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2章(2)

それからというもの、お祝いを渡す日はなかなか来なかった。 正確に言えば、会う日はあった。呼ばれる夜があったので渡せる機会はあった。 しかし、呼ばれて行く夜の鞄にあの包みを入れるのは、どうしてか気が進まなかったのだ。これも理屈ではなかったと思う。限られた時間のために呼ばれ、そのついでに渡すのではなくて、渡すために会いたかった。何かの行動のついでだと、それはきっとお祝いではない。お祝いの場として、ちゃんと言葉で伝えて、そして自分が選んだこれを手渡したいのだ。 そのくせに、お祝いしたいから会いたいという言葉を伝えるタイミングも、渡すために会おうと言い出せる時間の余白もあの人にはなかった。そして、恐らく「お祝い」という言葉を出した瞬間に、そんなものはいいと返されてしまう。今度という言葉を使うのは少し前にやめたばかりである。時間が読めなくなってしまった自分たちの間には、今度という言葉は曖昧な形にしかならない。 店で高揚する気持ちのまま受け取った日から何週か経過して、包みは部屋の棚の上で待ちくたびれていた。 その日、どうして思い立ったのかはよく分からない。 土曜の朝に少し早く目が覚めて、カーテンを開けて朝日を浴びてから、何となく気持ちが軽やかだった。天気が良くて、風も爽やかで、不快な湿度も何もない、綺麗な日だと思った。 そして、ふいに行ってしまおうと思ったのだ。 後から振り返ってみても──否、振り返ることはもうないのだが──何故そう思ったのかはいつになっても説明できないだろう。 ただ、外が綺麗だった。空が晴れていて、空気が軽くて、吐いた息を吸った時に身体の中に入るものが清々しくて良い日になると思っていたのだ。こういう時に、普段と違うことをして良いことがあるものだと根拠なく思った。 今日もあの人は出勤している日だ。日曜だともしかしたら家にパソコンを持ち込んで業務をするかもしれないが、土曜は出社していることが多い。 ただ休日出勤ではあるのでフルタイムでは働かない。形式上は。終わらなければその後も働いているだろうが、前回予定の確認をした時には夕方までには終わる見込みの作業と話していた。 行こうと思った。渡しに行こうと。 夕方という時間は人によって差があるため何時から何時と明確に区別することはできないものの、凡その時間は共通のものだろう。今日は自分のスケジュールは特に時間に追われるものがなかったので、彼の仕事が終わる頃に会社の近くまで行って、ビルの下で連絡して、渡すだけ渡して帰ればいい。 お祝いと前もって言ってしまうと彼は断る。だから流れるように行って、渡して、終わり。それが一番良い。 それ以外には何もいらないと思った。 むしろ、お祝いの言葉とお祝いの品を渡すことが目的なので、その前後に余分なものをつけたくない。ここまで渡せない日々が続いていたのだから。 十分もかからない用事だ。否、あの人の時間としては三分でもきっと済む。その三分を充てるために、自分の数時間をビルの下で待つことは全く苦ではない。むしろ今は自分の方が落ち着いている時期なので、時間がある方が合わせるのは自然だと思った。 忙しい人の三分を貰うことが時には圧迫させることも分かってはいるが、お祝いなので、そこはどうにか許してほしい。 家に行く選択肢も最初はあったものの、あの人の生活の中心は家ではない。ただ一人になるための場所で、週に一回帰っている程度の場所なので、職場の方がずっと滞在時間も長く、遭遇率は上がる。 家は寝に帰る場所で、寝に帰らない日すらあるのだ。あの人を捕まえたいのであれば、一日の大半を過ごす職場へ行く方が手っ取り早いというのは、自分の中ではとうに普通の考えになっていた。その計算に間違いはなかった。 三分で良いと思っておきながら、家を出る前に身支度は何度か確認したし、身にまとう服を選ぶ手も今日に限ってはやや緩慢だった。それに少しばかり恥ずかしくなりながら身支度を整え、紙袋を手に取った。 外に出てみれば、やはり急に思い立った今日が必然だったように思えるほど綺麗な空気と空だった。 あの人の会社の最寄り駅は、休日でも人が多かった。駅前で少し時間を潰して、夕方を待って、それから会社のある方へ歩き出した。 本社ビルへ向かう道は、昼の喧騒がゆっくりと落ち着き始める時間帯だった。 通りには、オフィス街特有の硬質な空気が残りつつも、平日とは違う喧騒とビルのガラス面に反射する西日の色がそれらを少し柔らかくしているようだった。 本社ビルの周辺は、道路幅が広く歩道も整然と整備されている。車の流れは途切れず、土曜日だというのにタクシーや社用車がビル前のロータリーに滑り込む姿さえあった。 ガラス張りのエントランスは広く、土曜日だというのに内部の照明が早くも点り始めているため、外からでもロビーの奥行きがはっきりと見える建物である。自動ドアが長く閉じている瞬間はほとんどなく、社員らしき人たちや来訪者が交錯していた。 その光景を、まだ少し距離のある、ビルの手前の横断歩道で信号待ちをしながら見ていた。 そして上着に入れていた携帯を取り出し、指を画面に滑らせた。 信号が青に変わり、目線を上げてから歩き始める。 「近くまで来てるんだけど」と打ちかけた画面を開いたまま、信号を渡り始める。出てこられるのかどうか、それだけが心配だったものの、三分だけなら許してもらえるだろうというあの根拠のない気持ちのまま一度画面を伏せた。 人の動きの多い横断歩道で操作しながら歩きたくなかったがすれ違いになったら嫌だなという気持ちが、中途半端に画面と道路を見る目線の動きを作り出していた。 文字を打ち終えて、顔を上げた時だった。指は画面から離れていない。 送る前に、見つけてしまった。 通りの向こう側だった。ビルを少し離れ、どこかへ向かう歩みの方向だった。 見間違えようのない長身と、漆黒の髪。歩く時に余計な肩の揺れを残さない洗練された動き。仕事終わりのはずなのに疲れの見えないいつも通りの立ち姿だった。 一人ではなかった。だから横断歩道の途中で止まってしまったのだ。 隣の女性に何か言って、女性が心底楽しそうに、でもどことなく照れたように笑って、その肩に、あの人の手が回された。

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