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1章(4)
コートのポケットに入れていた質素なカードを取り出し、勝手知った様子で扉の施錠を解除する。
小さな電子音が聞こえドアノブに手をかければ、大した力を要することなく部屋の扉が開かれ、室内の淡い光が通路に漏れ出てきた。
「お邪魔します」
何年も通い続ける部屋であっても、どうしたことか「ただいま」という言葉を口にすることは今でもできない。それは、一緒に暮らしていないからか、顔を合わせることすら少ないからか……それとも。
「ああ、やっと来たか」
随分と久し振りのように感じる声が耳を掠めてすぐに、コートを脱ぐ暇もなく抱きしめられる。変わることのない、洗練された男の香りに包まれて安堵を感じる自分を自覚した。
彼の言葉に最初は何か違和感のようなものを感じたこともあった。その言葉の温度が客人を迎え入れるものだと思ったのだ。 だが、それは今はもうない。
余程大きな音でないと部屋の中に外の音が聞こえるはずがないため、エントランスでカードキーを通した際にカメラにでも映ったのだろう。
「寒かっただろう。今月は雪が降るらしい」
「四月なのにね。会社に泊まろうかな…電車止まったら嫌だし」
「その方が賢明だろうな」
季節外れの雪に振り回されるのは決まって大人なのである。
PLM/PDMシステムの切替日がちょうど今月に入っているため、そこで雪が降ってくれれば夜間の作業で会社に泊まるのも楽なのだが、天候ばかりはこちらの思い通りにはならないためどうなるかは分からない。
彼の口振りからも、仕事に打ち込む普段の姿勢を見ていても、この人も恐らく雪が降れば逆に好都合とばかりに会社で仕事をするのだろう。そもそも、日本にいないかもしれない。確か明日の午後には空港にいるスケジュールのはずだ。逆に、雪がどれほど積もるか分からないが飛行機が着陸できないという事態にならなければいいのだが。
冷たくなった上着をコートクロークにかけ、少し形を整えるように手で裾を軽く払った。横からその手をとられ、直接触れ合った肌の温度に一瞬だけ鼓動が乱れるのがわかった。
「ほら、おいで」
そのまま手からするりと移動させ、優しい声で言いながら肩を抱き、行き先を促してくる。
いつからか、最初の行き先は寝室になっていた。
ずっと前までは、リビングで恋人らしく甘い時間を過ごしていた。
二人で特別ではない話をしたり、テレビを観たり、借りて来た映画を観たり、料理を作ったり、何をするでもなく抱きしめ合っていたり。
自分は、そうした特に意味を持たないような時間を一緒に過ごすのが好きだった。
別にセックスをするのが嫌いなわけではなく……むしろ好きなのだが、二人だけで穏やかな時を共にすることがなくなった今を、少しだけ…本音を言えば心底、悲しく思った。思っていたはずである。
とりとめのない時間がなくなっていったのは、時間が限られているせいだけではないのだろう。
「体、冷えたから……。一回暖まりたい」
肩を抱く手に自らの指先を添えて、その冷たさを伝える。時期外れの寒波だのとニュースで騒がれていたというのに、手袋は置いて来てしまったため、剥き出しの肌が酷く冷えて痛かった。
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