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Episode28 亡国ノ王子

証拠を揃えた僕は、次にあの短剣を取り出した。 十年間、肌身離さず持ち続けてきた、祖国の紋章が刻まれたその刃。かつては復讐のためだけに研ぎ続けた、唯一の遺品。 今この刃を、全く違う目的のために使おうとしている。 元老院――父帝の恐怖政治の下でも、辛うじて存続してきた重臣たちの合議体。 形骸化していたそれが、絶対的な権力者を失った今、その発言力を取り戻しつつあるという噂を、僕は宮廷の片隅で幾度となく耳にしていた。 本来国の政を担う上で当然耳を傾けるべき彼らの発言権すら、かの皇帝は認めてこなかったということだ。 皇帝の死後に彼らの存在が浮上してきたという話を聞くだけでも、彼が如何に独裁という名の道を切り開いてきたのかを物語っていた。 僕は彼らに接触することにした。 しかし奴隷の身分のまま、彼らに謁見を求めることなどできはしない。 僕には、もう一つの身分があった。 僕は身なりを整え、元老院筆頭――グルザス公という老齢の重臣への面会を求めた。 奴隷が直接面会を求めても、門前払いにされるだけだ。だから僕は、こう告げた。 シルヴァーン王家の生き残りが、火急の用件でお目通りを願っている、と。 その一言だけで、多くの門番が困惑した顔を見せた。 だが、僕が懐から取り出した短剣――王家の紋章の刻まれたそれを示すと、態度は一変した。 元老院の議事棟は、皇城の中でも異質な静けさを纏っていた。 父帝の治世では決裁権のほとんどを奪われ、長く『飾り物』と揶揄されてきた場所。 それでも、この国が法と秩序を完全には失わなかったのは、彼らが最後の矜持を捨てなかったからだ。 だからこそ、僕はここへ来た。 権力ではなく、理を重んじる者たちならば、まだこの帝国は救える。 謁見の間に通された僕を、グルザス公は、値踏みするような目で見つめていた。 「――シルヴァーンの、生き残り、とな」 「十年前、貴国に滅ぼされたシルヴァーン王国の、第一王子にございます」 僕は膝をつき、頭(こうべ)を垂れた。 懐から取り出した短剣を、両手で静かに掲げる。 磨かれた刃には、歳月では消えぬ王家の紋章が刻まれていた。 十年前、炎の中から唯一持ち出したもの。 父も、母も、弟も――そして王子の名も失ったあの日。 最後まで、この刃だけは手放さなかった。 「証拠は、この短剣一つのみ。信じていただけずとも構いません。ですが、私が今日ここに参りましたのは、我が身分を認めていただきたいためでは御座いません」 「――ならば、何用だ。まさか復讐を遂げに来たという訳でもあるまい」 「第一皇子ルインハルト殿下による、証拠の捏造についてです」 その一言に、グルザス公の表情が僅かに動いた。 「私に何を望む」 「信じていただくことではありません」 僕は短剣を握り締め、胸元へと宛がった。 十年間握り締め続けた柄は、自分の一部のように手に馴染んでいる。 「疑ってくださって構いません」 「……ほう?」 「その代わり、その曇りなき眼(まなこ)で、正しく証拠をご覧ください」 僕は、これまで集めた証拠――侍従の証言の矛盾、密偵機関の人事異動、そして不自然な会計記録などを、一つ一つ、順序立てて説明していった。 「先の陛下崩御の件、そしてヴィルヘルム殿下への嫌疑は、すべて第一皇子殿下による捏造かと」 グルザス公は、しばらく黙って僕の話を聞いていた。 老獪なその目には、疑いと、それ以上に何か別の光が宿っているように見えた。 「――貴殿は、なぜそこまでヴィルヘルム殿下の肩を持つ」 「私は、あの方に下賜された奴隷として、この身を捧げて参りました」 「――奴隷?」 グルザス公は、眉を顰めた。 「シルヴァーンの王子ともあろう者が、随分と数奇な運命を辿ったものだな」 「私の身の上などは、取るに足らぬことで御座います。問題は、この帝国の次の皇帝が誰であるべきか、ということです」 僕は、真っ直ぐにグルザス公を見つめた。 「ルインハルト殿下は、完璧な仮面を被っておられます。ですがその裏で、密偵機関を私物化し、証拠を捏造し、無実の弟君に罪を着せようとしている。このような方が玉座に就けば、この帝国は亡き陛下の恐怖政治とは違う形の、しかしそれ以上の闇に覆われることになるでしょう」 「――ヴィルヘルム殿下ならば、違うと申すか」 「殿下は、民を数字で語りません。あの方は、飢える者の名を覚え、凍える村の地図を覚え、一人の涙のために政を為そうする方です。ゆえに私は、ヴィルヘルム殿下であれば帝国を変えられると思いました。父帝陛下の血を引きながら、その血を最も憎み、そうならぬよう己を律し続けてきたあの方なら」 僕の言葉に、迷いはなかった。 それが、僕が傍で見続けてきた彼という人物だった。 「元老院の皆様が、この帝国の未来を憂うのであれば――今こそ、真実を見定めるときかと存じます」 グルザス公は、長い沈黙の後、静かに口を開いた。 「父君と、よく似ておるな」 「――父を、ご存じなのですか」 「かの君は若いながらに、誠に優れた王であった。亡き皇帝が若かりし頃から、交流のあった御仁よ」 グルザス公は僕を見ていた。否、僕を通してかの日の父を見ているのだろう。 「父君も、そのような眼をしておられた。勝つためではなく、人を守るために才を振るう眼だ。だからこそ、多くの者が彼を慕い、命を預けた」 そこまで言って、グルザス公はゆっくりと眼を伏せた。 「仲睦まじく見えたものだが……まさか斯様なことになろうとは」 グルザス公は遠いものを見るような、それでいて憐れむような視線を僕に注いだ。 「十年前。貴殿の国を焼いた戦は、ヴィルヘルム殿下の初陣だったと記憶している。それでも貴殿は、殿下を次期皇帝にしたいと申すか」 「――はい」 僕は真っ直ぐに彼の眼を見据え、頷いた。 グルザス公はしばらくじっと僕を見ていたが、やがて立ち上がり、僕の前に膝をついた。 「――証拠を、拝見いたします。シルヴァーンの王子よ」 その一言に、僕は再び静かに頭を垂れた。 彼を選んだのは間違いではなかった。 十年前、祖国は滅びた。 あの日、僕はすべてを失った。 だが今日、初めてその喪失の象徴が、未来を切り開くための力になった。 盤面は、静かに動き始めていた。

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