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Episode06 無防備ナ夜【R18】
フィンを抱いたのは、もう何度目のことだったか。
いつからか、初めての夜のような荒々しさは影を潜めていた。
寝台に組み敷いても、フィンの身体からは強張りが薄れていた。抵抗がないのは最初から変わらないが、今はその従順さの質が違う。
指を這わせれば、吐息の合間に微かな震えが混じる。それは怯えの類ではなく、もっと濃密で、本能に忠実な揺らぎだった。
「――ん、っ……」
薄闇の中、藍に沈んだ瞳が、こちらを見上げてくる。初めての夜と変わらぬ眼差しのようでいて、湛える藍の彩は蕩けているようにも見えた。
睫毛を伏せ、私の手と指の動きに合わせて腰を揺らし、全身を震わせるその仕草に、私は喉の奥が渇くのを感じた。
首筋に唇を這わせると、くぐもった声が漏れた。以前なら痛みを堪えるだけだったその声に、今は隠しきれない甘さが滲んでいる。
白い肌に指を這わせ、鎖骨の窪みに口づけを落としたとき、フィンの手が躊躇いがちにも私の背に回った。
拒むためではなく、縋るために。
その些細な変化だけで、私の中の何かが煽られた。
「……フィン」
名を呼ぶと、藍色の瞳が僅かに揺れた。
答える代わりに、彼の手が私の首筋へ回り、引き寄せるようにして距離を詰めてくる。互いの吐息が混じり合うほどの近さで見つめ合った後、私はその唇を塞いだ。
深く重なる口づけの合間、彼の腰を抱き寄せた。十分に慣らした場所へ、ゆっくりと自身を沈めていく。
刹那に乱れる呼吸を感じながら、最奥の熱を感じとる。一度浮かせた腰を再び沈めれば、彼の吐息が小さく声帯を震わせた。
以前のような一方的な征服ではなく、まるで互いの呼吸を確かめ合うような、そんな緩やかな律動をはじめる。
「あ、ぁ……っ、殿、下……」
呼ぶ声に応えるように、私は動きを深くする。奥を突くたびに背が反り、白い喉が晒される。
以前歯を立て、まだ淡く色づいているその場所へ唇を寄せ、きつく吸い付くと、フィンの指が私の肩に食い込んだ。僅かな痛みを齎すその指は、灼けるように熱かった。
汗ばんだ肌が重なり合い、寝台の軋みと重なる吐息だけが、静かな部屋を満たしていく。
互いの体温を分け与えるようなその行為に、私はいつしか自分の欲を満たすことよりも、目の前の彼の反応を引き出すことに夢中になっていた。
雲間から顔を覗かせる月の光が部屋の中へ差し込むたび、伏せられた睫毛の下で、藍色の瞳が澄んだコバルトへと変わる。その一瞬を見逃したくないと思う自分に、私はもう驚かなくなっていた。
「あ、あっ……ん、んんっ……!」
幾度も深く貫いてやると、やがてフィンは身体を強く強張らせ、ひと際大きく震えた。
同時に、私もまた張り詰めていたものを彼の中で解き放つ。
波が引くように弛緩していく彼の身体を、私は荒い息を整えながら自らの胸に抱き込んだ。
フィンは、大人しく私の腕の中に納まり、身を預けてくれた。
腕の中に確かな温もりを囲っていると、疲労が、波のように押し寄せてくる。
――このまま、少しだけ。
落ちてくる瞼に抗うことをせず、私は静かに眼を閉じた。
物心ついた頃から、私は眠りを恐れてきた。
皇位を巡る争いの渦中に生まれた者にとって、無防備な眠りは死に直結する。
毒を盛られる。寝所に刃を送り込まれる。眠るという行為そのものが、常に一つの賭けだった。
だから私は、どれほど疲れていようと、完全に意識を手放すことを己に許してこなかった。
書見の途中、意識が途切れることはあった。疲労が限界を超えたとき、つい意識を手放してしまう。だからこそ、執務の最中は傍に人を置いてこなかった。
いっときとはいえ、先日フィンの前で眠ってしまったことですら驚いていたというのに、今日は自らの意志で気を緩め、そのまま眠りに落ちてしまった。
人をこの手に抱いたことは多々あれど、触れ合う肌が心地良いと思ったことも、その温もりをずっと感じていたいと思ったことも、これまでただの一度もなかった。
ましてや人の温もりに寄り添って眠りに落ちるなどと、正気の沙汰ではないと、少し前までの私ならば断じただろう。
フィンの身体を抱き込んだまま、水底に沈殿した泥のように眠った私は、夢すら見なかった。
それほど深く、私は眠っていたのだろう。
毎夜、父帝に追われる夢を見るのが常だった。
血に濡れた玉座も、焼け落ちる城も、炎の中上がる悲鳴も――今宵は何一つ現れなかった。
目を覚ました時、窓の外はすでに白み始めていた。
腕の中には、変わらずフィンの身体がある。ほっと安堵して、再び目を閉じかけた――直後。
――しまった。
正気に引き戻され、真っ先に込み上げたのは、純粋な恐怖だった。
この宮廷で、無防備に意識を手放すことがどれほど愚かなことか、私は誰よりも知っていたはずだ。
だが、私はまだこうして息をしている。喉を掻き切られてもいなければ、毒に苦しんでもいない。
腕の中のフィンは、身じろぎ一つせず、静かな寝息を立てていた。
――殺せたはずだ。
殺す機会など、いくらでもあっただろう。
眠りこけた無防備な喉元に、指をかけることも、傍らの燭台を振り下ろすことも、この男ならば容易くできたはずだ。
皇位を巡る争いでは、隙を見せた者から死ぬ。それが、この宮廷の理だった。
私は今、その理から外れた。
彼は自分を殺さなかった。
胸の奥に、言いようのない感慨が広がった。
彼が敵意を向けてこないという事実だけが、妙に鮮明な熱を持って私の中に残った。
身じろぎに気づいたのか、フィンの睫毛がゆっくりと震え、瞳が開いた。
朝の淡い光の中で、藍に沈んでいたはずの瞳が、澄んだコバルトブルーへと変わっていく。
凪いだ水面を思わせるその彩を、私は至近に覗き込んだ。
「――殿下……?」
寝起きの掠れた声が、私の名を呼んだ。
いや、正確には身分を示す呼称だが、それでも構わなかった。
「……お前は」
言いかけて、言葉に詰まった。何を問おうとしていたのか、自分でも分からなかった。
なぜ殺さなかったのか、と聞くのは、あまりにも滑稽だった。まるで、殺して欲しかったとでも言うようで。
「――何でもない」
私は身を起こし、乱れた前髪を掻き上げた。動揺を悟られぬよう、努めて平静を装う。
だが、内心では激しく戸惑っていた。
これまで誰の前でも、たとえ寝所の中であろうと、私は完全に気を抜いたことなどなかった。それなのに、この奴隷の腕の中でだけ、安心しきったように無防備な眠りに落ちていた。
何故だ。
理由など一つも見当たらない。
それでも身体だけは、この男を危険ではないと判断していた。
理性より先に、本能が答えを出してしまっている。
答えの出ない問いを抱えたまま、私は寝台を下りた。
「湯の支度を」
短く命じると、フィンは静かに従った。いつも通りの、変わらぬ所作で。
寝台を降りる際、少しだけその足元がふらついたとき、思わず伸ばしかけた手があった。
その手は虚空を掴み、彼を支えることなく引き戻された。
フィンの全身に刻まれた鬱血の痕だけが、妙に鮮やかなものに私の眼には映った。
私の中で、何かが決定的に変わっていた。
信頼、という言葉を使うには、まだ早過ぎる気がした。
それでも、この男の傍でだけは無防備でいられる――その事実を、私はもう無視することができなかった。
支配しているつもりの相手に、私はいつの間にか、命を預けていた。
その矛盾に気づいてなお、私はその夜以降も、フィンの傍でだけは深く眠ることをやめられなかった。
悪夢のない夜とは、これほどまでに穏やかなものだったのか。
私はいつしか、夜の訪れが楽しみになっていた。
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