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第13話

 翔がこちらにいる間に、優実の一周忌を行った。事情が事情なだけに、優実の訃報は公にはしていない。  家族四人だけの、静かな式だった。けれど、春陽は嬉しかった。一人で葬儀を行った時のことを思えば、ずっと温かくて、穏やかだったから。  お墓も新しく用意された。本来なら、瀬野家の墓に入れるべきかもしれないが、優実がそれを喜ぶかと言われれば、違うのではないかと春陽は思う。  だから、翔と陽太が、霊園の一画に用意してくれたのには、少しだけ安心した。  見晴らしの良い丘の上の方。遠くに、瀬野の本邸が見えた。 (お母さん、良かったね……)  心中で呟くと、冬にしては柔らかく、穏やかな風が春陽の髪を揺らした。  二学期も修了日を迎え、明日から冬休みに入る。  がやがやと騒がしい教室。春陽もかばんにたくさんの教科書を詰めた。冬休みの間に苦手なところを復習出来たらと思うのだけれど、何だかんだでゴロゴロして、直前になって慌てることも繰り返してきたので、どこまで真面目に取り組めるかが鍵だと思う。  二人の正妻になると決めた。ならば、聡明さもあるに越したことはない。  もちろん、誰かがそう言った訳ではない。春陽が勝手に自分に課すハードルだ。それが自分を向上させてくれる目標となるのなら良い。逆に自己嫌悪に繋がるのなら「そんなの必要ない」と、陽月と陽太に言われるものになるのだけれど。  パンパンになった鞄を背負って、春陽は友達と一緒に教室を後にする。重さによってバランスを崩さないように、慎重に階段を降りた。犬のストラップが、膨らんだ鞄に跳ねて踊る。  冬休みの予定を話し合いながら歩いていると、秋原と出くわした。  数週間前には春陽に高価そうな指輪をチラつかせてきたのに、今は疲れたように俯いて、春陽の姿にも気付いていないようだ。  あの頃と違って、覇気のない秋原が気にはなったけれど、春陽から声をかける理由もなく、無言ですれ違う。 「……秋原、今日は瀬野っちに絡んで来なかったなー」  遠藤が不思議そうに言った。もはや秋原が春陽に絡むのが、遠藤の中では風物詩になっているのかもしれない。 「高価な指輪くれた彼氏に振られたんじゃね?」 「あ、それあるかもな」  そんな会話をしながら昇降口を出る。すかさず、碧生が春陽たちの元へやって来た。 「おかえりなさいませ」 「ただいま碧くん」  ばいばい、と友達に手を振って別れ、車に乗り込む。くまとイルカのぬいぐるみにも「ただいま」と告げて、春陽は二匹を腕に抱えた。  ※※※※※  今年の締め括りに、と言わんばかりに陽太が出してきたのは、婚約証書と題された紙だった。  執事たちも見守る中、春陽は言われた通りに名前を書く。陽太と、陽月と、春陽の名前が並んだ。  印鑑も作ったよ、と渡されたそれを、名前の横に押す。陽太や陽月のものは、当然格式高そうな印影をしていたのだけれど、自分のものまで同じ印影をしている事に春陽は驚いた。  仕事をするわけでもないのだから、こんなに立派な印鑑なんて必要ないのに、とは思うけれど……。 「普段は使わないから、僕が管理しておくね」と陽太に言われたので、必要な時にしか登場しないのだろうと思った。それがどんな時か、春陽は分からないけれど。 「飾るなよ」  満足そうに眺める陽太に、陽月は言った。 「飾るわけないでしょ。大切に保管しておくよ、金庫に」  金庫に入れるほど大層なものでもないような気がするけれど。かと言って額に入れて飾られても、それはそれで照れくさいので、金庫の方がまだ良いかもしれない。 「あ、そういえば……。俺って、ひなのこと、なんて説明したらいいの?」  以前、椎名と話した際に、陽太との関係をどう説明していいか分からず、春陽は番が二人いると言った。  もちろん間違ってはいないのだけれど、一般的に広く知られていないダイナミクス性を説明するのは難しくて、どう表現するのが良いのか分からない。 「ひいは番で良いでしょ? でも、ひなは何?」 「番でいいんじゃないの? そんなに変わらないだろ」  陽月はそう答えた。 「はるの好きなように説明していいよ」  と陽太は言ったものの、“お兄ちゃん”ならちょっと悲しい……とは思う。  春陽は少し迷って、 「……じゃあ、旦那さん、とかでもいい?」  と少しだけ照れながら言った。  旦那さん!? と復唱する陽太の心中で、天使がラッパを吹いてお祝いする。 「普通に恋人とかでいいだろ? 何で突然飛躍するんだよ……」 「だ、だって……何でも良いって言うから……」  呆れ顔で陽月に言われ、春陽は何がいけなかったのだろう、と首をかしげる。  婚約証書を書いたのなら、結婚したも同然ではないだろうか。 「じゃあ俺も“旦那”って紹介してくれるのか?」 「うーん、夫、とか?……そもそも、ひいは“番”で通じるから……それじゃだめなの?」 「だめだろ」  陽月は即答する。だってそれじゃあ不公平だ。 「はるがひなを“旦那”って紹介するなら、俺はお前を“妻”っていうからな」 「えっ!?」 「僕は“奥さん”って言うね」  当然のように陽月が言い、ご機嫌な様子で陽太も続いた。  二人の言葉に、春陽は顔を赤くして「ずるい〜……」とこぼした。  ※※※※※  新年。  三人で近くの神社へ初詣に行った。  陽太が「三人分ね」と、賽銭箱に一万円を投げ入れた。  高くない!? と春陽は思ったけれど、陽月も何も言わなかったから、これが二人の相場なのかもしれない。  ぱんぱん、と手を叩いて目を閉じる。  今年もみんなで仲良く過ごせますように――。  春陽はそうお願いした。後で聞いたら、二人も同じようなお願いをしていたようで、春陽は嬉しくなった。  数日後、春陽は二人と一緒に新年の祝賀会に参加した。  名家はもちろん、政治家や各界の大御所が集まる大規模なパーティーだ。 「行ってみる?」  陽太に聞かれた時、春陽は勇気を出して「うん」と頷いた。  それは無理に春陽が参加するべきものではなかった。けれど、二人の隣に立つと覚悟を決めたのだから、それが揺るがないうちに体験しておきたいと思ったのだ。  颯真と碧生に、社交界での身の振り方や食事のマナーを教わって、とりあえずは形になった。当日は二人も春陽のそばにいてくれるようなので、これ以上の安心はない。  ドレスを着てお上品に振る舞える勇気はまだなくて、パンツスタイルを選んだ。代わりに、ブラウスにはたっぷりのフリルやリボンを使って、可愛らしいコーディネートにしてもらう。ハーフアップした髪に、小さめのティアラコームを飾った。 「可愛い」 「よく似合うよ」  二人は褒めてくれたけれど、春陽は緊張して「アリガトウ」と硬い返事をした。もう何度、手のひらに“人”を書いて飲み込んだか。 「……大丈夫か?」 「無理だったら早めに言うんだよ?」  二人が気を使ってくれる。 「大丈夫! 頑張れる!」  春陽は気合いを入れ直すと、背筋を伸ばした。陽太と陽月が笑う。頼もしくなったな、と。 「よし、じゃあ行こうか」  陽太が先導して、陽月が続く。春陽も二人の後に続いて、眩しい舞台に足を踏み出した。  会場は、春陽にとって未知の世界だ。  天井から下がるシャンデリアは、家にあるものよりもずっと大きくて眩しい。  主催者の挨拶で、パーティーは始まる。 「俺たちは挨拶に行ってくるから」 「はるはここにいて」 「う、うん」  分かった、と頷く。陽月が加谷を連れて歩き出す。 「二人とも、はるをよろしくね」  陽太が颯真と碧生に告げる。「かしこまりました」と、二人は頭を下げた。 「はる、話しかけられたら、普通に会話をしていいからね」 「えっ」  初めての社交界で、自分に話しかけてくる人なんているのだろうか……。それを聞く前に、陽太も雅明を連れて行ってしまった。  ぽつん、と残されて、春陽はどうしていいか迷う。  会場は人で溢れかえっているのに、どこもかしこも、きらきらと輝いているように春陽には見えた。 「春陽様、新しいお飲み物はいかがですか?」  碧生に聞かれて、春陽は戸惑う。 「えっと……じゃあ、オレンジジュースで……」 「かしこまりました」  いつも通りに碧生は春陽の世話を焼く。颯真は、春陽のそばで護衛のように立っていた。  と、「こんにちは」と聞いたことのある声がした。顔を上げると、啓佑が立っている。 「啓佑さん!」 「久しぶりだね。今日は春陽くんも一緒に来たんだ?」 「は、はいっ」  緊張しながら言葉を返す。啓佑の横には女性が一人立っている。僕の妻、と紹介された。  しばらく会話を楽しんでいると、泰河と咲も合流してくる。慣れた人たちの中で、春陽は気負わずに会話が出来た。  次に声を掛けてくれたのは静人だった。  こちらも、久しぶりだね、から会話がスタートする。相変わらずの物腰の柔らかさに、春陽も楽しく談笑出来た。  一穂も話しかけて来てくれた。 「今日は歩くんは一緒じゃないの?」と問えば、「歩は、こういうパーティーに出席する権限はないからね」と苦笑される。  悪い事を聞いてしまったかな、と思った。けれど一穂は、 「歩が選んだことだから」  そう言った。 「今度また、みんなで遊ぼうよ」 「うん。その時は、歩くんも、ぜひ」 「もちろん。楽しみにしてるね」  じゃあ、と一穂が去っていく。  春陽は笑顔で手を振って、それを見送った。 「だいぶ空気に慣れてきたね」 「倫さん!」  安心する声の方へ顔を向ける。倫はいつもの笑顔で春陽のそばへやって来る。 「ひなが、はるちゃんを連れてくるって言うから、実は少し心配してたんだ。緊張しすぎていないかなって」 「あ……最初はガチガチだったんですけど……みんなが話し掛けてくれたから、やっと緊張が溶けてきた感じです」  もちろん、完全に慣れたとは言えない。けれど、雰囲気は分かってきた気がする。 「そうだね。周りの目があまり気にならないくらい溶け込めてたら良いんだよ」  にこ、と倫は笑った。  陽太に「春陽を連れて来るから、話しかけてやって欲しい」と言われた。無論、そんなの頼まれなくともするのだけれど。  陽太や陽月の顔なじみと、自然に会話が出来ること――それだけで、春陽が二人のものだと周囲に示すことになるのだから。  時折、ちらちら、と春陽を気にする視線は見受けられる。もちろん、あまりに凝視しているようなら、颯真と碧生が笑顔で牽制しているのだけれど。  ……春陽はそれに気付いていない。そもそも春陽の身分上、話が出来る人物が限られていること自体、知る由もないのだ。  一通り、知り合いとは言葉を交わせた気がする。春陽は、ほっと安堵の息を吐いた。  一度視線を落としてから、再び前を向く。その先に、一人の人物を捉えた。――大路杏奈……陽月の、元婚約者だった人……。  春陽が一歩踏み出す。「春陽様?」と碧生が声をかけたけれど、それすら気に留まらなかった。  杏奈も、春陽に気付いて歩み寄って来る。一定の距離で、二人は無言で向かい合った。 「はる?」  会話を終えて戻ってきた陽月は、春陽の異変に気付いて、足早に近づこうとする。加谷が、その腕を引いて止めた。  近くでは陽太も、対峙する二人を静かに見ていた。 「……こんにちは、春陽様」  先に言葉を切ったのは杏奈の方だ。こんにちは……、と春陽も返す。 「先日は失礼いたしました。お約束もせず、突然お伺いしてしまって」  にこ、と杏奈は上品に笑う。 「いえ……。こちらこそ、ちゃんとしたお話もせずに、失礼しました」  春陽も、ぺこりと頭を下げる。どちらがより上品であるかは、一目瞭然だった。 「驚きました。春陽様がこのようなパーティーにご参加なさるなんて」 「あ、えっと、俺……私が、行きたいと、二人に申し出たので……」 「左様でしたの。春陽様もこの世界がお好きなのですね」  杏奈は、落ち着いてはいるけれど、春陽にとっては些か攻撃的に思えた。震えそうになる指先をギュッと握りしめて、春陽は杏奈に言う。 「先日のお話ですが……。杏奈さんに、ちゃんとお伝え出来ていなかったと思って」 「何をですの?」 「……俺が、陽月の相手に、相応しくないという話です」  はっきりと伝えると、杏奈は驚いたように目を見開いた。それもそうだろう、こんな公の場で話すような内容ではないのだから。  いつの間にか、二人に注目するように会場が静まり返っている。春陽はそれに気付いていない。気づかないほど、目の前の事に必死になっていたから。  春陽は言いたかったのだ。杏奈に、あの時に否定出来なかったことを。心が決まった今なら、言える。 「確かに、俺はあなたのように綺麗ではないし、上品さも足りません。でも、陽月を好きな気持ちは負けません」 「っ……」 「俺はΩだから、正妻に相応しい身分だと思ってはいません。でも、陽月が望んでくれるなら、俺はそれに応えたいんです。例え頼りなくても、ひいもひなも、それで良いって、言ってくれるから」 「……そのあなたの行動が、お二人に恥をかかせることになっても……?」 「……っ」  言葉に詰まる。杏奈の正しさが胸に痛い。それでも、春陽は視線をそらさなかった。 「仮に、そうだとしても……俺は、一緒にいるって決めたから……。二人の横に立つって決めたんです」  以前なら、怖くなってすぐに俯いていただろう。けれど、もうそんな弱いだけの自分ではいたくないから。 「だから……あなたに陽月は渡しません。正妻も、俺がなります。陽太の正妻にも、俺がなります。誰にも、二人は渡しません!」  はっきりと言い切ると、杏奈は息を飲んだ。  水を打ったように静まり返っていた会場に、ぱち……と拍手をする音が生まれる。それはあっという間に周囲に伝染して、あふれんばかりの称賛に包まれた。  春陽が、いつの間にか注目を集めてしまっていた事に気づくと、陽月が二人の間に割り立った。 「杏奈」 「陽月……さ……」 「分かっただろう。どうして俺が……俺やひなが、はるを選ぶか」 「っ……」 「はるは、自分の立場を守りたいわけじゃない。ちゃんと人として、俺たちと向き合ってくれるからだ。お前みたいに肩書を重要視するわけじゃないんだよ。一人の人間として、愛してくれるからだ」 「ひい……」  陽月の背に守られながら、春陽は震える息を吐いた。 「はる……」  陽太も、静かに春陽を庇うように横に立つ。 「……ひな」 「よく言えたね。立派だったよ」  そう囁くと、春陽は涙で瞳を揺らしながら、ぽすん、と陽太に抱きついた。 「……っ、怖かったよぉ……」  さっきまでの威勢はどこへやら。ふえ、と泣きべそをかく春陽を、陽太はぎゅうっと抱きしめた。 「うん、怖かったね。でも強かった。格好良かったよ。さすが僕達のはるだ」  満面の笑みで、満足そうに陽太は春陽を褒めた。  ※※※※※ 『ということで。いやあ、面白いものを見せてもらったよ』  そう言う笑い声が少しだけ耳にうるさくて、翔は携帯を耳から離した。  相手は、兄の(じゅん)だ。翔の仕事状況の確認がてら、先日のパーティーのことを語りだした。  あまりにもノリノリだったので、正直そっちがメインなのでは? と翔は思ったけれど。 「上流階級のお手本らしからぬ姿をお見せしましたか?」  冗談交じりに言うと、まさか、と淳は否定した。 『あのくらいで丁度良い。むしろ清々したよ。Ωはこっちが切り出しても、なかなか素直に首を縦に振らないからな。もちろん、世間の目を気にしてだとは分かっているけど。あれくらいはっきり豪語してくれた方が、見てるこっちも気持ちいいってものだよ』 「そ。なら良かった」  翔はウイスキーに手を伸ばす。こく、と一口飲み込むと、グラスの中の氷が涼やかな音を立てた。パーティーの様子は、颯真から詳細を聞いている。  淳が絶賛した案件は、翔も驚いた。あの内気な春陽が、多くの面前で啖呵を切るなんて……。 『まぁ、社会にはいい意味で波が立ったけどね。これで、多少はΩへの扱い方も変わるだろう』  もちろん、すぐにとはならないけれど。良い変化というのは、目立たずじんわりと広がっていくものだから。 『それにしても、あの調子じゃあ海外事業は難しいんじゃないか? 陽月くん、ずっと春陽くんを連れ歩くわけにもいかないだろう』 「そう思って、日本にいながら回せるような体制まで整えたよ。たまに検閲は必要かもしれないけどね。そこは、泰河くんに覗いてもらってもいいさ」 『なるほど』 「陽月もそんなに長く日本を離れたくはないだろうし、春陽がついて行くなら、陽太もついて行きたがるだろうし」 『そしたらお前が会社を回せば良いだろう?』 「ええー? 嫌だよ」 『慣れろよ。当主会で会おう』 「器じゃないって言ったんだけどさぁ」  口をへの字に曲げて言う。向かいに座る寿津彦が、薄く笑った。 『何を言ってるんだか。翔は立派な瀬野家の人間だよ』  それは、西園寺とは違う、と線引されたようで、翔は少しだけ寂しさも感じた。  もちろん、璃々子と婚約した時点で、そうなる未来が予想できなかったわけではない。ただ、当主として責任を負う自分の、明確なビジョンを持ちづらいだけで。 『何も今までの瀬野家と同じで在ろうとしなくて良いんだよ。その世代の家の在り方で。実際俺だって、父さんとは違うし、啓佑とも違う。お前だって、陽太くんとは違うだろう』 「それは、まぁ……ひなは俺と違って真面目だからなぁ」  だから自分が一線を引いてしまうのかもしれない。自分は、伝統的な事を守るのはどうも苦手だから。今までの瀬野家のイメージと180度違うようになってしまったら、それこそ、家の品位を落としてしまうのではないか。  それをぽつりぽつりと吐けば、そうはならないと思うよ、と返される。 『それを避けるために、家専属の執事が在るんだと思う。永戸家なんか特に。達臣さん、怖いからなぁ』  あはは、と淳は笑う。確かにね、と翔も返す。  達臣は厳格だ。翔の物臭な態度も簡単には許してくれない。けれど、決して冷たくはない。「ただこの瞬間だけは実直でいてください」と、そう言うのだ。臨機応変にというと、言葉は軽いかもしれないが。 『まぁ、そういうことだ』 「うん」 『感謝してるよ、翔には。苦労をかけた。内々で処理出来なかったのは、西園寺の汚点だ』 「いいよ。俺も良い勉強になったし。来月には、完全に引き継いで手を引くからさ」  そこに心残りがないように。翔はいつもそれを考える。うまくは……いかないのだけれど。  電話の向こうで、淳が笑った。 「ああ、あと、秋原の件はありがとうね。助かった」 『あれくらい簡単だよ。三崎家に投げればすぐなんだから。なんなら、俺もちょっと咬ませてもらったから、久しぶりに楽しかった』  春陽が学校で受けた差別を淳に話して「どうにか出来ない?」と頼った。淳は三崎家と幼なじみだから、二つ返事で引き受けてくれた。  Ωに“憧れ”があるんだから、春陽くんと同じような境遇を体験させてあげれば良いのかな? と淳はさも愉快そうに笑った。  三崎家とともに内部の者を動かして、秋原に金品を貢いだ。愛されていると勘違いさせて、逆にホストに金と性を貢がせた。教師としてあるまじき行為だ、と失職させ、借金を抱えさせて、退路を断つ。 「私のことを愛しているんでしょ!? なら助けてよ!」――そう、部下に泣きついてきた彼女の滑稽さときたら……。 「何を勘違いしていたのですか。これは僕達の“仕事”ですよ?」と冷たく突き放して、終わりだ。 『体を売るのはこれからだけどね。もっとも、ただのβだから、なんの付加価値もつかないし、一生掛かっても返せないと思うけどね』 「おー、怖い怖い」 『こっち側の人間に楯突いたんだ。それ相応の報いは受けてもらわないと』  なんの悪びれもなく放つ淳は、さながら、下衆の支配者のようだった。

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