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第3話
夢の中で、小さな自分が泣いている。
「……ごめんね」
春陽は呟く。
泣いている理由は分かっていた。大切なものを取られたからだ。
あのヘアゴム……他人には高級なブランド品に映るかもしれない。けれど、春陽にはそうじゃない。あれは『おまもり』なのだ。
「ごめん……」
春陽はもう一度謝る。
これはだめ、と言えなかった。渡さない、と言えなかった。
だからこの子は泣くのだ。自分の弱さを、真っ向から突きつけられているから。
どうしていいか分からない。どうしたら、この子は泣き止んでくれるのだろう……。どうしたら、自分はもっと、強くなれるのだろう……。
――春陽
名前を呼ばれて振り返る。
「陽太さん……」
「おいで」
広げられた腕の中に収まる。陽太は春陽を抱きしめたまま、泣いている春陽も呼んだ。
「ひなにいっ」
ぐずぐずと、泣き虫な自分もそこに飛び込んでくる。
「あのね、あのね! せんせーがね、おれのとっちゃったんだよ!」
「うん」
「たいせつだったのに! おれのたからものだったのに!」
「うん」
ふええん! と素直に泣きじゃくる。
それを……羨ましいと思った。
春陽だって、同じことを思っている。
取られたくなかった。渡したくなかった。
なのに
「陽太さん……ごめんなさい」
口から出るのは、そんな謝罪で。
「大丈夫だよ」
陽太は落ち着いた声で春陽に言う。
「はるは何も悪くないんだよ」
「でも……」
「大丈夫」
陽太はそう繰り返す。
「大丈夫だよ。俺たちがなんとかするから」
「うん……」
返事をしたものの、本当にそれで良いのだろうか。
本当は、自分がどうにかしなければならない問題なのではないだろうか。
けれど……。
「ありがとう……」
今は、きっと駄目だ。一人で立てそうにないから。
いつの間にか、隣にいる小さな自分はすやすやと寝息を立てている。
陽太の腕の中で、すっかり安心して。
「はるも、少しおやすみ」
そう促されて春陽も静かに瞳を閉じる。
とん、とん、と子供をあやすように優しく背中を叩かれて、次第に意識が虚ろになる。
「何も心配しなくていいよ。ちゃんと守るから」
うん、と答えたのは届いただろうか。
分からないまま、春陽は陽太の作り出す空間に、ただ身を任せた。
そこにどのくらいいたのだろう。
温かな寝具にくるまって、眠っているみたいだ。
はる、と自分を呼ぶ声がする。
「ひい……?」
反応をすると、途端に扉が開いた感覚がして、眩しい光が目に飛び込んでくる。
「……っ……!」
「はる……」
心配そうに自分を見ていた陽月の瞳と、揺れていた春陽の視線が交わる。陽月は静かに息を吐くと「良かった」と呟いた。
「あ…………お、れ……」
「ひなのSpaceに居たろ? なかなか帰って来ないから、心配した」
陽月の言葉を聞いて、ああそうだった……と思い出す。
不安で、悲しくて、怖くて……帰ってきてすぐ陽太のところに飛び込んだんだった……。
「大丈夫か?」
陽月の優しい手が、落ち着かせるように春陽の頭を撫でてくれる。
ゆっくりと起き上がり、そっと陽月に抱きついた。陽月は何も聞かずに、ただ受け止めてくれる。
「……嫌だった」
ポツリと呟くと、「うん」と陽月は返す。
「俺の、大切なものだったのに……」
「うん」
「俺、嫌だって言えなかった……。あげないって、言えなかった……」
ぽろぽろと、春陽の瞳から涙が溢れる。
「……言えない時もあるよ」
「でも……」
「怖くて、言えない時も、あるよ。……反論したら、もっと取られるんじゃないかって……そう思う時も、あるから……」
「……ひいも? ……あるの?」
疑問符を浮かべて聞くと、陽月は少しだけ、泣きそうに瞳を揺らした。
「あったよ、ずっと……。今も、不安になることはあるよ……」
「……おんなじ?」
「うん。同じ」
陽月がそう言ってくれたからか、春陽の心が、ふっと軽くなった気がした。
同じは……嬉しい。たとえそれが、弱さだとしても。
「……だいすき」
「俺も。はるが大好きだよ」
「うん」
唇を寄せる。自我を取り戻すように、春陽は自分から陽月の熱を求めていった。
※※※
翌日、春陽は碧生に謝罪をした。
「昨日はごめんね。いっぱい心配かけちゃった」
そう言うと、碧生は「いいえ」と首を横に振る。
「私は平気ですよ。春陽様は大丈夫ですか?」
「うん、もう大丈夫だよ」
これ以上迷惑をかけないよう、春陽はわざと明るく笑う。
「……そうですか。なら、良いんです」
碧生は歯切れ悪く返す。まだ何か、言い足りない事があるのは春陽も分かった。だから、春陽は碧生を見つめたまま、言葉を待った。少し視線を彷徨わせて、碧生は意を決したように「あの」と口を開く。
「ご無理は……なさらないで下さいね」
そう、碧生は柔らかく笑った。春陽は素直に頷く。
迷惑をかけてしまったのはこちらなのに、それを責められないのは、何だか変な気分にもなる。
外の世界は、春陽に対して優しくはない。自分を支えてくれる人たちは、こんなにも温かいのに……。
それに慣れてしまうと、外の世界が怖くもなる。……それでも
「ありがとう。碧くんがいてくれて良かった」
自分のところに来てくれて良かったと、春陽は思うから。
告げれば、碧生は少し驚いたような、気恥ずかしそうな顔をして「はい」と微笑んだ。
学校へは、陽月が送ってくれた。いつもは会話のある車内も、今朝は静まり返っている。
もともと、陽月は多くを語らない。話を切り出すのは春陽の方だから、春陽が黙っていれば、静かになるのは当たり前だ。
春陽も、何を話していいか分からなかった。繋いだ手はいつものように優しいから、今はそれだけで十分なのかもしれない。
学校の駐車場に着いても、陽月はなかなか手を離してくれなかった。春陽の方から手を解く勇気もなくて、「ひい?」と静かに声をかける。
「……あの、行って来るね?」
春陽の言葉に、陽月は心配そうな目で春陽を見た。思わず「大丈夫だよ」と告げると、小さく息を吐いて、陽月の手が離れていく。
「……行って来ます」
いつもの口付けも、今日はお預けらしい。春陽がドアに身を寄せると、それは外から開かれた。
じゃあね、と軽く手を振っても、陽月は静かに見返すだけで身動き一つしてくれない。
相当心配かけちゃったな……と春陽は思った。ドアを閉めた加谷が、春陽に向きなおる。
「あの、加谷さん」
「はい」
「ひいのこと……お願いします」
ぺこり、と頭を下げて頼んだ。きっと今の陽月に対して、春陽が出来ることはないのだろう。それは、少しだけ寂しくて、情けないのだけれど……。
「承知致しました」
春陽の心情を受け取ってか、加谷は穏やかに笑う。
「あの……本当に、ごめんなさい。加谷さんにも、迷惑かけちゃって……」
「迷惑などではございませんよ。陽月様のことはお任せ下さい。春陽様も、お気をつけて」
「はい。ありがとうございます」
じゃあ、行って来ます、と軽く会釈をして、春陽は学校へ向けて歩き出す。
加谷はその小さな背中を見送って運転席へと戻った。バックミラーで不貞腐れたままの主を確認する。
「陽月様、車を出しますよ?」
そう声をかければ、陽月は先程まで春陽が抱えていたくまのぬいぐるみを引っ掴んで、力強く抱きしめた。茶色い毛並みに顔を埋めて「行かせたくない」と呟く。
「じゃあ、そう言えば良かったじゃないですか」
「……言えない。言ったらはるが余計気にする」
ただでさえ、今の自分が春陽に気を遣わせているのは理解している。春陽が必死にコミュニケーションを取ろうとしてくれているのに、陽月には上手く返せる自信がなかった。
春陽が傷つく可能性のある場所に、なぜ行かせる必要があるのか。
「行くな」と言うのは簡単だ。陽月がそう言えば、春陽は首を縦に振るだろう。けれど、それでは春陽の自由意思を奪ってしまう。それだけは、陽月も避けたかった。
「分かっているじゃないですか」
ぶす、と頬を膨らませたままの陽月は、まるで普段の春陽のようだと、加谷は思う。言いたいことが素直に言えずに、内に抱えている瞳をしている。
対して、先程見送った春陽の瞳は強かった。真っ直ぐに世界に出ていく瞳は、普段の陽月とよく似ていた。
すっかり逆転してるな、なんて、心中で苦笑する。
「では、我々も学校へ向かいますよ。……いつまでも不貞腐れていないで下さいね。皆さんの話のネタになりますよ?」
「わーかってる。学校に着いたらいつも通りにするよ」
「期待していますよ」
ふふ、と笑って、加谷は車を発進させる。
春陽の学校を横目に映し、陽月は静かに瞳を閉じた。――次に開いたそれは、いつも通りの静けさと、意気を宿していた。
※※※
春陽が昇降口で靴を履き替えていると、「おはよう」と声をかけられた。顔を上げると、親友の田村が居る。
「おはよ」
いつも通りの笑顔を返せば、田村は安心したように表情を緩めた。
「元気になった?」
昨日の事を心配してくれていたのだろう。「うん」と春陽は頷く。
昨日――
「瀬野」
碧生と別れ、昇降口で声をかけてきたのは、クラスメイトの田村だった。中学から一緒の彼は、春陽の数少ない親友の一人で、春陽の事もよく気にかけてくれる。母が亡くなって、春陽が一人になった時を知っているからかもしれない。
「おはよ、田村!」
「おはよ」
挨拶をして、教室へ向かう。春陽にとってはいつもの通りの朝だった。けれど……
「瀬野」
呼ばれて、足を止める。田村も一緒に立ち止まった。生徒指導部の教員坂本 と、一年部の副担任である秋原が立っていた。
なぜ呼び止められたのか分からず、春陽は不思議そうな顔を二人に投げる。「えーっと……だなぁ」と、言葉を濁す坂本の横で、秋原は「そのヘアゴム、学生らしくないわよ」と吐いた。
「えっ……」
「それ、ブランド物でしょ?」
怒鳴るわけではない。ただ静かに、春陽に“注意”をする。
春陽は言葉に詰まった。何と返せばいいか、分からなかったから。……いや、一言「すみません」と言えばよかったのかもしれない。けれど、そう言えなかったのは、彼女の瞳が“注意をしたい”だけではないように思えたからだ。
もう幾度となく体験してきたから解る。Ωを蔑む瞳……。
「誰かからの貰い物かもしれないけれど、瀬野くん、最近いつもそういうものしてるわよね? 自分がまだ学生だって分かっているの?」
「……わかって、います……」
呟くように答え、春陽は俯く。自分を見下す秋原の顔を見ていたくはなかった。
何人かの生徒は横目で見ながら教室へ向かい、また何人かの生徒は興味ありげに足を止めた。
心なしか口調が早くなる秋原をなだめながら、坂本は春陽に告げる。
「……とりあえず、今日はそれを預かってもいいか?」
「ちょ、ちょっと待って下さい! そんな急に……」
春陽の代わりに田村が声を上げた。けれど、春陽は大人しくヘアゴムに手をかける。
纏まりを失った春陽の髪が、さらりと肩を撫でた。艶のあるそれすら面白くないのだろう。秋原の苛立ったようなため息が届く。
両手でヘアゴムを差し出すと、秋原はそれをつまんで取り上げた。観察するように見て「やっぱり」と息を吐く。
「こんな高級品を持ち歩く学生なんていないわよ。これは没収です!」
さも教員らしいことを口にして、秋原はヘアゴムをがさつに服のポケットへしまった。
「そんな言い方……!「田村」
抗議をしようとする田村の声を、春陽は遮る。
「もういいよ。……すみませんでした」
ぺこり、と頭を下げて、春陽はその場を離れようとする。
「あー、瀬野! ……放課後、職員室に取りに来なさい」
坂本の声を背中に聞く。無視をする春陽の後を、田村は追って歩き出した。
「良かったのか?」
静かに問いかける田村に、春陽は頷く。
「……反論するだけ無駄だよ……」
諦めたように、そう吐き出した。
机に鞄を置くと、前の席の椎名 が春陽を振り返って来た。
「瀬野くん、これ」
そう言って差し出されたのは、ただの黒いヘアゴムだった。
「貸してあげる。……大変だったね」
きっと先程のやり取りを見られていたのだろう。彼女の瞳には心配の色と、少しだけ怒りも混じっていた。
「あ、ありがとう……」
「気にしない方がいいよ。秋原のやつ、うちらのこと嫌いみたいだから」
うちら、と複数形にしたのは、椎名も春陽と同じΩだからだ。彼女にそれを聞いたわけではない。けれど春陽も“分かる”のだ。
春陽は手早く髪をまとめると、椎名に笑いかけた。「しょうがないよね」と、すっかり諦めたように。
椎名はそれ以上何も言わず、春陽に背を向ける。
うつむく春陽の目に、犬のキーホルダーが留まった。陽月がくれた、お揃いのそれ。手早く鞄のポケットの内側に隠す。
ヘアゴムが駄目だったのだ。今度は何に屁理屈を付けて取り上げられるか分からない。
値段の事を言えば、犬のキーホルダーだってヘアゴムとそう変わらないだろう。首輪に付いている宝石は、小さくとも本物だと春陽も分かっているから。
……大丈夫、大丈夫……。
不安に鳴る胸に、春陽は言い聞かせる。
ぎゅう、とネクタイと一緒に握りしめたのは、陽太がくれたペンダントだ。今の春陽にとって、一番高価な所持品のそれ。
だいじょうぶ……見つからなければ、だいじょうぶだよ……。
呪文のように頭の中で繰り返して、春陽はゆっくりと席に着いた。
「えっ、朝そんなことあったのか!」
昼食時、今朝の話を聞いて、遠藤は驚きの声を上げる。
「露骨な嫌がらせだよなぁ……」
丸本も眉を寄せながら話を聞いた。
「なんか意外だなぁ。坂本ちゃん、そんなことまで気にしないと思ってた」
「坂本先生より、秋原先生の方だと思う。あの先生、ブランドのバッグ持ってるじゃん?」
「分かる。だからわざと取ったんじゃねぇの? 瀬野が羨ましかったんだって」
「性格悪ぅ〜」
わいのわいの騒ぐ友達の声を、春陽は無言で聞いていた。
羨ましかった……? ブランド品を好むなら、確かにそれもあるかもしれないけれど……。
「瀬野っち、元気出しな?」
遠藤はチョコレートを一粒、春陽に差し出した。
「ありがと……」
春陽は無理に笑って受け取り、包み紙を開くと口に放り込んだ。昔から食べ慣れた甘さが広がる。
「けどさ、しょうがなくね? 瀬野ん家、めっちゃセレブじゃん? それでブランド品使うなって無理あると思わねぇ?」
「「それな」」
丸本の言葉に、田村も遠藤も同意を返す。
「でも……学生らしくないって言われたら……そうかもしれないから……」
「瀬野はいいのか? 番さんがくれたやつだろ?」
キュッ……っと、胸が痛む。取り上げられたと言ったら、陽太はどんな顔をするだろう。悲しませてしまうかもしれないと思うと、春陽は申し訳なくなる。
陽太や陽月は、一般的な自分たちとは物の価値観が違う。それは春陽もよく分かっている。だから、初めに言わなかった自分が悪いのだ。言えば、陽太だって考慮してくれたはずだから。
でも……。
(断りたく……ないな……)
陽太が自分のために選んでくれたのなら、春陽はそのまま受け取りたいのだ。たとえそれが、今の自分に見合っていなかったとしても……。
――毎日身に着けていれば、きっとすぐに春陽様に馴染みますよ――そう言ってくれた碧生を思い出して、春陽はまた、ペンダントを確認するようにネクタイを握った。
それから、放課後……。
取りに来いと言っていた坂本の言葉も忘れ、春陽は足早に校舎を出た。
異変に気づいた碧生が駆け寄って来て「何があったんですか」と聞かれたけれど、すぐには言葉が出なかった。碧生の姿を見て、それまで張りつめていた気が、ふっ……と緩んでしまったから。……泣きそうになる。
学生らしくない、とヘアゴムを取り上げられた事を伝えると、碧生はそれ以上何も聞かずに家へ連れ帰ってくれた。
――それが、春陽が学校で受けたことの一部始終だ。
でも、これのほとんどを、春陽は二人に伝えていない。……いや、伝えられなかった。
二人に余計な心配をかけたくなかったし、“頼りない”と思われるのが怖かった。……いや、春陽自身、頼りないのはいつもの事だから今更かもしれない。ただ、『Ωだから』という理由を上乗せされるのは違うのだ。
だから今朝、学校へ行くことについて心配する二人に「大丈夫だよ。学生らしくないからって、注意されただけだから」と苦笑したのだ。
春陽の言葉に、二人は黙り込んだ。怒らせたのかもしれない……と思い、春陽は慌てて「だからね」と続けた。
「そういうの、俺も分かってなくて、ひなに言ってなかったから……ごめんね。ひなが買ってくれた髪飾りは、家に居るときだけ使うね。あ、あと、ひいがくれたキーホルダーはちゃんと隠して持っていくから……だから大丈夫だよ」
必死に弁解しようとすると、ふわりと陽太が春陽の頭を撫でた。
「大丈夫だよ。新しく“やっっっすいの”買うからね」
にこ、と笑って陽太は口にする。“安い”をやけに強調したけれど、果たして一般的な『安い』が陽太に分かるのだろうか……。少しだけ不安ではある。
陽太の後ろでは、春陽の気持ちを分かってくれたのか、雅明が静かに笑って頷いてくれた。
「とりあえず、今日はシンプルなので良いだろ?」
陽月も、今ある髪飾りの中から一番無難な物を差し出してくれた。
「……心配だから、普通の黒いゴムだけでいいよ。自分で結んでく」
「では、髪飾りはやめて、ピンだけで簡単に整えましょうか」
春陽の希望を聞いて、加谷はいつものように春陽の髪を整えてくれた。飾りはなくとも、毛束を一巻きしてゴムを隠し、シルバーのヘアピンで固定してくれていた。
簡単なまとめ髪なのに、可愛らしくまとまっているのが不思議で、「すごっ」と春陽は呟く。
「……及第点だな」
「そうだね」
なんて、二人は評価していたのだけれど、春陽は十分嬉しかった。
……だから田村に「今日はやめたんだな、ヘアゴム」と言われても、春陽は笑顔で頷くことが出来た。
「加谷さんがね、上手に整えてくれたから」
「ああ……あの番さんの、執事さん?」
「うん」
「へぇ〜、本当になんでも出来るんだな」
「うん! みんな凄いんだよ」
なんて、会話を弾ませながら教室へ向かっていると、また「瀬野」と呼び止められた。
昨日のデジャヴだろうか……そう思えるほどそっくりな様子で、坂本と秋原が立っている。違いがあるとするなら、幾分か坂本は緊張しているようだった。
春陽は気を引き締めるように二人を見据えて「なんですか?」と聞いた。
「その……昨日は悪かったな。瀬野の家の事情も知らないで」
坂本は早々に言う。昨日と打って変わって謙虚な態度に、春陽は不信感すら抱く。
「いえ……俺が悪かったので。すみませんでした」
境界線を引くように淡々と告げると、坂本は「いやいや!」と慌てた様に手のひらを振った。
「瀬野の事情はよく分かったよ。これからは“それも考慮する”から」
「……」
「あーっと……だな、その……瀬野の持ち物については、言及しないというか……何と言うか……」
明らかに不機嫌なまま、坂本に無言を貫く春陽の隣で、田村が「じゃあもういいんですよね?」と割って入った。
「瀬野、行こう」
そう視線を向けられて、春陽は「うん」と頷く。明らかに顔色の冴えない坂本と、ちっとも表情を変えない秋原の横をすり抜けて、二人は教室へ向かった。
春陽が席に着くと、後ろから来た椎名に「おはよ」と声をかけられた。
「おはよう。……あ、椎名さん、昨日はありがとう」
借りたヘアゴムを丁寧に返すと、椎名は「別に良いのに」と苦笑して受け取った。
「それよりさぁ、さっきの見たよ。坂本先生の顔、めっちゃ面白かった」
「えっ?」
「瀬野くんたちがいなくなってから、先生青ざめてたよ。秋原先生は相変わらずだったけど。何か言った?」
「ううん……俺は、何も……」
もしかしたら、昨日ヘアゴムを受け取りに来た際に、雅明と碧生が何か言ってくれたのかもしれない。例えば、陽太の価値観の違いとか……。どうしたって高級品しか選べないのなら、やけに下手に出てきた坂本の態度も理解出来る気がする。つまり、春陽が悪いわけではないのだと、分かってくれたのかもしれない。もちろん、“学生らしさ”については、注意力が欠けていた自分が悪いのだけれど。
「別にいいじゃん。“うち、金持ちなんで!”って言っちゃっても」
考え込むように俯いた春陽に、椎名は当然のように言った。
「……えっ、ええっ!? で、でも……それは……別に、俺が何かしてるわけじゃないし……」
「でも、番なんでしょ? 番特権として使いなよ。そのくらいしないと割に合わないじゃん、うちらはさ」
「そ、そう、かな……?」
「そうだよ。“俺の番、金持ちなんで。何か?” でいいじゃん。羨ましい〜。私もいつか、そんな人と番いたいなぁ」
まるで夢を語るように、椎名は宙を仰いだ。
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