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Episode20 未知ノ感情【R18】
その夜、私はフィンの身体を貪るように抱いた。
だがその貪欲さは、これまでの夜と同じものではなかった。
初めての夜のような支配欲でも、獣じみた衝動でもない。
もっと切実な、何かに縋りつくような欲求だった。
――お前の国を、私が滅ぼした。
その事実は、彼の肌に触れるたび、何度でも私の胸を抉った。
彼の温もりを知るほど、彼から温もりを奪ったのが自分なのだと思い知らされる。
抱き締める資格など、本当は最初からなかった。
この手で触れている身体は、かつて私が焼き払った国の、最後の王子のものだ。
その事実の重さに、私はどう振る舞えばいいのか分からなくなっていた。
こんな夜を越えてなお、この男は美しかった。
傷つけられたはずなのに、奪われたはずなのに、その清冽さだけは、誰にも穢せなかった。
彼の白い肌は、月の欠片をそのまま零したようだった。
その肌に散る紅い花は、穢れたものなどではなく、彼の覚悟を表す高潔な証だった。
シーツの上に流れる白金の髪は淡く月光を孕み、暗がりの中でも儚く浮かび上がっている。
この完成された美しさを、この男は武器にしてしまった。
そうさせたのは私の弱さだ。
私の覚悟が足りない所為で、彼は自分の身体まで差し出さなければならなくなった。
――嫌だ。お前を誰にも触れさせたくはない。
――すまない。お前にそこまでさせてしまって。
喉まで出かかった言葉は山とあるのに、そのいずれも言葉にすることができなかった。
「……殿下」
名を呼ぶ声に、私はその首筋へ顔を寄せた。交わった視線から、逃れるように。
フィンの腕が、私の背に回る。労わるように、或いは許すように。
汗ばんだ肌越しに伝わる彼の体温と、規則正しい鼓動が、剥き出しの神経に直接触れてくるようだった。
その優しさが、かえって私を苦しめた。
――お前は、私を憎むべきなのに。
なぜ、そんな眼で私を見る。なぜ、そんな手で私に触れる。
まるで、私の罪ごと抱き留めんとするかのように。
「……ぁ、っ」
私の手に応えるように、フィンの身体が小さく震えた。
彼はいつも、声を押し殺そうとする。
それでも次第に吐息が震えるようになり、やがては全身を悦びに震わせて、抑えきれなくなった声を漏らすのだ。
私はその快楽に理性が呑み込まれる瞬間が、堪らなく好きだった。
この手がフィンを搔き乱していると思うだけで、自身が昂るのを止められなかった。
「……っ……フィン……」
フィンの身体を抱き竦めながら、私は何度も、口にできない問いを飲み込んだ。
本当に、私を許したのか。本当に、私を選んだのか。
それともその言葉すら、お前が描く未来へ私を導くための一手なのか。
「あ、ぁ……っ」
フィン、お前は何処までが本物だ?
私の眼に映っているお前は、すべて偽りない姿なのか。
今、こうして私の腕の中で、身を捩って善がり狂うこの姿は、果たして本当のものなのか。
そんなふうに考えてしまう自分が嫌だった。
疑いたくはなかった。だが、疑わずにはいられなかった。
人は疑えと、教えられてきた。その教えが、今、私をどうしようもなく縛っている。
フィンの底知れなさを、私はこれまで何度も思い知らされてきた。
この告白すら、何か大きな策の一部だとしたら。
「んっ、んぅ……っ」
私は、その考えを振り切るように荒々しくフィンの唇を塞いだ。
フィンは躊躇わず口を開き、私の舌を招き入れた。
角度を変えて、何度も何度も深い口付けを交わす。
――もし、そうだったとしても。
私は、もう引き返せない。
信じたいから信じるのではない。
信じずに生きていくことの方が、もう耐えられなかった。
たとえこの告白の言葉すら、フィンの壮大な策略の一部だったとしても。
私はもう、この男を手放すことができない。
それがどれほど愚かなことか分かっていてなお、その愚かさから逃れる術を、私は既に失っていた。
フィンの腕が、首の後ろへと回る。
しがみつくように、力が込められる。
深く交わった場所の境界が曖昧になるにつれて、その力は強くなっていった。
支配していると、思っていた。
だが今私に抱かれているのは、私を支配する側の人間だった。
私の罪も、私の孤独も、私の弱さもすべてを知り尽くし、そのすべてを引き受けた上で、私の運命そのものを握っている。
私が皇帝になるか、父を討つか、人であり続けられるか――私の未来を決めるのは、この男かもしれなかった。
逃れられない。
絡みつく腕からも、注がれる眼差しからも。
逃れたいとも思わなかった。
彼という人間から。そして、自分の運命から。
「殿下……」
囁き落ちる声の温かさに、私はまた、この身も心も縄で締め付けられるような感覚を覚えた。
「……大丈夫、です」
何が大丈夫なのか、私には分からなかった。
私はそんなにも、不安な顔をしていただろうか。
だがその一言だけで、彼が浮かべる微笑を見るだけで、辛うじて形を保っていたものが、確かなものに変わっていくのを感じていた。
「フィン。名を呼んでくれないか」
「……ヴィル、ヘルム、様……」
「ヴィルでいい。二人のときは、そう呼んで欲しい」
「――ヴィル……」
フィンの唇が、確かな声音で私の名前を紡ぐ。
たったそれだけのことで、物心ついたときから開いていた胸の穴が、温かいもので満たされていく。
それは生まれて初めて、所在なく浮いていた心が、あるべき場所に還ったような感覚だった。
「お前のことは、何と呼べばいい」
「……フィンのままで。僕の家族が、そう呼んでくれていたのです」
「そう……だったのか……」
それは、奴隷として生きてきた彼の名ではなかった。
あの日、私が名を問うたとき、白金の睫毛の奥で揺れ動いていた藍色を思い返す。
あのときの間はきっと、遠い日の家族を思い出していた時間だった。
フィンにとって、何よりも尊い思い出。その彼らと同じように、呼んでも良いとフィンは言う。
それだけで、胸のずっと奥深くから込み上げてくるものがあった。
「フィン……!」
衝動に抗うことをせず、力の限り彼の身体を抱き竦め、その中心を突き上げた。
汗に湿った肌が擦れ合うたび、腰の奥に灼けつくような快さが走り、思考の輪郭が崩れていく。
何度も何度も、その身の一番奥に自身の証を刻み込むように、腰を打ちつけ続けた。
「ぁ、あ、んっ、ヴィル……っ、ヴィ、ル――ぁあ……ッ」
「――……っ」
細い腰が大きく跳ね、白い喉が晒される。
足指をきゅっと丸まらせ、全身を強張らせる彼の身体を、きつく掻き抱いた。
自らの種を、その胎内に注ぎ込む。
腕の中の身体は、しばらく不規則に震えていた。
濡れた肌が私の胸に張り付いて離れず、その重みだけが、たしかにフィンがここにいる証のようだった。
やがて、その身から緩やかに力が抜けていくのを感じる。
私はよりいっそう腕に力を込めて、その体躯をきつく抱き締めた。
――この男がいなければ、私はもう、立っていられない。
その自覚は、恐怖にも似ていた。
かつて、誰にも心を許さず、誰にも隙を見せなかった自分が、今はこの一人の存在なしには、自分を保てなくなっている。
フィンは、私の胸元に顔を押しつけながら声を殺して泣いていた。
泣いている理由さえ、私には分からなかった。
安堵なのか、悲しみなのか――それとも、この十年間積み重ねてきた何かが溢れ出したのか。
知る術を持たない私は掛ける言葉が見つからず、ただ彼の白金の髪を指で梳き続けていた。
言うまでもなく、フィンは強い。父帝にも、兄にも屈しなかった。
けれど今腕の中で涙する彼は、ひどく小さくか弱いものに思われた。
こんなとき、気の利いた言葉のひとつくらいかけてやれたなら。
私は自らの不器用さを呪いつつ、静かに彼の髪を撫で続けることしかできなかった。
髪を撫でるたび、フィンの肩から少しずつ力が抜けていく。
張り詰めていたものが、ようやくほどけ始めたのだろうか。
そうであって欲しいと願いながら、私はその髪に唇を寄せた。
嗚咽に震えていたフィンの呼吸が、次第に規則正しくなっていく。
やがて寝息へと変わっていくその気配を感じながら、私は暗闇の中で、一人、自分の中に巣食う感情の正体を見つめ続けていた。
――これが、愛なのか。
そんな美しい言葉で呼んでいいものなのか。
耐え難い罪悪感は、救済を望むことすら烏滸がましく、どう償ってよいのかも分からない。
それらを抱えたまま、私は彼を愛してしまっても良いのだろうか。
それともこれはまた別の、もっと歪んだ、執着のようなものなのだろうか。
私はまだ、その未知の感情の正体を掴めないでいた。
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