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Episode Final 蒼穹ノ誓イ

「フィン。改めて、お前に頼みたいことがある」 「――僕に?」 「私の傍らで、宰相として、この国を共に支えて欲しい」 それは皇帝として、臣下に下す命令などではなく、ヴィルヘルムという一人の人間が、フィンという一人の人間に差し出す願いだった。 静かに私を見つめてくるその眸には、かつて私が初めて見たときの、あの昏い色はもうなかった。 復讐だけを誓っていたいた眼。 何も望まないことを選んだ眼。 それが今は重なり合い、それぞれが真っ直ぐに未来を見据えている。 「――謹んで、お受けいたします。陛下」 その返答に、私は深く息を吐いた。 肩の奥に張り詰めていたものが、ようやくほどけていく。 「……私的な場では、これまで通り、ヴィルと呼んでくれ」 フィンが、目を瞬く。 その瞳には、涙の名残がまだ残っていた。 「――はい、ヴィル」 彼がその名紡ぐのを聞いた瞬間、胸の奥が、静かに満たされた。 皇帝ではなく、第三皇子でもなく、父の息子でもなく、兄弟を裁いた男でもない。 ただ、ヴィルヘルムという一人の男として、私は、フィンの隣にいる。 「その衣装、よくお似合いです」 唐突なフィンの言葉に、私は僅かに目を瞠り、彼を見た。 「そう、だろうか」 「はい。この帝国の誰よりも」 フィンは微かに笑みを浮かべながら、肩にかかる金糸の飾緒に触れた。 皇帝の意匠はこれまで纏っていたどんな服よりも重く、動くたびに衣擦れの音が耳につく。 正直好んで着たいものではなかったが、フィンがそう言うのならば悪くはない気もしてきた。 「父帝陛下の衣装は、恐怖を纏うためのもののように見えました。ですが、あなたのそれは違う」 フィンは、私の胸元に手を添えた。金糸の刺繍をなぞるように、指先が滑る。 「――責任を、纏っているように見えます」 「そう在るように、精進しよう」 私はフィンの手をとり、その甲に口づけた。 そのさまをじっと見ていたフィンの指が、徐に私の唇へと触れる。 私は唇を開き、その指先を軽く食んだ。 「――っ……」 驚いた様子で手を引こうとするその手首を掴み、今度は手のひらへと唇を寄せた。 そのまま、つ、と舐め上げる。 「……っ、ヴィル……」 フィンの頬が、僅かに赤らんだ。 これまで、どれほど際どい行為の中でも動じなかった男が、こんな些細な仕草一つで、頬を染める。その事実が、堪らなく愛おしかった。 「このあとのすべてを放り出してお前を寝台に連れ込みたい」 「っ、なに、言ってるんですか」 「冗談だ。夜まで我慢しよう」 声を上げて笑う私に、フィンは困ったように視線を逸らした。 その頬は、ほんのりと色づいたままだった。 私は窓辺へ歩み寄り、広がる帝都を見渡した。 その隣に、フィンも並ぶ。 かつて帝国によって滅ぼされた国の王子と、その帝国の新たな皇帝。 決して交わるはずのなかった私たちが、今はこうして同じ景色を見ている。 「――フィン」 「はい」 「これから、忙しくなるぞ」 「承知しています」 「父上の残したものを、すべて変えなければならない。それは、簡単なことではない」 「大丈夫です」 迷いのない返事に、私は思わず笑った。 「……本当に、お前は強いな」 フィンは、僅かに目を細めた。 「ヴィルは、一人ではありません」 フィンの手が、私の手を取った。 「僕ももう、一人ではありませんから」 どちらともなく、その指を絡ませる。 そうして私たちは、固く手を握り合った。 これから始まる治世が、どれほどの困難を伴うものでも。 父の残した傷が、そう簡単には消えなくても。 シルヴァーンの喪失が、過去になることはなくても。 私たちは、この先を生きていく。 失ったものを忘れず、罪を背負い、それでもなお、未来を選び続ける。 この手を離さない限り、私たちは共に歩いていけると、私はそう確信していた。 窓の外には、雲ひとつない青空が広がっていた。 十年前、短剣を握り締めたフィンが見上げたときも、牢獄の小さな窓から私が見上げたものも、同じ色の空だった。 傍らに立つフィンの瞳もまた、果てのない蒼穹をそのまま映したような彩をしている。 私は身を屈め、その眸を覆う白い瞼へとそっと唇を寄せた。 フィンははにかむように笑って、静かに瞼を落とした。 多くのものを失った彼から、これ以上何かを奪うような国にはしない。 それが、皇帝となった私が最初に掲げる誓いだった。 その日、グランシュタット帝国に新たな皇帝が誕生した。 そして同時に――亡国の王子だった青年にもまた、新たな人生が始まった。 窓の外から、戴冠を祝う鐘の音が響いている。 遠く、遠く――新しい時代の始まりを祝福するように。 かつて、この手で全てを終わらせると呟いた青年は、もういない。 今ここにいるのは、隣に立つ者と共に、ここから始めようと未来を見据える一人の男だった。 彼の手を離れた短剣は、鍵の掛かった引き出しの中で、この先もそこに在り続けるだろう。 これまで彼が歩んできた軌跡の証として。 今は亡き、シルヴァーン王国の紋章と共に――。 了

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