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【番外編】Episode07『父上、私はあなたのようになりたかった』

父帝の死後、ルインハルトは驚くほど平静に国政の舵を取った。 葬儀の手配。臣下たちへの通達。滞りかけていた政務の処理。 すべてを寸分の狂いもなく捌いていくその姿を見て、誰もが口を揃えた。 「――さすがは、第一皇子殿下だ。かくも冷静に、国を導いておられる。この国の未来は明るいだろう」 その評価を聞くたび、ルインハルトは鏡の前で、嘲笑った。 ――うまく、演じきらねば。 父を殺めたその手で、父の遺した椅子に座り、父のように国を動かす。 その滑稽さに、誰も気づいていない――あの『二人』を除いては。 私室の窓から、遠く、牢に繋がれているであろうヴィルヘルムのいる方角を、ルインハルトは眺めた。 ※ 気がつけば、王座の間に立っていた。 ――あれは、最も遠いところにいる。 死に際、父が漏らした言葉が耳に残っていた。 自分は、最も近かった。父の思想に、父のやり方に。 だがヴィルヘルムだけは、最後まであの毒に染まらなかった。 自分だけは違うというような顔をして、一線を引いて眺めている彼を見ていると、いつも胸の内を鈍く重いものが満たしていった。 父の座っていた玉座に、一人、腰を下ろす。 「――ヴィルヘルム」 誰もいない広間に、声が響く。 「お前は私を、超えられるのか」 その言葉を口にした瞬間、ルインハルトの背筋を、冷たいものが走った。 ――同じだ。 父が死の間際に、自分へと投げかけた言葉と。 ――『私を、超えてみせろ』 あの時自分は、その言葉に何を感じたのか。 歪んだ、けれど確かな期待。認めてもらえたという、遅過ぎた歓喜。 そして今、自分は、同じ言葉を弟に向けて放っている。 ――結局、私は。 一歩も、あの人から逃れられていない。 失った今もなお、囚われたままなのだ。 「ははっ……」 静寂に包まれた王の間に、乾いた笑い声だけが響いていた。 ※ ルインハルトの元をフィンバールが訪れたのは、父の死から数日後のことだった。 かつて帝国によって滅ぼされた、亡国の王子。 ヴィルヘルムの奴隷であり、今や、自分を追い詰めようとする者の一人だ。 「――シルヴァーンの、王子殿下」 取り繕った仮面を被る必要は、もうなかった。 剥き出しの敵意を、これでもかと言葉に乗せる。 「奴隷風情が、随分と調子に乗ったものだ」 フィンバールは、顔色一つ変えなかった。 似ている、と思った。自分が忌まわしく思った、あの弟に。 「あれは元より皇帝の座などには興味がなかった男だ。だがお前のせいで、あれは変わってしまった」 言葉の一つ一つに刃(やいば)を仕込みながらも、ルインハルトの内心は、不思議なほど凪いでいた。 ――違う。 本当は、分かっていた。 ヴィルヘルムが変わったのは、フィンバールのせいではない。 あれは最初から、変わる資質を持っていた。 父の毒に染まろうとしないあの目が、自分は羨ましく、だからこそ疎ましかった。 それは自分が、決して持てなかったものだった。 「父上は、駒を壊すことを愉しんだ。私は違う。駒は壊さず使い続ける方が、遥かに効率的だ」 紡ぐ言葉は、父の思想の焼き直しでしかなかった。分かっていながら、他に、語る言葉を持たなかった。 「殿下が皇位に就かれた際は、この帝国はどのような国となりますか」 真っ直ぐに向けられたフィンバールの問いに、ルインハルトは、空虚な理想を並べ立てた。 「安定した国だ。誰もが法の下に平等で、秩序ある繁栄を享受できる国になる」 その答えに実体がないことは、自分が一番よく分かっていた。 ――私には、語るべき未来など、最初からなかった。 父を超えることだけを目指し、他のすべてを、道中で失った。 理想も、正しさも、愛した者も。 すべてがこの指の隙間から、零れ落ちていってしまった。 今、自分の手に残っているものなど、もうなにもありはしなかった。 何を語ろうと、その胸中には、虚しさばかりが募っていく。 「王とは、細部にまで手を伸ばすものではない」 言いながら、ふと思う。 ヴィルヘルムなら、きっと違う答えを持っているのだろう。 飢える民の名を、一人ひとり覚えようとする、あの不器用な弟ならば。 ――ああ、そうか。 言葉を交わせば交わすほど、明らかになっていく。 自分が語る国と、ヴィルヘルムが語るであろう国の、その質の違いが。 父は、あれは遠いと言った。 そして、自分が近いとも。 その意に賛同できない時点で、私は既に負けを認めていたのかもしれなかった。 民を愛する皇帝。 私が最も、父と似ているというのであれば、父もまた、昔はそうだったのかもしれない。 私は、諦めてしまった。だがヴィルヘルムなら、諦めずに突き進もうとするのだろうか。 ルインハルトのどこか悟ったような眼には、怒りの色も、羨望の色もなかった。 何も言い返すことのないその沈黙こそが、彼自身の答えだった。 フィンバールが去った後、ルインハルトは一人、窓辺へと向かった。 ふと、執務机の上に積まれた書簡へと視線を落とす。 飢饉の報告。属州からの陳情。国境で起きた小競り合い。 それらのどれも、皇帝が裁かなければならない現実だった。 一枚だけ、そっと手に取る。 それは、幼い子供が餓死したという報告書だった。温度のない文字で、その結果だけが記されている。 しばらく見つめたあと、静かに机の上へと戻した。 「……父上なら」 迷わず数字だけを見る。 何人死に、何人残るか、それだけを考えた。 「私は」 そこまで割り切れない。 ヴィルヘルムなら、あの男なら――名前を知ろうとする。死んだ子の親まで、見ようとする。 「――そういう、ことか」 ルインハルトは、玉座の間の方角を見た。 月のない夜を見上げながら、その空へ向かって、静かに呟く。 「――父上」 結局一度も、彼を越えることはできなかった。 越えるどころか最後まで、その背中を追い続けただけだった。 「私は、あなたのようになりたかった」 ――否。 父のようになりたかったわけではない。 父のようには、なりたくなかった。 恐怖で人を従わせる皇帝など、決して正しいとは思えなかった。 瞳を閉じる。 瞼の裏に浮かんだのは、いつも決して揺るごうとしない、強かな父の眼差しだった。 「私はなりたかった。あなたのように揺るがない人間に」 父は、一度たりとも迷わなかった。 死の間際でさえ、その瞳が揺らぐことはなかった。 「ですが、なれませんでした。あなたのような皇帝には、最後まで」 人を、完全には捨てきれなかった。 あの日、剣の型を見せた無邪気な少年も、正しくあろうと誓った青年も、心の奥底で消えぬまま、まだそこにいた。 理想に迷い、正しさに迷い、愛した者の死に迷い、その果てに、父の真似しかできなかった自分。 あなたのような皇帝になりたかったのではない。 ただ――あなたのように、揺るがず在れる人間になりたかった。 ルインハルトは初めて、それが自身の本心であると知った。 「ヴィルヘルム」 ――ならば、見せてみろ。 お前たちのやり方を。お前たちの正しさを。 父上が否定したものが、私が捨てたものこそが、皇位に於いて大切なものであるというのなら。 その正しさで、この国を変えられるというのなら。 ――私はもう、それでいい。 鏡の前に立つ。 鏡の中の男は、完璧な『第一皇子ルインハルト』の笑みを湛えていた。 その顔は、父帝によく似ていた。 けれどその瞳だけが、人であることを、最後まで諦めきれずにいた。 ルインハルトはそっと、目を閉じた。 その闇の中には、最後まで越えることのできなかった父帝の背だけが、なおも静かに立っていた。

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