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Episode12 交ワサレタ約束【R18】
呼び出しの使者が来たのは、翌朝のことだった。
「――皇帝陛下がお呼びです。すぐに支度を」
その一言だけで、空気が凍りついた気がした。
何のために、とは聞かない。聞くまでもなかった。
背筋を氷水が流れ落ちるようだった。
目の前が暗くなる。指先が冷える。
炎の中で見た、あの冷え切った眼が脳裏に浮かんで離れない。
支度を整える間、僕の手は震えていた。
手だけではない。足も、呼吸も、すべてが震えていた。
気を抜けば、その場に崩れ落ちそうだった。
昨夜、僕は復讐者であることをやめた。それなのに今、まるで見計らったかのように、この国で最も恐ろしい男が僕を呼んでいる。
――偶然、ではない。
そう直感していた。
部屋を出ようとしたところで、殿下と行き違った。
彼は僕の顔色を見て、何事かと使者に尋ねた。そして使者の言葉を聞いて、目に見えて顔色を変えた。
「――待て。フィンは今日、体調が優れない。日を改めるよう――」
「殿下」
使者は、抑揚のない声で遮った。
「陛下のご意向に、逆らわれるのですか」
その一言に、彼は奥歯を噛み締めるように押し黙った。
拳が、固く握られている。何かを言いかけて、けれど言葉にならず、彼はただ僕を見た。
縋るような、それでいて何もできない自分を恥じるような目だった。
「――っ……だが……」
絞り出すような声だった。
彼は、僕を皇帝のところへ送り出したくないと思ってくれている。
自分を殺そうとした僕のことを、今もなおそんなふうに扱ってくれる。
それだけで、不思議と身体の震えは治まっていった。
「大丈夫です」
大丈夫なはずがなかった。
けれど、彼の立場を悪くするわけにはいかない。
僕は努めて穏やかに、頷いてみせた。
あの夜以来、はじめて視線が重なった。彼の漆黒の瞳は、以前と変わらず黒曜のように美しかった。
ヴィルヘルムは葛藤するように僕を見ていたが、やがてゆっくりと瞬いた。
「必ず、迎えに行く」
その約束が、どれほどの意味を持つのか、彼はきっと分かっていないだろう。
僕にとってその言葉は、何よりの拠り所になった。
使者に連れられ、長い廊下を歩く。
一歩進むごとに、昨夜の涙も、決意も、すべてが遠くなっていくような気がした。
――僕はもう、復讐者ではない。
昨夜、そう誓ったばかりだった。
なのに今、僕はまた、あの日と同じように、誰かの意のままに引き摺られていく。
違うのは、僕を突き動かしていたものが、憎しみから、別の何かに変わっていたことだけだった。
父帝の私室の扉が、目の前に迫る。
――どうか、あの人を、これ以上苦しめないでください。
誰に向けた祈りかも分からないまま、僕はそう願った。
「入れ」
低く、絡みつくような声が、僕を招いた。
扉が、音もなく開かれる。
部屋の中には、皇帝が立っていた。
それだけであるのに、何倍も空気が重くなった気がした。
彼の背後に、炎が見える。
あの日、すべてを灼き尽くした狂気の炎だ。
視界が揺らぎ、吐き気が込み上げた。
しかし、ここで逃げるわけにはいかない。
逃げ場はない。ここに、ヴィルヘルムはいない。
寝台に横たえられ、衣服を剥がれた僕の肌を、皇帝は舐めるように眺めた。
噛み跡。爪の跡。塞がっていない昨夜の傷が、いくつも刻まれている。
「――ほう。これはまた、随分と可愛がられたものだな」
満足げな声だった。まるで、我が子の成長を喜ぶような。
「大人しい顔をしているようで、やはり私の息子だ。気に入ったものを、ここまで貪り尽くす」
その言葉に、腹の底が冷えていくのを感じた。
これは、息子への歪んだ賛辞なのだ。ヴィルヘルムが僕につけた傷すらも、この男にとっては『息子の血』を確認する材料でしかない。
「あれが執着し始めた頃合いだ。そろそろ、思い知らせておかねばな」
指先が、顎に触れる。
「これがまだ、誰のものか」
――心を、殺せ。
僕は自分にそう言い聞かせた。
ここで涙を見せることは、この男に餌を与えることと同じだ。
苦痛に歪む顔も、屈辱に濡れる目も、この男はきっと喜んで貪るだろう。
だから、僕は何も感じないふりをした。
表情を消し、視線を天蓋の一点に固定する。
どんな痛みも、屈辱も、僕の外側で起きていることだと、そう思い込むように努めた。
「――つまらんな」
父帝の声に、初めて不満の色が滲んだ。
「もっと啼け。お前を抱いているのは私だ」
冷たい指が、頬を打った。
それでも、僕は声の一つも漏らさなかった。
「随分と躾がなっていないようだな」
苛立ちを隠さない声とともに、行為は次第に苛烈さを増していった。
容赦のない力で身体を開かれ、絶え間ない痛みが走る。
それでも、僕は声を殺し続けた。
――耐えろ。
頭の中で、繰り返す。
この身を虐げる手は、彼の与える罰とはまるで違うものだった。
彼の手には、まだ躊躇いがあった。振り上げた拳を、寝台の柱に叩きつけるだけの、優しさが残っていた。
けれどこの男には、その片鱗すらない。
痛みで意識が飛びそうになるたび、僕は縋るように、彼のことを思い浮かべた。
痛めつけようとして躊躇いの混じっていた手や、「行くな」と震える声で乞われたあの夜のことを。
――殿下が、迎えに来てくれる。
その思いだけが、僕を繋ぎ止めていた。
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