27 / 44

Episode26 開カレタ盤上

その報せが届いたのは、明け方のことだった。 「――陛下が、崩御されました」 侍従長の声は、震えていた。 私は寝台から跳ね起き、耳を疑った。 「――何?」 「昨夜遅く、私室にて。何者かに、御毒を盛られたものと」 崩御。父上が。 あれほどの狂気を纏い、誰よりも死から遠い場所にいるように見えた男が。 私は急ぎ支度を整え、父上の私室へと向かった。フィンも黙って後に続く。 私室には、既に多くの文官と近衛が詰めかけていた。 寝台に横たわる父上の顔は、驚くほど穏やかだった。あれほど恐れられた男の最期が、こんなにも静かなものだとは。 「毒の出所は」 「まだ、調査中です」 その返答に、私は僅かな違和感を覚えた。 宮廷内で、これほどの毒を用意できる者は限られている。 しかも、父上ほど警戒厳重な人物に誰にも気づかれず毒を盛るなど、余程の権限か、あるいは近しい者でなければ不可能だ。 ――ルインハルト兄上か。 真っ先に、その名が浮かんだ。だが、証拠は何もない。 私室を辞し、廊下に出たところで、フィンが小声で囁いた。 「――殿下。これは、罠かもしれません」 「――どういうことだ」 「父帝陛下の崩御は、あまりにも都合が良すぎます。ノルヴィス様が失脚し、次に狙われるとすれば――……」 言い終える前に、廊下の向こうから、慌ただしい足音が近づいてきた。近衛兵の一団だった。 その先頭に、見覚えのある顔があった。密偵機関の長だ。 「――ヴィルヘルム殿下」 その声には、これまでにない硬さがあった。 「陛下崩御の件について、殿下にお伺いしたいことがございます」 「――何だ」 「昨夜、陛下の私室に、殿下がお一人で訪れていたとの記録がございます」 その言葉に、私は息を呑んだ。 「――昨夜は父上の元を訪れてはいない。それはこの者が証言できる」 私は傍らのフィンを見た。 フィンは固い顔をして、前を見据えていた。 「その者は殿下を庇う立場の者。恐れながら、その証言は認められません」 「――そんな」 「加えて、殿下が以前、陛下に対し『生かしておいてはならない』と発言されたとの証言も」 その言葉に、私は愕然とした。 確かにそう思いはしたが、安易に口に出すほど愚かではない。 「――そのような発言、した覚えはない」 「証言者がおります。陛下の私室付きの侍従が、確かにお聞きしたと」 侍従、という言葉に、私は歯噛みした。 心当たりはない。だが、いくらでも偽ることのできる証言だった。誰か一人を抱き込みさえすれば、いくらでも『証言』は作り出せる。 「――それは、偽りだ」 「殿下がそう仰るのは当然でしょう。ですが、証言も、記録も、既に密偵機関によって取りまとめられております。よって第一皇子殿下より、殿下の身柄を確保するように、とのご指示です」 その言葉に、周囲がざわめいた。 「――兄上が、私を」 「陛下崩御の疑いは、現時点で最も濃厚な動機と機会をお持ちの、ヴィルヘルム殿下に」 「――待て」 私は、声を荒げそうになるのを、辛うじて堪えた。 ここで取り乱せば、それこそ相手の思う壺だ。 「その証言、証拠とやらは、誰が確認したものだ」 「密偵機関の記録に基づくものです」 「――その密偵機関を、今、誰が掌握している」 密偵機関の長は、僅かに視線を泳がせた。 それだけで、私には十分だった。 「殿下。恐れながら、我々の任務は陛下、いえ、今は帝国の秩序を守ることに」 「答えろ」 私の声に、その場の空気が凍りついた。 密偵機関の長は、しばしの沈黙の後、静かに答えた。 「――第一皇子殿下より直々に、機関の再編についてご指示を賜っております」 「っは、やはりか。成る程」 その答えに、私は全てを理解した。 ルインハルト兄上は、父上を手にかけた。そして、その罪を、私に着せようとしている。密偵機関という、証拠を捏造できる力を使って。 「――私を、拘束するつもりか」 「……申し訳ございません。命には、逆らえません」 近衛兵たちが、私を取り囲むように動いた。 私は、抵抗する術を持たなかった。ここで力尽くで抗えば、それこそ「謀反の意志あり」と断じられるだけだ。 「フィン」 私は、傍らのフィンに目を向けた。フィンは驚くほど冷静な表情で、私を見つめ返していた。 「――殿下。ご安心を」 その声には、確かな覚悟が滲んでいた。 「私が必ず、殿下をお救いします」 真摯な眼差しに、私は敢えて表情を緩めた。 「私なら大丈夫だ。お前は、お前の為すべきことを為せ。……くれぐれも無茶はするな」 フィンは僅かに瞠目すると、緩やかに瞬き、そして微笑んだ。 「承知いたしました」 その言葉を最後に、私は近衛兵たちに連れられ、その場を後にした。 振り返った先で、フィンが静かに一礼するのが見えた。 これから始まる戦いへの、静かな決意表明のように。 私もまた、言葉なく頷いた。 ――諦めない。 兄上がどれほど巧妙に罪を重ねようと、その罪を被せてこようと、この身が折れることはない。 父の狂気を終わらせると決めたあの日から、私はもう後戻りのできぬ道を選んでいる。 牢獄が終着点なら、それでも構わない。 この先に待つ裁きの場が、私の戦場になるだけだ。 ――ここからが、本当の始まりだ。 父帝は死んだ。 だが、狂気は死んでいない。 その血は今、ルインハルト兄上という器を得て、なおも帝国を蝕もうとしている。 より狡猾で、より底知れない兄が、今まさに帝国の頂に手をかけようとしていた。 「……負けるものか」 誰に聞かせるでもないその呟きは、静かな廊下の闇へと吸い込まれていった。 第三章 了

ともだちにシェアしよう!