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第5話
おはよう、と挨拶が飛び交う教室の中、春陽もいつものようにクラスメイトに挨拶をして教室に入る。
週の明けた月曜日。先週、椎名はずっと休みだった。けれど、今日は前の席に彼女の姿を確認する。
「おはよう」
春陽に気付いて、椎名が振り返る。掛けられた声に、春陽はほっと胸を撫で下ろす。
「おはよう」
「この前は迷惑かけちゃって、ごめんね」
「ううん、全然。……大丈夫だった?」
容態を聞くと、うん、まぁ……と歯切れの悪い返事がきた。変なことを聞いてしまったな、と春陽は思う。きっと、椎名はまだ番がいないのだ。それでいて、大丈夫なわけないのに……。
少しだけ、肩を落とす春陽に「あのさ」と椎名は声を掛ける。
「今日は、放課後時間ある?」
「えっ?」
「ファミレス行かない? この前のお礼したいんだよね。奢らせてよ」
「予定はないけど……碧くん――執事に確認してみるね」
理由を添えて、碧生に連絡をする。メッセージを送った後で、運転中かも、と思った。後にすれば良かったかもしれない。
そんな春陽に、「すごいよねぇ」と椎名は言う。
「執事なんて、めっちゃかっこいい」
「あ、碧くん?」
聞き返すと、椎名はきょとんと春陽を見ている。そうして「違うよ」と苦笑した。
「瀬野くん。執事がいる家って、すごいなぁと思って」
まさか自分に言われてたとは思わず、春陽は驚いた。もちろん春陽自身も、自分の執事が出来るなんて、思ってもみなかったのだが。
それをそのまま伝えると、椎名は目を細めて笑う。大切にされてんだね、と。
スマホの通知音が鳴る。画面を開くと、碧生から返信が来ていた。
「あ……大丈夫みたい」
「じゃあ放課後、予約ね」
キーンコーン、とタイミングよくチャイムが響く。椎名はそれだけ言うと、前に向き直った。
放課後、椎名と一緒に学校を出て、近くのファミレスに入る。
これからの時間帯は同じ学校の学生もよく利用する。あまり目立たないように、端の方の席を選んだ。それぞれメニューを注文して、春陽は椎名と向かい合う。
「この前は本当にありがとう。見つけてくれたのが瀬野くんで助かったよ。びっくりさせたよね。ごめんね」
謝ってくる椎名に、春陽は首を横に振る。Ωなら、起きて当たり前の現象だ。「謝る必要ないよ」と春陽は答える。
「心配してたんだ。元気になったなら良かった」
「薬、返したいけど、病院では扱ってないって言われちゃった。見たこともないって」
ドリンクを飲みながらそう言われる。それはそうだ。だってあれは特別なのだ。倫しか処方出来ないと、そう言っていた。
「あっ、だ、大丈夫だよ! また処方してもらったから」
「そっか」
会話が切れる。嫌味に聞こえなかっただろうかと、春陽は心配になった。注文したパンケーキがテーブルに届く。
「瀬野くんは大丈夫だった? 私に引きずられたりしなかった?」
「うん。俺は全然大丈夫だったよ。一応、検査してもらったけど、何も変わってなかった」
「なら、良かった。……番さんにも迷惑かけちゃったよね」
言われて、思い出す。倫の病院から帰宅すると、すでに陽月が帰っていた。抱きしめられて、様子を聞かれて、春陽も事の成り行きを説明した。「俺は全然大丈夫だよ!」と言えば、陽月には珍しくため息をつかれてしまったけれど、それ以上咎められることはなかった。
陽太にも、倫が書いてくれた診断書を渡して理由を説明すれば「びっくりしたんだよ」と心配はされたけれど。
「臨機応変な対応が出来たのは良いことだね」と褒めてくれたので、春陽も自分の行動は間違っていなかったのだと、少なからず安心した。
「でも……椎名さんも突然だったよね? ヒートを抑える薬、飲んでたんでしょ?」
ヒートが起こると周りに迷惑をかけてしまう。それを防ぐために、国から無償で提供されるはずだ。春陽も、以前はそれを欠かさず飲んでいた。番が出来た今では効力がないので、倫の指示でやめてしまったのだけれど。
「うん。飲んではいるんだけど……使えなくなっちゃったんだよね。効かなくなったって言うか……。だから、薬変えてもらった」
「そっか……」
春陽は静かにパンケーキにナイフを入れる。シロップがこぼれないよう、気をつけて口に運んだ。甘くて、優しい味が広がる。向かいでは、椎名もパフェのアイスクリームをすくっていた。
女子生徒の集団が入ってきて、店内がより一層騒がしくなる。
「あのさ……聞きたいことあるんだけど、いい?」
「なに?」
「瀬野くんって、隣の区にある『Terrarium 』ってお店……知ってるよね?」
一瞬、春陽の世界から音が消える。『Terrarium』――それはかつて、春陽が体を売っていた店だ。
カラン、とグラスの氷がバランスを崩して、春陽は意識を戻した。何も返せないまま椎名に視線を向けると、椎名は当然のように「私、今、そこにいるんだよね」と返してくる。
「多分、瀬野くんと入れ違いになったんだと思う。店のパンフレットの中に、瀬野くんっぽい子見つけて、そうだったんだ、って思った。……もちろん、誰にも言わないよ。だから、瀬野くんも、この話は内緒ね」
人差し指を唇に当てながら言われ、春陽は「もちろん!」と返した。
「でっ、でも……は、恥ずかしいな……。バレないように変装してたつもりだったんだけど……」
「うん。普段の瀬野くんとは全然違ったよ。まじで女の子かと思った。というか瀬野くん、普通にイケメンだもんね。羨ましいよ」
「そ、そう……? 言われたことないけど……」
「みんな遠慮してるだけじゃない? ほら、Ωの見た目褒めると、馬鹿にしてるって思う人もいるじゃん?」
「ああ……」
話しながら、椎名はドリンクをストローでかき混ぜた。カラカラ、と賑やかな音が鳴る。
「私以外にも、けっこう思ってると思うけどな。それこそ、瀬野くん二学期になってから印象変わったじゃん。なんていうか、昔よりはずっと柔らかいし、きれいになったし、可愛くなったし。番が出来るってこういうことかぁ〜、って思うもん」
愛されてるのが溢れてる、とでも言いたそうに椎名は笑った。春陽は気恥ずかしさで、思わず俯いてしまう。
外では今まで通り振る舞っていたつもりだった。もともと、他人はあまり信用出来ないから、春陽なりに境界線を引いてきたつもりだったのだけれど……。
「だから秋原も羨ましかったんじゃないの? 瀬野くんに嫌がらせしたかったんだよ」
「……あ、この前の、ヘアゴムのこと?」
「うん。せっかく可愛いやつしてたのに、最近はめっちゃシンプルで、落ち着いたのになったね」
「うん。ひな……えっと、兄さんが新しく買ってくれた」
「番さんじゃなくて?」
きょとんとして聞き返してくる椎名に、何と説明していいか分からなかった。自分の番は陽月で、ダイナミクス性の本物は陽太で……。そう言ったところで、理解が得られるかどうかは分からない。うーん、と迷って、「二人いるから」と春陽は言った。
「俺、番が二人いるんだ。二人とも運命の人」
椎名は目をぱちくりさせた。運命の番が二人いるなんて聞いたこともない。けれど、春陽にとってはそれが真実だ。分かりやすい現実として言えば、陽月も陽太もαなのだから。
「えと……変、だよね……?」
「変っていうか……すごくない?」
「す、すごいかな?」
「すごいよ。だって“運命の番”なんて絵空事じゃん?」
絵空事……か。確かに、春陽もずっとそう思っていた。運命なんてあるはずないし、あったとしても人生を狂わす厄介なものだと。
……『厄介』というのは、あながち間違いではなかった。だって、どうやったって二度と離れられない――いや、離れたくないのは事実なのだから。それが良いものかどうかは、春陽にも分からない。
それでも椎名は「いいなぁ」と言った。
「なんかさ、瀬野くん見てると夢があるよね」
「夢?」
「こんなうちらでも、幸せになれるんじゃないかって」
屈託なく椎名は笑う。
「私さ、お兄ちゃんが色々やらかしちゃったせいで『Terrarium』行かされたんだよね。……もちろん、最初は“何で私が”って思ったよ。でも、“これがうちらの出来ることなのかな”って、思ったりもしてさ……」
静かに語る椎名に、心が傷む。そこにいた頃は、春陽も同じように思っていた。これしか自分に出来ることはないんだ、と。ただ借金を返済することに必死になっていた。その後に、自由があるかも分からないのに……。
「薬が効かなくなったのも、そのせい。なんか、変なの使われて……ヒート起きちゃったんだよね。それで、いつもの薬が効かなくなっちゃって……」
「えっ!? それって、店の規約違反じゃん」
思わず春陽は前のめりになった。それで、椎名はどうしたのだろう。ちゃんと店に報告したのだろうか……。気になったけれど、椎名がそれ以上のことは言わなかったので、春陽も聞くことが出来なかった。
「そんなこともあるけど、逆にあそこで“いい金持ち”に当たることもあって……大切にされるってこういうことなんだなって……思うこともあって……。もちろん、めっちゃたまになんだけどさ」
「うん……」
「なんて言うんだろ……世界が違うって言うか……上手く言えないんだけど」
言葉を迷う椎名に「わかるよ」と春陽は返す。
「多分、俺達の知ってる金持ちって、本物じゃないんだと思う。……本物っていう言い方が合ってるかどうかは分からないんだけど……俺の……うちの周りは、優しい人でいっぱいだから」
自分を愛してくれて、大切にしてくれる人たちを思い出し、にこ、と春陽の顔に穏やかな笑顔が浮かぶ。
「ねぇ、瀬野くんって、あそこで番さんに出会ったんでしょ?」
「うん、まぁ……」
「なら、やっぱり夢があるよ。いい金持ちに見初められるって可能性は、ゼロじゃないってことでしょ?」
まるで王子様を探す無垢な少女のように椎名は笑った。
※※※※※
「で、ここがこうなる……」
先生の声を聞きながら、黒板の上を走る白いチョークを、春陽はぼーっと見つめていた。
授業に集中しなければいけないのは分かっている。けれど、どこか上の空になるのは昨日の椎名のことがあってだ。
椎名は、春陽の事を羨ましいと言っていた。夢がある、と。
それは春陽にとって意外な言葉で、同時に嬉しいものでもあった。
『Terrarium』で性を売っていた事は、春陽にとって良い記憶ではない。けれど、あの場所自体は春陽に優しかった。そこにいたのは全員Ωだったから、気が合ったのかもしれない。一人ぼっちの春陽が、学校帰りにふらりと足を運んでも、みんな笑って迎えてくれた。
それに、あの場所がなければ、陽太にも陽月にも再会出来ていなかったかもしれない……。そう思うと、椎名が言った“夢のある場所”という表現は、間違っていないような気もする。
だから、そんな彼女も、自分のように良い人に出会って、幸せになってくれたら……と、前の席に座る椎名の背を見つめて、春陽は願う。
ただ、春陽には気にかかることがあった。「変なのを使われて、ヒートがきた」……彼女は確かにそう言った。
相手はきっと、発情期を誘発する薬を使ってきたのだろう。それは間違いなく店の規約違反だ。その客を訴えることを、椎名はしたのだろうか。そもそも、店から支給されている特効薬を使う暇もなかったのだろうか……。
危険は避けるように――倫からはそう言われたけれど、どうしても春陽は気になった。椎名が言えないのなら、自分が言うべきなのではと、妙な正義感が芽生えてしまったのだ。
昼休み。春陽は意を決して店長に電話を掛けた。アドレス帳から番号を消していなくて良かったと思う。
もしかしたら、自分の事は忘れてしまっているかもしれないとも思った。けれど、案外素早く電話は取られた。「もしもし」と、懐かしい店長の声が聞こえる。
「あっ、お、お久しぶりです。シュンです」
もう二度と名乗ることはないと思っていた源氏名を口にすると、店長は「うん」と返事をした。
『久しぶりだね。元気?』
「はい。元気です」
『そっか。なら良かった』
電話の向こうで、店長が穏やかに笑ったのが分かる。春陽は安心して、緊張を解いた。
「店長。ちょっと話したい事があるんですけど、今日の学校終わりに、お店へ寄ってもいいですか?」
店長は優しい人だから、きっと「いいよ」と言ってくれると春陽は思っていた。けれど、返された言葉は全く違うものだった。
『それは君自身のこと?』
「えっ?」
咄嗟に、どういう意味で聞かれたのか理解出来なかった。だから「友達のことで」と素直に続け、簡単に理由を説明した。
『……わかった。話は聞くよ』
「あ、ありがとうございます!」
『ただし、陽太に許可を貰ってから来て』
「えっ!?」
突然出された名前に、春陽は驚きを隠せなかった。そういえば、以前陽太が「店長とは知り合いだ」と言っていた。だからなのだろうか。明確な理由が分からず、どうして? と聞き返すと、店長は落ち着いた口調で言った。
『だって、君は瀬野家の人間でしょう?』
それがどういう意味を持つのか、春陽には分からない。黙り込んでしまった春陽に、店長は続けた。
『うちもね、瀬野家と同じ家柄なんだ。昔の知り合いだからって、気安く行き来出来る関係じゃないんだよ? 今の君は、陽太や陽月くんの番なんだから』
「あ……」
春陽は言葉に詰まる。
もしかして、自分はとんでもない事をしてしまったのではないかと不安になった。今の自分の立ち位置も分からず、思うまま店長に連絡をしてしまった。
すみませんでした、と謝ると、店長は優しい口ぶりで言った。
『怒ってるわけじゃないよ。連絡をしてくるのは構わないんだけどね。会いに来るってなると話は別になるんだ。友達の話は、俺も興味があるからぜひ聞きたいな。陽太に許可を取っておいで?』
「は、はい……分かりました」
店長との通話を切って、春陽はすぐに陽太に連絡を入れる。
「Terrariumに行きたい」と言えば、陽太は怪訝そうに「どうして?」と聞いた。
「えっと…………――って訳で……」
理由を説明しても、陽太はすぐに「良し」とは言ってくれなかった。だから
「お願いします、陽太さん」
と、少しだけ甘えた声で、ずる賢くおねだりしてみる。
陽太はため息をついて「……しょうがないなぁ」と言ってくれた。
『許可するよ。……静人には、僕から改めて連絡を入れておくから、放課後に碧生と一緒に行っておいで』
ぱあっと、春陽は顔色を変えた。それが「ありがとう!」という声に乗って届いたのか、陽太が苦笑したのが分かった。
『椎名さんの心配をするのは良いけど、あまり深く踏み込まないようにね。彼女の問題なんだから』
そう釘を刺されたけれど、春陽は「うん!」と明るく答えた。
※※※
学校の駐車場に着くと、碧生はいつものところに車を停める。春陽が出て来るまで、もう少し時間がありそうだ。
腕時計でそれを確認していると着信が入った。画面には『加谷緋津希』の文字。出ると、碧、と愛称が呼ばれた。
……どうやら仕事の話ではないらしい、と碧生は判断する。公私を混同しないのが彼だ。仕事の用件ならば“碧生”と呼ぶのだから。
だから碧生も「なに?」と返す。
「私用なら普通の方にかけてくればいいのに」
『私用はマナーモードだろ? 繋がらないと思って』
「あ、そっか」
そう言われれば、そうだ。仕事用の携帯に連絡を入れる方が早い。素直に納得すれば『それとも、そっちもすぐに取れるのか?』と半ばため息混じりに聞かれた。
「ちゃんとマナーだよ。いちいち揚げ足取んな」
私用と分かれば遠慮はいらない。いつもの口調で文句を吐けば、『はいはい』と他愛なく返された。
「で、なに?」
『お前、今から“Terrarium”へ行くんだろ? 話が拗れないように注意しろよ、と思って』
「拗れないようにって……どういう方向へだよ?」
『春陽様がこれ以上、椎名理穂に深入りしないようにだろ』
「ああ、そっちね」
『そっちって……他に何があるんだよ?』
半ば呆れたように言う緋津希に、「陽太様の保身の方」と碧生は返した。
――春陽から「Terrariumへ行きたい」と連絡があった時の陽太の慌てようといったら、碧生が今まで見たことがないほどだった。
どんな要件にも、基本的に落ち着いた態度を崩さない陽太が、明らかに険しい様子を見せたのだ。春陽の声に「うん……うん」と返事をしながら、陽太は雅明に視線を投げた。
碧生も雅明の隣に居たから分かる。「雅明、助けて……」と瞳が泣き言を言っていた。雅明はまるで、何か分かっていたかのように小さく息を吐く。
許可をするように、雅明が指先を合わせてOKサインを出す。……何かの暗号かな? と碧生は思った。話の内容が全く分からないのに、雅明は全部見通しているようだった。これが長年連れ添うということなのか、と碧生は学習する。
「分かった」と動きかけた陽太の唇が止まり、雲行きが怪しかった表情が、見る見るうちににやけていく。「しょうがないなぁ」と答えたそれは、いつになく嬉しそうだった。それ以降の春陽との会話は声が弾んでいて、いい方向にまとまったのだと思った。
……が、
「雅明ぃ〜どうしよう、はるがTerrarium行くってぇ」
と、電話を切った途端に泣きべそ混じりに言うので、思わず「いやさっきの態度はなんだったんですか?」と突っ込んでしまった。
「なんか上手くまとまったんじゃないんですか?」
「まとまってない。全然良くない」
「嬉しそうだったくせに?」
「だって、はるが“お願い陽太さん♡”なんて言うんだもん」
「……はぁ……」
遠慮なく呆れ声を出すと、今度は雅明が、
「今更どうしようもないでしょう。腹括って下さい」
と、ぴしゃりと言い切った。
「“遊びの関係”があったのはお互い様です。春陽様も、そこまで追及なされないでしょう」
「はるは遊びじゃないじゃん。仕事じゃん」
うええん、と情けなく机にうつ伏せる陽太に、「いや、やってることは一緒です」と雅明は投げる。
よく分からないが、どうやら過去に関係があるようだと碧生は思う。
Terrariumは、かつて春陽がやっていたアルバイト先だ。碧生も、春陽の後を付けて何度か訪れたことのある場所。もちろん、立ち入ったことはないが、陽太が春陽に会うために、そこに出入りしていたことは知っている。
上流のαと一般社会のΩを繋ぐ、出会いの場所――とでも表現しておこう。実際は、そんな綺麗な場所ではないのだけれど。物は言いようである。
碧生が考えを巡らせている間に、陽太はTerrariumの店長――三崎静人に連絡をしていた。さっきの春陽への態度はどこへやら、「余計なことは言うなよ?」なんて脅しに近いような声音で、静人に釘を刺している。
思わず、「今更その意味あるんですかね」と呟けば、
「春陽様に悪く思われたくないと必死なんですよ」
そう、苦笑混じりで雅明に回収された。
……とまぁ、碧生としてはこういう経緯があったので、春陽の事か陽太の事か、その二択が存在していた。
もちろん緋津希はそんなの知る由もないので、春陽の事以外何があるのかと問うたのだけれど。それでも、碧生が陽太の事を選択肢として提示すれば、あぁ、と理解したような声が返ってきた。
『俺はそっちのことはどうでも良いんだけど。陽月様に害がなければ』
「他人事だと思って。あの二人が拗れたら、兄ちゃんだって大変だろ?」
『じゃあ、拗れないように上手く立ち回れよ?』
「簡単に言うな。春陽様の思考回路、まだ完全に読み切れてないんだよ」
執事になって日が浅いということもあるが、ここ最近の春陽は、以前と比べて行動力があるのだ。
一人でいた時の春陽の日常といえば、家と学校と仕事が主で、たまにスーパーで買い物をする程度だった。誰かの事を気にかけていたり、昨日みたいに友人とファミレスへ行ったりと、そんな行動は見受けられなかった。それほどの余裕がなかった、とも言えるけれど。
愚痴混じりに吐くと、向こうで緋津希が笑った気がした。
『意外と動くぞ。決定するまでに少し時間がかかるだけで。決めたら即行動だから』
「それは陽月様もそうってこと?」
『陽月様というか、もともと西園寺家がそうなんじゃないか? 翔様とか、母さんだってそうだろ』
言われて、碧生の脳内に“わがままの二大巨頭”とも言える人物が浮かぶ。兄弟関係である翔と碧生たちの母は、揃って自由奔放というか、行動が読みづらいのだ。
小学校から帰宅してすぐ「今からパパと翔おじさんのとこ行くよ!」と、何度飛行機に乗せられたか。数日間の旅行ならまだしも、ゼロ泊とか、意味の分からない日数で帰宅したこともある。もちろん、本人たちには考えがあってのことだろうが、なぜそんなことになるのか、碧生には思考の経過が理解出来ない。
落ち着いて状況を確認してみれば、なんとも大変な主人に付いてしまったのだろうか、とも思うけれど……。
「加谷家の因縁かねぇ?」
そう呟けば、あはは、と緋津希が小さく声を上げた。
『お互い様ってやつだな。……ま、頑張って』
「うん」
そう返事をして電話を切る。タイミング良く春陽の姿が見えて、碧生は車を降りた。
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