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Episode15 新タナル決意
熱は、夜が更けるごとに上がっていった。
意識と無意識の境が、次第に曖昧になっていく。瞼を上げても、その眼に映るものが何であるのか、判然としない時間が増えていった。
「――ん……っ」
身体の芯から込み上げる熱に、何度も呻き声が漏れた。いたるところの傷口が疼く。
あれだけ苛烈だった悪寒は影を潜め、代わりに全身が燃えるように熱かった。
濡れた布が、額に触れる。その冷たさに、僅かに意識が引き戻された。
「フィン」
名を呼ぶ声が、ひどく近くから聞こえた。掠れた、余裕のない声だった。
「殿、下……」
「喋らなくていい」
目元に掛かる髪を、彼の手が払ってくれた。そのまま、髪を梳くように撫でてくれる。
布を替える手つきはまるで壊れ物を扱うように慎重で、それでいて何処かぎこちなかった。
――前にも、あったな。
朧げな意識の中で、そんなことを思った。
あの最初に肌を重ねた夜、僕の傷にそっと布を這わせていた、あの震える指先を思い出す。
だがあのときと違うのは、今の方がずっと、その手の温もりが心地良く感じられるということだった。
熱に浮かされながら、何度も夢を見た。
炎の中を駆ける夢。最後に見た父の瞳。母の悲鳴。焼け落ちる城。冷たくなっていく弟の手。
――逃げて、フィン……!
耳の奥で、母の声が響く。あの日と同じ、切羽詰まった声で。
「――っ、ぁ……」
気がつけば、僕は泣いていた。
皇帝にこの身体を甚振られた際には一滴も出なかった涙は、枯れたわけではないようだった。
はらはらと涙を流しながら魘され続ける僕の身体を、強く抱き締めてくれる力があった。
「大丈夫だ。ここにいる」
その声に、僕はしがみつくように意識を向けた。
母の声でも、崩れ落ちる城の音でもない、今、確かにここにある声に。
「で、んか……っ」
「私はここだ。何処にも行かない」
その言葉に、僕はようやく、夢と現実の境を取り戻した気がした。
眦から零れ落ちる雫を、彼の指に拭われた。
汗ばんだ額に、また濡れた布が触れる。心地良さに、熱い吐息が漏れた。
「水を飲めるか」
差し出された水差しに、僕は震える唇をつけた。
けれど、身を起こすことができない所為か、上手く飲めずに水は口角を伝い落ちた。
彼は少し迷った素振りを見せたあと、水差しの水を自らの口に含んだ。
次の瞬間、唇に柔らかな感触が宛がわれる。ふわりと、彼の香りが鼻腔を掠めた。
僅かに開いた唇のあわいから、ひんやりとした水が流れ込んでくる。
「ん……ぅ」
流し込まれた水を、嚥下する。乾ききった喉が、ごくりと僅かに鳴った。
喉を潤わせる冷たさが、少しだけ意識を確かなものにさせてくれた。
「――どう、して」
すぐ至近にある彼の瞳を見つめながら、掠れた声で僕は問うた。
久しぶりに間近で見る双眸は、澄んだ夜の空を思わせた。
「どうして、そこまで……。僕は、貴方を、この手で……」
続く言葉を、口にできなかった。
「――分からない」
殿下の瞳孔が、ほんの僅かに揺れた。
「分からないが、お前を放ってはおけない」
熱に潤む視界では、殿下の顔がぼやけて見えた。
だが、その声に籠る焦燥だけは、はっきりと伝わってきた。
僕は、思った。
この人は、皇帝とは違う。
彼は、傷ついた僕を見て、こんなにも苦しんでいる。人が傷つくことを、こんなにも恐れている。
――この人になら。
熱に浮かされた頭の中で、その考えが、初めてはっきりとした輪郭を持った。
この人が立て直す国なら。この人が座る玉座になら。
託しても良いのかもしれない。変えてくれるのかもしれない。
彼ならば――
「フィン……?」
僕の様子に気づいたのか、殿下が顔を覗き込んでくる。
「どうした?痛むのか」
「――はい。痛いです、とても」
この決意の道を往くのなら、それはきっと今よりずっと、多難な道となるのだろう。
それでも。
僕は願ってしまった。彼が、切り拓く未来を。
そのためになら、この身がどんなに傷つこうと、どんなに痛めつけられようと、構いはしない。
確かに何かが、僕の中で変わり始めていた。
十年間、憎しみだけを支えに生きてきた僕の中に、まったく違う種類の願いが芽生えていた。
――この人を、生かしたい。この人が、玉座に座る日を見たい。
そのために、僕が出来ることは。
僕は、王族として育てられた。
国の未来を担う者として、政治も、外交も、戦も。
父から教えられたことは、国を滅ぼすためではなく、国を守るためのものだった。
その知識を、もし誰かに託す日が来るならば。
その相手は彼しかいないと、そう思った。
夜通し、殿下は僕の傍を離れなかった。
僕は傍らの気配を感じながら、いつの間にか意識を手放していた。
再び意識が浮上したとき、殿下は寝台の縁に突っ伏すようにして眠っていた。僕の手を、まだ握りしめたまま。
その寝顔を見つめながら、僕は静かに誓った。
――あなたを、皇帝にします。
僕の持つすべての知識と、すべての策略を尽くして。
たとえこの身が、どうなろうとも。
瞼を落とす。
その裏に映るのは、燃え盛る城ではなかった。
玉座へ続く、まだ誰も歩いたことのない道だった。
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