファがオメガをレイプしたり虐待したりしないように定められた法律だが、それを逆手にとってわざと被害者になるなんて、すごいことを考えるのだな、と驚いた。
「だからその逆レイプ、フェロモンレイプとも言われるそうですけど、そうしたことから自分や資産を守るために、裕福なアルファにとって遮断剤や抑制剤は護身用の必須アイテムなのだそうです」
アルファがオメガから身を守らなければならないなんて、ヘーゼルダイン王国では想像もできない。ジョナサンの育ってきた環境ではアルファは常に強者であり、オメガを踏み躙る存在だった。
「実際に服役したアルファとか、資産を譲渡したアルファって、いるの?」
「最近はアルファの自衛意識が高くなって事件自体が無いからいないようですけど、少し前まではいたそうですよ。でも・・・」
オメガ保護法が制定されたばかりの頃には相当な混乱があった。法律が世間に浸透するのに、長い時間がかかった。ようやっと法律が世の中に馴染んでオメガの尊厳が確立されたのに、フェロモンレイプという事件が起こった時、帝国のバース社会は激震した。
「資産譲渡を拒否して裁判で争ったアルファが裁判で負けて、それでも資産を譲るのは嫌だからって、妊娠しているオメガを惨殺したなんていう事件があったそうですよ」
「うわあ・・・」
「目論見通りにお金をせしめたオメガもいたそうですけど、同じオメガたちから忌み嫌われて軽蔑されて村八分になったり、社会的に孤立した存在になったようです」
それは仕方ないだろう。いくら被害者アピールをしても、人の口に戸は立てられないし、真実の被害者とわざと被害者になった者では違うだろう。
「そういうことをするオメガがいると、本当に被害に遭ったオメガやまっとうに生きようとしているオメガが、また差別されたり社会から忌避されたりするだろう?」
「そうですね、だから逆レイプをしたオメガは、同じオメガからも嫌われて孤立するんですよ」
そうした手段を使ってでも金が欲しいのは、法律で平等とされてはいても、オメガは経済的に不安定だったり不遇である者が多いからだという。貴族や資産家に生まれた者を除いて、オメガは安定した職につけないことが多い。三か月に一度、ヒートがあるので、その間はどうしても仕事を休まなければならない。だから経済的に安定しない。
「だからってわざと被害者になるって、ちょっとびっくりですけどねえ」
アリスは眉間に皺をよせているけれど、ジョナサンは胸が痛くなった。やりたくてやったわけではないけれど、無理矢理させられていたのだけれど、売春や代理母をさせられていた。もしもあのクソ親父がいなかったとして、けれどまともな仕事をしても経済的に苦しかったら、自分だってそういうことをしたかもしれない環境にいた。ひもじくてひもじくて、つらくて悲しくて、死んだ方がマシだと思うような夜がいくつもいくつもあった。残念ながら? ヘーゼルダイン王国はそんなふうにオメガを保護する法律など無かったから、わざと被害者になっても何の救済も無かった。
今は飢えや苦痛からは遠いところにいるけれど、今、この時に、かつての自分のように絶望的な環境にいるオメガが、どこかにいるかもしれない。
ジョナサンがそんな回顧にとらわれていたのは、ほんの一瞬だった。
そのわずかな間に、カールはリチャードがいる集団の近くまで移動していた。
そこには、帝国の閣僚や海軍の将校と歓談に興じるリチャードとロバートの姿があった。ほとんどがアルファだ。人々の上に立ち、社会を牽引していく男たち。その存在感に圧倒されるような・・・。
リチャードはその中で対等に談笑している。ベータになったからといって臆することも卑屈になることも無い。
つまり、ベータになったことを後悔なんて微塵もしていない。
ジョナサンとつがえないという、その一点以外は。
カールの姿が、いつのまにかその方向にあった。壁際から、リチャードをじっと見ている。なぜ、リチャードを見ているのだろう。
カールの手の中に光る物が見えた瞬間、ジョナサンは椅子を蹴り倒して走り出していた。前世のヨナタンだった時、持久力ではリヒャルトに負けていたけれど、瞬発力ではほぼ同格だったはずだ。
たとえ、前世とは比べ物にもならない華奢なオメガの身体でも。
カールがリチャードに突っ込むよりコンマ一秒はやく、ジョナサンの身体が突風となって、リチャードの長身を突き飛ばした。
ナイフが骨に当たる音なんて、初めて聞いた。
刺してきたカールの呆然と歪んだ顔を見る。顔色の悪かったカールの顔が、さらに真っ青になった。当たり前だ。狂信的に敬愛する兄の運命のつがいを、ナイフで刺したのだから。
キャーッという悲鳴があがる。どよめきと驚愕の真ん中で、ナイフを握りしめたカールががたがたと震えていた。と、次の瞬間、激しい動揺と絶望に叫んだ。
「なんでベータなんかを庇うんだ?!」
そんなの、いちばん大切な最愛の男だからに決まってる。
ナイフが刺さったのは脇腹だが、右腕もざっくり斬られたと、わかった。
ナイフが抜かれ、血が恐ろしい勢いで流れ出す。
「ジョナサン!」
叫ぶリチャードの声が、妙に遠い。この程度の失血で意識が霞むなんて、なさけないと自嘲する。
ジョナサンはわかっていないが、それはアルファフェロモン遮断剤のもうひとつの副作用のせいだった。血液粘度を下げるので、服用中に怪我をすると出血量が多くなってしまうのだ。
駆け寄るリチャードの姿がぐにゃりと歪む。ぐらり、と視界が傾いた。実際にはジョナサン自身が、ゆっくりと倒れて、だから視界が回ったのだけれど、一気に失血して朦朧となった頭では、自分が倒れていくことすらわからない。
倒れて、床に崩れても、痛みが無い。一気に大量に出血したせいで、感覚が無い。
人々の叫んでいる声がどんどん遠くなっていく。身体が急激に冷えていく。
血の海が恐ろしい勢いで広がっていく。
「ジョナサン!」
ジョナサンを刺したカールには目もくれず、リチャードは無我夢中でジョナサンを抱きかかえる。クライヴがすばやく動いてカールを取り押さえ、ナイフを取り上げた。ジョナサンが身を挺してリチャードを護ったのにカールが再度リチャードを攻撃したら、ジョナサンの捨て身の行為が無駄になってしまう。しかしカールはジョナサンの尋常ではない出血量に驚いて呆然自失となっていて、もう動くことなどできないようだった。
「ジョナサン!」
リチャードの声が、遠い。
―――リチャード・・・、無事で、よかった・・・―――
意識が霞む。
リチャードから与えられた命なのだから、粗末にしちゃいけない、なんて、微塵も考えなかった。
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