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第6話
上流と区分される人間と、一般と区分される人間……ここは、それが絶妙に混ざり合う区域の歓楽街。その一画に、Ωのみが性を売る場所として『Terrarium』は存在していた。
経営は、上流階級に名を馳せる三崎 家。表向きは教育機関を主な生業としているが、裏では上流階級のαと一般社会のΩを繋ぐ、橋渡し的な役割を持っていた。
一般社会では卑下される事が多いΩだが、上流階級では重宝される。βに比べ、Ωは圧倒的にαを生みやすい。もちろん100%ではないにしろ、誰でも自分の遺伝子を最高の形で残したいと思うのは普通だろう。家柄に血統があるなら、尚更。
店の駐車場に車が入ってきたのを確認して、静人は席を立つ。ソファーの背に掛けていたスーツの上着に袖を通し、「よし」と気合いを入れ直した。
部屋の入口では、彼の従者である[[rb:今岡 > いまおか]]が控えていた。静人が近づいて来ると、その大柄な見た目に似合わない丁寧な手付きでドアを開いた。静人はそこから出る前に、ため息を一つ。
「晋太郎 」
「はい」
「下手こきそうになったら止めてね」
頼んだよ、と人懐っこい静人の瞳が晋太郎を見上げてくる。かしこまりました、と普通の従者なら答えるのだろう。けれど晋太郎は、「まぁ……できる限り」と、曖昧に返事を濁した。
「もぉ〜晋太郎ぉぉ〜……」
「情けない声を出さないで下さい。全ては春陽様がどう受け取られるかによります。どうしようもありません」
はっきりと正論を返されて、静人は肩を落とす。
「余計な事は言うなよ」と、ドスの利いた声で陽太に釘を刺された。余計な事ってなんだよ、と静人は思う。むしろこんな店で、陽太に関する“余計じゃないこと”などあると思っているのか。何人と経験済みだとか、そんな事を口走らなければ案外大丈夫かもしれないが。
キリキリと痛む胃をさすりながら、静人は春陽を迎えるべく、部屋の外へと踏み出した。
地下の事務所から専用エレベーターで地上に出ると、タイミング良く春陽が店のドアを開いたところだった。
店長! と、あの頃と変わらない愛嬌の良さで、春陽は静人に駆け寄ってくる。以前よりずっと元気にあふれ、表情も明るくなった春陽は、可愛らしさが極まっている。
初めから、春陽はこの店には不似合いだと静人は思っていた。如何せん、この子は真面目が過ぎるのだ。もう少し頭を柔らかく……それこそ、馬鹿にでもなったほうが楽しめる世界だ。そんな中で、春陽は最後まで優等生だった。
こんなに無垢で可愛い子が、あの陽太の恋人だなんて……神様は采配を間違えてんじゃないかとすら、静人は思う。
久しぶり、と声をかけようとすると、春陽は静人の一歩手前で立ち止まり、びくりと肩を震わせた。視線が自分の後ろにあることに気付いて、静人は苦笑する。
「ああ、初めて見るよね。俺の執事」
視線を一瞬後ろの晋太郎に向けて、静人は春陽に伝える。「あ……」と、春陽は小さく声を上げた。
晋太郎は静人より一回り体格が良い。その上に細目が相まって、初見はまずヤクザと間違われ、怖がられるのだ。もちろん、ちゃんとした三崎家専属の執事の家系なので、仕事ぶりは他家の執事とそう変わらないのだけれど。
「静人様の執事、今岡と申します。以後、お見知り置きを」
丁寧に背を折ると、春陽は「はじめまして」と晋太郎にお辞儀を返す。
「瀬野春陽と申します。よろしくお願いいたします」
春陽のその丁寧な対応は、上流階級が他家の執事に対して取るようなそれではない。しかしながら、春陽らしいと静人は思う。
一歩遅れて、春陽の執事が入って来る。
静人を見ると、「春陽様の執事を致しております。加谷と申します」と丁寧に一礼をした。キリッとしたその表情に、静人は強かさを感じ取る。
なるほど、女性のαを付けたのか……。
静人は何故か納得した。陽太に「春陽に執事を付けた」と聞いて、選り好みが激しいあの男が、一体どんな執事を春陽のそばに置いたのかと気になっていたのだが……まさか女性のαだったとは。
碧生を見つめる静人に、店長、と春陽が声をかけてくる。
「静人でいいよ。君はもう、うちの所属じゃないからね」
そう言うと、春陽は少しだけ寂しそうにうつむいた。静人に距離を取られたと感じたのだろう。だから、親しみを込めて「春くん」と呼んだ。驚いたように春陽は顔を上げる。
「えっと、春くんじゃ嫌かな? みんなからはなんて呼ばれてるの? 倫とか」
すでに春陽と顔見知りであろう幼なじみの名前を出せば、春陽は気恥ずかしそうに「はるちゃん、って……呼ばれてます」と教えてくれた。
「じゃあ俺も、今後は“はるちゃん”にするね。それでいい?」
問えば、春陽はふわりと笑みを浮かべ、素直に頷く。すぐに懐く小動物みたいだな、と静人は思った。
応接テーブルに春陽と向かい合って座ると、晋太郎が紅茶とお菓子を並べていく。
お洒落な薔薇の花をイメージしたチョコレートに、「かわいい」と春陽は目を輝かせた。晋太郎にしては珍しいチョイスだなと静人は思う。
……さては雅明に聞いたな?
ちらりと晋太郎に視線を送ると、何食わぬ顔で静人の後ろに立った。
「それで、話はなんだっけ?」
切り出すと、春陽はゆっくりと本題に触れた。彼女の事を考慮してか、丁寧に言葉を選んで話してくる。……要は違法薬でヒートを誘発させられたけど、それってどうなの? という話だ。
それ自体はたまにある話なので、静人も客に対して深くは追及しない。一言、ルール違反ですよ、と告げて終わる話だ。
問題はその後、春陽が持ち出した『特効薬』についてだ。春陽はそれを店の支給品だと思っている。けれど、実際はそんなもの、他のΩに出したことはない。あれは春陽専用なのだから。
それを正直に伝えると、春陽は驚きに目を丸くした。それもそうだろう……瀬野家に帰るまでにも、春陽は散々、陽太に保護されてきたのだから。
「どこから話そうか……」
思い起こせば、陽太に初めて春陽を紹介したのは、春陽がこの店に来て二週間ほど経った頃だったと思う。当時の陽太は丈之助が亡くなった後の始末に追われていて、久しぶりの来店だった。
陽太の“遊び方”はこの世界に身を置く静人でさえ呆れるほどだった。理性的な陽太は、いつも異なる相手を選び、一度共にした相手のことは忘れない男だった。ほんの一夜限り、数時間の中で相手を吟味して、「この子はここがイマイチ」とか「顔は好みなんだけど相性が」とか、いちいち文句をつけるような……そんな男だった。
誰でもいいから、さっさと相手を作って、適当に世継ぎを残してしまえばいいのに、と言ったこともある。本妻とは別に、世継ぎを残すためにΩと交わるのは、この世界の常識だったから。それに対して、陽太はつまらなそうな顔をしていたけれど。
静人にしてみれば、そう安々ととっかえひっかえされると、陽太に紹介する相手もほぼ新人に限られてくる。春陽も、そんな具合で陽太に紹介したのだ。
今月の新人ちゃんね、と紙を差し出せば、陽太はいつもみたく興味薄げにそれを受け取った。
どうせその中から選ぶだろうと高をくくっていたので、「誰にする〜?」と軽めに聞いた。じゃあこの子、といつもの調子で返事がくると、静人は思っていた。しかし
「おい静人、これどういうことだ!?」
と、いつになく動揺した声で陽太は叫んだ。
「えっ、何!? 俺なんかした!?」
「この“シュン”て子の情報、洗いざらい全部吐け」
「ああシュンちゃん! 可愛いよねー! 今一番のおすすめだよ」
なんて、空気も読めず笑いながら言ったのが間違いだった。
「それは前から知ってるんだよ。はる以上に可愛いのはこの世に存在しないからな。お前の感想はどうでもいい。知ってる情報全部吐け!!」
と、珍しく本気で怒られてしまい、静人は慌てた。言われた通りに“シュン”の個人情報を伝えれば、陽太は盛大にため息を吐いて、頭を抱えた。
「間違いない……はるだ」
「誰?」
「弟」
「おと…………なんて???」
陽太の口から飛び出した言葉に、静人も動揺を隠せなかった。当然だ、上流階級の筆頭である瀬野家が、まさか身内を一般市民の中に放し飼いにしているなど、誰が信じるだろうか。しかも、借金まで抱えて、こんなところに売り飛ばされて来るなんて……。
それから、陽太は雅明を呼び出して、わざわざ確認までさせた。
「春陽様で間違いないと思います。……しかし、なぜ……」
「借金のかたに売り飛ばされて来たらしい。……母さんは、もう……」
陽太はそこで言葉を切り、雅明が息を呑んだ。「左様ですか……」と小さく答え、まるで黙祷を捧げるように目を閉じる。
春陽の事情が厄介なだけに、陽太はすぐに春陽を連れ帰る判断はしなかった。代わりに、
「いいか静人。この子の相手はちゃんと選べよ。変なやつ回したら殺す」
と釘を刺され、「逆にどういうのならOKだよ……」と返した。
「何かあった時に、うちが簡単に手を下せるやつ」
「良かった! ならほぼ100%オッケーだ!」
……とまあ、こんな経緯があった訳だが、さすがに正直に話すことは出来ない。
「春ちゃんがここに連れて来られた時に、どっかで見たことある気がするなぁって思ったんだよね」
静人は慎重に言葉を選び、そう切り出す。記憶を探るふりをして「そういえば〜陽太の父親って〜春ちゃんと同じ髪色だったよなぁ〜〜」とか、適当に回想話をでっち上げ、最終的に「陽太に連絡してみたんだよ」と真実を嘘で丸め込んで春陽に伝えた。
春陽は静かに視線を落として「そうだったんですね……」と呟いた。
「ありがとうございます。……静人さんがひなに連絡してくれたから、俺、うちに帰れたんですね」
と、何一つ疑う様子もなく飲み込む。そんな春陽に、静人は内心で泣きながら土下座をした。
(ごめんね春ちゃん……いつか真実を知った時には、陽太をぶん殴っていいからね……)
物思いに耽っていると、「あ」と春陽は、何か思い出したように声を上げた。
「だから静人さんは、俺の借金を肩代わりしてくれたんですか? 俺がひなの弟だったから」
「え? ああ、そのこと。それはまぁ……そうなんだけど……」
歯切れ悪く答えると、春陽は首を傾げた。違うんですか? と可愛らしく聞いてくる。
もちろん、それについても大筋は間違ってはいない。
取り立て屋が店にまで押し入ってきた際に、奴らは「別の場所に売り飛ばすぞ」と春陽を恫喝してきたのだ。
もちろん静人は嘘だとは思った。けれど、万が一それが実行されてしまうことがあれば、自身の命もないだろう。
咄嗟に、静人は春陽の借金を肩代わりする形で金を払い、取り立て屋を追い返した。
しかしこの時、静人はその金の出所を、店の売上金にしてしまうという重大なミスを犯してしまった……つまりは、春陽の身柄を「三崎家」に入れる形にしてしまい、家同士の問題に格上げしてしまったのだ。
もちろん、陽太には謝った。めちゃくちゃ謝った。むしろ一人で言い出す度胸はなくて、倫までその場に呼び出して謝ったのだ。
陽太は、「……はるを守ってくれたのには感謝する」と前置きをした上で
「ややこしくしやがってこの野郎……!!」
と、当然のように怒りを露わにした。
「ごめん! ごめんってば陽太ぁ〜」
「謝って済むと思うなよ……?」
春陽の取り立て屋と今の陽太、どちらがより怖いだろう。「倫〜!」と泣きながら助けを求めたけれど、「静人、ドンマイ」と肩を叩かれて終わった。
「とりあえずこれは、静人様と陽太様の問題として両家内密に……」
雅明が晋太郎にそう言った。
「もちろん心得ております。事態をより深刻にさせてしまい、大変申し訳ございません」
「……お互い苦労しますね」
「胃が痛い話です……」
主たちがぎゃいぎゃい騒ぐのを横目に、雅明と晋太郎は同時にため息をついた。
……とまぁ、こんな裏事情があったのだ。
「だからね、本当はもっと早くに春ちゃんを家に返してあげられるはずだったのに……ごめんね」
静人が謝ると、春陽は首を横に振った。
「そんなことないです。あのときは、本当に助かったので……迷惑かけたのは俺の方ですし……」
ありがとうございます、と春陽は笑った。
「……春ちゃん、本当に陽太の弟だよね?」
「え?」
「いや……疑わしいほど良い子だなと思って」
育ち方が違うと、こうも人は変わるのだろうかと、静人は思う。あの冷血漢な陽太と、同じ血が流れてるとは思えない。
「えっと……間違いなく兄弟だと……思うんですけど……」
「えっ? あ、そうだよね。ごめんね、変なこと言って」
「いえ。俺はまだ、ひなたちみたいに、上手く振る舞えないから……」
しょぼん、と頭を垂れる春陽に、静人は「春ちゃんはそのままで良いんだよ」と返す。
「でね、春ちゃんが言った特効薬も、実は店の支給品じゃないんだ。陽太が春ちゃんに持たせるようにって、倫に処方させたものだから」
「あ……」
「だから、春ちゃんの友達に出すことは出来ないんだよ?」
真実を告げると、春陽は寂しそうに瞳を揺らした。悪い、とは思う。傷つけているとも。けれど、伝えなければいけないことも静人にはあるのだ。
そもそも春陽は、店にいる他の子たちとは扱いが違うのだから。
「普通の子はね、数多くのαと出会う事が最優先なんだ。相手の階級や性格がどうであれ、体の相性は良いかもしれないから。αだって、相手の性格や見た目は二の次で良いって人もいる。……厳しいけど、これは事実なんだよ。春ちゃんの友達だからって、そもそも出会いの機会を奪うことは、その子にとってもデメリットしかないんだ。分かってくれる?」
「はい……」
「ごめんね」
「いえ……俺の方こそ……店にクレームを言ってしまう形になって……」
「クレームだなんて。陽太に比べればどうってことないよ。あいつ、陽月くんと春ちゃんを会わせたことだって怒って来たのに」
静人がその話題を出すと、春陽は「そういえば……」と疑問を口にした。
「ひいと初めて会った時に、案内してくれたのは加谷さんだったんですよ。俺、びっくりしちゃって……迎えに来てくれた人と、実際の相手が違うなんて、初めてだったから」
連絡しようか迷いました、と苦笑すると、静人は「それもいろいろとあってね」とため息をついた。
春陽が相手をする人物は、事前に陽太に開示していた。名前、年齢、生業、その他諸々……。
静人にしてみれば、その時点で陽太が何も言って来なければ、春陽の相手として問題ないはずだった。
だから、「おい、何でひいがはると会うこと黙ってた!?」と陽太が事務所に怒鳴り込んで来た時は、さすがの静人もわけが分からなかったのだ。
「ええっ、何の話? 知らないよ!!」
「知らないじゃないだろ!」
「だって本当に知らないもん! さすがに陽太の弟なら気付くって!」
静人が陽月を初めて見たのは、数ヶ月前のパーティーだった。
陽太に「弟」と紹介された彼は、まさに春陽と瓜二つだった。違いがあるとするなら、洗練された上流階級特有の静けさだろうか……。
先にこっちを見ていれば、春陽が店に売られて来たときに絶対気づいたろうに、と後悔した。
もちろん、それは事前に、春陽と陽太が兄弟だと知っていたからかもしれない。知らなければ「似てるなぁ」で終わる疑問でもある。瀬野家が身内を外に出していたなんて、誰も知らないし、信じないだろうから。
「そもそも、全部陽太に教えてるじゃん! “瀬野”って名前をスルーした陽太も悪いと思う!」
正論を叩きつければ、珍しく陽太が言葉を飲んだ。勝った! と静人が思ったのも一瞬……
「上流の階級で、瀬野が何個もあってたまるかよ……どう考えたって庶民の上澄みだって思うだろ」
そう頭を抱えられたので、「……それもそっか」と妙に納得してしまった。
データにあった『瀬野』という人物は、確かに一般階級と呼ばれるクラスよりは資産があった。静人が扱うαたちの家柄の中でも上位ではあったから、春陽には「有数の資産家」と言えたのだけれど……瀬野家や三崎家に比べれば、足元にも及ばない。下の下の下も良いところだった。
陽太のことを静人に任せ、一緒に来ていた雅明は、晋太郎に監視カメラの映像を求める。
「こちらの人物ですね」
晋太郎から提示された映像には、店の社員と話をする、一人の中年の男が映っていた。
もちろん、雅明はその人物と面識はないようだった。けれど「ああ……」と、何か納得したように息を吐く。
「これ加谷くんですね」
雅明の言葉に、陽太と静人も同時に画面を覗き込んだ。
「……なるほど。上手い具合に化けたな。さすがだ」
陽太も思わず称賛を送る。
「加谷って、西園寺の?」
「そう、本家はね。父さんが瀬野家に入る時に、一人引っこ抜いて連れて来たんだよ。これはその息子」
飄々と言う陽太に、静人は開いた口が塞がらなかった。婚姻によって家に入れば、その家の執事が付く――それが上流階級では当然の認識だった。生家に仕える専属の執事を、そのまま連れてくるなど聞いた事がない。
しかも加谷家とは……――
「碧くんの家はそんなにすごいの?」
静人の話を聞きながら、春陽は後ろに立つ碧生に顔を向ける。
「別段凄いというわけではありませんが……。他家があまり関わりたくないと言えば、そうかもしれませんね」
碧生は困ったように春陽に返す。そうだねぇ、と静人が便乗した。
「俺たちは、各家毎に担当分野が違うんだよ。瀬野家は上流階級のお手本となるような家だし、高橋家は医療専門、三崎家は……例えば人脈とか、上流と一般の橋渡し役だったり。で、西園寺家は裏なんだ。黒い部分というか……光が当たらない部分というか……」
静人は丁寧に言葉を濁したけれど、なんとなく“良い事”ではないのかも、と春陽は推測した。
「実際、私たち加谷家は内密な行動をするのには慣れているんです。敵情視察や情報収集、スパイ活動やデータのハッキングも普通にしますしね。変装や偽装工作なども得意ですよ」
けろりと吐く碧生に、ほえ~、と春陽は感嘆を漏らし、静人はため息を吐いた。
「だからね、うちのデータにも“入られてるんだろうな”って思ったよ」
「ああ、そうですね。ここは入りやす――……」
碧生は言いかけた言葉を切って咳払いをすると、「失礼致しました」と軽く頭を下げた。
「あはは。……まぁ……なんと言うかな……。つまり今の瀬野家には、それだけの“機動力”があるって事だよ」
静人は苦笑したけれど、それが何を意味するのか、春陽はいまいち理解出来なかった。きょとんと、子リスのように見つめてくる春陽に、静人は「先が思いやられるね」と呟いた。
ただでさえ、瀬野家の権力と財力を持ってすれば他家を叩くのなんて容易い。それに裏取りまで乗せられたら、完全に逃げ場などないではないか。
「陽太は、こういう事をあまり言いたがらないのかな?」
春陽ではなく、碧生に視線を投げると、碧生は「さぁ?」と首を傾げた。
「私は瀬野家に来て日が浅いですし……。詳しいことは存じておりません」
申し訳ございません、と頭を下げられた。
はぐらかされたな、と静人は思う。あの陽太が、本当に何も知らない人物をこの子のそばに置くわけないのだ。それは確信を持って言える。なら、静人が今春陽に言えることは限られる。
「春ちゃんは、何で自由を許されているか分かる?」
唐突に聞かれ、春陽は言葉に詰まった。理由が分からず、「えっと……それは、どういう意味で……」と聞き返す。
「ああ、聞き方が悪かったね。春ちゃんは、俺たちαが自分のΩをどう扱うと思ってる? 一般論でいいよ」
普通に“αの事をどう考えてる”、と聞かれているのだろうか。
――αは、Ωを支配する。自分のものだと主張して、庇護したがる。他人に触れさせるなんて以ての他だ……それが通説とされている。けれど、それをそのまま伝えるには、些か悪意も含まれている気がする。
少なくとも、今の春陽を取り巻く環境の中では、αのことを支配的とは思わない。目の前の静人も含め、みんな春陽に優しくしてくれる。
どう答えるのが正解なのか、春陽には分からなかった。けれど、言葉を探しながら、ゆっくりと口を開く。
「俺の中では……閉じ込められるって言うか……外に出してもらえないっていうか……そういうイメージがありました。特にお金持ちのαに買われたら、その時点で自由はないっていうか……」
「うん。よく言われるやつね。だいたい合ってるから、それでいいよ」
OK、と静人に軽く言われて、春陽はほっと胸を撫で下ろす。
「じゃあここからが本題ね。春ちゃんはさっき“外に出してもらえない”って言ったよね? それはあながち間違いじゃないんだけど、俺たちから言わせれば“出せない”んだよ」
「出せない……?」
「そう。だって、自分のものだから。なんて言うかなぁ……単純に自分のΩに何かあるのが嫌なんだよね。危険なことがあるのはもちろん嫌なんだけど、馬鹿にされたりとか、そういうのも嫌なんだよ。自分に敵意を向けられてるって思っちゃうんだよね。そうなると、平常心ではいられないわけだ。でも、平常心でいたいじゃない? 他人の……ましてや同じαの前でなんて、みっともない姿は晒したくないわけだしさぁ……。なら、他人の目につかない方がいいかなって思うんだよね。養うだけの経済力があるなら、わざわざ外に出す必要なくない? って感じで。……αの性っていうか、くだらないプライドなのかもしれないけど……分かる?」
つらつらとお喋りされたけれど、「いや全然分からん」と春陽は思う。
春陽たちΩにとって、αは絶対的上位者なのだ。たかが自分たちの事で心を乱されるなんて、理解出来ない。
けれど、碧生も晋太郎も「おっしゃる通りで」と完全同意を示すように深く頷いていたので、α同士なら分かる感覚なんだろうな、とは思った。
「えーっと、つまり俺が言いたいのは、陽太って、やっぱり変態なのかな? ってこと」
「へ、変態……?」
「だって春ちゃんは陽太の本物でしょ? 自分の弱みを一人歩きさせるなんて、俺なら怖くて出来ないよ。代替きかないのに、何かあったらどうするの? それこそ……松前氏とか。あれでよく命あったなぁと思うよー? 俺なら絶対許さないけどね。海の藻屑にしてやる」
ふんぞり返って言う静人に「静人様」と、今岡が小さく声をかける。が、聞こえていないのか、なおも「まぁ俺も、陽太に相当怒られたしー」と続けたところで、今岡の大きな手のひらで、そっと口を塞がれた。
「静人様」
「ああ、ごめん。喋りすぎた?」
「いえ……言葉の選び方が、少し」
「乱雑だった?」
「はい」
「分かった。じゃあもうちょっと丁寧に言うね。……よく春ちゃんを放し飼いにしてるなぁと思うよ!」
「静人様!」
まるで漫才のようなやり取りに、思わず碧生が吹き出した。春陽は、何が面白いのか分からなかったけれど。
……放し飼いにされているのだろうか。そもそも、陽太に「飼われている」という認識が春陽にはない。もちろん陽月にも。
「えっと……ひなは、別に俺のこと飼うとかじゃなくて……単に兄弟だし……す、好きでいてくれるから。……その、こ、恋人、なので……」
いざ他人の前で関係を語るのは、顔から火が出そうになるほど恥ずかしい。オロオロあたふたとする春陽の向かいで、静人はきょとんとなった。え、飼われてる自覚ないの? なんて、失礼極まりない言葉が喉元まで上がってきて、すんでのところで飲み込む。
「ね? そうだよね、碧くん?」
同意を求めると、「そうですね」と碧生はにこやかに返す。
「あ〜なるほど……そこまで教育済みなんだぁ……」
うわぁ〜……と、静人は引き気味に言って、碧生はそれを終わらせるように“にこ”と微笑んだ。
きっと、陽太は自分たちの黒い部分を上手に隠して見せてないのだろう。碧生を見ても分かる。自分たちが何をしているか、春陽に感づかれる前に線引きをする癖がついている。
だから春陽が何も疑問を感じないのだ。感じないどころか「愛されている」とまで表現するのだから。
静人は「何その協力体制、怖……。」と思う一方で、「さすがだなぁ」とも思う。他人に対して、こんなにも両極端な感想が出るのも中々に珍しい。
「やっぱり違うなぁ、陽太は……。合成獣 って言われるだけあるよ」
「キメラ?」
「瀬野と西園寺のハイブリッドってこと」
言い切る静人に、春陽は首を傾げた。
そもそも、上流階級が同じ階級の他家に正式血統を出すこと自体が稀なのだ。
それなのに、西園寺家は瀬野家に「翔」という血統を出した。当時の瀬野家は、一人娘しかいなかったからかもしれないが……その世代の真意は、静人には分からない。
――そして、生まれてきたのが陽太だった。
瀬野家の正式な血統でありながら、同時に西園寺の血筋も引いている。さらにαでDomならば、まさにヒエラルキーの頂点に君臨するために生まれてきたようなものではないか……。
「陽太の異質さが分かってもらえた?」
どうかな? と静人は聞く。
「なんか凄いんだなってことはわかりました。……でも、キメラなんて……そんなモンスターみたいな」
「良いんだよそれで。春ちゃんには分からないかもしれないけど、俺たちにとってはそうだから。……だからね、あいつは時代を変えるんじゃないかって、思ってる人もいるくらいなんだよ」
化け物扱いする割に、静人の声は優しかった。陽太に向けられる言葉のすべてが悪意でない、と分かる。むしろ、静人は半分心配してくれているような気さえした。
「それで、ここからが春ちゃんに伝えたい本題ね」
「えっ!? い、今までのは?」
「前置きかなぁ?」
随分と長い前置きだった……と春陽は思う。何なら、最初の部分は忘れてさえしまっている。椎名のことを気にしてここに来たはずなのに、随分と話がそれてしまった。
「で、そんな陽太が、この年齢まで番や世継ぎを作らずにいたことも十分変なんだけど、ついに番が出来たってなると、間違いなく大騒ぎになるんだよ。しかもそれが身内ってなると、完全に血統が家庭内で回ることになるじゃん? だからぶっちゃけ、陽太の子供は瀬野家の血統ではあるけど、西園寺の血統も色濃く残るわけだ。ってことは、全く新しい血筋になるんじゃないかなって思うんだよね」
「は……はぁ……」
「つまり、春ちゃんは自分が思ってる以上に凄い位置にいるんだよ? 陽太の番になるなら、自覚して動かないと……ってことが言いたかったんだよね」
すべてを言い切ったのか、静人は冷めきった紅茶を一気に流し込んだ。
『Terrarium』を後にする頃にはすっかり日が暮れていて、夜の遊びを楽しもうとする人の通りも増えていた。
車に揺られ、流れ行く街の灯りを瞳に映し、春陽は静人から言われたことを考えていた。
αはΩを支配する。
自分のものだと主張して、庇護したがる。
他人に触れさせるなんて以ての他。
……静人の口ぶりからして、その通説はあまり間違っていないようだった。
春陽も、最初はそうだと思っていた。けれど、陽月も陽太も、そんなことをするように思えないのも、春陽の中では事実なのだ。
これまで通り、学校へ行くことだって許してもらえている。けれど、それすら許されないΩがいることも、春陽は知っているから……。
――養うだけの経済力があるなら、わざわざ外に出す必要なくない? 自分の弱みを一人歩きさせるなんて、俺なら怖くて出来ないよ。
「……ねぇ、碧くん」
「はい」
「俺……二人に迷惑かけてるのかな……?」
ぽつりと呟く。たかが自分の事で取り乱す二人なんて想像出来ないけれど、静人の口ぶりならば、春陽も気付かぬうちに二人に迷惑をかけているのかもしれない。
先日のヘアゴムを取られた時だって、二人は春陽のことを気にかけてくれて、春陽が落ち着くまで、時間を取って一緒にいてくれた。陽月に至っては、分かりやすいくらい不機嫌にさせてしまった。
だから……。
「俺、家で大人しくしていた方がいいのかな……? 学校も、やめたほうがいい?」
「陽太様がお許しになられてるんですから、わざわざ退学までする必要はないと思いますが……? 春陽様は学校嫌ですか?」
「ううん。嫌じゃない。友達も優しいよ。だけど……」
二人の弱みになってしまうのなら……。
素直に告げれば、碧生は少しだけ笑った。
「みんな、春陽様を守れるだけの自信があるんですよ。陽太様も、陽月様も、翔様も。自分のことよりも、春陽様の自由を優先したいんだと思います。だから俺を春陽様の執事にしたんじゃないですかね?」
「あ……」
「瀬野家に来る前、俺はルーク様……翔様のお母様のところにいたんですよ。ルーク様は春陽様とよく似ていらっしゃいますから、丁度良い勉強相手だよ、と翔様に言われました。小さい頃、春陽様もお会いしたことありますよ」
碧生の口調は、まるで昔を懐かしむようにとても穏やかだった。けれど、残念ながら春陽はその記憶がない。「ごめんね」と正直に言えば、碧生は「良いんですよ」と返した。
「小さい頃の事なんて、覚えていないのが普通ですから。またいつか、春陽様がお会いしたいと思えば、行けばいいんじゃないですかね?」
「うん……」
会話は一度、そこで途切れた。街の賑やかさから逸れ、車は家へと続く道に入る。
「……先程の静人様の話ですが」
思い出したように碧生が口を開く。「なに?」と春陽は聞き返した。静人との話は内容が多すぎて、どの話題だろう、と思う。
「αは自分のΩを外に出したくない、ってやつ」
「ああ……」
「あれは、間違ってないんですよ。なんて言うのかな……俺たちって、そういうもんなんで。別に、相手の自由を奪いたいわけじゃないんです。ただ……許可したテリトリーにいてくれたら、それで良いというか……」
「許可したテリトリー?」
「自分が認識してる場所とかですかね。相手の人間関係や行動範囲とか。そこ知ってれば、意外と大丈夫なんですけど……。知らないところへ行かれるのは、ちょっと頂けないかな。だからどこへ行くか、ちゃんとお二人に伝えてあれば大丈夫だと思いますよ」
「そうなの……? それだけでいいの?」
「ええ。割と。少なくとも、俺はそうですけどね。一人で区外に出るなら、メッセージで良いから連絡入れておいて欲しいかな。……母か、兄のお嫁さんと一緒なら、より安心なんですけど」
しれっと碧生は言ったけれど、春陽としては聞き逃がせない言葉があった。
「えっ!? 加谷さんって結婚してるの!?」
思わず声が大きくなった。「ええ」と碧生は返す。
「俺たちみんな家庭持ちですよ。知らなかったんですか?」
「知らないよぉ〜! みんなってことは碧くんもなの!?」
「はい」
「なら言ってよ! 碧くんの恋バナめっちゃ聞きたい〜! 帰ったら聞いていい?」
「良いですけど……面白くもなんともないですよ?」
Terrariumを出発した時は少しだけ気詰まりだった。けれど、それも忘れてしまいそうになるほど興奮した春陽を乗せて、車は家路を急いだ。
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