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第21話
暗闇の中で、死を意識する。
部屋に閉じ込められていた時は身近なものではなかった。でも今は何よりも近くに感じる。
皆、この恐怖をどう乗り越えたんだろう。俺は一度も感じず、教わらないまま大人になった。
父はどうだったのかな。無情に、どこまでも合理的になれた理由があるんだろうか。
「ユノ様」
どれぐらい経っただろう。
寒さで手足の感覚がなくなった時、小さく、高い声が聞こえた。
男性ではない、柔らかい声。その主は檻の前に立ち、手に持っていたランタンで自身を照らした。
「ユノ様、聞こえますが? ……私です。ヴァレットです」
「……え」
目を見開く。現れたのは、黒い髪の年配の女性。
「ヴァレットさん? ……何で」
俺が一族の中で一番信頼しているひと。乳母のヴァレットだった。
彼女は俺の姿を見ると驚き、辛そうに瞼を伏せた。
「申し訳ありません。ユノ様に非はないと旦那様に進言したのですが、聞き入ってもらえず……」
隠れて持ち去ったのか、ヴァレットさんは取り出した鍵を使って扉を開けた。
「ユノ様は何も悪くないのに、こんな酷いこと……」
「だ、大丈夫ですよ。こう見えても俺、昔よりは強くなったので」
顔をハンカチでぬぐわれる。数年ぶりに顔を合わせた彼女も少しやつれていた。
このことが知られたら彼女も処罰される。そう言うと、彼女はそれでもいいと答えた。
「ユノ様のお世話係から外されて、私も役立たずになりましたから。御恩はありますが、貴方を見殺しにする方が耐えられません」
「……っ」
ここまで尽くしてくれる人が役立たずなわけない。かぶりを振り、足を引きずりながら檻を出た。
「火事を起こしたのは私です。ユノ様も危険に晒すので、一か八かの賭けでした。けどこんなことになってしまって……私が一番の元凶です」
「あの火事はヴァレットさんが……いえ、そんなことありません。あれのおかげで俺は外に出て、たくさんの人に会えた。ありがとうございます」
声を潜めながら、彼女に話した。
クリスタッドの王城のこと。街の素晴らしさ。そして、大切なウェスタンド家の後継者のこと。
何にも代えがたい宝物だ。そう言うと、彼女は初めて嬉しそうに顔を綻ばせた。
「そうでしたか……たくさんのことを経験されましたね、ユノ様」
頬に手を添えられる。その時、不意に何度か絵本を読んでもらった。
もうずっと昔……お姫様が悪い魔女に攫われる話。幼かった自分には怖かったけど、頭を撫でてくれる手は優しかった。
「ユノ様のことを支えてくださる人達がいて、……本当に良かった」
そうだ。
彼女の言うとおり。自分が気付いてなかっただけで、優しい人はすぐ傍にいた。
「はい。だからまた連れ戻されたって、不幸だなんて思いません。俺は幸せ者です」
そう言い切れるだけの強さと優しさを与えられた。
“彼”のことを想うと、何故か暗い言葉がひとつも出てこないんだ。
「ありがとうございます、ヴァレットさん」
ヴァレットさんは微笑んだが、ふと俯き、申し訳なさそうに口を開いた。
「ウェスタンド家の方と関わられたのなら、ユノ様も気付かれたと思います。ご自分が、アリヴァー家の者達とは違うと」
ヴァレットは両手を握り、苦しそうに話した。でも。
「それは、俺だけ呪術が扱えない落ちこぼれだから。その辺の人の方が、まだ上手く使えますし」
「……確かにユノ様は誰よりも呪術が不得手です。でもそれは当然なのです。貴方は呪いから最も遠い存在。邪悪なものを祓う一族の生まれだから」
今なんて……。
驚いて見返すと、彼女は頭を下げながら続けた。明かすことを禁じられていたという、俺の出自について。
「旦那様は奥様を早くに亡くしており、子どもはいません。しかしあの方は跡継ぎを求め、クリスタッドに来ていたシルヴィア家の夫婦から赤ん坊を攫いました。……それがユノ様、貴方です」
「そ、そんな。何でよりによって、アリヴァー家と敵対しそうな一族から攫うんですか」
「敵対してるからこそ。アリヴァー家の邪魔になる一族なら、世継ぎの口減らしになります。もしも呪術が扱える子なら、次の当主にすればいい」
でも畏れたとおり、そうはならなかった。
ヴァレットはユノの掌に手を添え、震える声で告げた。
「レイス様は、ユノ様が裏切ったかどうかは関係なしに貴方を犠牲にしようとしています。貴方が旦那様に攫われたことを知らないとはいえ……本当に酷い」
「ヴァレットさん……」
涙を流して謝る彼女に、俺は首を横に振った。
謝る必要なんてない。こうして事実を教えることが危険なのに、命懸けで会いに来てくれたんだから。
彼女は俺にとって、母親同然のひとだ。
「ありがとうございます。大丈夫ですよ! アリヴァー家の人間にしてはポンコツ過ぎて不思議だったんで、むしろスッキリしました」
本当の子どもじゃないから、彼も俺に無関心だったんだ。それが分かって、逆にホッとしている。
でもそんな風に思えるのは、やっぱり。
「……それに今は一応、居場所を見つけたから」
……リザベルさん。
ウェスタンド家の次期当主暮らしていることを告げると、彼女は驚きながらも安堵した。
「そうなのですね。リザベル様もご無事で……やっぱり、ユノ様がお傍にいたからですね」
「ん? 何が?」
「レイス様が昏睡の呪いをかけたでしょう。その呪いは、貴方が解いたのです」
「……あぁ」
そうか。
リザベルさんも不思議がっていたけど……あの呪いは自然に解けたんじゃない。
雑貨屋でもらったお守りと同じ。祓いの力を持つ俺が傍にいたことで無効化したんだ。
「良かった。俺、そういう力があったんですね」
「ええ。誰かに教わらなくても力が働いたのでしょう。呪物が作れないのも、全て作る過程で浄化されてしまうから。ユノ様は本当ならシルヴィア家で育ち、今頃は世界中で活躍されていたはずですから……もっと早くに伝えられず申し訳ありません」
「いやいや。仮にそこで育っていたとしても立派になってたとは限りませんから」
むしろ環境に甘えてもっと自堕落な人間になってたかもしれない。
それにヴァレットさんも俺に接近することを禁じられていた。全ては父の仕業で……。
……いや、父と言うのももうやめにしよう。俺にとってずっと、彼は他人だった。
壁に手をつたい、何とか一階まで上がることができた。しかしここから裏口までが遠い。足を引き摺りながら、二人で暗い先へと進む。
「そういえば、今クリスタッドで呪物が流れてるんです。それはなにかご存知ですか?」
「えぇ、あれはウェスタンド家……リザベル様を炙り出す為です。彼らが出てくれば、ユノ様も姿を現すだろう、と」
話を聞いていると、アリヴァー家もまだ混乱してるようだった。
レイスからすれば自慢の呪いが解けるわけないと思ってそうだし。リザベルさんが元気に仕事してると知ったら悔しくて卒倒しそうだ。
いや。見つけてもらった、かな。
何だかこそばゆくて、軽く頬を掻く。
「でも、今度こそ逃げてください」
彼女の言葉に頷く。やっぱり、この家を死に場所にはしたくない。
大変な事実を知ったというのに、自分は意外と落ち着いている。
むしろずっと絡まっていた鎖が解けた。
アリヴァー家はこれからも俺を狙ってくるだろうけど、以前とは違う。
居場所がなくて逃げ出したと思っていたけど、最初からここに居場所なんてなかったんだ。
今は俺を必要としてくれる人がいる。堂々と歩いていい。
好きなことをしろって、あの人にも散々言われたから。
「おい、何してる!?」
「!」
しかし、開けた通路に出た時に見つかってしまった。一族の者ではなく見張りだろう。
話し合いにならないから尚さらまずい。
「ユノ様……」
「だ、大丈夫です。ヴァレットさんは先に行ってください」
彼女だけでも先に逃がしたい。ヴァレットさんに促し、自分は入口より前の通路に立った。
「当主の息子……? 牢から逃げ出したのか?」
「何事だ? あっ!」
男が声を上げたことで一斉に人が出てきた。その中にはレイスもいた。
「ユノ!? くそ、一体誰が鍵を……」
「誰だっていいだろ。それより、お前も含めて皆、もっと早くに逃げるべきだったな」
自分を捕まえる為にこの城に居座っていたなら尚さら。さすがに能天気過ぎた。
「お前達は国を敵に回したんだ。リザベルさんに手を出した時から処罰されるさだめだったんだよ」
「この……役立たずのくせに!」
……っ。
レイスは激昂し、ポケットからナイフを取り出した。
銀色の光が振り上げられたのを見て、思わず目を瞑る。
それなりの痛みを覚悟したが、やけに静かだったた。
恐る恐る瞼を開けると、
「ふぅ。間一髪だね」
「リザベルさん!」
目の前に見えたのは、懐かしい背中。
レイスの腕を押さえるリザベルさんが立っていた。
幻覚じゃない。本当に……。
驚いて立ち尽くし、微笑む彼を見返すことしかできなかった。
「くそ……貴様、やはり生きていたんだな。でもどうやって俺の呪いを解いて……」
「あぁ、レイス君だったね。君にかけられた呪いはユノが解いてくれたんだ。シルヴィア家のひとりで、私の妻でもある彼が」
「何だと……!?」
レイスはリザベルさんの言葉を聞き、目を見開いた。
妻はだいぶ飛躍してるけど……リザベルさんも、俺がシルヴィア家の人間ということを誰かから聞いたようだ。
彼はレイスを押さえ込み、ナイフを取り上げた。喧嘩は強くないみたいなことを言っていたけど、レイスよりはずっと上手のようだ。
「観念しなさい。この城は包囲されてるから逃げられないよ」
「え……っ」
リザベルさんが目配せをしたと同時に、出口の方が騒がしくなった。見ると武装した兵が一斉に入ってきて、一族の者達を拘束した。
制圧まてがあっという間で呆けてしまった。それと、多分安心して気が抜けたのもある。
壁に手をついて凭れると、レイスを兵に引き渡したリザベルさんに抱き寄せられた。
「ユノ! 大丈夫!?」
「は、はい……」
彼の腕に抱かれ、小さく頷く。
あぁ。そんなに久しぶりでもないのに、彼の香りが懐かしく感じる。
「こんなボロボロになって……! もっと早くに助けられなくて、本当にすまない」
「大丈夫ですよ。むしろ迷惑ばかりかけてすみません」
謝ると彼はかぶりを振り、俺を強く抱き締めた。
「君になにかあったらどうしようとずっと考えていた。生きた心地がしなかったよ」
「あはは」
思わず笑うと、笑い事じゃないと怒られた。
もちろん俺だって、本当は泣きそうだ。
安心して、それに嬉しくて。でも周りに人がたくさんいるからグッと堪えた。
こんな時でも素直に泣けない俺は、やっぱり相当拗らせてる。リザベルさんは落ち着いてる俺のことが不思議そうだったから、尚さら超然と振る舞った。
また、王子様が助けに来てくれる絵本のことを思い出してるし。
我ながら呑気だな、と可笑しくなった。
「……そうだ。リザベルさん、女性が先に城から出てきませんでしたか?」
「え? あぁ」
「そのひとは俺の面倒を見てくれていた大事なひとなんです。呪術業には一切関わってません。だからどうか罰さないでください。お願いします……っ」
両手を握って訴えると、彼は優しく微笑んだ。
「分かった。……今は保護してるよ。聞き取りは必要だけど、すぐに解放してもらえるように私から頼もう」
「リザベルさん……ありがとうございます……!」
彼にお礼を言い、ようやく深く息をつけた。
アリヴァー家の人達が拘束される中、俺はリザベルさんに支えられて車に乗った。
「彼らの処分は後々決まる。今までの悪事はもちろん、君を誘拐したこともね」
「……」
国を巻き込むとても大きな事件だから、俺にはどうなるか分からない。
けど、今はリザベルさんの隣にいられるだけで充分だと思った。
「リザベルさん。助けに来てくれて、本当にありがとうございます」
彼の肩に頭を乗せ、掠れた声で呟く。倦怠感もあり、少し虚ろな視界を眺めていた。
本当はもっと遡って、小さなことにも御礼を言いたいけど……今はこんなことしか言えない。
「もう駄目かなって覚悟もしました。でもやっぱり、会いたかったから。来てくれてほんとに嬉しかったです」
リザベルさんは小さく微笑み、俺の頭を撫でた。
「どこだろうと見つけ出すし、助けに行く」
窓の外の景色が、ゆっくりと流れていく。
黒一色だった世界はどんどん薄青に染まり、自分達が今いる場所を優しく教えてくれていた。
俺がいるべき場所は未だに分からないけど。
いたい場所は、これまでもこれからも決まってる。
胸の痛みを癒やす唯一の方法。息を殺さずに生きる為の、唯一の場所。
叶うなら、どうか“ここ”にいさせてほしい。
瞼を伏せ、すぐ傍にある熱を確かめる。
「ユノ。君は私の世界なんだ」
優しく手を握られる。冱つる心をとかす、温かな抱擁とともに。
「……っ」
同じだ。彼が俺の世界を象る。彼がいるから、深く息を吸える。
絶対に失いたくない……ひと。
頬にまた冷たいなにかが流れたけど、声を押し殺し、気付かないふりをした。
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